無責任賛歌
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2004年06月16日(水) |
演劇とマンガと映画と。 |
なんだか一日、「もわっ」とした日。 風も涼しいし、気温も真夏日に比べればそう高くはないのだけれど、何だか気色が悪いのである。かと言って湿度がすごく高いというわけでもない。汗がかけそうでかけない、全身の毛穴が詰まっているような、そんな気持ちの悪さだ。具合が悪いとまではいかないのだが、確実に頭痛はしてくる。同僚もみんなダルそうで、元気なのは、飼ってる亀くらいのものである。 今朝もしげは体調を崩していて、車で送ってはもらえなかったのだが、この気候のせいもあるかもしれない。クーラーをつけてないと気持ちが悪いし、つけたらつけたでしげには寒いのである。 私も夕べは熟睡できず、何度か寝ては起きを繰り返していて、朝方、頭痛と吐き気がしていたのだが、これくらいでは仕事は休めない。まあ、動いているうちに何とかなるだろうと高を括っていたが、結局、一日頭痛に悩まされた。ケイレンが起きないときは頭痛なんて、難儀なことである。
しげ、帰りはなんとか迎えに来る。帰り道にどこかに寄る元気はないので、家に直帰。晩飯は買い置きの肉でまた牛丼。けれど、昨日はあとで作ったほうが「味が落ちた」とか言われたので、今度はモヤシ以外にも千切り大根やニンジン、菜っ葉を炒めて混ぜて、昨日よりは豪華にしてみる。とりあえず山盛り飯をコメツブ一つ残さずにペロリと平らげたから、不味くはなかったのだろう。
食事を終えて、先日WOWOWで放送された舞台『カメレオンズ・リップ』を見始めたのだが、やはりかなりくたびれていたのだろう、まだ宵の口だというのに、意識がふっと遠のいて落ちてしまい、半分も見られなかった。
寝ちゃったせいで、今日読んだ本は少ない。鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』に、雑誌『ダ・ヴィンチ』7月号。明日はもちょっと本を読もう。
雑誌『國文学』七月号の『演劇回廊』で、大笹吉雄さんが、新国立劇場で4月に公演されたアリエル・ドーフマン作『THE OTHER SIDE/線のむこう側』について、「画期的」と批評している。何が画期的かと言うと、この芝居、世界的に有名なチリの劇作家であるドーフマンの、既成の作品をコヤにかけたわけではなく、わざわざこの「新国立劇場」のために依頼し、演じられたピカピカの「新作」だということなのだ。 これまでにも日本人が海外で演劇公演を行った例はあるが、海外の作家に新作を書かせ、日本を演劇情報の発信地としたのは、これが初めてだとか。しかも演出は韓国のソン・ジンチェク。このインターナショナルな布陣を組んだのが芸術監督の栗山民也である。 「画期的」と言われても、役者にしてみれば、新作だろうが旧作だろうが、演じる点では変わりがない。観客だって、出会う芝居が外国の新作か本邦の旧作か、それが第一の基準になって芝居を見に行っているわけではなかろう。その「新しさ」に専ら反応するのは、ヘタすりゃ権威主義的な演劇スノッブだけ、ということにだってなりかねない。もちろん、この試みに演劇シーンの拡大という意義を見出さないわけではないが、それが一度きりで終わってしまえば結局はたいした意味はない、ということになってしまう。「国境を超える」とはどういうことなのか、戯曲、演技、演出、その一つ一つに果たして民族を越えた普遍性がありえるのか、その視点が常に意識されていないと、「やってみました」という事実しか残らない。当たり前のことだけれども、「要は中身」なのである。 ――長い戦争状態にあると某国。国境近くの小屋で、老夫婦のアトム(品川徹)とレヴァーナ(岸田今日子)は、戦死者の身元確認作業をしている。若い男の死体を見るたびに失踪した息子(千葉哲也)ではと探るレヴァーナ。そして、待ち望んだ停戦の知らせが流れるが、国境警備隊が小屋を二つに分断し新たな国境を作ると言い出して……。というのが『線の向こう側』のあらすじだ。どこの国ともしれない場所を設定したのは、この国家と人間の関係の不条理が、まさしく「どこの国でもありえること」という普遍性を持って観客に訴えかけられているからにほかならない。 ああ、そういう芝居なら、見てみたかったなあ、東京に住んでないのは悔しいなあ、と思えるのはこういう時である。求心力を持った演劇というのは、インターナショナルな面を特に喧伝せずとも、自然にそういうものになっているのではないだろうか(宣伝が不必要と言いたいわけではないので念のため)。
椎名高志さんの新作『絶対可憐チルドレン』が、週刊少年サンデー39号(8月25日発売)から、4号連続で短期集中連載が決定。 ……待たすだけ待たせておいて、短期集中? どれくらいヤキモキしつつ待たされたかというのは、椎名さんのホームページの日記を、この「半年」読み続けていたファンの方にはご理解頂けようが、ご本人が「自称漫画家の中年」と自嘲するくらい、作品載せてもらえなかったのである。……生活できてたの、『GS美神』の印税だけだったんじゃないのかなあ。 サンデーも随分「保険」をかけることだなあと思うのだけれど(どうも日記の文面から察するに、サンデーに載るかどうかも怪しかった感じである)、マンガバブルの時期はとうに過ぎて、ベテラン作家さんだろうと、確実に「売れる」ものじゃない限り、出版社は二の足を踏むものなのだろう。それくらい、「連載」の二文字はとてつもなく重いのである。
