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私たちが、
あなたは
私が部屋に篭って、 ベッドで泣いて塞ぎこんでる時、 ミーコ(飼い猫)は ずっと側にいてくれた。。 いつもは1階にいることが多いのに…。 ミーコにも、わかるのだろうか? ありがとね…。 おかげで、すごく癒されたよ。 例え私が死んだとしても、 私が救ったお前は、生き残って、 私の代わりに この世を生きておくれね。
----------------------------------------- ・・・・もし、 お母さんが私を妊娠中に、 検査で、お腹の子(私)が障害をもってると わかったなら、 障害児として、生まれる前に 殺して欲しかった・・・。 ------------------------------------------ 大半の人は、五体満足で生まれてる。 目が見えることも、 耳が聞こえることも、 歩けることも、 走れることも、 運動することも、 立って何か作業することも、 「当たり前」だと思って、 そのことを「幸せなこと・恵まれたこと」だとは知らずに、 さらに「上」を見上げてる。 ・・・・・。 ・・私は、 「悲劇のヒロイン」ぶるつもりは、 さらさらないし、 そういう風に自分がなるのは、 はっきりいって嫌なんだけど、 正直、「悲劇のヒロイン」にならなきゃ、 やってられない。。。 私は小学3年の足の手術、入院から、 母の方針?で、もう病院にいって、 足を診てもらうことは、この20年以上なかった。 何も知らない私は、 中学に入ったら、スパルタな体育教師に 無理矢理、医者に禁じられてた体育に 参加させられ、 その後も、 他の人と同じように(…といっても 長時間歩くと痛みが出るから、 短距離での話だけれども…) 歩いたり、走ったり、バタバタ動き回る 仕事をしたり、してきた。。。 ・・・そのツケかな? 自分の足が、 もうかなり磨耗してる事実を、 …そして「未来」をも、 レントゲン写真が私に”現実”を、突きつけた。 医者からは、 「痛みを伴う左足をかばってきたために、 右足の股関節を覆う”カサ”が 健康な人の3分の1くらに磨り減っている。 このままでは、いずれ右足も痛みが出てくる。 右足をなるべくもたせるために、 右足を保護するように杖を利用したほうがいい」 …といわれた。 既に、変形性股関節症になり、 骨盤も完全にゆがみ、形成不全を伴い、 日常生活さえ痛みを伴う左足を カバーするために杖をつくんじゃない。 痛い左足の痛みを和らげて歩くために 杖が必要かと思ってた。 でも違うんだね。。。 もうそんなレベルじゃないんだ。 痛い左足はそのまま耐えて、 もう片方の、左足を支える足が磨り減るのを できるだけ伸ばさすために、杖が必要なんだ…。 普通に歩くのも…ダメだったんだ…。 足の寿命を縮めるから・・・。 あの時やったテニスも、 本当はやっちゃいけなかったんだよね…。 いい気分転換だった ウインドウショッピングも、 本屋での立ち読みも、 頑張って、痛みを我慢して観光したり、 歩いたことも…、 全て、全て、 私の足の使える時間を 削っていったんだね・・・・。 じゃぁ、 私は何にチャレンジすればいいの? 歩くことも控えなきゃいけない、 スポーツもできない、 足を使う仕事もできない、 長距離も歩けない、 もちろん旅行だっていけない。 ・・・・・・。 そんなんで、 どうして、「自分で何でもできるように」 なれるの…?? たとえ足を温存しても、 足の寿命が擦り切れた、 将来は両足痛んで歩くこともできなくなって、 車椅子? …もう笑っちゃうね。 私は変に、負けず嫌いだから、 なるべく人の力は頼りたくなくて、 依存したくなくて、 これからは「一人でなんでもできるように なりたい」って思ってた。 少しずつでもいい…、 「自立」したくて・・・。 そのために、 いろんなことにチャレンジしようって 思ってた。 ・・その矢先に突きつけられた 「現実」がコレ・・・。 メンタルの調子も故障してるのに、 身体も故障なんて・・・、 本当バカみたい。 連れとは別れようかな。。。 こんな身体障害を抱えた私、 この先、お荷物でしかならない私なんて、 彼にとって負担にしかならないもの…。 中途半端な”障害者”。
