一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。
目 次|過 去|未 来
番外編 2 読者のみなさまへ
この隠し味を書くことになって、御蔭で忘れかけてた事が、昨日のように思い
出されて私自身とっても楽しんで書いています、もし、こうやって書くことが
なかったら、きっといつの間にか忘れていくんでしょうね、こうやって書くこ
とを進めてくれた友に・・・感謝!ありがとう!
そして、気の向いた時にしか書かない、わがままな私に怒りもせず気ながに、
待っていただき本当にありがとうございました。これに懲りずに来年もまた続
けるつもりですので、気が向いたらまた、覗いてやってください。
来年からは、いよいよこの店を持ったときのエピソードなどなど書いてみよう
と思ってます、波乱万丈の船出でした、今となっては、ほんとうにいい思い出
です。
今年もそろそろ終わろうとしてますが、琢が作ったホームページ、みんなに可愛がられて、きっと彼も喜んでると思います。
どーぞ、みなさん!いい年を、お迎えください!ありがとうございました。
また来年です!
その45
最後の言葉が
「あの世でも、また大会にでも出るか!」と、言ったそうです。
大将が涙ながらに、おやじらしい生き方だったなあーとしみじみ思いに更けた夜でした。そして・・・。
「さあ!みんな、おやじの為にも頑張ってほしい!大会まであと10日や!」
今でも憶えてるのは、部屋のなかに、お父さんのトロフィーがたくさん飾られていたことです。
大将はこのお父さんの名前が書かれたトロフィーをずーっとみて育ったんだと思ったら何故か胸がつまった。
たしか・・・大阪府立体育館だったと思います、日曜日なので私は店が忙しく見に行くことができず・・・。
くやしい思いをしたのを覚えています。
その大会があった夜、店が終わるのが待ちどおしく、終わったらすぐに自転車で飛んで行きました。
みんな大将を囲むように集まっていました。決勝の8人の中には残ってたらしく、最後にステージに上がった時、みんなの筋肉を見たとき、アカン!これは勝負にならんと、思ったらしい。
8人中、8位だったそうです。これだけ差があれば本人もサバサバしてて、笑いながらの報告でした、
大将が大会の式場をあとにして帰るとき、今回優勝した方に呼び止められ
「あのー失礼ですけど今度、線香をあげに家のほうへ伺ってもいいでしょうか・・・」
「実はあなたのお父さんには私がスランプに陥ってた時、親身になって、相談にのってくれました!」
「今日の優勝も、お父さんのお蔭なんです、いっしょに喜びたかったんです!」と、涙ぐんでいたそうです。
そんな話を、みんなにしてる大将も、涙・涙でした・・・。
次の夜、大将から電話があり、久しぶりにあの、赤い焼きそばの注文です・・・。
なかなかあかない戸を開けて、「まいどー一平でーす!赤い焼きそばでーす!」
大将はベンチプレスで練習してる若い男の子をつかまえて、
「あかん!あかんで!筋肉は一枚一枚、重ねていくんや!無理して重たいのを上げてもコワラルだけや!」
「下地が大事なんや!焦ったらあかんでー!」
私は、そーっと赤い焼きそばを置いて、大将の横をすれ違うとき、思いました、声までそっくりになりましたね!
またこの次
その44
「全日本ボディービル大会」もあと、ひと月ぐらいにに迫った、たしか六月のある日、
大将が店に来て、しばらくジムは休むとだけ告げて、帰っていきました。
近くの寿司屋で配達してる、肥満体のジム仲間が、仕事終わって店に来て、
「知ってる?大将のお父さんが亡くなったんやて!」
「何か脳梗塞で車椅子になったんだけど、医者が言うにはもう半年の命だったらしいで・・・。」
「どうする?お通夜に行く?」
肥満体のジム仲間が言うだけ言って、私に尋ねたけど・・・、
「ええ!あのお父さんが亡くなったの」・・・・・・(突然で何か信じられなくて・・・)
「大将は大丈夫?家はどこか知ってる?今から行こうか!」
肥満体君は大体わかるって言うので、すぐに大将の家に向かった、
公園の近くで、家の表に、確かダンベルが置いてあったのを憶えています。
もう!ジムのみんなは来ていて、大将の傍で心配そうに見守っていたのを憶えています。
大将は、ずーっと、お父さんの傍に付っきりで、焼香に来る人に深く頭お下げていました。
大将が・・・。
「みんな、悪いけど、お通夜の最後まで残っててくれないか?」
「あ、はい!」
またこの次
「
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