想
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2004年04月30日(金) |
古舘伊知郎番組/今日は優雅に |
イラクから帰ってきた3人もかなり胡散臭いが、
古舘伊知郎も偏りすぎていて胡散臭い。
テレ朝を批判するつもりはない。
しかし、この番組はいくらなんでもまずいだろう。
それぞれのトピックが未消化のままどんどん流れて、落ち着きがない。
僕が期待しすぎなのか、ニュース・ショウにしても質が低すぎると思う。
どこかの待合室に置いてある週刊誌の芸能記事を読んでしまったような気になる。
*
続き。
番組の最後に、
都合により番組の内容の一部を変更しました
というような注意書きが出た。
「誰の都合で」「どの部分を」「どれくらい」変更したのか。
気になる。
******
今日のできごと。
優雅に水泳(@区営プール)。おばさんたちと飛び込み放題。
優雅にポニーと戯れる。しばらく見ないうちに、ポニーの前髪が揃っていた。
優雅にランチ(@ガスト)。メニューを知らないウェイトレスは困る。
優雅に放心。ちょっと頑張って泳ぎすぎた。
優雅に家庭教師。「先生って面白いですよね」と言われ、内心ちょっと喜ぶ自分がいる。
いちいち「優雅に」とつけなければやっていけないくらい、優雅さに欠ける一日。
昨日は腹痛と頭痛とそれに伴う自己嫌悪でぐったりしていたが、
今日は朝も早く起きられた上に予想以上に早く仕事が片付いたので、
天気は悪いが気分は晴れ晴れとしている。
***
銀行に、必要のなくなった口座を解約しに行った。
ひどい話だが、目的の銀行がこの近辺では松戸か上野にしかないので、
仕方なく松戸に行った。
松戸駅前で鳩の群を見た。群れの大きさは並だったのだが、
手すりの上、数mの間に、30羽ほどが一列になっていたので驚いた。
ところが、もっとすごい群れが松戸で発見されたのである。
地元の古本屋があまりにもショボショボになってしまっているため、
ここなら平気だろうと松戸のブックオフに入った。
一歩足を踏み入れると、本来なら通路があるべきところに人がいた。
さらに3本ほどの通路が、全て人で埋まっていた。
‘初めての満員電車’のような、かつて見たこともないほどの立ち読み率。
おそるべし松戸。
2004年04月26日(月) |
T.T.T. /浅田次郎 |
Now, I have many "things to try".
確信めいたものを持っている。だから、懸命に磨こうと思う。
けれども、どんなに磨きをかけても、表に出さなければ意味がない。
内に閉じ込めておいては、どんなに磨いても無駄になってしまう。
それは、磨いたという事実すら帳消しになってしまう、ということ。
初めから磨くつもりがないのなら、原石を持っている気になって閉じこもっていたほうが圧倒的に幸せだけれども。
何かに役立たせなければ。
「誰か」の役に立つかどうかは、この際あまり考えない。
自分がどこかで「役に立たなければ」、というわけでもない。
磨いたものを、何かの役に立てる。そのことに意味があるような気がする。
だから、人目にさらす手段や機会を持つ必要がある。
ゼロから何かを創り出す表現と、
既に存在するものをそのまま伝える表現とは、根本的に違う。
これまでは、どちらかというと前者に偏っていた。その方が気が楽だった。
ないものをあるように見せかける作業は、いつのまにか得意になっていたから。
これからは、ここにあるものをありのままに表現しなければならない。
しかも、自分がどれだけ磨いてきたかも伝わるように。
謙虚な姿勢は大事だが、自分を謙虚に見せるのは時として大きな損になる。
努力に影を潜めさせる必要はないのだ。
いまさら、彼や彼女を尊敬し直しても仕方がないので、
せめて死ぬ間際になって慌てないようにしたい。
******
浅田次郎のエッセイ『勇気凛々ルリの色/四十肩と恋愛』を読んでいる。
8年ほど前に、週刊現代に連載されていたものらしい。
締めるところで締めて、緩めるところで緩めることのできる人は、尊敬に値する。
できることならむしろ、いつも緩めていて、締めるときだけ締めたい。
2004年04月25日(日) |
