ありふれた日常

2003年08月12日(火) どうしようもない哀しみに 訳もなく包まれた

斉藤和義『35 STONES』を久しぶりに聴いている。
『どうしようもない哀しみに』と言う曲の最初のフレーズが
今日のタイトルなのだけれど、そんな気分。

夜になると物凄く落ちる。
夜から朝にかけての時間帯と言うのが一番好きなはずなのに
最近はその時間が苦痛で仕方が無い。
特に何かあった訳じゃないけれど、例の塊が内側から
あたしの心臓を締め上げる。
常に心拍数が高い感じだ。
コレはとても緊張している時と似ているのだが、
と言うか身体的には同じ状態だと思うのだが、
自分自身の中でかなりの違いがある。
断然、今の方が苦しい。

あたしはどうも夏の終わり頃になるといつも
こうゆう気分になるみたいだなぁ。と思っていたら
急に理由にぶち当たった。
『どうしようもない哀しみに 訳もなく包まれた』
のではなくて、バカみたいに現実的な理由があった。
それは相変わらずあたしの背中に括りつけてあり
見えないフリをしていたんだ。



2003年08月10日(日) そこに在るのは

愛情でもなく、友情でもない。
あたしは多くを決して話さないのに、
本当にココロを許せるのはきみだけなのかも知れない。
等と考える。
そして、もしかしたらきみは本当にあの時の
あたしのカタワレかも知れない。
等とも考える。

けれどやはり、最終的なイメージはどれだけ想像してみても
あたしがきみを酷く…それは本当に酷く傷つけるイメージだけだ。
だからあたしはきみには触れない。


友達が27になりました。
おめでとう。



2003年08月09日(土) 死に行く女/忘れ去られる女

友達からの電話で突然、

『今日言いたい事は、
 死に行く女と忘れ去られる女。
 悲しいのは忘れ去られる女だ。』

と言われた。
ふむ。あたしもそう思う。
人は死んでしまうと美しい形のまま保存される。
とあたし自身は思っているのです。
(死に行く形等によっては変わってくる事はあるとしても)
記憶とは、どれだけ努力しても薄れて行くモノで
想い出とは、自分に都合の良い美しいモノばかりを
選りすぐるモノなのではないかと。
そうでなければ、辛すぎるんであろうとも思う。

『忘れ去られる』と言うのは正直相当悲しい。
同じ時間をいくら過ごしたと言っても、そのあらゆるモノが
忘れ去られると言う事は、結局はなかったモノと同じなのだ。
確かにその時間は存在していた。
けれど、自分自分には存在していた時間であっても
相手にとっては存在していない時間だなんて
何処を取っても悲しすぎる。

『忘れ去られる女』にだけはなりたくない。
ココロにいつまでも刻んでおいて貰えるなら
喜んでいくらでもあなたを傷つけましょう。
忘れないで。忘れないで。
憎んでも、忘れないで。
どんな形であろうともあたしを覚えていて。

なんて話を聞いた事があるけれど、それはそれで痛く悲しすぎる。

あたしは前者にはなれないし、なろうと思う時もないけれど
後者にはいつでもなれるのであろう。
過去を振り返るとして、答えなどないけれど
何度『忘れ去られる女』を経験しているんであろうか。
そんな事、想像したくもないけれどね。


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