その椎名さんがプッシュしてるマンガが、田中保左奈(ほさな)作『暗号名はBF(こーどねーむはベビーフェイス)』。お話は「フツーの中学生・七海団(ななみだん)が、ひとたび世界の危機が訪れた途端、スーパースパイ“BF〜ベイビーフェイス〜”として大活躍! スパイ産出国王家の末裔である団は、SOMAという薬品を注射されると、77分7秒間だけ大人のスパイに変身できるのだ」という、「魔女ッ子もの+スパイアクション」という、「なんじゃそりゃ!?」的な組み合わせ。「注射で変身」と聞いて、手塚治虫の『ビッグX』を連想した人はもう初老(^_^;)。でも、こんなふうに話がどう転んで行くか見当がつかないマンガというのは、「化ける」可能性を秘めてるので、ちょっと期待したいのである。6月、7月と1・2巻が連続発売されるそうだけれど、初版部数が「えらく少ない」らしいので、ファンの人は予約をお忘れずに。 最近、以前ほどには少年マンガ誌の立ち読みもしなくなってきたし、どちらかと言うと青年マンガの方に興味が移っていて、少年ものには距離置くようになっちゃったかなあ、と感じていたので、こういうハジケてるマンガが出てくれると嬉しい。
フカキョン主演の映画『下妻物語』のヒットが続いている。当初は40館規模での公開予定だったものが、156館での拡大公開、公開三週目でも動員数が落ちていないという驚異的なものである。見に行ってるのはやっぱりヤンキーが多いのかなあ、つか、イマドキの若い連中はみんな半ヤンキーだからなあ。おかげで怖くて私は見に行けないのだけれども。 『ハニー』は完全に圏外に沈んじゃってるからなあ。オタクはゴタクは並べるけれども、結局は映画館に足運ばないしね。それでいて「もっと面白い作品を」とか抜かしてるんだから、客としては殆ど「ひやかし」である。だからオタクがエリート意識ふりかざしただけのスノッブになってちゃ、世間から引かれるだけだって。『CASSHERN』や『下妻』のヒットを認められないのは、頑固とか意固地を通りこして、自分自身の目の低さを露呈しているだけである。ヤンキーの方が律義って、それどうかと思うんだけど。 それどころか『下妻物語』、世界上映までほぼ決定となった。先月のカンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットで、英語字幕版を上映したところ、アメリカ、イタリア、中国、韓国など7カ国の配給会社からオファーが舞い込んだとか。特にヨーロッパの映画関係者からは「個性あふれる衣装や美術だけでも、十分配給の価値がある」との太鼓判を押されて、スイスのロカルノ、チェコのカルロビバリ、ベルギーのフランダースなど、6つの映画祭での招待上映も決定。こうなるとまさに「破竹の勢い」という表現がピッタリしてくる。 でもねえ、見てない映画について内容はとやかく言えないんだけど、英語タイトルが『カミカゼ・ガールズ』ってのはさすがにどうかとは思いませんか(^_^;)。いやまあ、それくらい「ねらわなきゃ」ってことなんだろうけどね。
2003年06月16日(月) 書くことない日はない/『Holy Brownie ホーリープラウニー』2巻(六道神士) 2002年06月16日(日) 悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか 2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)
2004年06月15日(火) |
大物スターの小物ぶり。 |
しげの体調が悪く、朝は送ってもらえず。 日中、関東の方はかなり暑かったらしいが、こちらは気温はさほど上がらず、過ごしやすいくらいであった。トンガリさんも欠勤だったし、運動もできたし。 帰りも普通にバスで帰る。しげは結局、今朝がたから夕方まで、15時間くらい寝続けであった。カラダそのもののシステムが異常なんじゃないかと思うのだが、健康診断でもそんな結果は全く出ないし、何でここまで寝てられて、しかもまだ「疲れた」とか言ってるのかがワカランのである。
しげが仕事に出かける前に、昨日と同じく牛丼を作ってやる。ただ、ちょっとだけタマネギの切り方を変えてやや大き目に切る。昨日は細く切り過ぎて、タマネギが入っているのやらいないのやら、よくわからなくなっていたのだ。しげにはやや山盛りによそってやったのだが、ペロリと平らげる。 「だって腹減ってんだもん」というが、そりゃ、15時間寝続けてりゃ、腹も減ってて当然だろう。自分のメシくらい、自分で作って食っておけよ、材料はあるんだから。
テレビのニュースなどを見た後、CSアニマックスで『萌えよ剣』第3話、『爆裂天使』第1話、『天地無用!GXP』第9話と続けて見る。この時間帯、思いきりオタク仕様のラインナップになってるな。 『爆裂』、製作はGONZOだけれども、キャラがまた思いきり『エヴァ』を連想させるのはどうしたものかね。あれだけの技術持ってて、設定と脚本がいつまで経っても「どこかで見たような」って位置から、そろそろ脱却しないと、GONZOの名前で客が呼べなくなると思うんだけれども。
今日読んだ本、押井守『これが僕の回答である』、マンガ、江川達也『源氏物語・若紫』、藤臣柊子『幸せな結婚しようね』。
長崎県佐世保市の小6同級生殺人事件の続報。 ……の前に、いい加減、テレビは被害者の御手洗怜美ちゃんの写真を出すのやめたらどうかね。毎回毎回、写真掲げなくっても、報道はできるだろうに。 で、ニュースの内容だけど、長崎家裁佐世保支部が、加害者女子の精神鑑定の実施を決め、現在女子が収容されている長崎少年鑑別所で、今日から8月14日までの61日間、鑑定留置されることになったとか。 まあ、当たり前だけれども、「鑑定留置」が小学生に対して行われる例は極めて少ないということである。家裁の選任した精神医学の専門家が、女子と面談して、生い立ちや家庭環境について聞き取り調査をするほか、心理テストなどを行い、事件の背景や心身の状態を分析する、ということなのだが、さて、昨日『39』見て、「精神鑑定は鑑定人の主観に過ぎない」って主張、聞いたばかりだからなあ(~_~;)。もともと、「人間の“心の闇”なんて、当人にだってわかりゃしない」というのが私自身の感触なので、これで何がどれだけ分かるのかって疑問はどうしても浮かんでしまう。 