MIKI.PRUNEの方丈日記
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奥日光の方は、この間の日曜日あたりが紅葉の真っ盛りと ニュースなどで報道されていた。
里では、例年11月中旬以降に色づく。 我が家の盆栽のもみじはひとあし先に紅葉を迎えた。
このところの朝の冷え込みで、赤く染まった葉っぱが 今朝美しくなっていた。
四季を目や肌で感じることのできる日本人でよかった。 残り少ない秋だが、いろいろな場所で感じたいと思う。
今日の一首
ぬる燗を ちびりちびりと 飲むほどに
ほんわかとして 心地よい疲れ
赤い葉の もみじ色づき 行く秋を
捜し求めて 車走らす
また1日が無事に? 終わる。
日日の積み重ねで年をとってゆく人生。
何かをつかみ、何かを掴みそこね、
それでも足跡を残している人生。
太陽が昇り、そして、沈む。
月が昇り、そして、沈む。
星がひかり、そして、消えてゆく。
何度となく繰り返される日日の営み。
生かされし、活かされる人生。
明日も生きる。
今朝は朝の空気が冷たく、今年初めて手先が冷たいと感じる。
いよいよ、秋から冬へと移行しつつあることを実感する。
ラジエーターの水温計も針の動きが鈍くなったことでも
朝、冷えていることがわかる。
わが身も冷たい風が吹き渡る。
今日の一首
行く秋よ わが身にしみて 感じるは
冷たき風に ひえ込む心
足利市立美術館で開催されている長谷川沼田居展
(はせがわしょうでんきょ 1905−1983)
生誕100年を記念する展覧会を見に行く。
この画家の作品をはじめて見るが、日本画・水彩画・
クレヨン画・鉛筆画など多彩な作品が並ぶ。
晩年は、両目を摘出し盲目のなかで作品を生み出す
という素晴らしい作家に出会った。
今日は学芸員さんが作品を紹介しながら一緒に見て回ることが
できる時間帯の鑑賞で、さらに奥深い作品鑑賞ができて
ラッキーでした。
農家という作品(1940年ころ)は、最初自分で見たときは
農家が淡い色彩で描かれいるほのぼのとした絵という印象でした。
学芸員さんが解説されて、農家の奥の森に鎮守様が描かれて
日章旗がはためいているのですが、半分が欠けている旗を
描いているのは、反戦を意としているとの解説を聞き、
絵のなかに日章旗があることと反戦を意図した作品であるという
がはじめてわかった。
1時間20分の解説付きの鑑賞で、沼田居の作品とその時の
彼の境遇、精神状態などより深い理解ができ、有意義な鑑賞だった。
説明してくれたE学芸員さんに感謝です。
晩年は、絵より書を多く用いた作品から、書だけで自分を表現するに
至る過程が、ひとつひとつの作品から汲み取れる。
日月の書画、ろ・を・す・ん・龍など書は彼の精魂込めた作品で
感銘を受けた。
秋の休日、合唱と絵とでこころを洗われる2日間だった。
今日の一首
秋の日に 歌と絵との 出会いあり
美しき世界に 清められる心
人生の 荒波はげし 生き様を
キャンバスに描き 遺すたましい
今日は、午前中、歯医者さんで定期検査。
だいぶブラッシングも上手になってきて
自分では完璧。でも、2ヵ月後。
まあ、自分の歯の管理をしてもらって
よしとするか。
家へ帰ってきて、ケーブルテレビの
デジタル受信機に取替え工事の立会い。
交換してもらったら、画面がクッキリ。
とてもきれいです。
午後は、告別式に参列。
夕方からは、市民グループの混声合唱団の
定期演奏会に出掛ける。
素敵なハーモニーの歌声に心癒されて
帰ってきました。
今年は、新たなる感じのするステージの
数々で歌を堪能してきました。
充実の一日でした。
この頃、夜は肌寒くなりお風呂が恋しい季節です。
ゆっくりと湯船に身を沈めていると、ほんわかとして
とても気持ちがいいです。
湯気がゆらゆらとたちこめ、お風呂場を覆い尽くすと
歌を口ずさみたくなる。音痴なわたしでもエコーがかかり
うまく聴こえるのがいい。
♪ すぎゆくは若き日々 いくつかの愛も消えて
いつまでも 変わらない 心でいたい 時の流れはいつも 哀しいもの ♪
口ずさむのをやめるとポトンと水滴が落ちた。
今日の一首
静けさの 湯気の中ひとり 物思う
秋も深まり なんとなく寂し
日付が変わるまで子供と話をしていた。
悩みが浅くなったかな。
それとも、深くなったかな。
子供には、少し外を見てほしい。
籠の鳥では、飛び回れない。
自分の範囲内のことでしか、
判断できない人間になってしまう。
わかってくれたかな。
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