期待過剰/八百屋のレシート |
モヤモヤしてるのがイヤなとき、
稲葉さんなら布団を噛んで考えろとおっしゃるのかもしれませんが、
僕はそのかわりに布団にくるまって寝ていたのかもしれません。
もやもや。
******
八百屋でアボガド(アボカド?)を買ったところ、
レシートに、こう印字してあった。
「アボカボ」
微妙な間違い具合が僕のツボです。
2004年04月24日(土) |
夢への逃避行/出すとか出さないとかどこで出すかとか |
昨日、帰宅後すぐ寝た。22時過ぎ。
シャワーを浴びようと思いつつベッドでそのまま寝直し、今朝の8時まで寝る。
朝食をとり、正午まで惰眠を貪る。
13時間睡眠。睡眠過剰なのはもうわかった。これは現実逃避だ。
***
あまりにも逃げてばかり(=寝てばかり)いるので、さすがにまずいと思い、内職に精を出した。
昔からなんとなくしかもこっそり感じていたことだが(とかいいながら以前の日記に書いている可能性大)、
精を出すって漢字で書くとちょっと卑猥だと思う自分が情けない。
思いの外、ムッツリスケベっぽい内容になってしまった。
ムッツリって言葉もスケベって言葉も、久しぶりに使った気がする。
ちょっと今更だけど「ムッツリ」の語源って何。
出すべきところで出してれば単なるスケベなんでしょ?
何の慰めにもならないけど。
「情けない」をキーワードに思い出した。
ハーバルエッセンスというシャンプーのCMは、
ひとりで見ているときにYES YES言われてもただの微妙なCMにすぎないのだが、
家族とテレビを見ている時に流れるとかなりの恥ずかしさを伴う。
CMそのものが恥ずかしいというよりは、
洋モノのアノ声がそれであると知っていることに恥ずかしさを感じるというか、
なんとも言いがたい非常に複雑な恥ずかしさなのである。
おそらく僕が小心者なのがいけないのだろう。情けない。
******
BS-2の、尾崎豊の番組を見ようと思っていたが、まんまと見逃した。
尾崎豊が特別好きというのではなく、
むしろあまり詳しくないので見ようと思っていたのだった。
有名な曲は結構好きだが、彼自身については若くして亡くなったことくらいしか知らない。
わざわざCDを借りようとか調べようとかいうほどの興味はなく、名前を耳にするとなんとなく気になっていた。
あぁ・・・「見逃した感」でいっぱい。悔しい。
2004年04月23日(金) |
村山由佳/葛西臨海公園 |
『青のフェルマータ』を読み終えた。これで村山由佳の本を立て続けに十数冊読んだことになる。
僕は、彼女の作品の何に、そこまで魅かれるのだろう。
少なくとも登場人物たちは十分に魅力的だ。内面だけでなく‘外見’も。
そんなことを思っても、依然として虜になったままの頭で考えているので、客観的に理解できよう筈がない。
******
誕生日を迎えた友人と、葛西臨海公園に行った。
水族園のマグロやカツオの回遊の規模が小さくなっていた。
カメやくらげや水辺の鳥類は、見ているだけで和む。
観覧者に背広姿のおっさんたちが続々乗り込んだ。なんだったのだろう。
なにはともあれ、おめでとうございました。
2004年04月22日(木) |
寝過ぎ/引き続き寝過ぎ/記憶と痴呆と芝居への考察 |
20日の21時過ぎに寝た。21日の0時過ぎに起きた。入浴。
1時過ぎに本格的に寝た。8時に起きた。朝食。
9時過ぎに寝た。13時に起きた。昼食。
トータルで14時間くらいは寝た模様。
これ以上育たれても困る。
これを書いたのは22日の午前2時頃だったが、
実は今日も3時過ぎに寝て11時半まで寝ていた。
育つとか育たないとか以前の問題だ。
******
新宿で芝居を見てきた。
時間ぎりぎりに家を出て時間ぎりぎりにサザンシアター(タイムズスクエアの方)に着いたら、
実はそっちの紀伊国屋ではなくて、紀伊国屋ホールだった。
この間違いは、2度目だ。自分の記憶力の悪さに辟易する。
途中までは汗だくになって走ったのだが、新宿の街のあまりの暑さに負け、
タクシーをつかまえたら冷房が心地よかったところまでは良かったものの、
間違っても新宿駅周辺をタクシーで移動しようとしてはいけないと思い知らされた。
