|
WELLA DiaryINDEX|past|will
学園祭で、非常勤先Bは休み。 そのことが発覚した今月初め、せっかく休みなので何か有意義なことはできないかと考えたが、あいにく夫は出張で不在。しばらく考えて、夫とは別に飛行機とホテルを取って同じ場所に出かけることにした。行き先は新嘉坡。ちょうど現地に将来有望な日本人の若者が仕事をしており、一度は遊びにいきたいと思っていたのだ。 格安航空券とホテルの格安クーポンをネットで手に入れる。自宅にいながらにしてほぼ旅行準備完了。格安チケットの縛りで10月31日夜の成田発の便しかとれない。現地着は日付が変わる。火曜日はフランス語教室なので月曜日に帰ってくることにして、現地滞在時間は丸2日である。月曜日は文化の日だが、もともと月曜日は用事が入っていない日なので、なんとなく損した気分でもある。夫より1日早く行って1日早く帰ってくることになり、現地での合流は1日だけ。あとは将来有望な若者に案内をしてもらったり、ご飯を食べさせたりする予定。 非常勤先は休みのものの、もう一つの仕事先がとある業界展に出展することになっており、その準備で出発前に数時間働いてから行くことになる。旅行の荷物を持って仕事場へ。ぎりぎりまで働いて「じゃ、私はこれで」と仕事場を辞す。仕事前に和菓子を買うつもりが、出掛けにばたばたして果たせず。仕事が終わってから寄っていたらめぼしい大福などが売り切れていた。一目散に駅へ。予定通りの電車に乗って一路成田へ。さすがに連休なので成田は混んでいる。空港の売店で「やらと(仮名)」の最中と「きょーたる」のおいなりさんとさば寿司などを買う。将来有望な若者が空港まで迎えに来てくれることになっている。定められた賞味期限は2〜3時間過ぎるが、まあ大丈夫だろう。 成田発はなつかしの北ウィング〜♪から。学生時代初めて海外旅行をしたときのことを思い出す。出発ロビーは、出国ロビーの上に三角形にフロアが張り出していて、出国してから上を見上げると出発ロビーが見えるのだ。当時のボーイフレンドに空港まで送ってもらって、あそこから彼が見送っていたなぁなんてノスタルジックなことを考えたりする。きゅーん。 それはそうと、出発の手荷物検査の列で夫のドッペルゲンガーを見かけた。背格好、服装、しぐさがそっくりである。あれ?早めに出てきたのかなぁ、と一瞬思ったぐらい似ている。持っているパスポートの色からすると中国人らしい。あまりに驚いたので、出国審査の時にわざと真後ろに並んでみた。詳しく見ると確かに違うのだが、後姿なんてそっくりである。こりゃ、たまに日本人と思われないはずである。 ドッペルゲンガー氏は急いでいたらしくあっという間にどこぞのゲートへ消えていく。私は携帯で夫に電話して、出発することとドッペルゲンガーを見かけたことを報告する。出発ぎりぎりまでこうして連絡が取れるとは、便利な世の中になったものである。北ウィング発のせいか、妙に感慨にふける。飛行機は新嘉坡航空。噂に名高い魅惑的な客室乗務員にくらくらする。飛行機はさすが週末で満席。しかもシートは3列4列3列で非常に息苦しい。早く着け。
この間の日曜日、ふと思い立って(ここからはリンクしていない)掲示板を一時書込み禁止にした。 掲示板を始めたのは98年の初夏ぐらいだから、5年以上続けていることになる。その間、長期旅行中でも閑古鳥が鳴いてもずっと開けていたのだが、ここ2〜3ヶ月大きく情勢が変わったことと、前々からずっとこのまま行くのかという獏とした不安もあったのでいったん休んでみることにした。 URLもページも残っているのだが、書き込めずにそこにずっとあるというのは、不思議なものである。管理者である私しか書き込めないので、様子が変わるはずはないのだが、一日に何度も見てしまう。見てはそこに存在することを確認して満足する、というのを繰り返しているうちに、掲示板の常連さんから、ゆっくり休んでくださいとか今までありがとうとか各所で暖かいメッセージをもらう。意外でもあり、ありがたい限りである。掲示板はあくまで自分の趣味というか楽しみのためにやっているので、他の人達にとっても案外大きな存在であったことに驚く。へぇ、あんたやるじゃん>掲示板、という感じである。 もうしばらく休んで区切りがついたらまた開けるかね。
夕方仕事場にいたら携帯に着信。 ゼミが同じで今も親しく付き合っている同級生である。彼女は他大学で専任をしているのだが、恩師が研究休暇中なので代講をしにきている。とりあえず時間が合ったらお茶でもしよう、ということでトライアルの電話をくれたのだ。ちょうど手すきの時間帯だったので、30分ほど時間をもらって外に出る。 会うなり「ちょっときいて〜」と言うので何事かと思ったら、小学校1年になる彼女の長男が、算数がからきしできなのだという。1年生なんだからいいじゃないとも思うのだが、学校の先生におうちで少し勉強を見てくださいといわれて、やおら問題集を買い込んで来た、といってコーヒーショップに入るなりがさがさと紙袋を開けはじめる。彼女は父親も配偶者も理系の人なので、算数ができないということは考えられないのだが、注意力散漫で特に文章問題などがダメらしい。彼女が言うには、私がいけないんだと思うのよ。あの子が小さい時から私が時間に追われて「早くおきなさい」「早く食べなさい」「早く行きましょう」「早くお風呂にはいりなさい」ってせかしてばっかりいたから、すっかり落ち着きのない子に育っちゃったのよ、という。 まぁ、そういわれてみればそういうこともあるのかもしれない。が、しかし、だからといっていきなり教育ママになるのもいかがなものか。もともと少ない母親との濃密な時間を、計算問題に費やすのも子供がかわいそうな気がする、と他人の意見を述べると、まさにそうなのよ。お風呂にはいっても算数の問題をやらせているのよ、という。どうしたら子供の算数ってできるようになるのかしら、と一番当てにならない私に相談する彼女も気の毒である。そんなことは大学の○○学の先生が考えることではなく、専門家の手を借りたほうがいいのではないか?と一応言ってみる。実は、学生時代に公文の本部でバイトをしたことがあり、個人的にはあそこのメソッドを評価している。子供の頃公文式をやって作業力がついてよかったと長じてから言っているのを複数から聞いたこともある。私の母は公文式を好まなかったので私自身はやるチャンスはなかったが、自分に将来子供ができたら、何か一つやらせてみたいと思っていたのも事実だ。しかし、最近は子供の習い事といっても送り迎えをしなければならず、連れて行く時間がないのだという。なるほど。そういう問題もあったのか。 5時きっかりまで彼女はしゃべり、今度はあなたの話も聞いてあげるからね!といいながら保育園のお迎えに向けてすっ飛んで帰っていった。家に帰って夫にその話をする。夫は専業主婦である姑の手作り算数ドリルをストップウォッチ片手に毎日毎日やらされて、そのあたりはトラウマになっている。一方私は母が仕事をしていて忙しかったのであまり手をかけられず、夜寝る前に、市販の問題集を腹ばいになってやっていた程度である。特に計算問題が弱く、算数のできもたしかによくなかった。 しかし、夫は長じて理系の研究者になり、私は相変わらず簡単な桁間違いなどを起こしていることを考えると、やはり小学校時代の計算ドリルは大事なのかと思う。今更遅いって。
