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多忙につき、更新が停まっています。
10月になれば少しは何とかなるかもしれません。 取り急ぎ。
"Around midnight_020927"
2002年09月21日(土) |
掌編小説:あの部屋にいる |
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あの部屋にいる。いつもの通り高い位置にある小窓から薄日はさしているが、物音一つなく静まり返っている。
−どうして困るといつもここに来るの?
いつもと変わりない、あきれたような彼女の声が聞こえる。姿は見えない。より正確には、見ることはできないしその必要もない。
−どうしてだろう?
と僕は言う。咄嗟に気の利いた嘘がつけないのだ。
−昔良く来た場所なんだ。だから混乱すると来たくなる。それだけのこと。
彼女は納得していないようだった。勿論、僕も納得していない。ため息が聞こえる。
−あなたにとって、「混乱」するのはそんなに良くないことなの?人はみな多少は困惑しながら生きているはずだけど。
僕は少しの間考える。的確な言葉は相変わらず見つからないが、口に出してみる。大方のことは走り始めてしまえば何とかなるものだ。
−たとえば、こういうことかもしれない。波風の立っていない水面に小石を投げ込んだとするよね。それが一個だけであれば、しばらく立てば、波紋はやがて小さくなり、消えてしまう。小石が投げ込まれるたび、やり過ごす。そのうち消える。僕は、そうやって生きてきた。なるべく鎮静化させようとしてきた。そしてその努力はある程度上手く行っていたんだ。けれども、
そこで一旦切って、彼女の表情を探る。相槌を打とうとする気配はない。(それで?)とも言わない。オーケー。It's still my turn. 僕はかまわず話を続ける。
−けれども、水面が揺れ出すと、波紋どうしで干渉しあう。すると、沈静化しようとする機能が上手く働かなくなるんだ。むしろ波は大きくなる。そして、なにより、荒れた水面に石を投げ込む人がいる。
−誰?
ちょっと躊躇する。突然、全てが明らかになる。僕は、これを言うためにここに来たのだ。
−ほかならぬ、僕自身だ。信じられないことに。
彼女は黙っている。僕も黙る。これ以上何も言葉を重ねる必要はない。この部屋も、やがて消える。僕自身が合意しさえすればよいのだ。そうすれば、何もあとには残らない。だが、まだ、残酷さが足りないようで、部屋は消えていない。
2002年09月07日(土) |
日々雑感:Stone Pavement |
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終日英語の勉強。英語のgrammarを勉強するなど、何年振りのことだろうか。授業に行くと、同じ事務所の弁護士に偶然出会った。それなりに実績のある学校なので、ここで会うのは何も不思議ではない。早くTOEFLの心配をしないで済むようになりたいものだ。
夜、家への帰途にあるbarに立ち寄りたい誘惑に駆られる。が、ストイックに帰る。明日も授業だ。
"Stone Pavement_020907"
2002年09月03日(火) |
日々雑感:若手弁護士座談会 |
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所属弁護士会の修習幹事をしている同期に誘われて、比較的若手の弁護士を集めて修習生の前で話をするという機会があった。普段会務に参加することが少なく、弁護士会への貢献度はかなり低いこともあって、スケジュールをやり繰りして、参加することにした。
総勢6名の弁護士が座談会にパネラーとして参加していた。そのうち私を含む2名が同じ事務所であったことはご愛嬌。修習幹事の方の司会で進行。パネラーの方々のお話を聞くと、自分の世界がいかに狭いかを思わざるを得ない。質疑応答に答えているうちに所定の2時間はあっという間に過ぎた。
その後、天王洲で会食が予定されていた。一度事務所に戻ってメールをチェックし、こまごまとした仕事を処理してから、電車に乗り、遅れて参加する。海沿いのウッド・デッキのテラスのある店で食事。修習幹事の先生の知り合いがやっている店だということだが、内装も、食事も洗練されている。
その後、さらに話し足りない有志で別の店へ。ホテルの最上階のbarに行くと、客は我々だけで、事実上貸切となった。めいめい好きな酒を飲みながら歓談する。事務所のリクルートの関係でお会いした修習生の方と再会し、さらに別の方と妙に気が合って話し込んでしまう。その方とは中学校が同じということが発覚し、さらにローカルな話題で盛り上がった。
"At the Bar_020903"
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久しぶりに昼に食事に出る。同期と赤坂見附へ。 赤坂プリンスホテルに、空の色が反射している。
同期は忙しそうだ。私も最近依頼者とのメールのやり取りが増えている。仕事が忙しくなり始める徴候だ。相変わらずの九月末になりそうな気配。
"So many blue skies in a cracked mirror_020902"
2002年09月01日(日) |
書評:ユイスマンス「さかしま」(澁澤龍彦訳) |
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ユイスマンスの「さかしま」読了。
人工的な楽園を自らの周りに創り出そうとするその試みにより、やがて自縄自縛になる主人公の心理は、はたから見ている分にはコミカルとも言えようが、やがて主人公デ・ゼッサントのことを軽侮することができなくなっている自分に気づくはずだ。「さかしま」を最後まで笑い通せる人間がいたとすれば、その精神的健康に感嘆するほかはない。あるいは、この作者のブラックユーモアを正確に理解している人間ならば、皮肉な笑いの仮面のもとにその一切を笑い飛ばせるのかもしれない。残念ながら、私はそこまでの透徹した視線を持つことはできなかった。
特定の分野に偏ってはいるが、文学、芸術の該博な知識をもち、その独自の視点を涵養しているデ・ゼッサントすなわちユイスマンスの語り口は、膨大な脚注とともに読むと教養書としての役割も果たすだろう。
河出文庫のオディロン・ルドンの表紙がこの小説によく似合う。
"Cafe@Ichigaya_020831"
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