少し考えればわかりそうなものだが、人が多すぎて車が動けない。
そんなこんなで紀伊国屋ホールにたどり着いた。約10分の遅刻。
せっかく良い席を取っておいてもらったのに、入りやすい席になってしまった。
劇団一跡二跳に今年、友人が入った。その緊急初舞台。
彼女だけが目的ではなかったが、できれば今後も彼女を追っかけたい。
*
『声しか見えない』は、痴呆を主題にした芝居だった。
舞台の左半分の部屋に不恰好に積まれた、大小様々な白い立方体。部屋の中は言わば「彼」の脳内、箱は「彼」の記憶だ。芝居の進行に沿って、積み上げられた箱が少しずつぼろぼろと崩れていく様が、頭の中で徐々にぼろぼろと抜け落ちていく記憶の感じをとてもうまく表現していた。・・・と言っていいのかどうか。当然見たことがないから何も保証はできない。つまりは僕のイメージする「痴呆」に、とても近い表現だったということだ。
痴呆と言っても症状は様々だ(という知識を少なくとも僕は持っている)。だから、僕の出合った症例は多くの内のひとつでしかない。けれども、その一例は、僕に衝撃を与えるには十分だった。現実場面で痴呆の症状を目の当たりにして、僕は戸惑いを隠せなかった。「彼女」がどんな様子かはあらかじめ聞かされていたものの、それがそんなにも厳然とそこに存在することが不思議で仕方なかった。たった30秒の会話の中で、何度も繰り返される質問と答え。同じ質問が繰り返された瞬間、それまでの時間は完全にリセットされている。少なくとも、いま話をしている相手の中では。もしも世界に僕と「彼女」との2人しかいなかったら、どちらの記憶が正しいのか次第にわからなくなってゆくに違いない。けれど、そのことで悩むのは僕だけなのだとすると、やはり僕がいくらか‘正常’なのかもしれない。
ほろほろ、ぼろぼろと、積み上げたものが崩れてゆく。はからずも長い年月をかけて積み上げられた記憶の山だ。こういう言い方はおかしいのかもしれないが、「自分の脳内を振り返ってみると」、記憶はたやすく薄れ、書き換えられ、閉じ込められ、時には完全に失われたようにさえ思われることがある。けれども、このような一部の混乱こそあれ、全体としてはこれらがそう簡単に秩序を失ってしまうとは思えない。
実際には、そういう日がいつか来ても何ら不思議はないのだ。痴呆は誰のところにも訪れる可能性がある。そういう点では他の病気と大差ない。
記憶が大きく損なわれたとき、僕というひとりの人間はどうなってしまうのだろう。「彼女」といると、確かに人間なのにどこか人間ではないようで、(彼女の場合は主にはワーキングメモリだったりするのだろうが、)記憶が人間にとってどんなに大きな意味を持つのか思い知らされた。
*
ついつい余計なことまで書いてしまった。
一跡二跳の芝居は、観客に考えることを促す類のものだ。
長い目で見れば僕にも必要で、今の僕には不必要な類の、考えるという行為。
人生の表面の大部分において、
上辺、少なくとも平均より上を歩いてきたという自己認識のお陰で、
「まだまだ下がいる」という言葉が慰めにも発奮材料にもならない。
嫌な女だ。
******
西新井大師へ牡丹を鑑賞しに出かけた。母親をバイクの後ろに乗せて。
敢えて訊くことはしなかったが、父が昔は大型に乗っていたから、母も後ろに乗ったことくらいあったはずだ。
「どこにつかまればいいかしら」とか言っていた。初・親子乗り。
当初の目的だった牡丹は、全体としては既に満開を少し過ぎていて、
それでも株によってはつぼみが残っているものもあった。
牡丹と一口に言っても、花の色も大きさも花全体の持つ雰囲気も、品種によって全然違う。
大人の両手でも覆いきれないような大きさの花がいくつもあって、大迫力だった。
花の中心部の濃い色から外側に向かって色が薄くなっていく種類のものは
多くが上品さを湛えており、言うまでもない美しさ。
その上、たとえば「白」にしてもいろいろな白があり、
さらに花弁の薄さや光の当たり方で全く違う色が現れて、素晴らしかった。
花弁の重なり方や葉の形にも様々な特徴がある。
たくさんの牡丹の間を歩いていると、牡丹はそれほど香りが強くないはずなのに、風の香りがずいぶん違う。