先月検診を受けた産婦人科に結果を聞きに行く。検診の時に特に問題はなかったようなので、結局1ヶ月もほったらかしてしまった。受付で名前を告げると程なくして封書を渡されて、「今回は特に異常はありませんでした。お大事に」といわれる。医師の説明というのはないらしく、拍子抜け。子宮がんの検査は一応超音波を使っていたが、乳がんの方はリンパ腺と乳房をささっと触診をしただけだったので、なんとなく不安が残る。 母方はがん家系で、祖父母も伯父もがんで亡くなっている。がんに備えて何か準備をしているか?と母に聞かれて「ちゃんとがん保険に入っているから大丈夫」などと答えていたのだが、母が言っていたのは予防の話だった。そういえば集団検診を受ける以外特になにもしていない。母も10年ほど前に乳がんの切除をしていて、その母が乳がんはマンモグラフィーを備えた専門のところで見てもらわないと自治体の斡旋の病・医院でも見落としがあるらしい、などと言い出していた。 それならちゃんとしたところで見てもらうか、と家に帰ってネットで調べてみると、最近新聞等で不安を煽られた人々が乳腺外科やマンモグラフィーを装備した医院に殺到していて大変なことになっているらしい。ネットでも「名医」情報が出回っていて、それを頼りに自覚症状もないままに(ないからこそ行くのだろうが)、多くの中高年女性が乳腺外科の門を叩くので、本来治療が必要な患者さんへの対応が遅れてしまうのだという。それを読んでたじろぐ。 自治体の検診が受けられるところでもマンモグラフィーを装備しているところが比較的家の近所に見つかった。ここなら歩いていけるし、来年はここに行こう。超巨乳だったら触診も一苦労だが、私の場合、乳房の面積も体積もかなり少なめなので触診でも大丈夫かとも思う。自己検診のやり方をきちんと覚えてこまめにチェックすること、おかしいと思ったらすぐに医師に相談してしかるべき検査を受けることが肝要かと思う。
夜、またも六本木ヒルズへ。 大学院の先輩である年下の男性ヤスと久しぶりに会う約束をしたのだが、彼は配偶者が最近、夫を置いて青山・表参道あたりで女友達と遊びまわっているので、対抗して自分もホットな場所に行きたいというリクエストがあった。それに応えて自ら配偶者を置いて付き合ってしまう私も私である。 六本木駅付近で落ち合ってから、敷地内へ。しばらく外側からタワーを眺めながら「ばかだよねー」を連発する。タワーの北西部に某放送局が入っているフロアがあり、その壁面を使って巨大なグラフィカルイコライザーを表現している。なんでもある時間帯は放送と連動しているらしく、その夜もぴらぴら動いていた。こんなのが夜空に浮かんでうれしいか。 敷地内に入ると、相変わらずすごい人である。とりあえず展望台に行くか、ということでこの前と同じルートで上まで。前回は「展望室つき美術館」券を買ったが、今回は「美術館つきの展望室」券を購入。さっさと展望室へ。うーん。すばらし。昼間とはまた違った趣がある。夜に煌めく足元の都会に浮かび上がる漆黒の部分は意外と多い。御苑、墓場、高級住宅街といったところか。その対比で新宿歌舞伎町辺りは、町全体が巨大なネオンサインのようである。地方出身者であるヤスを相手に1時間ほど360度ぐるりと説明する。なにしろ同じ景色を昼間見ているので暗闇の部分も説明できてしまう。まさに高いところが好きななんとかである。 回り終えたところで、一応美術館へ。こちらはどんどんすっとぱして、めぼしいものだけを見る。クローンではないかとの疑いがあるスタッフ達が相変わらず「お気を付けくださいー」「こちらから入場となりマース」と声を張り上げている。この展示会ではめったにお目にかかれないような春画も展示されているのだが、ここはブースになっていて入り口には「性描写がありますのでお子様には云々」という表示が貼ってある。にもかかわらず入ろうとすると入り口をさえぎるように脇にいるスタッフが手を伸ばし、「こちらご了承ください」とかなんとか言ってくる。夜の時間帯に大人が入ろうとしているのに、なんと無粋な。この人達は各自決められたせりふを言った数に応じて賃金が支払われるシステムなのか? 途中に青りんごのかじりかけが置いてある。オノヨーコの作品らしい。「これ、ほんとにオノヨーコがかじったんですか?」と脇にいる警備員に聞いている人もいる。だったらどうした、という感じである。数々の展示を流し、若冲にたどり着く。この間は色彩に圧倒されて目に付かなかった細部の動物達の表情なども見る。目がくりくりしていてなんともかわいらしい。いくつか目に留まったものをそれなりに鑑賞し、なんとか最後まで行き着き、ミュージアムショップを見る。 時間は9時を回っていてこれから食事といっても、そろそろヒルズ自体の活気がなくなってきた。敷地内のレストランは気が進まないので、芋洗坂下までいったん出る。そこから六本木方面に歩き出すが、どうもぴんと来る店がない。和食でしっぽり、と思うが「およびでない」というような敷居の高い店とか、なんとなくわさわさしていそうな店とかあり、どれもなーと思いながら歩いていくと、「魚屋さんがやっている居酒屋」というのが目に付く。ガラガラとガラスの引き戸を開けて入る向こうには、壁中にべたべたとメニューが貼ってある。別にそれが飲みたいわけではないが「ホッピーとかありそう!」とか盛り上がりながら入る。果たして中は場末の飲み屋。まあ、ロッポンギにだってサラリーマンのおとーさんはいるわけだ。とりあえず生ビールを頼んで、突き出しは青梗菜にマヨネーズ風味の不思議においしいドレッシングが載ったもの。壁に貼ってあるのは「タコのから揚げ」とか「白菜と豚の蒸し焼き」とか、見たまんまわかりやすいメニューの数々。なんつーか、大満足である。「おれぁはよー、こういう店に来たかったんだよぉ〜」とか言いながら気分はすっかり小さな幸せをかみ締めるオヤジである。ビールを飲んでしまったあとは、大関を熱燗で一合だけ。熱燗なんて久しぶりである。そういえば日本酒なんて最近、きどって香りの高い冷酒とか、そんなんばっかりだったよなぁ。またまた「おれぁは、こういうのが飲みたかったんだよ」とオヤジに変身しながら飲む。飲み屋のおばちゃんも気取らず愛想がいいし、なんか北陸で私もたまに行っていたヤス御用達の大衆割烹を思い出すのである。うむー。大満足。 外に出るとそこはロッポンギ。華やぐ人々を掻き分け掻き分け、地下鉄の駅へ向かう。
朝ごはんは、みんみんさんに教えてもらったお店で買ったイングリッシュマフィンと、昨日作っておいたきのこのポタージュ。野菜も多めに食べて満腹。 数週間前、家からちょっと離れた駅の向こうに新しくスーパーができた。もともとここには八百屋や魚屋が寄り集まったような大きめなスーパーがあって、もう少し近ければ行くのになぁという感じだったのだが、そこがそっくりそのまま新興勢力のチェーンに買い取られたらしい。新聞の折り込み広告に安売りの文字が躍るのを見て、週末に行こうかと思っていた。 今日はお天気もよくて家にいるのもなんなので、夫を誘って出かけてみた。 解凍した塩鮭があるので、チャンチャン焼き風にしようとキャベツともやしとバターを買う。ついでにセロリと安売りの帆立貝柱や白アスパラの缶詰など。ここは都内有名店の持ち帰り寿司を扱っているのが売りで、お寿司に目を奪われる夫をなだめすかし、ついでお刺身に目を奪われる夫を引き剥がし、お勘定を済ませる。激安というほどではないが、品揃えもいいので、これからはちょっと遠くてもこっちにこようかな。結局カップ麺なども買ったので、ずっしりと重くかさばる荷物がレジ袋2つ分になった。ちょうど可燃ごみを入れる袋のストックがないので、これをゴミ袋に使わせてもらおう。 スーパーを出てすぐのところに、おじゃる丸に出てくるような喫茶店がある。店内の面積は全部で8畳ぐらいだろうか、通りに面した窓に沿って二人がけの丸テーブルが2つ、通りに背を向けたカウンターに4席、ジャズが流れる小さな店である。トイレは外扉を開けてまず洗面所に入ると、中扉をあけるスペースがなくなる。トイレに行く時は外扉を開け、身体はまだ入れないで中扉を開けてから入る。コーヒー1杯500円〜。二人向かい合って、ぼーーーーっとコーヒーを飲む。お互い別々のことをとりとめもなく考えているので、たまに交わす会話はとんちんかんでかみ合わない。どちらともなく「いこっか」と席を立って、また重い荷物をぶら下げて帰る。 時間は2時、さすがにおなかがすいたので帰宅してすぐ食事の支度。本場のチャンチャン焼きは鮭を丸ごと1尾使って豪快だが、多分こんな感じでいいんだよな、と鍋の上に鮭、ついでキャベツ、たまねぎ、もやしをかぶせ、味噌とバターをちょっと乗せて焼く。本場で本物を食べてみたい。