20年前、片桐機長が「逆噴射」した時、精神鑑定の結果が「心身症」と出た。専門医が「心身症が即事故を起こした原因に結びつくわけではない」と主張したにも関わらず、世間の人々は、事件は殆ど「心身症」のせい、と決めつけた。似たようなことが、今回の事件でも起こりかねない。事実、「病名だけが一人歩きする危険がある」と警鐘を鳴らしている専門家もいるが、現実問題として、それを避けることは不可能だろう。とりあえず自分を納得させられる理由があれば、人はそれに飛びついてしまうものだ。すぐ、「映画」や「ネット」に責任転嫁したがるのだって、そういう心理の表れだし。……早速、「ネット禁止」を打ち出した小学校なんかもあるようだけど、それが「教育の敗北」であることに気づいてないあたり、大バカなんである。教師がバカなのは今に始まったことではないが。 いくら、事件前の加害者の行動が異常だった、と主張したところで、事件の真相を解明することは不可能だし、同様の事件の再発防止にはつながらない。ネットに残虐な小説を書いてる人間なんて腐るほどいるし、ヒス起こして壁に頭ぶつける程度のやつだって、別に珍しいことでもない。そんなのをいちいち異常者扱いして問題視していったら、結局はお互いがお互いを指差して責め合う事態に陥るばかりだ。 これまで、オタクが犯罪を起こせば、「オタクだからねえ」、中坊がやれば「中坊だからねえ」と、原因をその「範囲」の中に限定させることで、たいていの人々はその「外」に出て「自分はフツーの人」と思いこむことで安心していられた。けれどだんだんとそういう姑息な技は通用しなくなってきている。どんなに「あいつらは異常者だ」と言い募っても、そんなことを言ってる自分が、いついかなるきっかけで世間から「異常者」扱いされることになるか、分かりはしない。異常者と、そうでない人間を事前に識別する手段などないのである。 もう我々は、隣で愛らしく微笑んでいる小学生が、突然ナイフを振り上げて見知らぬ人間を突き刺し、「人を殺して見たかったから」と嘯いても、それが「現代」なのだと覚悟するしかない時代に生きているのである。……だから、もう、怖がって右往左往したところでどうしようもないんだってば。そんなに「人」が怖いのなら、できるだけ世間と交渉しないで生きることです。生き延びられたらこりゃもう、「運がよかった」ってだけなんだね。
イギリスの『Daily Mirror』紙に、ロック・スターの「しわいや」話が掲載。 落語の枕に使えそうなのがいくつかあるので、ご参考にされてはいかがでしょう。
(1)ポール・マッカートニー〔資産額:7億ポンド(およそ1,400億円)〕 2001年、妻・へザーのために開いた誕生パーティで、招かれたゲストはみな、「ドリンク代」を払わされた。 ……まあ、会費制のパーティーならそれも分かるけどねえ。ゲストは当然、奥さんへのプレゼントを持参してきたわけでしょうに。ポールは最近、ビートルズ時代以来の自分のヤク中の経験を告白してたけど、やっぱりこのときもラリってたのかねえ。 (2)ポール・マッカートニー〔資産額:7億ポンド(およそ1,400億円)〕 も一つ、ポールネタ(^o^)。 以前、家の修理を行なっていた業者に、ポールは「お礼だよ」と言って、「プレゼント」を手渡した。業者は喜んでその「プレゼント」を受け取ったが、中身を開けた途端、目がテンになってしまった。箱の中に入っていたのは、「ビール1本」だったのである。 ……やっぱりラリってるよ(^_^;)。 (3)ロッド・スチュワート〔資産額:7,000万ポンド(およそ140億円)〕 あるとき、LAのレストランで食事をして帰宅、それからレシートを見たロッド、頼んだ覚えのない「水1本」がチャージされていることに気がついた。途端に彼は烈火のごとく怒り、わざわざ35キロの道のりをドライブすると、件のレストランへ飛びこんで叫んだ。 「代金返せ!」 ちなみに、その水の値段は4ポンド(およそ800円)である。 ……水の値段としては確かに高いかな。つか、そういう問題じゃないけど。35キロを往復したら、ガソリン代はいくらになるでしょう? こりゃ、ケチというより「バカ」だねえ。 (4)ミック・ジャガー〔資産額:1億7,500万ポンド(およそ350億円)〕 日頃の苦労へのねぎらいとして、スタッフにクリスマス・プレゼントを贈ることにしたミック、エルトン・ジョンが「ベルサーチ」を用意した、というのを聞いて、「じゃあ、オレは」と選んだ品は、「鉢植え」だった。 ……いや、ミックのことだから、きっとすごくゴージャスな鉢植えだったんでしょう。蓬莱の玉の枝とか。どんなんなんだ、それ。
でも、札ビラで庶民の横っ面はたくような成金に比べたら、こういうのって微笑ましいなあと感じちゃうのは私だけですかね。
2003年06月15日(日) 父の日に父から奢られる話/映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』/『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』 2002年06月15日(土) 大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』 2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)
2004年06月14日(月) |
晴れた日の平日は仕事を休んで |
