結婚詐欺事件,『なすび』望年会

 結婚詐欺事件で男と闘っている友人に「幾ら欲しいと言われたらなんて言う?」と聞いてみたら、落しどころは心得ている。時間がかかって辛くても頑張るという。

つまりは相手の提示した金額をのむのが嫌、ということなんだな。
確かに、何個も持っているという男の腕時計1個分の金額と変わらないのでは、相手は何の痛みも感じないのかもしれない。

「相手の学歴うんぬんは置いといて、相手には、本当に愛してたのに、とか言って(略)は傷ついた悲劇の人に徹した方がいいかも。交渉人は何て言ってる?
ここからはあまり感情的にならず、冷静に作戦を実行しよう。戦いが終わった時に爆発させればいいよ。頑張って行こう!」とメール。

 お昼は『さぼてん』のヒレカツ定食。胡麻を自分で擂ってソースと混ぜるのは初めてで、結構美味しかった。

 昨日も一昨日も23:30まで残業。今日も遅くなるだろうと思った。一応早めに帰りたい、と言ってみたら定時にあがれた。

目白のバー『なすび』の望年会で中華料理『華天園』。「会費3000円申し込まないと5000円だよ」と千秋さんに言われていたが、3,000円にしてもらえた。
 
ほとんど父親世代ぐらいの参加者の中、若くて可愛い端唄の稲邑粋有芙師匠が出演。
今年は火事が多かったので、と言って「火消しの唄」?など。良かった。

終わったら一緒に飲むのかと思ったら、さーっと帰ってしまった。
お呼ばれがいっぱいあるのかな。

 2次会は一人で『太古八』。羽賀さんに元内縁夫に会ったことを話したら「(彼は結婚に)向いてないもん」。
まあ本人は「俺は変わった」と言ってたが。

暫くすると千秋さん、その後『なすび』望年会の人たちが何人も来て、飲む。
2004年12月22日(水)

結婚詐欺事件,役割

 結婚詐欺事件で男と闘っている友人からメール。
慰謝料の提示がびっくりするほど低額、と聞いていたが、私の予想の数倍だった。
さすが、レベルが違う。しかし彼女の受けた傷を考えると、幾らなら満足と言えるものではない。「もう一声」「いや、これ以上は無理」などと交渉するのも虚しいのでは。

 私が元内縁夫の衝撃波を引きずっていたのは昨日まで。
彼の子供を産み育てるのは私の役割ではなかったということだ。
私はミューズになるのだ。ワハハハハ。
「勘違いすんな!」だろうが、こうして割り切る。

彼の妻は彼と彼の子供のケア、きっと大変なことだろう。幸あれ、と願う。
2004年12月21日(火)

衝撃波

 昨日の元内縁夫との再会では「おめでとう。嬉しいね」と言えたし、その気持ちは嘘ではないが、かなり動揺したのも事実。
私は彼の子供が産みたいと思っていて別れたから。
別れ際彼は「結婚はしない、子供もいらない」と言っていたので、DNAが残ることになって良かったとは思うが、複雑な気分だ。

という話をお昼にFさんにしたら「私だったら『おめでとう』なんて絶対言えない。会いたくないです」。

私は会えて嬉しかった。メールや人づてに知るのではなく、本人から直接聞けたのも良かったし、お祝いが出来たのも良かった。

「桜井さんは、その人のこと忘れないと次に行けないんじゃないかなあ」とFさん。
「いや、次がいたら忘れるでしょう。好きな人が出来たらもうさっぱり忘れると思うよ」と私。
2004年12月20日(月)

18日追記,『gabowl』

 昨日の日記に書き忘れたこと。

 『月刊やきものネット』の原稿を仕上げて日記も書いて、の予定がNHKも高松宮妃逝去により番組予定変更。お陰で北極の絶壁を登るドキュメンタリーに釘付けになる。

番組予告の時点で登頂してないのか?と思った。悔しいだろうが、生きて帰れば次がある、というのは本当で、何の意味があるのかわからないが感動的だった。

 以下今日の日記。

 やっと『月刊やきものネット』の原稿送信。

 『MILLIBAR』開店8周年のパーティーで渋谷『gabowl』。パーティーでは積極的に行こうと思っているが、かっこいい人はなかなかいない、と思っていたら、元内縁夫が突然目の前に現れて、私に握手を求める。

いきなり「俺結婚した。子供ができた」と衝撃的な挨拶。「おめでとう」と言った後握った手を離さないまま「いつ?誰と?いつから付き合ってるの?」と質問攻め。
「写真ある?」と聞いたら「だから、7月7日に生まれるんだよ」と手を振り解こうとしながら答える人夫。手を離すと他の人と挨拶をして奥へ行ってしまった。

オゴウチ君が私に「いたね」。「結婚したんだって。子供が生まれるんだって。話しに行こうよ」と二人で追いかける。

入籍が12月2日と聞いて更に驚く。私が誕生日のお誘いメールを送ったのは12月3日。そりゃ無反応なはずだわ。

「お祝いに飲み物ご馳走する」と言うと「いや、T君が奢ってくれるからいい」「じゃ、次ね」。

黒い皮ジャケットに赤いマフラー、相変わらずカッコイイ。
ふざけてマフラーをほっかむりにしたり、ターバンにしたりしてもカッコイイ。

結婚祝いに1杯、誕生日プレゼントで1杯。初めはあまり話したくないのかな、と思ったが、何度も「ありがとう」と言う彼。

「お父さんになるんだ。でも変わらないね」と私。
「俺は変わったよ。ものすごく変わった」
「そうなの?変わらずカッコイイわよ」
「ありがとう」
「私も、って言ってよ」
「言ったよ!」
「聞こえなかった。もう一回言って」
「素敵だよ」
「ありがとう」
ああ、いいなあ、こういうの。