世の中には、相手を怒らせたと思うとすぐに平身低頭して謝る人がいる。私などは自分が悪いとわかっていると、逆に素直に謝れない天邪鬼なところがある。その代わり、また気まずくならないように二度と同じことはすまいと気をつけるようにするが、それでもすぐに謝れる人がうらやましいと思う。 ところが中には、その時はこちらが恐縮するぐらい猛省していても、そのくせ同じようなことを何度もしでかす人々がいる。アレがいけなかったのだからコレもいけないだろう、という察しがつかないようなのである。で、また「怒らせる⇒謝る」を繰り返す。相手が怒っているから謝るだけで、どうやら他人を怒らせたり不快にさせたときに、なぜそうなったのか根本のところで理解していないらしいのだ。あるいは想像力の欠如と言おうか。 なんだか「ししおどし(鹿威し)」みたいだなぁと思う。 ししおどしとは、日本庭園には欠かせない、竹の筒に水を溜めてその重みで筒が倒れる反動で石を打ち、「カッコーン」と快い音を出すアレである。ししおどしに水が溜まるように無自覚に毒を貯めつづけ、相手の怒りが満タンになるととたんにカッコーンと潔く謝る。あるいは「do while文」みたいとも思う。do while文とはコンピュータプログラミングの表現の一つで、「〜である間(while)〜する(do)」という意味になる。あるいは「〜になったら〜する」という解釈もできる。例えば一つ処理をする毎にカウンタに1を足していき、10になったら結果を出力する、というように使う。さしずめ「do while文」な人々は、「相手が我慢している間毒を吐き続け」あるいは「相手が怒ったら謝る」というところか。 なんだかこちらの短気をなだめているのがむなしくなる。
我が家の食卓のテーブルは天板が白いのだが、食卓の他に事務机としても使っているので、結構汚れる。食事の時はランチョンマットを使うせいもあって、あまり真面目にテーブルの上を拭かないのだが、ふと気付いたらずいぶん輪染みが増えていた。多分お茶を飲むときに、こぼしたりポットを置いた後だと思うが、ごしごし水ぶきしても全然取れない。ダスキンでもらったクリーナを使ってみても効果なし。これはもう買い替えかなぁ、などと話していたが、ふと思いついて最近話題のメラミンフォームで擦ってみた。最近話題の水だけで落ちる不思議なスポンジである。するとあっという間に輪染みがとれた。そこだけ白くなってしまったので全体くまなくスポンジで擦って、表面もすべすべになった。この前テレビでは高性能のめがね拭きの布で擦ると歯の表面が白くなるといっていたし、こういう新素材産業って面白いだろうなぁ、と思う。 その後仕事へ。朝から職場にいこうとか、その前に婦人科の検診の結果を受け取ろうかと思っているうちに、出るのが遅くなった。婦人科に行くのはあきらめていったん家を出るが、目の前にバスが近づいているのを尻目に忘れ物(お弁当)に気付いてまた戻る。再び家を出てバス停に行くと、案の定バスはいったばかりで停留所はカラ。それからバスが来ない。結局30分近くその場に足止めを食ってしまい、早めに出た効果はあまりなくなってしまった。 仕事は2〜3不快に思うことがあったほかは、特に躓くこともなくいつもどおり順調に終わる。来週は1回抜けるのでささやかな開放感を味わう。 いつもの店でケーキを食べ、シュークリームとクッキーの詰め合わせをお土産に買い、途中で100円ショップに寄ってメラミンフォームを2種類買って帰る。 100円ショップで買うと割高感がぬぐえないのはなぜ。
朝、フランス語。いつも開始時間ぎりぎりまたは遅刻なので、心を入れ替えて早めに家を出る。駅まで行くと丁度電車がきたところなので、靴音高く猛ダッシュをかけ、無事に乗り込む。ところが、今朝沿線のどこぞの駅で事故があったらしく、大幅にダイヤが乱れているという。私が乗った電車もすでに8分遅れで運行しているらしいが、途中駅で何度も時間調整をし、結局乗換駅でいつもの後から来た電車に追いつかれてしまう。ターミナル駅からJR。改札を入ろうとしたら、反対側でどの改札から出るか選びかねている人がいて、彼の気まぐれで私が通ろうとした口が進入禁止になってしまう。思わず相手をにらみつけて改札を抜ける、と思ったらプリペイドカードが残不足で使えなかった。がっくり。 券売機まで行って、SUICAに5000円を入金。ところが、5000円札を吸い込みながら画面には「入金金額不足です」などという不穏なメッセージが出る。カードは排出されたものの、果たしてきちんと入金できているのか。よくわからないので、呼び出しボタンを押して係員を呼び、調べてくれるように頼む。多分私の目は三角になっていたと思う。無事に入金できていることを確認して、フランス語教室へ。結局開始時間ぴったりに教室に入ることになり、いつもと変わらない結果にがっくり。しかも授業はめちゃくちゃ難しくて、教室全体に大きな疑問符がいくつも漂っていた。 帰りに家電量販店で電子辞書を買う。常々普通の電子辞書に加えて仏日・日仏と英英と広辞苑が使えるものを探していたのだが、SEIK0から発売されているのを知ったので思い切って買うことにしたのだ。http://speed.sii.co.jp/pub/cp/cp/ProductPage.jsp?recordID=1056&subCAT=101 私としては、これだけ揃っていればすでに買いだったのだが、買ってからよく見てみたら仏英・英仏も入っていて喜ぶ。 喜んで家に帰ってきて、産婦人科に行きそびれたことに気付く。また明日だな。午後はどんより書類整理などして過ごす。合間に家にあったキットを使ってチーズケーキを焼いたり。今朝開封した返送書類によく目を通したら、思ったより臨時収入が多くなることが発覚して大いに喜ぶ。 というわけでまあ起伏の激しい1日だった。
夜中にネットを徘徊していたら、「ライスをフォークの背に乗せて食べる」マナーというのは、いったいどこから来たものか?という議論をしている掲示板を見つけた。 ライスをフォークの背に乗せて、しかもそれをナイフでぺたぺたと固めて食べるやり方をしている人を、最近見かけることはすっかりなくなった。実家にあった昭和30年代の百科事典には、テーブルマナーの項に椅子の座り方からナプキンの広げ方、デザートの食べ方にいたるまで写真入図解されていた。デザートはメロンだったように思う。ナイフとフォークを使った「バナナのいただき方」も書いてあった気がする。筋にそって切れ目を入れ、開いた切れ目の中でバナナを一口大に切りわけつつ「いただく」のだ。昭和30年代、バナナが舶来の貴重品でメロンが桐の箱に入っていた時代の話である。その事典にはナイフとフォークを使ってライスを食べる方法は書いてなかったが、一昔前のテーブルマナー講習会などが頻繁に行われ、そこではライスの「いただき方」も伝授されていたはずである。が、何かの本で、アメリカの(多分、白洲正子氏がはいっていたような)超名門の女子校の寄宿舎では、そういうマナーが教えられていた、というのを読んだことがあるような気もする。 ちなみに私は左手のフォークを持ち替えずにくるりと腹を上に向け、右手のナイフをほうき、左手のフォークをちりとりに見立てて、フォークに乗せて食べる。これはずっと前にアメリカに語学研修に行ったときにドイツ人の学生がそうやって食べているのを見て真似するようになった。フォークの裏表を変えるだけで持ち変える必要がない。豆類もそうやって食べる。で、件の掲示板は「いまだにその方法で食べている人がいるが…」というのが最初の書き込みである。それに対してたちまち応答がある。初めのうちは、誰しもが「そんなマナーは本場では誰もやっていない」とか「戦後、行儀の悪いアメリカ兵がやっているのを日本人が猿真似しただけだ」とか否定的な意見が続く。ついで、在米歴が長い、という人が出てきて「アメリカではそういう食べ方をしている人はいないし、友達に聞いたら『よくそんなことができるねと笑われた』」とまで断言する。笑ってしまったのは、「無理にそんな(左に持ったフォークの背に乗せる)ことしなくても普通に食べればいいんじゃないですか」という意見が出てきたことである。この人の「普通」とは、右手に持ち替えたフォークの腹でご飯をすくって食べることらしい。何を持って「本場」とか「普通」と断言するのか…。 しかし日本のお米は丸くて粘り気があるが、あちらのお米はもっと長くてぱさぱさしている。それに主食としてよりは野菜の一種として扱われることの方が多いので、同じ土俵で比べることはできない。そういえばリゾットはリゾット用の丸いお米をスプーンで食べるではないか。掲示板の方はやがて、「やはりフォークの背にライスを乗せて食べるマナーは実在する」という話になっていく。