映画『嵐の季節』,『KUA`AINA』,お仕事

 カタログの仕事は佳境だが、高橋玄さんの10年前の代表作『嵐の季節』をスクリーンで見られる機会はめったにないので、中抜けして五反田。

電脳キツネ目組のN君は仕事が夏休みということで午前中『CHARON』を見て、午後に『嵐の季節』を一緒に見る。

『嵐の季節』は主演高嶋政宏、美保純の青春映画で、他にも崔洋一がぶっ壊れた映画監督役だったり、「おっ」とか「プッ」と声が出てしまうような人たちがあちこちに出てきて面白かった。
強そうなイメージはない高島政宏が空手の学生選手をやっていて、嘘っぽくなくてちょっと驚いた。

『嵐の季節』は2億円、『CHARON』は2千万円の制作費だそうだ。
玄さんの「プロの作った自主映画で世界市場で勝負する」という挑戦は価値あるものだと思うし、尊敬する。面白い。

21日土曜日は流山で祭があって、映画の宣伝パフォーマンスで、『カロン』に出ている俳優舩木壱輝さんがアクロバットを披露し、玄さんが和太鼓を乱打することになっているらしい。
出番は16時過ぎから15分だけの公演、とのことでお近くの方は是非。って話だが流山のどこでやるんだろう?
見に行きたいが流山は遠そう。

 お昼を食べていなかったのでN君と『KUA`AINA』。
ハワイのハンバーガーショップらしく店員の第一声は「アローハ!」
マヒマヒサンドセット1,030円は高いと思った。

映画の話、仕事の話など。
「仕事大変なのに中抜けできるんですね」とN君。
「できるというか、するしかない」と私。
大変さを話しているつもりなのに「楽しそうですね」と笑われる。

 17時ごろ職場に戻って24時まで。
クライアントの担当者は徹夜続きのようで、ほとんど朦朧としながら喋っている。
私が作業をしている間、事務椅子を並べて横になっていた。
質問があったので起こすと、飛び起きてフラフラと立ち上がり、床に寝そべって目を瞑りながら質問に答えようとするのだが、思考能力が停止しているらしく黙ってしまう。大丈夫か?
2004年08月11日(水)

暴力的指導

 今月こそは締切前に送ろうと思っていた「月刊やきものネット」の原稿、手付かず。

 23時までカタログのお仕事。

昨夜派遣会社社長から電話があって仕事や同僚Aさんの様子などを聞かれた。
「仕事あるの?ならいいんだ。じゃ」って佳境なのだが。

Aさんに指示をした作業が驚異的なスピードで仕上がった、と思ったら全然できてない。
「違うよ、ここだけ見るんじゃなくて、全部見るんだよ」
「そうなんですか?」
「じゃなきゃ意味ないじゃん」
「なんだ、そうだったんですか」
「もう!」と言ってジーンズを履いているAさんのお尻を叩く。

「はい、もう一回全部見て入力して」
「わかりました」
「1個見る度原稿もチェックして、って言ったのにやってないし」
「すみません」
「なんでやんないんだよ、おまえー!」と言って腕を捻って背負い投げ。の振り。

帰りのエレベータの中でAさんに笑いながら「昨日は社長から私に電話があって、Aさんのこと聞かれたでしょう?今度Aさんに『桜井はちゃんと教えてくれてるか?』て聞いて来た時に『ひっぱたかれました』『暴力振るわれています』って言われたらやだなあ。あはは」とやんわり口止め。
「そんなこと思ってませんよ!」とAさん。怯えている?

 帰って18日小倉の宿の手配。2:30まで。帰りの手段はまだ。寝る。
2004年08月10日(火)

失敗

 18日は北九州小倉でお誕生日会やります。嘘です。↓これに行きます。
http://miyazakimanabu.com/archive/2004/08/20040802kokurakouen.htm
皆様もどう?

