降臨節 - 2004年12月14日(火) 日曜日、教会が終わってからジェニーと Handel's Messiah のコンサートを聴きに行った。ウォール・ストリートのトリニティ・チャーチ。教会の向かいのカフェでランチを食べながら見てた窓の外の景色は少し灰色で寒そうで、これから聴く Handel's Messiah になぜか相応しいような気がした。 Handel's Messiah は素晴らしかった。11月の最後の日曜日から始まる降臨節に入ってから毎日欠かさず続けてる降臨節のお祈りとおなじ言葉がたくさんあった。ジーザスが生まれてジーザスが十字にかけられてジーザスが蘇るまでを綴ったストーリー。クリスマスを、また新しい理解で受け止める。 1日4回の降臨節のお祈りは、朝とお昼と夕方は病院のオフィスに座って声を出して読む。言葉がすんなりこころに溶け込まないときは、そうなるまで何度も何度も繰り返す。それでフロアに出るのが少し遅れたって、そんなことは小さなことだなんて勝手に決めて。自分だけのオフィスがあるのはとても素敵だ。前の病院にはなかった。何もなかったオフィスの机に、昨日届いたフィロミーナからのクリスマス・カードを飾った。 一日の最後のお祈りは、ベッドに入ってから読む。「わたしとわたしの愛する人たちに、眠りにつくすべての人たちに、天使の恵みと守りと安らかな休息を与えてください」。わたしの一番好きな箇所。あの娘を思って、ナターシャを思って、あの人を思って、毎晩繰り返す。みんなわたしの愛しい天使。 昨日デイビッドはスキーから帰って来た。 わたしはずっと、ナターシャがデイビッドと一緒に雪の上を走ってるのが見えてた。 今日はミュージックのクラスを終えてから、レストランから電話をかけてくれた。ピアニストの友だちのリオのバースデーで、ふたりで日本のお料理食べに行って注文してるとこだった。リオはウナジュウを注文して、「僕は何がいい?」だって。あったかいものがいいって言うからおうどんをすすめた。ジェニーもロジャーもジャックも、そう言えばカダーもカダーのルームメイトも「ウドン」が好きだったな。リオのウナジュウもちょっと分けてもらうんだよっても言った。デイビッドはウナギのお寿司が大好きだから。 リオに今度ピアノのレッスンを受けさせてもらうことになった。いつかデイビッドが連れてってくれたあの音楽学校でリオは教えてるらしい。「じゃあグランドピアノ?」「そうグランドピアノ」「やった!」。 デイビッドのバイオリンと併せて弾くクロード・ボーリングを、ふたりで一緒に特訓してもらうんだって。素敵素敵。いつかデイビッドとちっちゃなコンサートしたいな、友だち招いて。 寒くなった。 今日はマイナス2度まで下がった。明日はもっと寒いらしい。 きりきりカリカリ冷たい風の中、クリスマスがやってくる。 去年よりずっと重みを持ったわたしのクリスマス。 - No more Natasha - 2004年12月11日(土) 「いまだにナターシャを探してしまうよ。可笑しいね」。 デイビッドはそう言って笑う。 あれから2週間と2日。 わたしも、ナターシャを探してる。 いつもドアを開けてくれるデイビッドに「Hi」を言ったあと、ナターシャの名まえを呼んだ。ナターシャはデイビッドの仕事場からしっぽを降りながら出てきて、わたしを見上げながらわたしの足にまとわりついた。 ナターシャはいない。もういない。 悲しいんじゃない。ナターシャは幸せに逝って、もっと幸せに天国で生きてるから。 淋しい。でもそれもそんなにいっぱいじゃない。デイビッドのアパートじゃなくても、名まえを呼ぶと笑ってるナターシャがいつも見えるから。 なんだろ。 痛い? 痛い。 ここに姿のなくなったナターシャがあの娘と一緒に天国で走り回ってる。 デイビッドの中でスピリットだけになったナターシャを抱き締める。 大好きな大好きな遠いナターシャに手を伸ばす。 遠い遠い天国にいるけど、デイビッドの中にもいるナターシャ。 ジーザスに手を伸ばすように、 あの娘に手を伸ばすように、 天使のあの人に手を伸ばすように、 穏やかで満たされた安らかな気持ちなのに痛い。 優しくて甘くて、そして痛い。 「No more Natasha」。 でもデイビッド、「永遠のナターシャ」なんだよ。 -
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