月曜だけれど、土曜日に出勤した代休でお休み。 けど、夕べ夜更かししたのと、先週までの疲れがかなり溜まっていたので、昼間は殆ど寝てました。えいくそ、今週は残業なんてしないぞ。つか、せいぜい週に一ん日か二日くらいにしておきたいものだ。 ほかの支社から今年、転勤してきた同僚が驚いていたのだが、うちみたいに8時、9時を過ぎても社員の3割が居残って残業しているなんて状況、余所では滅多にないということである(妻子持ちもみんな居残ってんだもんなあ。家事はどうやってるんだろう)。 と言われても、仕事が滞ってんだから、居残んなきゃしょうがないんだよね。でも、バスだってなくなってしまう時間まで居残って仕事したって、毎回、帰りにタクシーを使っていたのでは、経済的に困窮してしまうのだ(マジ)。トンガリさんが少しは仕事をしてくれりゃかなりラクにはなるんだが、あのイカレたアタマで仕事されてもミスが増えるばかり、結局はそのフォローでまた仕事がハードになるのである。……どうしたってラクはできない状況にあるのだな。
朝、10時過ぎに下村嬢はお出かけ。 しげに駅まで送らせようと思ったが、まだ睡眠薬が抜けてなくてボケボケで、なにか声をかけても反応がおちゃらかぴーだったので、お見送りもせずにお別れ。「また観たい映画とか泊まりに見に来ます」と言っていたが、ホントにいいのか。次来る時は多分またDVD増えてるぞ(^_^;)。 帰りしな、「悪い男に引っかからないよ〜にね〜」と挨拶したら、下村嬢、「職場の先輩から『男には妥協しろ』って言われましたけど」と答える。そのセンパイとやらも、いろいろ苦労していらっしゃるようである(^_^;)。
昼前、ようやく目覚めたしげと、「レッドキャベツ」で買い物。 安いパックの牛肉と、タマネギ、モヤシを買ってきて、昼は牛丼。もちろん作るのは私である。その分、しげには台所片付けをさせる。せめてこれくらいは家事してくれないことにはなあ。
昼寝して起きたら、もう時計は6時。しげがもうすぐ仕事に出かけると言うので、昼に作った牛丼を温め直すが、しげ、箸をつけた途端、「昼の方が美味かった」と文句を付けてくる。 「そりゃ、出来たての方が美味いに決まってるやろ。贅沢言うな」 自分でメシも作れないくせに、こういういっぱしの口だけは利くところがスットコなのである。
昨日CSで録画しておいた映画『39 刑法第三十九条』を見る。 当たり外れの差の激しい森田芳光監督なので、あまり期待もせず、公開時も見に行かなかったのだが、これはまあ、当たりの方だった。当てた褌が向こうから外れるような、一人よがりな演出がさほど目立たないのである。ミステリーとしてもなかなかのものなので、そのうちコンテンツにアップしたいところである。 主演の鈴木京香は、朝ドラの『君の名は』がコケた後、テレビの2時間サスペンスとかでいいように使われかけてたのが、なぜか若手ベテランを問わず、映画監督に好かれるようになって、すっかり平成の主演映画女優としての地位を確立している。日本風美人と言えば聞こえはいいが、一つ間違うと「野暮ったい」印象を与えかねない顔立ちで、演技力もまあそこそこ、といった感じなのだが、うまく「古風で懐かしい」という雰囲気に持っていけてるのが売れてる理由だろう。でも、中年過ぎてからのポジションがちょっと厳しいかな、という感じもあるんだけど。 杉浦直樹の中年教授の情けない演技は絶品。これだけでも見た価値はあろう。
読んだ本、辛酸なめ子『ほとばしる副作用』、宝島編集部『VOW王国 ニッポンの誤植』、マンガ、美樹本晴彦『機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル』3巻。
今日になって知ったのだが、関崎俊三のマンガ、『ああ探偵事務所』、七月二日から金曜ナイトドラマ枠(午後11時15分)でテレビドラマ化されるんだってね。出演は永井大、酒井若菜、辺見えみり、東幹久、川島なおみ。何かを期待できるキャストでは全くないが、関崎さんの生活がある程度保証されるんならまあいいか、という感じである。 でも、ドラマから入って原作読み始めた読者が、「ドラマみたいじゃな〜い」とか言い出したらヤだなあ。
2003年06月14日(土) 健康じゃないけどとりあえずは……/『名探偵コナン 特別編』19巻(青山剛昌・山岸栄一) 2002年06月14日(金) 狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』 2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)
2004年06月13日(日) |
回想の『王立宇宙軍』 |
ここんとこ、何だか毎日のようにDVD『東京ヴォードビルショー第58回公演 その場しのぎの男たち』を見ている。ただ流しているのではなくて、オーディオコメンタリーで見たり、ダブルキャスト版を見たり(DVDの特典映像で、伊藤博文を伊東四朗さんではなく、山本龍二さんが演じている地方公演バージョンもハイライトシーンが収録されているのである)しているのだが、昨日聞いたオーディオコメンタリーで、佐藤B作さんが、「初演、再演、再々演と行って、再演の時だけ、後藤象二郎役の石井愃一が出演していないが、タイム・ランはほぼ同じ」と言っていたのが気になった。 で、今朝は以前録画しておいた1994年の再演版をテレビで流し、同時に2003年の最新版をパソコンで流し、同時に見る、ということをやってみたのだ。……いや、ホントにほぼピッタシだったわ (◎_◎;)。再演版はもちろんキャラクターが一人分、少ないわけだけれども、セリフをうまく各キャラクターに配分して、違和感がないように仕立てているのである。その腕前は確かにさすがは三谷幸喜、と感心してしまうのだが、芝居の出来自体は、やはり最新版の方が格段に面白い。伊藤博文と松方正義の間をコウモリのように右顧左眄する後藤象二郎のキャラクターが芝居に深みを与えているばかりではなく、再演版の時はわざとらしさが目立って笑いにつながらなかった各役者の「力み」の演技、これが悉く「上手く」なって、解消されているのである。 例えば、傷を負ったニコライ皇太子を見舞おうと、青木周三(市川勇)、後藤象二郎(石井愃一)、西郷従道(坂本あきら)の3人がコサックダンスを踊るのを見て、松方正義(佐渡稔)が呆然としながら、「これで戦争が回避できるじゃろうか」と呟いた途端、陸奥宗光(佐藤B作)が「私は戦争の方がいい」と嘆息する間の取り方。タイミングも最新版の方がよくなっているのだが、ただ怒鳴るだけだった再演版に比べて、落胆、憤慨、羞恥、そういった感情がないまぜになって、噛み締めるように呟く最新版の方が、その悲痛さゆえによりいっそうの笑いを誘っているのである。 芝居はコヤや、当日の観客次第で、いかようにも変わる。やっぱり一度見ただけではなかなか判断が下せるものではない。だから高いとわかっちゃいるけれども、劇場通いがやめられないのである。