等と言っている場合ではなく、ツアーの申し込みをしなくちゃいけないのに、乗り遅れて格安ツアー購入の道は閉ざされる。大失敗。
とりあえず往きの航空券だけは確保。そんなことやってるうちに2:30。
宿は?帰りは?もう寝る。
2004年08月09日(月)

家事やら

 『月刊やきものネット』の原稿を書かなくちゃいけないのに、だらだらと家事やら日記やら。
4週間分のお小遣い帳とか。4時過ぎまで。
2004年08月08日(日)

高山登久太郎氏お墓参り,『炭火焼肉千なり』

 昨年6月15日に亡くなった元四代目会津小鉄会長高山登久太郎さんのお墓参り。
のぞみで京都。西大津駅に集合した宮崎学さんと電脳キツネ目組の人たちと、タクシーに分乗して琵琶湖霊園。

山の間から琵琶湖が見える、広くて立派なお墓だった。皆で手を合わせる。

 『炭火焼肉千なり』で会食。宮崎学さんの挨拶。
「高山さんが亡くなってからも続々明らかになっている一連の警察不祥事、不正に対してやってきたことを胸を張って報告できた」。
ウーム、私は何をやってきたかなあ。高山さんの生前に対するお礼の言葉しか浮かばなかった。

とりあえず、食べる。「えーと、まずロース」と注文するMさん。
「えー、特上ロースにしましょうよ」と私。
「駄目だよ、そんなの」
「だって、『遠慮しないでどんどん頼んで』って言われたじゃない」
「だけどね…」
「頼め頼め」と宮崎さん。イエーイ特上、特上。
『特上ロース 時価』は私の両掌を広げたぐらいあった。オイシーイ!ああ幸せ。
往きののぞみで駅弁を食べてしまったのを後悔。それでも相当食べた。お腹いっぱい。

次の店は京都とか、静岡『バロン』とかいう話もあったが、私は東京まで帰る。
Yさんが缶ビールを買って持たせてくれる。ご馳走様です。

 帰ったら『なすび』の千秋さんから『こぶとり物語−子宮筋腫、私の場合』の感想メール。

> こぶとり物語は なかなか素敵な作品になっている。
> 感銘しちゃつた。男には判らないけど 必要なことや
> 女心が軽妙な説得力で述べられている。
>
> この病気の話はネットでも女性雑誌でもホントニ沢山見られるが
> このように 表現されたのは珍しいと思う。
> 稀な才能とセンスをもっていて それに加えた知識教養で
> いやなものと 我慢すべきものを冷静に分析し 自身をも
> 客観視しているので 男の私も引き込まれ説得されているのだろう。

嬉しい。私も久し振りに読み返してみる。面白い。当時を思い出してちょっと涙。
皆様も感想送って下さい。
2004年08月07日(土)

『BIG tomorrow』な人

 通勤電車を待つ列になかなかお洒落な男性発見。髪型も個性的でちょっと珍しい色形のルイ・ヴィトンの書類バッグを持っている。
その人は座って私は斜め前に立って観察。彼がバッグから取り出したのは雑誌。
「BIG」の文字が見えて、漫画かな、と思ったら『BIG tomorrow』だった。

女性向けの『SAY』もそうだが電車の中で読むのはかなり恥ずかしい雑誌だと思う。
買って読んでるのか、何か読む必要がある記事が載っているのか、雑誌を作っている人か?
この雑誌を読んだ彼にビッグな明日が来るのかもしれないが、全く関心なくなる。
2004年08月06日(金)

『CHARONサポーターサロン』,『暖暖』

 職場にオーエンガスターの金のトップを着ていったらクライアントの担当者に「仕事場だから、キラキラはちょっと…」と注意される。新入社員みたい。

 夜のお出かけモードで働いて、早退して我孫子。あびこ市民プラザホールにて高橋玄さんが監督した映画『CHARON』のサポーターサロンがあるという。

北千住から快速に乗るべきだった。えらい遠かった。
18:30からと聞いていたが19:15ぐらいに着いた時は『CHARON』メイキングビデオ上映中。
結構大きなホールに大勢の我孫子市民が集まっていて驚く。
メイキングビデオも我孫子バージョンで、我孫子や柏のこんな店で撮りました、という内容。