イギリスの上流階級の人と会食した経験がある人が、実際にこの目で彼らがスマートにそうやって豆やライスを食べているのを見たといいだしたり、調べてみたらイギリスのマナーではそうするがフランスではやらないそうだ、という話が出てくる。そのうち「アメリカの友達に笑われた」という人はそのアメリカ人というのは、実はアメリカ在住のフランス人だった、とかいう告白を始めたりする。どうやら話をまとめると、イギリスでは豆類をナイフの背に乗せて軽く潰して食べるという「正式なマナー」は存在して、それはご飯類にも応用され、そのマナーが明治時代に日本に入ってきた、ということらしい。最近は全体的に食べ方がカジュアルになっているので、そんな食べ方をするイギリス人も少ないだろう。本場にもいろいろあるのである。欧米を十把一絡げに語ることはできない。 事実が明らかになるにつれ、掲示板の雰囲気も「私は知らなかったけど『上流階級の方々』そういう食べ方をするんですねぇ、感心。」みたいになってくるのも面白いのだが、翻って我々のお箸のもち方について考えてみても、お箸の持ち方が云々されているが、お箸をちゃんと持てるという自負がある人でも、きちんとしたマナーとなると案外知らないのではないか。少なくとも以前に和食のマナーとして習った「お膳の上のお箸をまず右手で上からつかみ、左手の平でそれを受け、右手ので持ち変える」とか「お箸を持ちながらおわんを持ち上げない」とかいうやり方をしている人はまず見かけない。逆に日本人以外の人々がそんなやり方をかたくなに踏襲していたとしたら、「お箸の国の人」としては「そんな無理しないで普通に食べなさい」というのではないか。 なんてことをうろうろ考えているうちに、再び睡魔が襲ってきた。とりあえず、自分が知っていることを全てと思うことや自分が知らないことは存在しないと思うことを自分に禁じよう、と寝ぼけた頭でそう考えた。
6ヶ月歯科検診。 前回治療したのが4月だったので、それからもう半年経っているのか。そういえば歯医者さんでまとめ買いした歯ブラシも丁度ストックがなくなりかけている。歯ブラシはやはり新しいほうが磨き易いと思う。よく節約術の特集などで毛先開いた歯ブラシは熱湯につけるとまた使えるようになるというが、あれはどうなんだろう。確かにお湯につけるとまっすぐにはなるが、歯ブラシそのものの機能は失われていないのだろうか。再生はブラシを使っていて虫歯になってしまっては、却って高くつくよな。 で、歯科検診である。 先生:「どうですか、その後、特にないですね?」 私:「ええ。まったく。先生のことを思い出すこともなく」 先生:「つまんないなぁ。たまに(詰め物が)取れる様にしとこうかな」 私:「三ヶ月に1度とかですか」 (レントゲンを見ながら) 先生:「あ♪」 私:「(-"-)?」 先生:「ここに引っかかるものが…ごそごそ…」 私:「(="=)…」 先生:「あ、ここに確かに。やった、やった(^^)、じゃ次回ここつめましょう♪」 私:「先生、目がうれしそうです」 新しい歯ブラシを使っていてもあまり変わらないようだ。というわけで、次回予約は11月13日。別に痛いわけではないのでのんきな話である。レントゲンはやはり撮ってみるものである。 そういえば、この間行った婦人科検診、触診では問題がなかったようなので、安心して正式の結果をまだ聞きにいっていない(-"-)。行かなくちゃ。
また一週間が始まる。 フランス語教室で一緒だった着物ブティックのマダムが、フランス語学習に専念するために店仕舞いすることになった。御年66歳、お連れ合いを看取り、第三の人生をフランス語での日本文化の啓蒙に充てるのだという。 店仕舞いとなれば、閉店セール。今日が初日で、すべて半額だと言うので顔を見せがてら他のクラスメートと連れ立って夕方出かける。私は強く勧められて、黒っぽい道行コートを買う。クラスメートは中古の絽の着物と帯紐。自分でも気に入ったのだが、いずれもこんなときでもないと買うチャンスがないので、いい機会だった。お店は終わってしまうけれど、個人的にアドバイスをいただけるというので、せっせと実家のタンスの肥やしの写真を撮ってマダムに見せる約束をする。 買い物が終わってから、お店はから程近いアークヒルズでお茶をすることにする。案内板を見るとキハチのケーキ屋さんがはいっているようなので、敷地内をうろうろするがなかなか見つからない。ガードマンに尋ねると、いったん通りに出るような事を言う。半信半疑で教えられた通りに歩いていくと、やはり公道を挟んだ向かい側にある。案内図で見るとここも飛び地で、アークの敷地になっているようだ。クラスメートは子連れで来ているので、気兼ねしないテラス席に座る。大通りには面していないので静かである。それにしても昔はこの辺何があったんだろう。アークヒルズができたのは、いまから20年近く前だが昔から今の場所にあるのは霊南坂教会ぐらいなのだろう。昨日に引き続き森ビルグループの一角にいるわけだが、それにしても強引な都市計画を進める企業である。 マダムの店は発展的解消だが、私たちが住んでいる近所でも、ここに住むと決めてからずいぶん店がなくなった。銀行支店×2、スーパー、コンビニ、銭湯、酒屋、ケーキ屋、魚屋、肉屋×2、ピアノ屋、洋食屋、寿司屋。マンション化など大資本に飲み込まれたものもあれば、集客力がなく崩壊していった個人商店もある。これらの店がなくなってすごく困っているかと言うとあまり困っていない。代替手段はまだまだあるからだ。でも町並みそのものは確実につまらなくなる。
朝9時に家を出て、六本木ヒルズへ。 森美術館開館記念展http://www.mori.art.museum/index02.htmlを見に行く。六本木ヒルズは仕事帰りに車に便乗するときに脇を通る他は、数ヶ月前に一度物見遊山に行ったきりどうも足が向かない。地下鉄を降りて早足でタワー最上階の美術館へ向かう。こんな時間なのに団体や個人の観光客がいる。展望台への行列を尻目に美術館への通路をすすむが、結局チケット売り場もエレベータも同じなのであった。美術館と展望台はセットになってるらしく、人々が混沌と動いている。 展示のテーマはアートに見る幸福の鍵。いくつかのテーマに分けて展示されている。人類古来夢に見る幸せといえば、働かずに食えることである。初めのうちは、人々が酒を飲んで歌い踊り、寝そべってそれを眺める、というモチーフの作品が続く。やがて文明が進んで労働が合理化されてくると、ただ働かず食えるだけでは飽き足らなくなる。積極的に様々な余暇を楽しむようになり、それと対応するかのように様々な欲望が顕在化してくる。そして最後にはそれぞれと折り合いをつけて心の中に平穏をもたらしましょう、というようなことを言いたいらしい。 初めのうちこそ興味深く見ていたが会場は広大で、難しいことではなくただ美しいと思うものを見たいのに、頭でっかちなテーマや着地点が見えない現代美術や映像にも飽きてくる。時折窓があるところがあり、眼下に広がる東京の展望に人が群がっている。が、そこでも係員が「他に展示がありますので先へ進んでください」と3分おきに大声を張り上げる。そもそもここには展望台のチケットで入れるからいる人達もいて、必ずしもすべての人がこれらの作品をありがたく理解しているわけではないと思うのだが、気分転換をする自由も与えられないのか。っていうか、地上50階超のタワー最上部に外を見せない美術館を作る意味ってなんだ? だんだん不機嫌になる中、若冲をまだ見ていないことに気付いた。見逃したかと思って歩いていると、目の前に極彩色の一双の屏風が現れる。おおっ!思って近づくと、これが若冲「鳥獣花木図屏風」だった。タイル張りのモザイクを思わせるような升目を地に、それぞれの屏風に鳥たちと獣たちとが生き生きと色鮮やかに描かれ、周囲には瑞雲たなびき花が咲き乱れている。縁取りの模様はなんとなくイスラムっぽい。色のついた若冲の絵を生で見るのは多分初めて。夫もこういう絵は好きなので、二人でためつすがめつ見る。画面の中央にでんと構えた象の表情がかわいらしい。 その後、それなりに鑑賞して、ミュージアムショップに行くとさっきの「鳥獣花木図屏風」の塗り絵セット(図案は升目になっていて、色鉛筆がついている)があったので、迷わず買う。