それぞれの品種につけられた名前も、見る楽しみのひとつになっていた。
と言うように、牡丹はとても見ごたえがあったのだが、その横で負けず劣らず美しかったのが見事な藤棚だった。
藤も、その色と同じくらいに香りが華やかで、上を向いたままの体勢でしばし佇んでしまうほどだった。
無料なのが信じられないくらいの規模だ。毎年の恒例行事になりそうな予感。
帰りに参道でちゃっかり団子などを買い、大変満足して帰ってきた。
友人の紹介で「都内の大学」の講義に潜ってきた。
いいトシをして何をやっているのか。
もうそろそろ遠い記憶になり始めたT波大の学生と、三田の塾生とで何が違うかと訊かれて少し困った。
在学時代によく言われたことでもあるが、都内の女の子はほとんどが「ちゃんと」している。
電車で通うからだろうし、逆に言えば自転車で通わないからだろう。
KO女子が目的だったわけではない。
パリ第8大学の視覚芸術の助教授が来ると言うので、講義を聴きに行ったのだった。
"Machine and Passions: Automation, Cybernetics and Art" というタイトルだったので、
もしかしたらとてもとても面白い話が聞けるんじゃないかと思ったのだ。
ぶっちゃけ、内容としてはそれほど目新しいことはなく、
美術の分野でも哲学とかロボとかを身体や造形なんかの面から結びつけて研究してる人もいるんだなぁ、
というのが率直な感想。解剖関連の話は、専門ではなかったので面白かった。
「講演は英語で行われ通訳付きの予定です。」という注意書きがあったが、
あれが通訳だというなら、別になくてもよかった。というくらいの雑な通訳だった。
その流れで、GenesisとかTheEighthdayとかについてネットで調べていたら、
'Genesis 1999'のキーワードでこんなものを見つけた。南半球でも流行ったらしい。
2004年04月19日(月) |
用法/一日の終わりの少し手前 |
In those days, I would cry for the moon.
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街の灯りがやたらと美しく感じられる時間帯がある。夕暮れより少し遅く、夜にはまだ早い。黄昏時とか逢魔刻とか呼ばれる頃だ。空は光の届かない海の底のように青黒い。単に暗いというよりは、だんだんと墨を溶かしていくような、経時的なグラデーション。
この街の中では少しばかり高い位置にある駅のホームからは、いつもよりくっきりとした光が色とりどりに散らばっているのが見渡せる。いつまでもぼんやり眺めていたいと思わせるような何かが、春の夜の生温い風に乗って運ばれてくる。
地下へ潜ってしまうのがもったいない。
味気ない車窓を、爽やかとは言いがたい青春小説でやり過ごす。地下鉄の出口を地上へと向かうと、垣間見えた空はまだ夜の一歩手前。それだけのことが妙に嬉しく、逃すのが惜しいという想いに駆られて残りの数段を駆け上がる。コンビニのライトの鮮やかな輪郭もちょうどいい。
バスに揺られて駅から離れるにつれ、空の紺色も深みを増していく。バスを降りれば、そろそろ目に付き始めた鯉のぼりが湿った風にはためいている。昼間こそ赤や青が家々の屋根に映えるが、今は辺りの薄暗さにその蠢きだけが際立って、不必要な不気味さを演出している。明朝にかけて降るという春雨は、この鯉のぼりにさえ物悲しさを与えるだろう。
雨に濡れた鯉のぼりの悲しみはいつか海に帰るとしても、明日の空がただ晴れればいい。
2004年04月18日(日) |
ぷるんぷるん/金、土 |
そう形容されるものを持ちつつも、それが真に形容され得べきものとして許容されるか否かの判断を求められる局面に立たされて、自分の率直な感想と周囲の意見との食い違いに戸惑いを隠せないでいる状態だったわけで。
すみません。会話の一部抜粋、しかも他人様の発言の一部改訂で。手抜きです。
なんだか気力が。ない。
******
金曜
・「幸せになるためのイタリア語講座」を見た。欧州ラブコメ。
大ブレイクはしなくても、地味なキャラクターでみせるいい映画だった。
・先輩らしき人と食事。風向きが変わってきた?