『CHARON』予告編上映があって、高橋玄さんと主演で我孫子出身の川本淳市さんによるトークセッション。
続いて音楽を担当した高井麗(ピアノ)さんと『CHARON』弦楽四重奏団によるミニ演奏会。
赤ちゃんを抱えたお母さんたちは立ち上がって会場の外へ。

飲み物と軽食が出て、クラッシック音楽の生演奏まであるとは贅沢なイベントだ。
市民サポーターは若者から年配の人まで100人以上。スタッフ以外で東京から来たのはどうやら私一人。我孫子のすごい盛り上がりようにビックリ。

最後に市長の挨拶。後で聞いた話では、いろんなイベントに市長は顔を出すが、最後までいるのは珍しいらしい。

終了後、玄さんと川本さんに挨拶。「2次会来れば?」と言われて、知ってる人もいないし市民じゃないしと思ったが「カロン・サポーターなんだから」ってことで参加。

 我孫子駅近くの『暖暖』。市民サポーターの人たちは、『カロン』をきっかけに将来我孫子で国際映画祭をやろう、という話にまでなっている。街づくりを熱く語る人たち。
すごいな、我孫子って。昔白樺派の文豪が集まっていたり、バーナード・リーチら陶芸家の窯があったり、文化レベルが高いのかしら?

我孫子市民の男性に「幾つなんですか?」と聞かれる。
「麗さんより年上で、玄さんより年下です」
「幾つ下なんですか?」
「いいじゃないですか、幾つでも」
他の男性にも年齢を聞かれる。なんで?我孫子は年齢による上下関係厳しいのか?
単なる個人的興味なら嫌な気はしないが、面と向かって聞かれて答えたくないのは、私に年齢コンプレックスがあるからか。

我孫子だからなのか私が世間知らずなのか、生グレープフルーツサワーのグレープフルーツは、普通2分の1個だろう。
我孫子の『暖暖』は1杯につき丸1個のグレープフルーツがついて来る。
グレープフルーツの産地なのか?

更に驚いたのは男性が、私がぐりぐりとグレープフルーツを搾っているのを見て「やりにくそうですね。搾りましょうか」と言ってくれたこと。
「いや、そんなことしてもらったことないです。自分でやります」と言いながら感動している私。

生グレープフルーツサワーを再び注文。他の席から移ってきて向かいに座っていた川本さんが「貸して」と言って搾り器を私から取り上げる。
私のためにグレープフルーツを搾ってくれる主演俳優。
我孫子男性に共通の優しさなのか、できる芸能人特有の心遣いなのか、わからないけど完全に殺られる。

この瞬間、私は川本淳市ファンになった。単純だね。
自身が育った我孫子で、地元の人に囲まれて、川本さんがすごくいい顔をしていた、というのもある。

更なる殺し文句。
「今日、ステージに上がって会場を見たら『あ、あの人は我孫子の人じゃない』と思いましたよ」と川本さん。
「え?だって私遅く着いて会場の一番後ろに座ってたんですよ。すっごいお客さんいっぱいいたじゃないですか。」
「いや、すぐわかりました」
もう!別に褒められているのではないとわかっているが、会社で疎まれながらも金ピカの服を着てきた甲斐があるってものよ。アハハーン。

麗さんたち東京組は23時頃帰ってしまう。
終電で帰ると言ってた玄さんは川本さんのところに泊まることになる。
私は「まだいいじゃないですか、あと一杯」と更に盛り上がっている我孫子市民の方々に引き留められながらも終電に間に合うように店を出る。

ああ、楽しかった。『カロン』と玄さんと川本さん、是非成功して欲しい。我孫子市民の手による我孫子国際映画祭も。私は応援する。
2004年08月05日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

My追加