何かというと母が言う。
「おかあさんたちは、相手の嫌がることはしないから。 向こうの気持ちを尊重するから。」
と。 不自然なくらいに繰り返す。 前回、前々回の内容の「おじさん」のことだ。
そもそも、母が自分と同じように行動させようとして、 私が怒って言った台詞が元になっていると思う。 母は、自分はちゃんとしている、とアピールしている。 そう感じる。
別に、アピールだろうとなんだろうと構わない。 ちょっとだけ気持ち悪いのだ。 ただそれだけ。
泣きながら「エゴを通したの」と言った母を思い出す。 娘からの痛烈なパンチだっただろうか。 若いゆえの石頭だっただろうか。
時間が経って思う。 母が私を相変わらずコントロールしようとすることの あれは分かりやすい発現形態であり、 そして私はそれに猛烈に拒絶を示した。
恩着せがましかったり、 価値観の押し付けだったりに 私はすごく嫌な気持ちになるのだ。 誰だってそうなのかもしれないけれど、 私の場合はそれをしっかりと感じるまでに 随分と時間がかかってしまった。
案外、母も弱いんだよね、と ここで私はかわいくないことをいってみる。 自分は大丈夫、強い、と言っているけど、 母だって他の人と同じように弱いところがある。 それでいいと思うけれど、 なんだか反発を感じないではいられないのは、 私の心の中でくすぶるものがあるからだな。
2014年07月24日(木) |
また一人失いかけている |
大事な人がまた病気。 叔父さんみたいな存在だった。 かなり状況は悪いらしい。
もう葬儀のこととかも話してあるらしく、 家族葬的に小さくひっそりとするそうだ。 私たちは、親しくしていたと思っていた両親も、 来ないでいいと言われたらしい。
大事なその人に会いたくて、 でも、体調が悪いから遠慮して、 状況がよくなったら言って欲しい、と頼んでいた父。 どうやら最後のお別れの席にも居させてもらえないようだ。
交通費の問題からの配慮もあるかも、とは思う。 でもね、それって違うよ、このケースでは。 出席を「許可」された人々も顔ぶれを聞いても、 なんか納得できないでいる。
葬儀なんて、残されたもののけじめだ。 だから、私は別にどちらでもいい。 一度会いにも行けたから。 もし発病後会えてなくても、多分。
父は世代も違う。 会いたいんだよね。 せめて、それが無理なら、 ちゃんとお別れの挨拶をしたいんだ。 それって、でも、エゴなのかな。
父は気を使う相手になってしまうから、 奥さんに嫌がられたのかも、なんて邪推も出てしまう。 付き合いが濃かったと思っていただけに、残念だ。 温度差、ってやつ?
奥さんの「辛いよ」っていう話を母はたくさん聞いてあげた。 それで楽になるなら、いつでも電話して、って。
母の本音が漏れる。 話だけ聞いてくれればいい存在なのかな、って。 そんな付き合いのつもりじゃなかったはずだ。 一緒に老人ホームに入ろうね、って約束したほどだったから。
もっとも、今は地理的に離れてしまって、 以前みたいに毎週1回、晩ご飯後に会うなんてできないけど。
気遣いってなんだろう。 なんだかわからない。
親友のお父さんも他界された。 知らない間に。 気遣って伏せてくれたらしいけれど、 彼女の身内の不幸、というなんとも曖昧な知らせで放置されて、 やきもきしてしまった。 気遣いって、なんだろう。 難しい。
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