映画鑑賞は受け身の快楽。かなり正確な理解。
土曜
・テレビで「少林サッカー」を見た。
当時騒がれただけのことはあって、突き抜けた馬鹿らしさが良かった。
山寺氏も良かった。
・少林サッカーのあとのオンエアバトルは、ちょっと気が抜けた。
いつからか僕の金銭感覚は完全にイってしまっているらしく、
以前だったら決して買わなかったような金額のモノもほいほい買ってしまう。
大変困ったことだ。
古い話になるが、僕は中学生になってから食事の量が格段に増えた。
それまで週1回の水泳程度の運動しかしてこなかった僕が、陸上部に入ったことが原因だ。
走り続けている間はカロリーを気にせず食べていてもそれほど問題にならなかったのだが、
高校入試などのために運動をしなくなってから、さらに高校に入ってからも、
その食事の習慣が抜けなかった。(そして結局、単に太る以上に酷い目に遭った。)
金銭感覚にしても、食欲と同じような気がする。
一時期、自分が遊ぶには十分すぎる額の金を稼いでしまったがために、
その当時の半分程度しか収入のない今でも、
手元の金がなくならないような気になってしまっているのだ。
阿呆である。アホであるというだけでなく、少し怖さも感じる。
そんなわけで、今日は買い物をしすぎた。
いつからこんなに買い物が楽しくなったのか謎だ。
吉田栄作に乗せられて、ビタミンと一緒に「にがり」を買ってしまった。
しょっぱい。これはそれほど高くなかったのでいいような気がするが、
こういう安い買い物が積み重なって、いつか破綻を来すのだろう。
******
足立自動車ナントカナントカ事務所に行って、待望の足立ナンバーを手に入れてきた。
待望も何も、遅すぎだ。都内への転入は「去年の」4月である。
新しいナンバーは、生き別れた兄との感動の再会シーンで覚えよう。
「え・・・に、に、にいさん!?」
それはともかく、今日はそこで軽く盥回しにされた。
書類はややこしく、係員の対応は概ね悪く、しっかり昼休みまでとる上に、盥回しだ。
‘お役所’って一体。
2004年04月14日(水) |
くさい。/抱かれたい男11連覇が/招待券プレゼント |
家の中がシンナー臭くて頭がクラクラする。
マンションの外壁の塗装やベランダの防水加工が行われているが、
窓を全部閉め切っていても、驚くくらいに臭いが入り込んでくる。
マンション中に工事の音が響いてイライラする日もあるが、これはこれでかなりきつい。
ベランダに面した部屋の空気など、そこにいるのが耐え難いほどだ。
芳香剤系はにおいが混じり合った場合が恐ろしくて使えないし、
コーヒーを淹れた後の豆をフィルターごと置いておいても、長い効果は期待できない。
なんとかならないものだろうか。
ちなみに、筑波で暮らしていた家は冬になると玄関が明らかにガス臭くなった。
原因は不明のまま、生活には困らなかったので放置しておいたのだが、
今の住人はどうしているだろう。
******
今日、初めて知った。ハウルの動く城 声優陣。本気ですか鈴木さん。
******
こどもの日にTSUKUBAサーキットで開催のカーフェスティバルのペア招待券が送られてきた。
懸賞で当たったくせに、前売りでも5000円分のチケットかと思うと捨てるのもややためらわれる。
というわけで、買ってくれる方を募集しています。1枚500円くらいから。
アクセスマップを見て知ったが、
筑波サーキットというのは東京ディズニーランドと同じくらい卑怯なネーミングだ。
ここどこー。
2004年04月12日(月) |
久々に診断されてみた。/妊娠希望? |
90問の適性・適職診断
結果
↓
あなたがご回答なさった際に強く顕れた一面は・・・
『平和を求める』 気質です。
良い精神状態の時
愛想がいい・心が広い・辛抱強い・偏見がない
悪い精神状態の時
無頓着・片意地・無神経・攻撃的・弱気
性格
調和と平和を愛する平和主義タイプ。
広く寛大な心を持ち、誰とでも親しく接することができる。
他人を批判したりすることは無く、周囲に安らぎを与える。
注意
摩擦や葛藤をさけ、面倒なことからできるだけ逃げようとする傾向がある。
常に受け身で、自発性や決断力に欠ける。他人の評価が気になる。
仕事
人の話を聞き客観的に判断する仕事、
アドバイザー、調停者、外交官、公務員などが向いています。
「公務員などが向いています。」
人間、変われば変わるものである。
******
赤ちゃんが欲しい人必見!