・・・・私は十代の頃から、 「自分は絶対、一生結婚なんてしない。 だから一生働ける仕事につかないといけないんだ。」 …って、 すでに自分の人生の選択肢から、 「結婚」なんて選択肢は、ありえなかった。 世間では「結婚は幸せ」というイメージが 蔓延してるけれど、 私は自分の両親の”現実”を見てきたので、 とてもじゃないけど、そんな風には思えなかった。 ・・・・。 ・・・私の両親は、 私が子供の頃、仲が悪くケンカばかりしていて (…といっても、お母さんがお父さんに一方的に 文句を言い、お父さんは母に向き合わずに黙りこんじゃう、 って感じだけども・・。) その後も日常生活に、会話がほとんどない、 「冷え切った夫婦関係」だった。 父は朝から深夜(0時過ぎ)まで仕事、仕事で、 ほとんど家庭や私のことに触れる時間はなかった。 ("ワーカーホリック"だったと思う。) ・・・ううん。たとえ時間があっても、 ”自分の家庭”なのに、”自分の子”なのに、 「全く、我関せず」な態度で、 全く私のことについても「無関心、不干渉」だった。 だから私は父に対して、 「他人」と同じようにしか思えなかった。 それどころか、「苦手」だった。 私は家族なのに、「実の父親」なのに、 父に酷く「人見知り」をしていた。 ただ、お給料を稼いでくれるだけの存在だった。 居間で母と二人でコタツを囲んで楽しく談話していても、 父が会社から帰ってくると、 二人ともササッと自分の部屋に戻り、 散り散りになった…。 だからといって、別に父が嫌いだったわけじゃないけれど・・。 気の強い母はお父さんを卑下する悪口を、 たまに機関銃のように浴びせていた。 お父さんはひたすら黙っていた。 ただ会社を往復する人生で、休日はほんとど寝て過ごして、 家族にも見捨てられた、【孤独なお父さん】・・・。 だから、私は父を「憐れ」に思っていた。 私は父にも母にも心を開けず、孤独だった。 大学時代に通ってたメンタルクリニックで、 医者に”両親のイメージ”について聞かれた 時の受け答えを、未だに覚えている。 --------------------------------------------- 私:「私と母の間に”防弾ガラス”がある感じ。」 医者:「”防弾ガラス”?(苦笑)どっちが”銃”をもってるの?」 私:「うーん…、そういう意味で言ったんじゃなくて、 透明だけど、お互いの間に、決して壊れない壁がある っていう感じで言いました…。「強化ガラス」でもいいかな…。 ”銃”をもってるとしたら、「母」の方かな…。 私は母が怖いから。心が開けないから…。」 医者:「お父さんについては?」 私:「…【可愛そうな人】【孤独な人】。 会社で働くだけの人生で、なんのために生きてるのかわからない。」 ------------------------------------------------ ・・・こんな受け答えだった。 メンタルクリニックで母子で通うよう医者に言われ、 母子で通ってるうちに、 母は自分の娘が 「自殺しか考えられないくらい、 精神的に酷く辛い状態の日々を送っていること」、 「若くして、自分の人生に悲観と失望しか抱いてないこと」等、 自分の娘の「現実」と「心の闇」、「苦しみ」に、 ようやく気づいて目が覚めた母は、 私に向き合うようになった。理解しようとするようになった。 私を一生懸命、受容しようとしてくれるようになった。 何度も”修羅場”を経て、ぶつかり、母が私を受け止めることで、 ようやく私にとって母は、 (精神的にも心を許せる存在の)【母】になった。 