夫は順当に絵葉書を1対購入。 美術館を出て、展望室へ。たしかにこの展望はすばらしい。なんとかと煙は高いところが好き、というが私もご多分にもれず高いところが大好きなので、興奮して見て回る。遠景は特に目新しいことはないが、足元の六本木広尾界隈の、普段うかがい知ることのできない高級住宅街の様子を真上から覗けるというのは面白い。かと思えばすぐ近くに巨大なヘリポートがあったり(米軍赤坂プレスセンター)、米大使館宿舎がそびえたっていたり、なかなか考えさせられる風景でもある。ぽっかり空いている広大な防衛庁跡地もどうなるんだろう。 展望を満喫して下へ降り、敷地内の中華料理の店で食事。なんだかなぁ。決して高くなく、決して安くなく、決してまずくなく、決しておいしくない料理を、そこそこの雰囲気の中、おざなりな接客で食べる。やっぱり相対的この食事は損した気分である。この店に限らずこのビル全体がそんな感じ。建物は立派なのになぜかうそ臭い雰囲気、中途半端にマニュアル化された訓練されていないスタッフ。立ち並ぶ高級店、子供っぽいイベント。流行の店を使いこなす度量も崇拝する素養もないので、やっぱりここは居心地が悪い。 麻布十番に出て豆類を買って帰宅。
実家の母は、産地直送の地鶏の卵を月2回業者から直接ダンボール箱で何十個単位で購入していて、それを近所の人や息のかかった人物に分けている。私達もその卵を食べているのだが、しばらく行かないでいたら前回配送分の卵も溜まっていて、ゆで卵にしなさい、と言われて10個もらってくる。 その日のうちに2つはかき玉汁で使ってしまい、翌日8個まとめてゆで卵にし、冷蔵庫に入れた。 新しい卵でゆで卵にすると薄皮が張り付いてなかなか殻がむけないが、古い卵だとあっという間である。朝食のパンに塗るために冷蔵庫ストックの中から2つ出して、軽くつぶしてちゃかちゃかとマヨネーズで和える。子供の頃から大好物だが、これは正式にはなんというのか。要はタマゴサンドに入っているアレなのだが、「タマゴサンドの中身」じゃないだろう。 母は子供じみた言葉を使うクセのある人で、ずっと「おタマゴちゃかちゃか」と呼んでいた。そう口に出してみると、実家で使っていた器でゆで卵ををつぶして混ぜるフォークの音までが聞こえてくるような気がするのだが、まさか世間でそう言っているはずがない。夫もこれが好きなので、多分子供の頃から家でも食べているだろう。義母はなんと呼んでいただろうか。 夫の答え:「ゆで卵を潰してマヨネーズで合えたの。」 …そうか。正しい。
午前中から非常勤先Bへ。せっせと教材を印刷する。 プリントを配って授業を始めようと思ったら、全体まで回っていないという。枚数は多すぎるほどあるはずなのでどこかで止まっていないか声をかけたら、「あぁ、はい」といって、一番後ろの窓側に座っている女子学生が床からプリントを拾い上げて前に回し始めた。自分が最後だと思って、余ったと認識しているなら教卓まで戻してくれればいいのに、どこまでも不精な子である。このクラスは30人弱。少数派である女子の方が私語をしたり態度が悪い。 次のクラスは総勢5人。日本人学生は男女各1人で、あとは女子留学生である。前の時間とまったく同じカリキュラムで進めているのだが、こちらのほうが理解も早いし受講態度も真面目。私もこまめに目が配れるので圧倒的に進みが早い。その分知っておくと便利なTIPSなどを交えるが、時間があるからといってあまりにたくさんのことを詰め込むと消化不良を起こしそうなので、早めに切り上げることにする。終了チャイムの10分前に終わる心積もりで、質問に答えたりして教室を出たのがその5分後だった。早仕舞いしただけあって、通路も控え室もすいているなぁと思ったが、時間になってもチャイムが聞こえない。そもそも終業時間を10分間違えていたことに気付く。残りは宿題の演習だからまあいいか。不覚。 帰りはいつものケーキ屋さんに寄って栗の入ったケーキなど、いつもの無人野菜スタンドに寄って、葉つきにんじん、インゲンなど購入。農家の庭先には栗が落ちているし、芋ほりの案内パンフレットなどもあった。秋深し。
フランス語教室の休み時間に、ひょんなことから私の出身高校の話になり、クラスメートの中に私の同級生と大学時代同級だったという人が現れた。驚いた。世間が狭いことに驚いたわけでなく、今まで私より4〜5才年長だと思っていたその人が、実は同学年だということを知って驚いたのだ。 身なりも言動も金銭的に余裕のある熟年女性という感じだったのだが、同級生なのかー、うーむ。と、クラス終了後に他の同年代のクラスメートにその話をする。もちろん彼女も驚いていた。が、立て続けに、ちなみにどこ(大学)?ちなみにどこ(高校)?と盛んに聞いてくる。そんなに気になるんだなぁ。別の意味で世間が狭いぞ。 夜、各所で話題になっている「白い巨塔」をちょっとだけ見る。田宮二郎版も見ていなかったのだが、やはりあっちの方が「権力と陰謀渦巻く大学病院」という雰囲気が出ていいかも。医学部長夫人を会長とする、厳密に夫の職階に対応した序列をもつ婦人会のシーンも出てきた。昔短期間バイトした研究室の教授は、以前地方の旧帝国大学の医学部に籍を置いていたのだが、夫人の話によると(なぜ研究室に研究者でない夫人がいるのかはまた別の話)、少なくともその当時(20年ぐらい前?)その大学医学部でもああいう厳密な序列をもつ婦人会は存在したらしい。彼女がその婦人会にいた頃は、まだ夫君がペーペーの時だったせいか彼女が怖いものなしだったせいか、苦い思い出はないようで「夫の職位で自動的に会長、副会長…って決まってくんだから面倒がなくていいのよ」と言っていた。
仕事で必要な本を読んでいたら、「はじめに」の部分に『…(前略)…ノート型パソコンの頃はビジネスマンくらいだったが、機械が小型化するにつれ、若い女性も使うようになった…(後略)…』と書いてあった。「猫も杓子も」という文脈で女性を引き合いに出す書き方にちょっとひっかかったが、街中や車中で私もそう感じることがあるなぁ、と思いそのまま流していた。だってまだ本が始まって3行目なのである。 その本はコンピュータで使われる漢字コードについて書いてあり、評判になっただけあってなかなか面白いのだが、さらに読み進んでいくと現在問題になっている漢字コードの国際化にあたって、「実は中国なんて最初はやる気もなくて何もしなかったくせに急にしゃしゃり出てきたそうだ」という主旨のことが書いたくだりがある。その過程を説明するのに『…(前略)…中国は10646プロジェクトにはずっと無関心で、女性の代表がたまに出席してもほとんど発言しなかったというが、…(後略)…』とある。中国が無関心だったから代表に女性を送り込んできたのだ、といわんばかりである。実際そうだったのかもしれない。が、代表が女性であることと、たまにしか出席しないことやほとんど発言しなかったことは常識的に考えてまったく関係ない。 この筆者にははっきりとした男尊女卑意識はおそらくなく、無意識のうちに「よくわかっていない人々=女性」という認識があるのだろう。私は積極的なフェミニストではないし、日常の様々な局面で「だから女はダメなんだ」と実感することに出会うことも多いが、ある種の男性(あるいは女性自身)の中に巣食うこういう*無意識な*差別意識が一番厄介であると思う。これが束になってかかってくると、さすがの私も「ぺっぺっぺ(-"-)」である。 閑話休題。 4時ぐらいに来客を待って古い建物の地下にいたら、立っていたのにぐわしゃわしゃとゆれを感じた。この前東北地方の地震で東京が大きく揺れたときも私はここにいたことを思い出した。夫のオフィスは大地震がきたら、絶対崩壊すると言われているそうだし、日中地震がきたら二人とも瓦礫の中に埋まってしまう確率が高い。我が家は一応免震が売りのマンションなのだが、二人とも瓦礫の中に埋まって家に帰れず、家の中だけ無傷なのって涙を誘う。