今日は練習に役者さんが二人休むというので、私もちょっと休ませてもらうことにする。先週一週間が冗談じゃなくて目眩がするほど忙しかったので、ひと休憩しないことには身が持たん、と考えたからだ。黒子さん役の人たちは結構集まる、と聞いていたので、お会いしたい気はちょっとあったのだが、そういう事情なのでご勘弁頂きたい。 その間、本読んだり、日記書いたり、ひと寝入りしたり。メシは朝、昼、晩とも焼きうどん。具はたっぷりのネギと野菜コロッケで安上がり。 読んだ本、いしかわじゅん『いしかわ式』、マンガ、よしながふみ『愛すべき娘たち』、雑誌のバックナンバーのパラ読みなど。
練習を終えて、しげが下村嬢を連れてくる。こないだ下村嬢の芝居を見に行って以来だが、相変わらず楽しく遊んでいらっしゃるようだ(^o^)。明日、福岡の方に用事があるとかで、今夜はお泊り。で、ウチに泊まる、なんてことになったら、例えうら若きオトメであろうがあるまいが、当然のごとくDVD責めに会ってしまうのだが、ちょうど私がDVDで角川映画の『人間の証明』を見ていたので(夕べ『2001』を見たので、こちらも見返してみたくなったのである)、あちこち突っ込みながら解説する。 ……あれもなあ、原作のムダなところ刈り込んで(轢き逃げされた范文雀がらみのエピソードなんて要らん)、重なり過ぎる偶然と因果応報な古色蒼然とした展開を変更して、殺人の動機にもっと説得力を持たせて、深みのない観光案内みたいな絵造りをやめてちゃんと「ドラマ」を成立させるための絵を撮って、松田優作と岡田茉莉子をもちっとマシな役者と取っ換えれば、まだ見られるものになったと思うんだけどなあ。殆ど全部か(^_^;)。 いや、ワキの役者だけはムダにいい人ばかり使ってるんだよねえ。見終わった後、しげは「地井武男と峰岸徹って、どこに出てたの!?」と言ってたが、あの人たちですらその他大勢の一人だからなあ。確かに金だきゃ掛けてるんである。「音楽だけはいいんだけどねえ」としげがしみじみ言ってたが、そりゃ、公開当時から言われてたことである。 そのあと、立て続けに『金田一耕助の冒険』『キルビルvol.1』『DAICONFILM版帰ってきたウルトラマン』などを見せる。普通の神経の持ち主ならば、こんなヘンなものばかり見せられたら、当然閉口するところだろうが、下村嬢もツワモノで、「ここに来なかったら、一生見ることがなかったものばかり見せていただきました」なんて言っている。 何だかんだで、2時を回ったので就寝。と言っても既に本とビデオで寝るスペースすらなくなりかけている我が家、寝室に下村嬢、居間にしげが寝たら、私は椅子で寝るしかないのであった(^_^;)。奥の書庫、そのうち片付けなきゃなあ。
お気に入りさんの日記で、ガイナックスのデビュー作『王立宇宙軍 オネアミスの翼』について熱烈な思いを語られている方がいらっしゃった。お若い方のようなので、多分映画公開時は小学生くらいだろうと思われるのだが、そんなころからあの映画の魅力を感じてくれてる人がいるというのは、昔からのガイナファンとしては嬉しい限りである。
しかし、当時を思い返すだに哀しくなってしまうのだが、記念すべきガイナックス製作第1弾であるあの映画は、興行的にはまるでヒットしなかったのである(厳密に言うとそれなりにヒットはしたのだが、シロウトに毛が生えた程度のスタッフの力不足による哀しさ、投下資本がデカ過ぎて、製作費が回収不能になってしまっていた。そのために、『王立』1作を製作して解散する予定だったガイナックスは、仕方なく会社組織として次作を作り続けて行かざるを得なくなる。シロウト集団である点にこそ誇りを持っていた当時の庵野秀明が、ガイナックス存続に激怒したというのは有名な話)。 『DAICON FILM』で、素人ながらプロ顔負けの実力を持つと絶賛されていたスタッフ(『風の谷のナウシカ』の「巨神兵」の作画で「庵野秀明」の名は既に知られていたが)による手抜きの一切ない製作過程は、『アニメージュ』誌上に毎号のように掲載、逐一報告されていたし、宮崎駿もまたその出来映えを「バンダイを騙して作っている」と皮肉を交えながらも応援していた(宮崎駿は当時からこういうヒネクレた誉め方しかしないヒトであった)。 当然、アニメファンの間でも評価は思いきり高く、結果として第5回日本アニメ大賞最優秀作品賞、第10回アニメグランプリ、第19回星雲賞メディア部門受賞など、賞にも恵まれていたのだが、いかんせん、劇場に一般客だけは来なかったのである(-_-;)。
宮崎駿がいみじくも喝破した通り、『王立宇宙軍(『オネアミスの翼』というタイトルは、劇場公開に際して『王立宇宙軍』のまでは求心力に欠ける、と判断されて付け加えられたもので、現在は原タイトルに戻されている)』は、配給元であるバンダイをうまいことダマくらかして作られた、壮大なデッチアゲ映画である(誉めているので誤解なきよう)。「SF」の意匠を付けてはいるが、それはアナロジーに過ぎない。 主人公シロツグ・ラーダットを始めとする「宇宙軍」の正体はその名通りのそれではなく、当時のアニメ、特撮ファンであったガイナックスのスタッフたち自身、つまり「オタク」たちであった。何しろ主人公のシロツグたちは「宇宙軍」だというだけでバカにされている。なぜ「宇宙軍」だとバカにされるのか、説得力のある説明は劇中ではなされないが、これを「オタク」と置き換えるとすんなり理解できてしまうのである。 例えば、冒頭のシロツグのセリフは以下の通りである。