私は物心ついて初めて、 【母に甘えられる安心】を 得られるようになった。 …でも父はダメだった。 1度だけ、家族3人で診察を受けたこともあった。 …でも父は変わらなかった。 あくまで私のことは無関心、不干渉で、 母に家庭の全てを任せていた。 ・・・・・。 ・・こんな環境に育った私は、 「恋愛」や「男性」に対して、すごく【否定的】だった。 「結婚」なんて”人生の墓場”いいことなんてない”」 って、自分の両親の夫婦関係を直に見ていて痛感していた。 「”家族”って”夫婦”って、こんなもの…」だと、 既に諦めていた。 ・・・・・。 こんな家庭環境に育ったからか、 「結婚」にも当然【夢】なんてもてなかった。 「幸せ」どころか、むしろ「不幸な選択」だと思っていた。 だから「独身主義者」だった。 ・・・・・・。 …でも、 それが最近、徐々に変わっていくのを感じる。 まず、 連れとの関係が私の「冷めた恋愛観」を変えた。 生まれて初めて「恋愛の幸せ」を知った。 「愛される幸せ」を感じた。 そして、私がこの年になり、 父が定年を(実際はまだしてないけど、 生活自体はもう「定年」した状態)迎え、 常に家にいるようになって、 父もようやく自分の娘の「現実」を自分の目で見られるようになった。 両親は(私の心の病を二人で支えなきゃいけない と思ったことも大きく影響してると思うけれど)、 「諦め」→「静かなお互いへの理解」へと変わり、 日常生活でも(多くはないけれど)会話をするようになった。 ・・・・・。 そして父は、一つの「修羅場」を経て、母に 「私にはどれだけ冷たくてもいい。 でも静花さんだけは自分の子供なんだから、 もう少し接してあげて!優しく理解してあげて!」 「○○さん(連れの名前)の存在、○○さんという”心の支え”なかったら、 あの子、とっくに自殺してるよ!」 …と、泣かれながら、こっぴどく叱られて目が覚めたようで、 父もようやく最近になって、 「私を理解しよう」と努力してくれるようになった。 私が人生に悲観して泣いたり、 家族に感情的にぶつかったりしても、 以前みたいに逃げないで、向き合おうとするようになった。 日常生活でも、 私のことをとても気を配ってくれるように 目に見えて、優しくなった。 あんなに 「もうあの人(父)は(感情がないから)、変わらない。 愛情や理解を求めても、しょうがない。」 …と完全に諦めてたのに、 ようやく今になって、変わってくれた。 (遅かったけど…) ・・・・。 そうして、 母、父、連れ…と3人で、「家族」で、 私を支えて理解してくれるようになった。 …だから、私は今、 有る意味、とても「幸せ」だと思う。 だから、 ようやく最近になって「家庭」や「結婚」「夫婦」にも いいイメージがもてるようになった。 …そうして、 あくまで「逃げ」としての選択ではなく、 一つの”自分の人生の選択肢”として、 「連れと結婚すること」も選択肢として、 考えられるようになった。 それを「幸せ」なことだと 気持ちから思うようになった。 ・・・・・。 この気持ちの変化は、昔の自分にはとても考えられない。 かつての自分には、”予測”すらしなかったのに。 「人生って本当、どうなるかわからない。」 …とつくづく思う。 どれだけ緻密に自分の人生の「プラン(計画)」をたてて、 その通りに生きていこうと思って努力しても、 そう思い通りにいかないのが人生。 先に何が起きるかなんてわからないから…。 その時(過去に)は本気で、 「もう自分の人生は終わり」だと思ってても、 生きていたら意外に価値観が変わったり、 経験や環境の変化を経て、視野が広がったり、 道(選択肢)が開けたりするもんだな、と 自らの人生を振り返って思、シミジミ思う…。 ・・・・こんな長々と長文を書いて、 何が言いたかったというと、 私の「結婚観」が変わったこと。 