夫は出張中なので特にハレの行事はなし。 私達は披露宴の日に入籍したので、結婚記念日は式場の空き具合で決まった。候補は2つあって、重陽の節句と今日。日付的には重陽の節句の方が覚えやすかったのだが、後者は偶然私の両親の結婚記念日だったので迷わずそちらに。最近は合同でお祝いしたりするのだが、両親が結婚したから私がいて、この人と結婚してるんだな、と思う。 昨日両親の家に行って一応お祝いのように、外食してきた。といっても両親も年齢がいって遠くにご馳走食べにいくのも億劫なので、近所の和食のファミリーレストラン。近いし、いろいろ食べられるし、値段も安いし、明るくてきれいだし、行くと楽しそうにしているので文句なし。
昨夜は兄がバンドのライブに出るというので、夜、御徒町まで。 兄は中学の頃カーペンターズに出会った頃からずっとバンドをやっていて、今でも暇さえあればキーボードに向かって、うう〜ぅ♪とか唸ってるのだが、10年ぶりぐらいに学生時代に組んでいたバンドに復活したらしい。ライブには両親に子供達を預けた義姉も来て、二人で感心しながら演奏を楽しむ。学園祭の延長のような雰囲気である。40を超えて、細々とでもこうやって趣味を続けていてよかったね、と素直にそしてうらやましく思う。義姉は楽器をやらないらしいので、楽しそうな兄を見ながら「こういうのはどの部分が一番楽しいのかしらね」と言う。きっとどの瞬間も楽しいんだと思うよ。練習も、本番も、打ち合わせも、議論も、打ち上げも、そして振り返る失敗も。 それにしても、ライブハウスと言うのはどうして椅子が硬いんだろう。そして1ドリンク付といいつつ、なんであんなにヘタレの飲み物なんだろう。ライブの面白さとは裏腹に、紫煙の中気の抜けたラムコークを飲んで、硬い椅子に座り続けるのは、ちょっと苦行。楽しければそれも忘れるのだが。演奏が終わって、ご機嫌の兄と義姉と私とで3ショットの写真をメンバーの人に撮ってもらって帰宅。11時ごろ。 夫はまた出張に行ってしまったので、軽くネットを徘徊してぐっすり寝る。今朝、窓からの光が明るくて起きたら9時ちかい。げ。完全に寝すぎでぐったり。朝食を済ませて珍しく本を読んですごそうと決意。本を広げてソファに座ったら、そのまままた眠っていた。うう〜。本も面白いのだがなかなか入り込めず、適当にテレビをつけたら「噂の東京マガジン」で、小娘がけったいなロールキャベツを作っていた。いつもながらぶちかましてくれる小娘たちであるが、自分があのコーナーに出たら果たしてちゃんとできるかどうかはわからないと思う。VTRの後、本職が出ていてロールキャベツを作る。具にお米やチーズ、白味噌を入れる。お米をいれるともちもちとした食感が出ておいしいのは、前にも試したことがある。チーズ、白味噌はどちらも発酵食品なので相性がいいだろう。これはおいしそうと思って、夕方作ってみた。 http://www.tbs.co.jp/uwasa/20031012/recipe.html ロールキャベツは大変おいしかったが、これをやった以外はネットにつないでいたこと、本を中途半端に数ページ読んだだけかと思うと…。
以前、スヌーピーの評価印を購入した話をしたが、別の評価印セットを使っている知人から順番がわからなくなった、とメールが来た。彼女が持っているのは5段階一揃いがケースに入っているのだが、うっかり落としてバラバラになってしまい、順番がわからなくなったと言う話は前に聞いていた。その時はみんなで「バッカでぇ」と大笑いしたのだが、考えてもやはりわからないというのだ。メールによると彼女が持っている評価印は、それぞれ以下の文言がついている。 ・たいへんよくできました ・よくできました ・がんばりました ・がんばりましょう ・もう少しです で、上位二つは問題なくわかるのだが、その下「もう少しです」は一体どこに入るのだろう?というのが彼女の疑問である。彼女は一番最後か,「よくできました」の次ではないかと思っているらしい。確かにこれはわかりにくい。本来の評価印の文言といえば、/たいへんよくできました/よくできました/ふつうです/もう少しがんばりましょう/がんばりましょう/だったが、彼女が持っているタイプは「ふつうです」がないので混乱するのだ。 結局、「がんばりました」が一応標準クリアとすると、次が「もう少し」で標準になるという意味で以下のようになるのでは?というところに落ち着いた。 ・たいへんよくできました ・よくできました ・がんばりました ・もう少しです ・がんばりましょう 「よくできました」より下はよくできていないわけだから、次は可もなく不可もないレベルに他ならないはずなのに、Webで調べてみたら他のも大抵「やったね!」とか「その調子!」とかになっている(http://www.1bando.com/etc-goods/hyoukain.html)。 最近はなんだか絶対的な差がつかない表現が好まれるらしい。でもなぁ、これじゃ他の評語がわかってないと、順序はよくわからないし、はんこを押してもらった側も、わからないのではないだろうか? 自分に対する評価、全体の中での自分の位置がわからないと、がんばる張り合いがないだろうにと思うが、最近は徒競走にしても通知表にしてもはっきり順位や段階評価がわかるようにはしないらしい。 この前、モー娘。のメンバーで運動会をして全員に順位をつけるというテレビの特番やっていたのだが、そういう風潮を反映してか、矢ロマリッペから「順位をつけないでください!」との発言があり驚いた。モー娘。なんて、あんなに熾烈な競争社会にいるのにそれでも嫌なのか。 成績ないところに競争なく、競争ないところに発展はないと思うのだが。
仕事の帰りにターミナル駅から始発のバス後部に乗り込んでぐったりしていたら、窓の外をテッテケテーと前方に走り抜ける幼女がいて、その後ろから赤ちゃんを前抱っこして小走りに追いかけてきた母親らしき人と一緒に同じバスに乗って来た。彼女達はそのまま私の後ろの席に座り、「あー暑いねぇ」と言い合ってる。 すぐにバスが走り出して人心地ついたのか、幼女がうにゃうにゃ話し始める。 娘「ねぇ、ママー、今日のご飯何食べるの?」 母「さかなよ」 娘「さかな?ねぇ、なにざかな?」 母「タラ。」 娘「たらぁ?たらってー、ねぇ、ぴーしゃら、ぴーしゃらって食べるの?たら。」 なぬ?と思って聞き耳を立てると(最近多いなこのパターン…)「♪ぴーしゃら、ぴーしゃら、たったたららー、ぴーしゃら、ぴーしゃら、たったたららー」とちびまるこちゃんの節をつけて歌い始めた。鱈でそこまで飛躍するかねぇ。その後も彼女の独り言ともつかないおしゃべりは続く。 娘「あああー。あとで晩ご飯のときまたこっそり食べようと思ったのにぃ、これじゃ全然こっそりじゃないよぉ〜」 振り返りたい衝動をこらえて、後ろの気配に耳をそばだてる。そのうち絵本を読み始めた。ひらがなは一応一通り読めて、でもカタカナや拗音撥音は今ひとつ、というレベルらしく、母親に時々読み方を尋ねている。 娘「ねぇねぇ、これなんて読むの?カタカナ読んでるみたいよ、あたし」 母「カタカナの上にひらがなが振ってあるでしょう、それ読めばいいのよ」 娘「あ、そう。じゃあさ、例えばこのクってあるじゃない、これは「く」「ク」って2回ずつ読まなきゃなんない…」 またしばらくして 娘「ねぇねぇ、この『こ』と『ろ』の間にちいちゃい『つ』があるの、これなんて読むの?」 聞かれていないのに私も考える『こ』『っ』『ろ』、『こっろ』??? 母「『とろっこ』よ」 あーそうか、右からとか左からとか考えないのね。文字は記号だから。彼女が読んでいるのは働く乗り物が出てくる絵本らしい。 娘「ねぇねぇ、『し』にてんてんと、ちっちゃい『よ』とでなんて読むの?」 母「『じょせつしゃ』」 娘「ああ〜ん、全部読んじゃだめー。ここだけ読み方教えて」 母「じゃあ、『じょ』」 娘「…『じょせつしゃ』。全部読めた」 娘「…か・も・つ・れっ・しゃ。『かもつれっしゃ』!ねえ、『かもつれっしゃ』だって。かっこいいねぇ、ほら『かもつれっしゃ』」 娘「ねぇねぇ、これは?『き』とちっちゃい『よ』」 母「『きょ』」 娘「『きょ』。きょうみしんしんのきょ。」 なんでこんな子が興味津々なんて言葉を知っているのだろう。幼児の言語ユニバース、奥がが深い。まだまだ聞いていたいと思ったが時間切れ、残念。