> いいことなのか、悪いことなのか、わからない。でも多くの人間がそうであるように、俺もまた自分の生まれた国で育った。そしてごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。だから貴族の不幸も貧乏人の苦労も知らない。別に知りたいとも思わない。 > 子供のころは水軍のパイロットになりたかった。ジェットに乗るには水軍に入るしかないからだ。速く、高く、空を飛ぶことは何よりも素晴らしく、美しい。 > でも、学校を卒業する2ヶ月前に、そんなものにはなれないってことを成績表が教えてくれた。 > だから、宇宙軍に入ったんだ。
「だから、オタクになったんだ」 このセリフをそう読み変えたからこそ(というか、それはもうバレバレであった)、「戦争を知らない世代」であるあのころのオタクたちは、同じオタクであるガイナックスの作ったこの映画に、すっかり感情移入してしまった。ノンシャランで無気力、好きなことをやってはいるが、それが世の中の役に立つことなのかどうか、果たして生きがいと言えるものなのかどうか、答えを出せないクセに、いっぱしの性欲だけはあるというダメ人間・シロツグは、まさに「我々」だったのである(多少、誇張表現は入っているので、みんながみんなそうだったとは思わないように)。 こんなダメなやつを相手にしてくれる女なんて、宗教にハマッてるリイクニ・ノンデライコくらいしかいない(^_^;)。……ああいう雰囲気の、澄んではいるけどちょっとアブナい目の女の子って、あの当時は結構いたのである(今もかも)。私もちょっとだけ勧誘されかけたことあったなあ……「○理」とか「○○○の○」とか(~_~;)。シロツグとリイクニの「ダメ人間」どうしの、ベクトルが違っているためにどうしてもズレてはしまうのだが、どこかシンパシーを感じないではいられない微妙な関係は、オタクたちの陥っていたコミュニケーション不全の状況そのものであった。 この「オタクである自ら」をアナロジーとして描く、という手法は、後に『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』と、ガイナックスの製作するアニメーションに悉く継承され、着実に「オタクによるオタクのためのアニメーション」路線を築き上げていくことになる。
『王立』が製作されたのは1984年のこと。実際、当時の「オタク」のイメージはと言えば、宅八郎がその代表のように言われていたことでもお分かりいただけようが、ただ自分の好きなアニメ、特撮、フィギュアに入れ込んでいるだけで、「あいつらは何の生産性もなく、コミュニケーション能力もない、引きこもり型の気持ち悪いやつだ」、という偏見と憎悪に満ちた最悪のイメージでしか受け取られてはいなかった。 今でもオタクのそのようなマイナスイメージが完全に払拭できているわけではないが(痛いオタクは実際にいくらでもいる)、少なくとも当時の、変態か犯罪者でも見るような目つきで見られ、毛嫌いされていたような状況はかなり軽減されている。……冗談ではなく、たとえ知人であっても、相手がノーマル(~_~;)な人であったら、「オレって実はオタクなんだ」とカミングアウトすることすら憚られていたのである(この状況は、1988年の宮崎勤事件を経て、1990年代半ばに至るまで続いた。「オタク」のイメージが必ずしもマイナスなものばかりではない、と世間的に認知されるようになったのは、もとガイナックス社長である岡田斗司夫さんの展開した「オタクエリート論」と、そしてガイナックス製作の『新世紀エヴァンゲリオン』の1995年から翌々年にかけての大ヒット現象によるところが大きい)。 実際、当時のオタクたちに「何かが作れる」とは、誰も考えていなかった。いや、もちろん各大学のサークル、同人活動を通じて、マンガ同人誌や自主製作映画、アニメーションを作っていた連中はたくさんいたのだが、世間的な認知は今ほど高くはなかったのである。ガイナックスの前身である「DAICON FILM」のスタッフたちも、SF大会のオープニングアニメーションや『快傑のーてんき』『愛國戦隊大日本』『帰ってきたウルトラマン』などの自主映画を製作していたが、ファンジンの外にいる一般人たちにとっては、「あいつら何をバカなことやってるんだ」という目でしか見られてはいなかった。 オタクたちには等しく、そういった世間の偏見と迫害に堪えてきたルサンチマンの歴史がある。しかし同時に、「その程度の“軽い”心の傷」しかオタクたちにはない、ということが、一つ前の全共闘世代、更に前の戦中派、といった人々に対しての劣等感のようなものまでオタクたちの心の中に形成させていた。庵野秀明の「ぼくたちにはアニメや特撮しかない」という発言の裏にある空虚感、喪失感は、自分たちが何か人間としてケツラクしているのではないかという強迫観念が生み出しているものである。オタクは、その劣等感ゆえに、偏見の目で見られているにも関わらず、それをきっぱりと撥ね返すことができない。『王立』には、そういったオタクたちの「空気」が蔓延していた。 だから、そこで負けたくはなかった。 「宇宙になんて上がれるはずがない」=「たかがオタクに何かが作れるはずがない」 宇宙船打ち上げのたびに失敗に失敗を重ね、諦めかけた同僚たちにシロツグは叫ぶ。
> ここでやめたら俺たちゃなんだ……ただのバカじゃないか。ここまで造ったものを全部捨てちまうつもりかよ。今日の今日までやってきたことだぞ。くだらないなんて悲しいこと言うなよ、立派だよ! みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよ! > 俺はまだやるぞ。死んでも上がってみせる!