そして、 絶対に”ありえない”と思ってた 「結婚」という選択肢も、 連れならばありえるかな」と 最近、考えれられるようになったことだ。 そういう生き方もアリだと思うし、 もし失敗して”バツイチ”になっても それはそれでいいかなって。 (”失敗”も一つの大きな「人生経験」だと思うから。) (…ただ”子供”だけは、自分が精神的に「大人」「自立」 できるようになったという”自信”がもてない限り、 作ろうとは思わないけれど…。 「子育て」の大変さを、自分の人生で知ってるからね…。) まぁ、でも、もちろん、 本当に「結婚するかどうか」は未定だし、 (第一、連れが今後、どんな仕事につくか、 就職できるかどうかも未定だし) もし「結婚」という選択肢を選択することになったら、 【清水の舞台から飛び降りる】覚悟と決断と勢いが 必要だけどね…。 ・・・・・。 もし、 もし、だよ? 私が誰かと「結婚」することがあったら、 一生懸命、パートナーを支え、理解し、 愛する努力をしていきたい。 そして・・・・、 もし、 もし、だよ? 将来、「子供をもつ」ことがあったら、 精一杯”愛して”あげたい。 子供の全てを受け止め、包んで守ってあげたい。 私の育ったような「家庭」ではなく、 「愛」のある、夫婦もお互い理解しあった、 「優しく」「暖かい」家庭を築きたい。 自分が育った環境や、自分が子供として感じてきたことを、 糧(かて)として。 自分の両親を(こういったら悪いけど)、 「反面教師」として・・・。
舟下りをした時、 川岸に寝ていたカモ達を指して 船頭さんが、 「(カモ達は)食べる時以外は、ほとんど寝てるよ。 (つまり猫のようなライフスタイル?)」 …って言ったのを聞いて、 なんだかすごく彼らが羨ましいなぁって 感じちゃいました。 天敵もいなく(多分)、 お腹が空いたら川の魚を食べて、 のんびりと自然のままに過ごす。。。 無理のない、 自給自足の自然に溶け込んだ生き方。 私もそんな風に生きられたら、 どんなにかいいのに…。 ・・でも人間社会はそうは生きれない…。
「絶望した」
・・・ない、
私たちの6年間。 とても密度の濃い恋愛だった。 色んなことがあった。 初めはお互いのことがわからずに 傷つけあったし、 何度も揉めたよね。 何度も「別れ」に直面した。 でも、私たちはそれを乗り越え、 「絆」を作ってきた。 とにかく、お互いの気持ちに 一生懸命だった。 常に全力で向きあった。 辛いこと、苦しいことも 多かったけど、 その「恋」のために、失った代償は とてもとても大きかったけれども、 私にとって、とてもメンタル面で 成長をできた恋愛だった。 それまで知らなかった、 沢山の感情や気持ちを教えられた。 他の恋愛で悩む人の気持ちも わかるようになった。 あなたとの恋愛は、私を、 「大人」にさせてくれた。 あなたは私のことを、 付き合って初期の頃…、 あなたに「普通の恋愛感情」じゃなくて 実は「父親の愛」を求めていた頃、 「思い残し症候群」 幼い頃、親に思い切り甘えられなかった、 無条件な愛情をもらえなかったゆえに、 大人になっても「大人」になれず 常に愛の飢餓状態で寂しく、辛く、孤独で 生きるのが辛いヒト。 そのヒトを「親」代わりに愛情を注いで、 もう一度「子育て」をして、 思い切り甘えさせてあげ、 そのヒトのコドモを満足させてあげて、 引きこもりのヒトを助けた教授の 書いた本。 その本を読んだ君は、 「俺はこの本を読んで、 静花はまさにこれじゃないかと感じたよ。 「恋愛依存」とかの本よりこっちのがピンときた。 だったら、俺が「親」になり、 静花の心を癒してあげたい。 試してみようよ。」 そうして、 自分の気持ち(恋愛感情)を殺してまで、 私のために、飢えていた「親」の愛情を、 注いでくれた。 「親」になってくれた。 「静花を救いたいの。 静花に愛情を与えたいんだ。」 