というキャッチフレーズをどんなに前面に押し出しても、
排卵期チェックのための商品である以上、
赤ちゃんは欲しくないけどやっぱり・・・!!
という人のための商品でもある。と思う。
たまたま目についたので。
******
眠い。
気づいたら2:30になっている時計が全ての元凶だ。きっとそうだ。
300kmと言ったら、たいていの動物の1日の走行可能距離は超えている。
9時間も10時間も走れば、疲れた気がするのは当然だ。
前日の焼酎のせいで朝は食欲がなかったこともあるが、
0時に寝て5時に目が覚めてしまったことのほうが効いていたのだと思う。
友人に紹介してもらって、ツーリングに参加してきた。回転寿司ツーリング。
今回のようにノンストップで運転することはほとんどないし、
自分以外のバイクと一緒に走るのも教習以来。総勢14台は自分史上初。
かなり消耗したのは事実だが、同じくらいに楽しかったのも事実で。
通称‘社長’さん(お名前は存じ上げません)をはじめ、みなさんに優しくしていただいた。
緩い集団は心地良い。集合写真くらいはお楽しみの内。そして寿司万歳。
また参加したいと思ったのは予想通りだった。
てゆーか本当にメカニックで雇ってください、ど素人でよければ。と心底思ったり。
弟子入り。いいなぁ弟子入り。したいなぁ弟子入り。
7月の鈴鹿にバイクで行きたいと思ってるんです、と言ったら社長さんに笑われた。曰く、
あれは観る方も体力がないとねぇ。仕事がある人は帰るのも大変だし。お金もないと。
・・・今のところ仕事がないので・・・。(同じくらいの確実さで金もないが。)
小銭稼ぐより効率のいい稼ぎ口を早く探さないと、とは思うけれども面倒で。
多分このままでは生活力0で今年度が終わる気がする。
2004年04月10日(土) |
少なくとも花見ではなかった。 |
ある意味、両手に花ではあったけどね。
町屋で再会。
もはや「あの」または「例の」面子、とでもいう雰囲気。
ビルディーから和民って流れもどうなのか。
相変わらずな人たちだ。凸凹カルテット。
人のことばかりは言っていられないが。
また飲みたいなぁ。誰かの何か祝いで。
2004年04月06日(火) |
LeMans 24h/セブンにて |
昨日のニュースでは詳しいことがほとんどわからなかったが、
やっぱり北川圭一はすごかったらしい。日本人初の快挙とのこと。
今年もやっぱり8耐を観に行かなければ。
***
なんだかんだと歩き回って、ぐったりしている。
帰り道、ふらりとセブンイレブンに立ち寄ったら、
店員に向かって次のように言っている男性の声が聞こえた。
「バナナみたいなのないんですか?」
それは一体・・・なんだ。こっちが訊きたい。
おそらくないだろうそんなもの。どんなものか見当も付かないが。
2004年04月05日(月) |
考えるべきこと/新番組?/見知らぬ人の精液 |
人との距離に頭を悩ませたりしているが、どちらかというと、
はなまるマーケットが終わる前に起きる方法を考えたほうが自分のためになると思う。
***
そういえば、新番組と新撰組は1字違いだ。
NHK教育で「世の中なんでも現代社会」という番組をちらっと見た。
物事の良い面と悪い面を並べて判断を下すという思考の手順を
子どものときから身につけることは必要だと思う。
・そういう意味ではなかなかいい番組だ。(利点)
・でも、女の子が2人ともあんまり好みじゃない。(欠点)
∴僕は今後はこの番組を見ない可能性が高い。(結論)
******
あのー・・・変なタイトルだと思ったでしょ。
でも、タイトルだけじゃないんです。すみません。
