無題ドキュメント
ずーっと前の話になると思うのですが、
私はNHKのプロジェクト�召�好きです、と書きました。
今もその気持ちは変わっていません。
何で、この番組がすきなのか。
それは、出てくる人達が本当に素晴らしい表情で、
自分の信念を貫いたドラマに感動できるからです。
この番組に出てくる人達の共通事項があります。
それは、皆さん、苦労していると言うことです。
45分の番組では語りつくせないくらいの苦労をしているはずです。
私は社会人になって、1年が経とうとしています。そんな私が
どうしても、分からないことがあるんです。
どうして、そんな苦労を乗り越えることができたのだろう。
私も結構、苦労している気がしているのですが、きっと、私の苦労など
物の数に入らないくらいの苦労をしているのだと思います。
どうして、そんな苦労を乗り越えたのだろう?
もともとの人間性の違いか?しばらく分からないでいました。
しかし、最近、ちょっと分かってきたような気がします。
それは「喜び」があふれている仕事なのだ、と言うことです。
苦労に苦労を重ねて、その果てにプロジェクトが完成する。
そのプロジェクトの完成によって、喜ぶ人がいる。
感謝する人がいる。
「このプロジェクトの向こうには、喜んでくれる人がいる」
と言う思いが、きっとがんばる原動力になっているのだと思うようになりました。
そんな考えが頭をよぎったときに、自分の仕事に対する疑問も生まれてしまいました。
私の仕事は、単純に言えば、修理屋です。
壊れたら、直す。壊れたら、直す。
この繰り返しです。何かを生み出すのではなくて、
元の状態に戻す。
世の中に、プラスを生み出すのではなくて、
マイナスをゼロに戻す。
そんな感じがする仕事です。
しかも、直したところで、そんなに感謝はされません。
それどころか、どうして壊れるんだ、と怒られます。
どうも、やり切れない思いがします。
私の仕事は社会的重要性では、かなり高いと言う自負はあります。
「やりがい」と言う言葉を使うのであれば、おそらく相当やりがいがあるのだと思います。
一歩間違えば、世界中に影響を与えかねない。
大袈裟ではなく、本当のことです。
一人の力が、下手をすると世界中に影響を与えてしまう。
正に、これほどやりがいのある仕事はそうそう無いでしょう。
しかし、喜びは皆無である、と思います。
これほど、喜ばれない仕事も珍しいのではないだろうか?
と思うこともあります。
だから、嫌なんでしょうね、この仕事が。
なんか、報われない気がして仕方ないのは、その辺りに起因しているような気がします。
もし、私がこの仕事を辞めるとしたら、決して仕事がきついからではないと思います。
「ただ、仕事で誰かに喜んでもらいたかったから。」
この思いが、今の私を揺さぶります。