アニメや特撮を消費するだけではない、「創造者」としての「オタク」の姿がここにはある。 これで泣けないオタクはオタクではない(T.T)。 もちろん、映画として見た場合、打ち上げまでに出た犠牲者の扱いが軽い、戦争アニメとして見た場合、人間の「死」の重さがリアルに表現されていない、という欠点はある。しかしそれこそがこの映画が「戦争」を扱った「SFアニメ」ではない証拠なので、戦争やってるおエライさんたちはオタクを理解しない「オトナたち」の謂いであるし、途中でリタイアしていった人々は、よくある「オタクどうしの内輪モメ」で消えていった人々なのである。それらをオブラートに包むように「死」という記号に転換させてしまったのは、仲間うちの人間関係のドロドロをそこまでリアルに描くことが、さすがに当時のオタクたちには心の傷が深すぎて、できることではなかったからだろう。その点を突っ込めば、『王立』は「まだまだ甘い」「所詮はオタクの癒されたい系アニメ」と批判されても仕方がないところはある。 それでも当時のファンの読者投稿などを読めば、『王立』から「オタクからオタクへの強いエール」を感じていた者がどれだけいたかが見て取れる。私もまたその中の一人だった。自分たちの好きなもの、やってることは、決してムダなのではない。決して取るにたらないことではない。後指を差されようが、決して恥じる必要はない。勇気を出して、前を向いていいのだ。……そういう「エール」である。「オタクが楽しめる娯楽としてのアニメ」なら、それまでにも数多く存在した。しかし、「オタクを応援してくれるアニメ」、そんなものは、これまでにただの一本だってなかったのだ。『王立』がまさにその「最初の一本」だったのである。ガイナックスがどうして『王立宇宙軍』というタイトルに拘り、『オネアミスの翼』というタイトルを捨て去ったか。それはまさに「宇宙軍」=「オタク」であるからにほかならない。 ガイナックスは現在までに、良かれ悪しかれ、「オタクの代表」としてのアニメを作り続けて来た。だからある意味「オタク否定」とも取れる『エヴァ』については、「裏切られた」と感じたオタクたちから、感情的過ぎる反発、非難、罵倒もあった。しかし、今でもガイナックスは、「オタク」の看板を降ろしているわけではないと思うのである。かつて、庵野秀明は『トップをねらえ!』について、「オカエリナサイBOX」のライナーノートで、はっきり「オタクのためのアニメ」と明言した。だとすれば、新作『トップをねらえ2!』もまたそうであるに違いない。 「その人」が本当の「友人」ならば、彼は自分とともに笑い、ともに怒り、ともに泣き、時には落ちこんでいる自分を叱咤し、時には苦言を呈して忠告したりもしてくれるものだ。もちろん、「その人」自身がヤサグレてしまって、こちらが怒る場合だってある。ガイナックスのアニメは、どの作品もまさにそういう「インタラクティブなアニメ」であり続けた。 だからまあ、この10年以上、未だに「製作継続中」である『蒼きウル』も、いつか必ず作られるものと期待し続けているし、『トップ2』だって、「どんな出来になろうが付き合おう」と思いこめるのである。『フリクリ』や『アベノ橋』あたりからガイナックスアニメに付き合い始めた若いファンの人にはちょっとわかりにくい心理かもしれないが、「思い」には必ず「歴史」が伴っているものなのである。 『王立』のラストシーン、宇宙で一人漂うシロツグの脳裏に浮かんだのだろうか、エンディングのタイトルバックとして、それまでの「この国の歴史」の1ページ、また1ページが、紐解かれるように流れる。それは全てこの作品のために創造された架空の歴史、現実世界から見ればただのファンタジーであるのだが、そのファンタジーにこれだけの労力をかけたという証明でもあるのである。それは既に現実をも凌駕しえる、強いエネルギーを孕んでいた。よく、アニメのエポックメーキングは「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」であるとは言われる。しかし、『エヴァ』の先駆的作品として、この『王立』が存在していること、『王立』が存在していなければ『エヴァ』だってありえなかったこと、それは紛れもない事実なのである。
2003年06月13日(金) ある正義の死/『日本庭園の秘密』(エラリィ・クイーン) 2002年06月13日(木) 暗い木曜日/『名探偵コナン』37巻(青山剛昌)ほか 2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか
2004年06月12日(土) |
夫婦の写真をお見せできないのが残念です。 |
休日出勤でしかも残業。でも今日はあまりトンガリさんと関わることはなかったので、少しはラクであった。向こうから寄ってきて、昨日提出した書類にやっぱり文句は付けてきたが、それはこちらのミスではなく、トンガリさんが渡してくれた元資料自体にミスがあったので、こちらに文句を言ってくる筋合いのものではないのである。 今日は、用事があって、しげがちらっと職場に来たのだが、何人かしげの顔を見た同僚が、後で同じように口をそろえて「お嬢さんですか?」「お嬢さんですか?」「お嬢さんですか?」と聞いて来る。「いえ、妻です」「いえ、妻です」「いえ、妻です」とまた、私も同じように答えるのだが、そしたらまたみんな慌てて「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」と言い訳するのだ(^_^;)。 しげと私が似た者夫婦(性格ではなく顔立ちが)であることは知人はつとに有名なのだが、初対面の人間に一様に感心されてしまうというのは、やっぱり前世の因縁とかそんなのがあるのだろうか。
帰宅して、晩飯は瓦そば。私はネギをたっぷり使うので、あまり油臭くはならない。 CSチャンネルNECOで『人間の証明2001』を見る。 テレビ東京製作の『女と愛とミステリー』第1回放送、主演の棟居弘一良刑事を渡辺謙が演じたやつで、これは本放送時には見損なっていた。 渡辺謙の相手役が、原作のケン・シュフタン刑事から、高島礼子演じる下田美里刑事に変更されているのが最大の違いだが、進駐軍の米兵が沖縄の駐留兵に変更されてたんで、なんだ、今度の連ドラがそうなるんじゃないかと勝手に想像してたが、既に使われてた手だったのかと拍子抜けした。となると今度のやつは、いったいどういう形でジョニー・ヘイワードをハーフに仕立てるんだろうか。同じ手を使うか、時代設定を原作通りにするか、くらいしか思いつかないんだが。
そのあと、DVD『その場しのぎの男たち』を、今度はオーディオコメンタリー付きで見る。お喋りは佐藤B作、佐渡稔、あめくみちこの3人。伊東四朗さんに関する話に一番耳を傾ける。佐藤B作が、伊藤さんと組むまで、「お笑いの人じゃないか」と内心馬鹿にしていた、と正直に告白していたが、ちょっと驚いてしまった。役者をお笑いの人と演劇の人とに分ける感覚が私にはないからだが、一般的には「お笑いは格下」って感覚があるのかなあ。