朝フランス語。めずらしく夫と出る時間が一緒になる。さわやかな秋晴れ。くっきりと空気が澄んでいるが、夫は連日の疲れでどんよりとよどんでいる(涙)。 私はターミナル駅まで私鉄で出てそこからJR乗り換え、夫はもう少し先の駅までいってバスを利用しているのだが、降りる駅の関係で乗りたい車両が微妙に違う。フランス語の時はいつも最後尾の車両に乗るのだが、夫は私がどこへ行くのか良くわかっていなかったらしく、ずんずん前へ進んで行き、前よりの車両に乗った。疲れていて心ここにあらずでもあるのでおとなしく夫の行動に従い、降りる段になって「ああ〜こんなに前になっちゃった」と思いながらホームに降り立つ。いつもと勝手が違うので一瞬戸惑うが、こっちからでもJRに乗り換えられたよな、と思って一番前よりの出口から改札を抜けると、なんということか、こっちの方が乗降客も少ないし乗り換え先のホームも近いし、結局いつもより断然早いのだった。怪我の功名である。びっくり。今の家に越してきて3年近くなるが、今まで考えもしないルートだった。時に自分を疑わなければよりよい成果は得られないのだな。 フランス語のクラスはいつもどおり。頭でっかちに細かいことにこだわる人々が少なからずいて疲れる。英検とかTOEICのスコアがよくても話せない人ってこんな感じなのかしらねぇ、休み時間にクラスメイトに話すと、後から知ったところまさに彼女がそのパターンだった(汗)。「失礼なことを言ってごめんなさい」と謝ると「いいのよ、私もそれは事実だと思っているから」といいつつ、いかに自分のTOEICがのスコアがすばらしいか(といってもすごーく高いわけではないのだが)ということをとうとうと語り始めてこちらもちょっと疲れる。彼女が良くできることはみんなも認めていて、時に彼女に向かって「すごいねー」などと言ったりしているのだが、多分それは彼女にしてみれば彼女が求めている7割程度しかほめられていないと感じるのだろう。ふだんからこまめに 外貨預金の満期が一つ来る。レートがいいときに買ったのと、たまたま米ドルの退避通貨になっているのとで、ドル安のおかげで思いのほか利益が出た。ざっと計算して年利10%超である。えらいぞ私(←自慢)。
そういえば昨夜帰宅してなんとなくテレビをつけたら、可能姉妹�鏡ぅ灰鵐謄好箸箸いΔ里鬚笋辰討い拭2椎住佶紊鯡椹悗靴徳換颪�ら選ばれた美女が、さまざまなテストや合宿を経てふるい落とされていき、最終審査に残った8人のうち2人が栄冠を勝ち取る、というもの。パロディかと思ったらみんな本気でやってました、ええ。しかもゴールデンタイムに特別枠で放映。 厳しいレッスンに耐え、己に勝ち、外見だけでなく内面も磨く。それ自体はすばらしいが、内面を磨いた結果が可能姉妹か。もう少しいい目標がありそうにも思うが、姉妹崇拝度は極めて濃く、可能姉妹が現れると「神、光臨!」みたいに震えが止まらなくなる参加者もいる。 可能姉が「わたくし」と発音するときに、「くし」のあたりがいつもちょっとなまって聞こえるのが気になるが、まーさすが可能姉妹である。発言も振舞いも受けが取れるようにポイントを得ているし、完璧にいつでも可能姉妹であって、だてに芸能界で何年も可能姉妹として売っているわけではない。しかしこの人たち、可能姉妹であることに飽きたりしないのだろうか。可能姉妹の普段の「ゴージャスぶり」を紹介するいくつかの映像が流れた後、いよいよチャンピオンの発表である。プレゼンターに岡田ふぁんふぁん真澄、司会安住アナ、コメンテーターに赤いドレスで着飾った朝丘雪路。このあたりもパロディかと思う。みんながまじめにやればやるほど安っぽく冗談めいてくる。 それにしても朝丘雪路、よくテレビに出てくるなぁ。この間掲示板でデヴィ夫人はお金に困っているので仕事を選ばないのだろうか?という話題が出たが、朝丘雪路も仕事選ばない感じである。
午前中フランス語。振込みをしなくてはいけなかったので、銀行が開く時間に合わせて家を出て、昨日書いたにょろにょろ文字手紙を投函して、余裕で電車に乗ったら異常信号が検知されたとかで、2回ほど足止めを食い遅刻。いつもの席は他の人に取られていたので、少々勝手が狂う。マダムが店じまいする話などで盛り上がる。 午後から職場で打ち合わせ。せっかく急いでお昼を食べて打ち合わせに備えていたのに、時間を30分間違えていた。週刊誌読んだりちょっと書き物したり。打ち合わせは予定通りで終わってから、昨日手配しておいたものを受け取ったり、いくつか手続きをしたり、図書館にいって延滞手続きをしたり私にしてはいろいろ動いたかも。 5時半ごろ外に出たらもう薄暗くなってきた。もう、つるべ落としの時期だなあ。夜はサンマの塩焼き。
月曜日には何も用事が入っていない。平日丸一日家にいていいと思うと、ああーもううきうきする。 朝からレートをチェックしたり、現在企み中の悪巧みを実行すべく調べものしたり、今更ながらネットって便利なものだと思う。Webで調べた結果を元にメールと電話で手配してほとんどの用件が済む。あとは実行を待つばかり。クヒヒヒ…。 家から一歩も出ず、おとなしく仕事。2回ほど固定電話にかかってくる。ナンバーディスプレイを見るとPHSの番号。見覚えがないので出ずに待っていると留守電に切り替わり無言で切れた。しばらくするとドアフォンがなり、ダスキソの交換だという。モップの交換をしてもらいながらふと思いついて聞いてみる。「さっき2回ほど電話いただきましたか。」「ええ、しました。お留守だといけないと思って確認しようと…」すみません。留守電に切り替わってもジット目の前で待ってますので、これからはダスキソでーす!とか一声あげてください。ぺこぺこ。 夕方、郵便物夕刊とともに夫帰宅。この間着物を借りたマダム@フランス語教室元同級生から封書。あけてみると、これからはフランス語の勉強に邁進し、フランス留学するため、きものブティックを閉めることになりました。ついてはさよならセールを行いますので是非おいでください云々…と書かれてあって仰天する。 これからは着物のことで大いに頼りにしようと思っていたのに、出鼻をくじかれる思いである。が、しかしこれからの人生をフランス語学習にかけようというマダムの心意気やすばらしい。ペンと便箋を取り出して、マダムににょろにょろ文字で手紙を書く。書ける文字を選んで書くので、言いたいことの2/3ぐらいし書けなかった。 ディジタルで始まり、アナログで終わる1日。
夫が出張から帰ってくるので「あなたがいないと部屋がこんなに片付くのよ〜」というふりをするために、朝から掃除。昨日は一日ほとんど寝てしまったのでさすがに元気がある。ちゃっちゃと片付けてずいぶんすっきりする。 最近ホテルはおろかフライトもはっきり言わない出かけるので、実はいつ帰ってくるかよくわからない。出張先はヨーロッパなので、夕方ごろ帰ってくるだろうと思っているが、3時を過ぎても全然連絡がない。5時過ぎても音沙汰がないので、もしかしたら今日じゃなかったかもしれないと思い、仕事に手をつけると帰ってきた。なんで何かをはじめようとすると帰ってくるのだろうか。 成田ですぐ電車に乗ってしまったので、電話する暇がなかったという。8月の出張以来、6日以上まとめて家にいたためしがないので、さすがに疲れがたまっているようで、言っていることもやっていることもとんちんかんである。 洗濯物を荷物を出したと思ったら、スーツケースを玄関に置く。おいおい、何してると思って聞くと「だって、すぐ使うから」との答え。ちょっと待て!すぐ使うっていつだよっ!と思ったら、今週末米国出張だそうだ。「今度は短いから大丈夫だよ。」って短い長いは問題外だろう(-"-)。 帰国するのは結婚記念日の翌日。丸8年である。8って丁度節目の年だね♪と 訳わからないことを言って自分で楽しみにしていたのも忘れたらしい。