とあるマンションの4階で仕事を終えたのが21時過ぎ。作業服の男と入れ違いでエレベーターに乗り込むと、足元に小さな紙切れがいくつか落ちていた。一部にどぎついピンク色が見えたので、集合ポストに入れられたチラシを住人の誰かが破いて捨てて行ったのだろうと思った。だが、落ちていたものは実はそれだけではなく。
ドア近くの床に小さな水溜りがあり、今日は雨は降っていなかったはず、などと思いながらふと上を見ると、その、何の変哲もないマンションの、一般的な茶色い壁の小さな箱型のエレベーターの、ドアの少し上あたりに、地面に吐きかけられた唾のような形で水滴が、しかも単なる水ではないらしい水滴が見えた。半透明と白濁との中間のような、見慣れたと言えば見慣れたそのどろりとした物質が、今にも垂れそうに、言うなれば軒下の氷柱のような状態で、その、ついさっき確かに自分が通ったはずのドアの上部から、静かに垂れ下がっていた。事態は簡単に飲み込めたが、その分どうも落ち着かない気持ちになる。やっと1階に到着したエレベーターを降りると、廊下にも同じチラシの残骸と思われる紙切れがいくつか残されていた。
仕事の前、19時に乗ったときには、それらはそこになかった。短いようで長い2時間。その間に、誰かがピンクチラシ片手にその箱に乗り、何往復かあるいは片道の間かは知る由もないが、自分の手で自分の性欲を満たし、おそらくは俗に言うオカズであったところの紙切れを1階で処分して去っていったわけだ。ご丁寧にも結構細かく、全てが同じくらいの大きさの四角になるよう千切って。
精液だと気づいてしまった瞬間に考えたことは、いくつもある。ずいぶん高く飛ばしたもんだ、とか、ばったり立ち会わなくて助かった、もし目が合ってでもいたら単に居たたまれない気持ちになるどころではなかった、とか、彼は常習犯なのだろうか、それとも出来心だったのだろうか、しかし出来心でこんなにも(勇気ある・・・とかいうと批判が予想されるのでそれは撤回することにして)傍迷惑極まりない愚行を果たせるものだろうか、となると他にも犠牲になったマンションがあるのだろうか、とか、さっき降りてきた人は気づいただろうか、とか、いろいろなことだ。
事実は小説より奇なり、などという言葉もあるが、小説に書くにしても奇妙すぎることがこの世の中にはたくさん転がっている。
「オカマの日」の存在を知っている人は思ったより少ない。
***
中板橋で「令嬢山賊」を観てきた。
知人が出ているというので観に行ったのだが、予想以上に良かった。
青春は太陽がくれた季節だ。そんな、君のそば、見守ってたーいー。あるふぃー(壊)
言葉の力はすごい。言葉自体も、それを操る人々もまた。
彼女は浮気性なんじゃなくて、誰にも本気じゃないんだよ。
たぶん、いつまでも子どものつもりなんだろ。
しばらくは比較的遠くへ行ってしまう友人と、お好み焼き。
約束どおり霞ヶ浦を見せてくれてありがとう。
ヘタレ野郎ですがこれからもよろしく。
******
今更こんなことを言うのもなんだが据え膳に手を出さずに昔のことを勝手にいろいろ想って自動的にひとり悶々としている僕はこれ以上ないくらい阿呆だ。馬に蹴られて死んでしまえ。
2004年04月01日(木) |
桜咲く/今日のポケモン |
4月だ。
みんな、がんばれ。
僕のところに特別な朗報はない。
***
アドバンスジェネレーションを見てしまった。
ナマケモノがヤルキモノになるのが最高だ。
泣き声はもちろん、「ヤルキヤルキー」!
言うことなし。
あっ、「ピッピカチュー」って「ゲットだぜー」って言ってるつもりなんだ・・・。
かわいいけど、かわいけりゃ全て許されるってもんでもない。