いつもの日記

2008年10月25日(土) 7:藤田の講演

小学4年生の桐原少年は父親に連れられて藤田の講演に良く行っていた。この公演は月に1度は必ず催され、いつも盛況で島の住人で溢れていた。この公演は藤田の父親の時から既にあったのだが、父親が死んで一旦なくなり、5年後から彼が引き継いで再開した。25歳の時だった。

「シンプルに言いますと私は父の講演で育ちました。けれども父が死んで、講演は終わりました。それからその講演の無い生活が始まったのですが、無くなって初めてその意味が解ったのです。何かを考えるにもまったく指針が無いのです。きっかけであったり、確認できる指針が全くない状態だということをだんだん実感していきました。この言葉にできない有耶無耶は時間を経る毎に増大していきました。

ある時漁師の酒田さんと話をしていて『あんたの親父の講演はほんとに良かったよ』という話を聞かされ、私の有耶無耶はもしや誰もが持っているのではと考えました。たぶん、父が死んですぐにもそのような事を皆さんから言われていたのですが、それは単に感謝としか受け取れませんでした。

同じ言葉でも受け手の状況により受け取り方は異なりその後の行動は変わるのです。だから今日の講演も今日の皆さんと明日の皆さんまたは1年後の皆さんでは、どう受け取るかは異なると思います。一旦ここで休憩を挟みます。この休憩で自分が今どんな状態なのか考えてみて下さい。

 問題があるのに解決できないと決めつけてませんか?
 聞く耳をもたない殻に閉じた状態になってませんか?
 結局のところどうなりたいのですか?
 それを素直に発信していますか?

考えてほしいと思うのはこんなところです。では休憩に入ります」



2008年10月22日(水) 6:楠木

「あと間違えの無いように付け加えておくとすると、藤田の父の奥さんは先に病気で亡くなっている。確か1000人に1人の確率で起きるナントカという難病だったと思う。だから彼が、新しい女と仲良くすることは自然であり、彼が死ぬ時に一緒だった女との仲はとても良くて、いつ再婚してもおかしくないなと周りは思っていたんだ。俺も含めてね」

寄り添った人間もいつかは亡くなる。そしてそれが思いのほか早く来るケースもある。でも残った者は立ち直って生き続けなければならず、また場合によっては、新たな伴侶を見つけることになろう。

だが、そんなにすんなり物事は進まない。基本的にはその事実を認めたくないという、時期に突入するはずである。それを乗り越えれば、即ちその事実を自分の一部として取り込めるられれば、次の一歩が踏み出せるかもしれない。でも逆に言えば、なかなか取り込めないというほど、真摯なのかもしれない。

藤田の父はその事実をきちんと受け入れたのだろうか?そして、真摯だったのだろうか?

ただこの言及は間違っている。この手の話について真摯かどうかは他人が評価できるものでは全くない。断じてない。それは絶対に当事者にしか解らないものだからだ。

僕は顎をさすりながらテーブルの上のグラスとその男の後ろ姿を見ながらそんなことを考えていた。男は一通りの話が終わったあとテーブルから立ち、テラスの手すりにつかまって、じっと海を覗き込んでいた。

話をしてくれた男は、藤田の父が死んだ事故を追った大陸の記者だ。名前は楠木と言った。

僕ら2人は、ちょうど藤田の父の車が落ちたとされる場所を見下ろすところに立っているカフェのテラス席で話していた。夏が終わり、いよいよ本格的に秋に突入する季節だった。照りつける太陽もなく、真っ白の大きな雲が浮いてて、気持の良く晴れた日の昼下がりだった。



2008年10月17日(金) 5:藤田の父の死

「藤田の父は本当に自分ひとりの力でその地位を築いたんだ。たった独りで独裁の状態を作り上げたんだ」
とある男は言った。

「でも誰もその状態に文句を言わなかったし、誰も不都合を受けてもなかった。島のみんなは心から彼を尊敬し信頼し、全てを彼に委ねていたんだ。彼自身もとてもモラルが高くどんな不正もしなかったと思う。加えてとても簡潔で豪快だった。そして、その自分の持てる全てを島の住人のために捧げている人間だった。彼の熱意は留まることを知らず、彼は島の枠を越えて大陸へも踏み出し、大陸で発生している不都合を自分の力で解決しようとしたのだ。彼はとても責任感が強く困っている人やそもそも困る状態にも関わらずそれを認識していないという人を見つけると何の躊躇も無しに、彼は行動をおこした。そういう人間だった。だが、終わりは急に訪れるもので、彼はその絶頂の時に、交通事故に遭い亡くなってしまうんだ」