「静花が俺に「親」を求めるならば、 俺は”親”になる。 静花は”依存”や”甘え”に 歯止めが利かず制限がないんじゃないかと 怖がって抑制をかけてるけど、 俺は逆に、出し尽くして受け止めてもらえれば、 逆に満足するんじゃないかって思う。」 その気持ちと推測だけで、前のみえない 大変な賭けに出た。 「どれだけワガママいってもいいよ。 どれだけ甘えてもいいんだよ。」 普通の恋愛関係なら、 絶対呆れて冷めて見捨てられるような 私の大きすぎる、依存や甘えを、 精神的にも体力的にもボロボロになりながらも 受け止めてくれた。 私に「実の親を超えた」と思わせたほど、 ”無条件の愛情”を注いでくれた。 ・・・他人なのに。 退行して、さながら本当のコドモのように 泣きながら床をゴロゴロしたり、 愛情を試してワザと相手に酷いこと言ったり、 拗ねたり…。 そんな私に、 「ありのままの感情をぶつけていいんだよ」 そう言って、優しく抱きながら、 私の頭を撫でてくれた。 心の中の”愛情に欠乏して泣いてるコドモ” の私を受けとめて癒してくれた。 「親」になってるときは セックスも我慢してくれた。 一緒に寝ても、ただ、抱きしめてくれた。 泣いたときは、頭を撫でてくれた。 そうして私の中のコドモは、 初めて受け入れてもらえた気がした。 母になら、批判され見捨てられると思えることも、 連れは受け入れてくれ、見捨てないとまで思えた。 ・・・そうして、時が経ち、 私はキミを「親」ではなく、 「恋人」として好きになるようになった。 もうキミに「親」を求めなくなっていた。 私は少しだけ「自分自身」を受けいれられる ようになった。 ・・・時に 「先輩」として、アドバイスをくれ励まし 暖かく見守り、 「友達」として楽しみを共有しあい、 「恋人」として私を愛し…。 私にとって、 あなたは私にとって、 「父」であり「母」であり、 「きょうだい」であり「親友」であり、 そして「恋人」であり「夫婦」だった。 もし、私の気持ちが本当に冷めたとして、 別れることがあっても、 あなたは私の「運命の人」。 どんな辛いことがあっても、 あなたが私を救おうと与えてくれたものを 無駄にしちゃいけないと思うから、 頑張って生きようと思う。 「静花が幸せになることだけが俺の願いなんだ」 キミがそういうならば、 私はなるべく「幸せになれること」を 諦めないよう頑張るよ。 初めて同年代にした恋でした。 (たとえ最初は憧れの恋だったとしても…) 実質初めての恋愛関係でした。 キスもセックスもあなたが初めてでした。 愛されることの幸せを教えてくれたのも あなたでした。 好きなのに別れる「失恋」の辛さを 教えてくれたのもあなたでした。 初めて「結婚」を考えられたのも 「暖かい家庭を築くこと」に希望を もてたのもあなたとの関係でした。 ・・・・・ 私たちの関係が今後どうなるかは わからない。 ただ、私はあなたと 誠実に、そして自分の気持ちに正直に 向き合おうと想う。 あなただけでなく、私だけでなく、 ”お互い”が幸せになれるだろう結果を 選択したい。 どんなことがあっても、 あなたを嫌いになることはないだろう…。 「大切な人」「恩のある人」 それは一生変わらない。 例え、今の写真が いつかモノクロになったとしても。
「恋愛するのに己の覚悟は関係ない」
冬の期間を経て 春はやってくる。 願いをこめて植えた ピンクのチューリップの球根。 家族の優しさが籠められたもの。 そして それが咲く予定の次の春。 私はどんな想いで 見つめるのだろうか。 でも私にとって、 優しさと思いやりの象徴である チューリップは たとえ私の心がまだ冬であっても、 心を癒してくれると思う。 教えてくれると思う。 「冬」の後には「春」がくるんだよ、と。
静花
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