「桜井さんも、流れには乗った方がいいよ」と彼。
「私乗ってない?」
「もっと大きな流れがきっと来るから、それに乗るといろんな事がバババって変わるよ」
「流れには乗ってると思うけど」
「乗ってるけど、固くならずに」
「私固い?」
「固くないけど、もっと流れに乗った方がいい」
ってよくわからないけど「はい」。

相手の女性の事を聞いたら「ミリバールで桜井さんと会ってるよ」と言われたのもビックリ。
「えー、あのI君の隣に座ってた人?私I君に『奥さん?』て聞いたんだよね。『違います!』って言ってたけど、そうだったんだ。」
ヴァレンタインデイの夜だったのでよく覚えている。
「きれいな人だよね」。なるほど。彼女が彼の子供を産むのか。美しい赤ちゃんが生まれるだろう。
「男の子と女の子とどっちがいい?」と聞いたら
「愚問だね」。

日曜日なので結構早い時間に人が減り始める。人夫も帰って行く。

ミリバールのバイトのG君も結婚したと言う。清野さんは嬉しそうに飛び跳ねて踊っていた。
バンドもDJも素敵だったし、良いパーティーだった。

ドライバーのとってもキレイな男の子とお話もできたし、楽しかった!

 酔っ払ってフラフラの清野さんと腕を組んで『MILLIBAR』へ。

皆の到着を待っているうちに終電の時間になり、何も飲まずに駅へ。
マルニの丈の長いドレスで全力で走って、間に合う。
2004年12月19日(日)

8万超,『太古八』

 日記のアクセスカウンターが80001だった。12週間で1万とは凄い。
皆様ありがとうございます。
更新が遅々としているのが申し訳なく、気持ち悪く。
でも書き続けるのでたまに覗いてみて下さいませ。

 画家のY先生を『太古八』にご招待。いつもご馳走になっているので今日は私の奢り。

Y先生は店に入って「ずーっと前、おでん屋さんでしょ?」と先代の頃『太古八』に来たことを思い出す。

「元内縁夫の子供の頃の絵の先生です」と羽賀さんにY先生を紹介。
「元内縁夫の大人になってからの人生の先生です」とY先生に羽賀さんを紹介。
「やだよ、そんなの」と羽賀さん。

羽賀さんの作品をY先生に見せる。「ウホホホ。これはいい」と笑っている。
「出版計画は進んでますか?」と羽賀さんに聞くと
「やめちゃおうかと思って」
「私にやらせてー」
ライバルは誰なんだろう?別に私がやらなくても素敵な本になればいいのだけれど、私が出来れば幸せな事だ。

羽賀さんが肝臓で入院中、溝下秀男(九州最大のやくざ組織の大親分。同じく肝臓で入院。その病院でのエピソードが最高に可笑しい)著『極道一番搾り 親分こらえてつかあさい』という本を貸していて、先日その本の話をしたけど返してくれる様子がない。
「あのー、あの本は差し上げたんじゃなくて、お貸ししたんですが…」と言うと
「やだ。もらった」
ひいー。この本は小倉の書店には必ず置いてあるが、東京ではなかなかお目にかかれないのにー。ううう。
しかし、気に入って頂いたということで嬉しくて哀しい。

『なすび』の常連Nさんが来ていて、3人で映画『奇跡の海』の話、偶然だがY先生の行きつけの店があり、Nさんが昔住んでいたという立会川の話など。

羽賀さんに追い出されるまでY先生とお話。
「会社で問題になるとしたら、髪のことじゃなくて遅刻でしょ」とY先生。
確かに。今日の待ち合わせも10分遅刻。スミマセン。
2004年12月18日(土)

『大地を守る会』を見守る会

 残業23:30まで。24:00までやると最終電車に間に合わない。23:30なら最終1本前のりんかい線に乗れる。帰宅は1:00頃。

 昨日のことだが、ザクセンのバゲットへの異物混入に始まったクレームに対する報告と詫び状が大地宅配から届く。A4用紙4枚。

クレーム対応の体制も改善したと。私の不信感はほぼ払拭された。

私への手紙では触れられていなかったが、配達と一緒に届いた書類で、大地宅配で扱っているミネラル水の雑菌が水道水の100倍、という報道があったことを知った。

9月に販売休止をして12月3日朝日新聞に記事が出て、その間に調査や返品・返金などあったらしく、私のクレームと時期が重なって大変だったのかなあ、と思った。

「安全で美味しい」を約束したものを提供する事業は本当に大変なことだし、多分どんなに対策をとっても事故はまたある。
その時、どんな対応をするかで、私の大地を守る会への信頼が完全復活し固まるのだろう。

ザクセンのパンもまた買ってみよう。ってことで一件落着。
2004年12月17日(金)

アジアンダイナー『Mahina』,事務局員欠席

 もう天王洲アイルの大方の店へは行ったと思ったら、まだ初めてのところがあった。
「こんなところに?」という感じの裏口通路から『Mahina』へ。
南国リゾートの食堂のような雰囲気。メニューは無国籍。トマト風味のハヤシライス。温い。
Fさんが頼んだオムライスは、ソースがカレー2種類。変わっている。

 19時過ぎ、残業をしていたらジャーナリズム講座事務局のYさんから「今日来ないの?」と電話。私は欠席を連絡していなかった。
前回も欠席したので状況がよくわからなかったのだが、今回は日刊ゲンダイの二木啓孝氏がゲストだったらしい。

「知らなかった。行けない」と言ったが、私は受講生兼スタッフなのでそんな事言ってる場合じゃなかった、と後で気づく。

23時まで残業。帰ってYさんにお詫びメール。
2004年12月16日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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