読んだ本、長谷川法生『こりゃたまがった!』、マンガ、ゴツボ×リュウジ『ササメケ』1巻、秋月りす『OL進化論』21巻、『さべあのま全集6 ライトブルーペイジ』。
レイ・チャールズが10日、肝臓病による合併症のため死去。享年73。 ただの錯覚に過ぎないのだが、『ブルース・ブラザース』に出演していた俳優やミュージシャンたち、全く死にそうに見えない。みんな、死んでも生きていそうな、そんなムードがあの映画にはあった。でも実際には、ジョン・ベルーシはもちろん、キャブ・キャロウェイも、ジョン・キャンディも、この世の人ではない。 私は特にR&B、ソウル・ミュージックのファンというわけではないので、『ブルース・ブラザーズ』でのレイ・チャールズしか知らないが、あののけぞったように歌う独特のフリを、『サタデー・ナイト・ライブ』でジョン・ベルーシがマネしているのを見て、「なんて面白いおっちゃんやろう」と、すっかりファンになってしまった(そっちでかい)。 今もしげは、車のBGMに『ブルース・ブラザース』と『ブルース・ブラザース2000』のサントラをミックスして流している。レイ・チャールズの『シェイク・ユア・テイルフェザー』を私はほぼ毎日聞いているのだ。それはもう母親のお休みの子守唄なみに「日常」になっている。センチメンタルな意味合いでなく、だからレイ・チャールズは今も私にとっては生き続けているのである。
SF作家のレイ・ブラッドベリが、スウェーデンの「ダーゲンス・ニュヘテル」紙のインタビューに答えて、映画監督マイケル・ムーアの新作『華氏911』について、「私の『華氏451度』の題名を断りなくまねている」と言って憤慨しているとか。 インタビュー記事なんて煽情的に大袈裟に書かれるのが普通だし、ホントのところはブラッドベリがどの程度怒ってるのかは分らないけれども、もし本気だとしたら、ブラッドベリもケツの穴の小さいことである。 もちろんマイケル・ムーアがブラッドベリの『華氏451度』を知らなかったはずはないし、そのタイトルに“掛けて”、映画のタイトルとしたことは間違いないだろうが、こんなのは、盗作とかパクリとかいう類のものでは全くない。本歌取りほどにもならないただのモジリで、これを問題にしていたら、世の中の小説、映画、モロモロの芸術作品のタイトルの大半は「パクリ」ってことになってしまう。「華氏」という言葉は普通名詞でブラッドベリのオリジナルでも何でもないし、数字に至っては言わずもがなだ。だいたいそれを言い出したら、ブラッドベリ自身の『火星年代記』は先行する数多の『〜年代記』のパクリってことになってしまうではないか。 この手のモジリの宝庫はもちろんAV業界で、小説、映画、マンガ、アニメ、ありとあらゆる作品がただひたすら「エロ」のキーワードのもとに変換されてしまっている。そちら方面に私はあまり詳しくないので、とっさに思い出せるタイトルは、『ちびまる子ちゃん』が、『ちちまる子ちゃん』って、なってたのがあったなあ、くらいのものなのだが、確かに作家の立場からすれば、あまり気持ちのいいものではなかろう、とは思う。けれどだからといって、さくらももこがこれを知ったからと言って、「困ったな」くらいは感じるかもしれないが、憤慨するとはとても思えない。 インタビューでブラッドベリは、「『華氏911』の内容は自分の政治的な見解とはまったく相いれない」、と語ったそうで、タイトルそのものよりも、映画やマイケル・ムーア本人への不快感からの発言のようだ。案外、インタビューした記者のほうも“政治的に”マイケル・ムーアに対して反感を持っており、誘導してブラッドベリに言わせた、という可能性もあるように思う。できればそうあってほしいと願いたくなるのは、好きだった作家さんの「衰え」を認めたくはないからだ。しかしブラッドベリももう御年83歳で、ボケが進んでる可能性だって否定できない。だとしたらそちらの方がよっぽど悲しい。 私が理想とする一番のボケ方は水木しげる御大(もう半分は妖怪でいらっしゃるそうな)なのだが、誰でもが年を取ってああなれるとは限らない。自らの運命を受け容れる覚悟くらいはしておきたいのだが、私なんかきっとボケたら、今以上にトンチンカンなことばかりやらかしてしまうのだろうなあ。どこぞでノタレ死んでいたら、線香の1本でも手向けてやってください。
それにしてもアチラではタイトルに関するトラブルが多いことと言ったらない。いつぞやの日記にも書いたことだが、ティム・アレン、ジェミー・リー・カーティス、ダン・エイクロイド出演のコメディー、『スキッピング・クリスマス』が、そのタイトルがベン・アフレック主演の『Surviving Christmas』と似ているという理由で、『Christmas with the Kranks(クランク一家とクリスマス)』という味も素っ気もないものに変更させられてしまっている。『スキッピング』の場合、ジョン・グリシャムの原作が同タイトルで既にちゃんとあったというのにこの始末である。日本公開の際にはぜひ、原タイトルのままで公開していただきたいものなのだが。 それに引き換え、ある意味「パクリ天国」な日本の出版、映画、音楽業界は、逆にタガがゆるみすぎてるような(野島伸司の『人間失格』はさすがに太宰治の遺族からクレームがついて、『人間・失格』と間にクロマルが付いたが、この程度で済んじゃうのである)。『トップをねらえ!』とか、製作当時からタイトルだけはみんなトホホだなあ、と思っていたものなのだが、今度はそれのまた『2』が作られるってんだから、恥も外聞もないのである。もちろん、タイトルだけでなく、「おねえさま」とか「鉄ゲタ」とか「宇宙怪獣」とか「ユング・フロイト」とか、そういうダサさ、センスの無さすら「武器」にする「開き直り」が、オタクたちの支持を得た理由の一つなのだが。考えてみりゃ、「ガンダム」とか「ニュータイプ」なんてネーミングだって、初めて聞いたときはSFファンはこぞって「やめてくれよ」と思ったものである。ダサかろうがなんだろうが、いっぺん「認知」させちまえば、生んだもん勝ちなのだな、この世界。 ……で、その『トップをねらえ2』の公式ホームページが開設されたのだが、またまたガイナックス、「やらかしてくれている」。なんたってねえ、主人公たち超能力者たちの総称がねえ、「トップレス」だもんな(^o^)。でも、主人公たちのコスチュームはどっちかっつーと流行り(?)のメイド風なのであった。
http://www.top2.jp/
2003年06月12日(木) 正義に勝たれても/『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』(はやみねかおる) 2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか 2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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