少し風が出てきたことに気づいたのか、男は一度海の方に目を向けた。
僕は男の言葉を待った。

「警察が発表した死亡の経緯を話すと、彼は、大陸で開かれた彼がメインゲストであるパーティーに出席していた。パーティーでは、島での教育理念と教育の成功事例が紹介されたりもして、彼は終始上機嫌。帰りのタクシーに乗り込む時には、シートに座った瞬間に寝てしまうほどかなりの量のアルコールを飲んでいたようだった。タクシーには、同じパーティーにも出席していて以前から知っている女も一緒だった。
交通事故はこの帰りに起きた。運転手と彼と女の3人が乗ったタクシーは、リアス式海岸のような高い崖の海岸線を走行していたんだ。その時、前から来た居眠り運転のトラックが突っ込んできた。タクシーはそれを避けてハンドルを取られ、そのままガードレールを突き破って海に落ちてしまったんだ。タクシーの運転手は命からがら逃げられたが、酔って寝ていた彼と逃げ遅れた女は、亡くなってしまった。あっけないだろ」

「とてもあっけないですね」
僕は、ただうなずいた。

「俺も警察の発表をリアルタイムで聞いた人間なのだが、初め聞いた時に、ありえそうでありえない話にも聞こえたし、ありえなさそうでありえる話にも聞こえた。ただ、彼の息子はこの知らせを聞いた時に『これは臭い』と直観的に思ったらしい。けれでも、それを裏付ける証拠もそれを調べる力もなかったから、あきらめてしまったんだと思う。ある時、藤田は俺にそう教えてくれたよ」



2008年10月11日(土) 4:藤田

藤田は決まった仕事を持っているわけではないが、敢えて言えばコンサルタントという肩書きが一番似合っていた。島の住人が困った時に相談する先はなにはともあれ藤田であったからだ。彼が相談を受ける範囲は限定はされていない。家族内での事や会社の経営についてや相談者の自分自身の健康についてなど、どんなことにでも彼は答えた。

彼は明言はしていないが、「相談者自身は既に答えを持っている」「相談者の状況を整理して辻褄を合わせ、その答えに導くのが自分の役目」ということをスタンスとして相談を受けているようだった。

彼は決まってキチンとプレスのかかったスーツを着ていた。180cmを越す長身にとても似合っていた。髪形は短めでワックスで立て、あごの髭は短かめに手入れがされていた。目は大きくは無いが力強さがあった。柔らかくもあり鋭くも合った。それを使い分けられるということかもしれない。結局は、言ってしまえば要はルックスが良かった。だから、それだけでも人の心を十分惹きつけた。

もちろん彼の地位は、彼だけの力で築いたものではない。
彼は2代目だった。



2008年10月04日(土) 3:時代背景

今から20年前の1988年。TM NETWORKの宇都宮隆が、終りの見えない「SEVEN DAYS WAR 闘うよ」をリフレインさせている。そして更に終りの見えない「ラララ」がフェードアウトされて終わり。少しサボった感じの締まりのないクローズでも誰も細かいことは言わないし充分受け入れられてたバブル崩壊前の幸せな時代。

この年、青函トンネルと瀬戸大橋が開通して日本列島が繋がった。まだインターネットもDVDも携帯電話もない。国民のほとんどはTVと新聞の言うことを疑いもなく信じていた。予測不可能なことはほぼ発生せず頭脳が手足を十分にコントールできていた。逆に予測不可能なことが起きてもそれを手足に伝えないようにできていたということでもある。そう思うと単にお目出度い時代だったのかもしれない。

その年に桐原は小学4年生であり、特に将来について心配することもなく彼なりにただ毎日を頑張って生きていた。ドラクエ�靴旅粁�やクラスでの自分のポジションや好きな女の子のことや通信簿の◎の数だけを考えて必死に生きていた。

そういうのどかな時代があった。



2008年10月03日(金) 2:運

ある島国とはどこか?

それは淡路島かも隠岐の島かも佐渡島かもしれない。それとも1家族かも1教室かもあるコミュニティかもしれない。または世界の中の日本かも世界の中の北朝鮮かも銀河系の中の地球かもしれない。もしかすると陸の孤島的な集落かもしれないしアフリカのある小民族なのかもしれない。

ただ、それは解らない。解っていることは、そこに桐原と藤田が居るということだけだ。

ケーキを食べた数日後、桐原は消えたと思った疑いがまだ残っていることに気づいた。実際のところ消えたのではなく大きなインパクトによって一瞬忘れてしまっただけだった。もちろん大きなインパクトとはケーキのことだが。

そしてその疑いの芽は消えることは無くすくすくと育った。どんな過酷な状況でも根を張る種は居るのだ。いや、それは種に拠るものではないかもしれない。ただタイミング的に根を張ってしまっただけかもしれない。

しかしながらそれを美談にしたり根拠づけるのがメディアだ。己の意志ではなく締切や報酬や権力のために上げなくてはならないメディアの仕事だ。

話は逸れたが、結局根を張るか張らないの本当の真実は、ただの運だ。エジソンは99%の努力と1%と才能と言ったが、言ってしまえば詭弁。80%運と19%努力と1%才能。それが真実なのである。

何を言っても基本的には産まれた時に多くのことは決まっている。誰もそれは否定できない。


 < 過去  INDEX  未来 >


Kind of Sunday [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加