昨日出先で隣に座っていた二人。男性はいかにも研究者(大学教員)という雰囲気、女性の方は20代半ばぐらいで、一瞬不釣合いなほどおしゃれに気を使っている。 聞くともなしに会話が耳に入ってくる。話の前後はわからないが、男性が「だから、朝大学に来て図書館で勉強すればいいんだよ」というと、女性が「そりゃぁ、理想ですけどぉ。朝起きて、お化粧して、髪の毛やって、着る服選んで、とかやってるとくじけちゃうんですよ」という。なぬ?と思ってそこから聞き耳を立てて話を聞く。男性が「でもね、○○大学(地方旧帝大名)の△△キャンパスでは△△原人っていってさー、若い奴らがジャージ姿の汚い格好でうろうろしてるんだよ、そういうものなんだよ大学院生っていうのは」というと、またその女性が、「それも25歳までは許されるんですよ。」と言い出す。「若ければお化粧しなくてもおしゃれしなくても、逆にかわいいと思うんですけど、あたしみたいに26以上はダメです。世間が許しません。」「しかも私、今親元で、母親もそこで子供の頃から育ってますから、近所の人がみんな知ってるわけですよ。身なりに気を使わないなんてちょっと許されないんです」。 おいおいおい。そりゃ違うだろう。と、ここで一回り上の身なりに気を使わない女(私)が心の中で突っ込みを入れる。さらに聞き耳を立てる。「ここは田舎だからいいですよー(といっても都心から電車で30分)、でも家からここまで来るのに、バスに乗りーの、電車乗りーので、四谷駅とか通ってくるんですよ」「かまわないわけには行かないか」「ええ、行きません。すっぴんなんて殺されますよ」 まーどう見ても彼女はおしゃれしすぎである。「身なりに気を使わない」レベルを0とすると彼女は10である。そこそこ見苦しくないこざっぱりとした格好からもかなり遠いところにいる。そこでまた指導教員らしい男性が言う。「遥洋子がさ、東大へ上野千鶴子に習いに行ったとき、女子学生に化粧教えてくれって頼まれた話知ってる?それで、ああ、彼女達が化粧をしていないのは化粧を知らないからなんだ、って初めて気づくんだよ。そういうもんなんだよ、大学院生っていうのは」「…」「ま、とにかくいつまでも若くないんだからさ、勉強するときはしないと。大学院生なんだから」「はぁ」というわけで、話が堂々巡りなのにほとほと嫌気が差しているらしい男性は、会話を閉めに入った。彼女の方は、摂食障害があったり、精神安定剤飲んでいたり、生まれが複雑だったり、親との葛藤があったり、という話を問わず語りに(でも立て板に水に)話していて、聞いている私は難儀よのうと思う。 ハタから聞いていると「甘えるんじゃない!このバカ!」と言いたくなるような言い訳をつぎつぎ出してくる彼女は、サボりたくてそういう繰言を述べているわけではなく、本気でそう信じていているのだろう。他人から見たらばかげているとしか思えない迷宮が彼女を追い込んで苦しめているのだろう。腫れ物に触るように相手をしている指導教員にしたって、学究の徒を目指して若い頃から勉強し、研究者としての地位を得ただろうに、その結果彼女のように勉強しない、言い訳ばかりの、しかも精神的に危うい学生とも関わりあわなければならないのだ。研究者としての彼にとってはまったくの時間の無駄になっている。見捨てないのは教育者としての矜持か、彼自身の特性か。カウンセラーでもないのに、難儀なことだと思う。
今日のイベント。 その1.昨日買ったホットカーラーを使ってみる。説明書どおりに決められたサイズのものをそれぞれ決められた位置に巻いていく。思春期は聖子ちゃんカット全盛期で、高校生の頃は毎晩カーラーを巻いて寝ていたので、特に難しいこともなく巻き終わる。そのまま10分放置、カーラーをはずして2〜3分冷ます。手ぐしで整えると、おおっ☆ 巻き髪である。すその方から指でしごいて逆毛を立てると、おおおっ☆☆ボリューム満点である。この髪型にあう服は…と思ってオフタートルのニットにロングスカートを着たら、働きにいきたくなくなった(-"-)。 その2.穴のチケットでもらった☆バックスのただ券を使う。本日のコーヒーは須磨虎。コーヒー代が浮いた分ケーキでも食べるかと思い立つ。ケーキ類はショーケース下段にある。扉に手をかけると、店員が営業スマイルで近づいてきた。上段の扉に手をかけんばかりの勢いで「お客様、こちらのオレンジ色のプレートがついているサンドイッチの方は温めて召し上がっていただくこともできまして、温かいのもまたすごくおいしいんですよ」と上段に並ぶサンドイッチ類をすごくうれしそうに薦めてくる。「…いや、あの…、あきらかに私がサンドイッチをとろうとしていないことはおわかりですよね」というと、「あ〜失礼しましたっ!」と笑顔のままで引き下がっていった。店員も店員だが客も変なひとコマ。 夜、Mステ特番を見る。ポルノグラフィティの歌を六本木ヒルズのタワー屋上から中継するという。窓を開けてそっちの方角を見てみると遠くに旋回するヘリコプターの光が見え、てっぺんが輝いているビルが見えた。へぇ、あれか。
ホットカーラー入手。 この間のウェディングパーティーで、髪をアップにしたのだが(アップっていう言い方も古臭い「新語」だよな)、ささっと毛先にホットカーラーを巻いて、ウェーブがついたところを結ってすかさずスプレーで固めて出来上がり。ホットカーラーの便利さを実感。そしてつい先日、新しい美容院を開拓すべく家の近所の店に行ってみた。私を担当した「チーフ」と呼ばれた女性はなんだかコロコロに太った人で、これがチーフならこの店はハズレかな、と思う。外見で人を判断するわけではないが、一日中立ち仕事で腕を上げた状態が多い美容師がなぜ太っているのだろう?少なくとも私が今まで担当してもらった美容師さんはみんな腰周りがすっきりしていて、「細くていいですねぇ」と言うとみんな異口同音に「立ち仕事ですし、忙しいので太っている暇がありません」などと言っていたのだが。案の定、カットはあまりうまくなかった気がする。シャギーにするのにはさみを滑らせるように切っていくのだがなんか痛いし、自分が動く代わりに客の椅子を断りもなくしょっちゅう上下させるし。しかし彼女は性格はとてもよく親切で、次回はこんな風に大きなカールをつけたパーマにしたい、と言ったらホットカーラーで「なんちゃってパーマ」にしてくれた。実は次回ここでパーマをかけるかどうかの判断にはやや雲行きがあやしかったのだが、ホットカーラーでの巻き髪自体は満足した。 というわけで俄然ホットカーラーが欲しくなり、家電量販店のたまったポイントでホットカーラーを入手することにする。本当は電子辞書が欲しいといって夫が貯めたポイントカードを借りていたのが、勝手に一部流用することにする(だって出張中で連絡とれないしぃ)。ポイント範囲内の大きさ値段ともに手ごろなのを見つくろい、それとレジ脇においてあったスプレー式の消火器を手に清算へ。数千円の商品をびた一文出さずにげっと。 得したというよりは不思議な気分である。むしろ私よりもっと高額なものをこうして手に入れている人もいるんだろうなぁ、という感慨。我が家の場合は、夫が業務上必要なものを購入したときの役得としてポイントが貯まっていくのだが、別にポイント貯めなくても好きなものが好きなだけ手に入る人たちもいるわけで、そういう人達がどんどん得するシステムなのだなぁ、と思う。 昔、多摩方面の私鉄終点にある開業医の息子という友達がいて、兄弟それぞれ株主優待の無料全線定期券というのを使っていた。「すげぇ、得なんだぜ」と言っていた。たしかに都心のターミナル駅が終点なのでその恩恵はかなりなのだが、そもそも彼の家は株主になるぐらいお金持ちなのであって、往復数百円が浮く株主優待定期券のおかげで家計が助かるとか、そういう次元の話ではないのだった。こんな風にお金がある人は、好きなものを好きなだけ買って、それに応じて特典を受け、その余禄で浮いたお金でまた好きなものを買い、ますます物質的に豊かな生活を送ることになるのだな、とつくづく思う。
品川駅というのは、終点東京駅に向かう東海道新幹線が減速するあたりで、そこから先は東京駅までほぼ山手線と同じルートを走るわけですな。生まれてこのかた山手線の西側が主な生活圏である私にとってはコロンブスの卵的。 実家に暮らしていた頃は、常々ここで山手線と乗り換えられれば楽だろうになぁ、と思っていたのですが、同じ西側でも今は東京駅に出る方が早いぐらいのところなので、びみょー。まあ、でも品川経由の方が無駄に東に行かない分やっぱり早いのかな。誰が得するんだろう。S0NY本社にお勤めの人は断然便利だろうなぁ。京急で羽田空港〜品川が便利になったし、三島・沼津あたりから北海道沖縄に行く人なんかはすごく恩恵があるかも。 それにしてもJRのCM、T0KI0の面々が野心を持って全力疾走しているのはいいけど、アップで映るのが5人中4人しかいないのは、なぜ?というよりあまりに露骨じゃないだろうか。
|