ハピバスディ,映画『桃色 Colour Blossoms』,『檸檬屋新宿』

 ギネス君へのお誕生日メールに「東雲の店、今度行きましょう」と書いたら

> ありがと(^Q^)/^また東雲でお祝いしてくれんの?

あら、返信くれるんだ。意外。

「うん!30歳のお誕生日にね。チュッ。あはは。」

> 冷たい返答ありがとう。

「そうか。待ちきれない?美味しいからねー。行きたいわよね。」

> いつ連れてってくれんの?o(^-^)o

「8月18日。も先過ぎるね。」

私の誕生日だが。
「お祝い」とか「連れてく」ということはまた私がご馳走するってことだよな?何で?
今の私は『太古八』で清水の舞台から飛び降りた。まるで余裕なし。
って話を誕生日当日にメールでするのもなんだか。これにて終了にホッ。

 他にも見たい映画はあったのだが、時間の都合で『桃色 Colour Blossoms』を見る。
宮沢りえがモスクワ映画祭主演女優賞を獲った「華の愛 遊園驚夢」のヨン・ファン監督は女性を非常にきれいに撮ると言われている人だが、松坂慶子ってどうなんだろうと思いつつ。

全然駄目。私はSM趣味はないとかDV男は嫌だとか考えてたところで見るべき映画ではなかった。
その世界に入り込めないから、いくら耽美的に見せられても滑稽に思える。
笑わせるために作ってないので可笑しい、というところまでも行かないし、美しいとは感じないし、大変困る。

韓国人の日本語の発音も、松坂慶子のヘアメイクも日本語のセリフも変だ。気持ちが悪い。
「芸術的官能映画」にはなっていない。

 NANIOさんと『檸檬屋新宿』。いろんな話。
ギネス君について。「酒癖が悪いんだな」とか「子供なんだろう」と言われる。
「しかし、いつも何か問題あるね。面白いね」と笑うNANIOさん。喜び過ぎ。

住枝さんには「DV?何だそれは?ああ駄目だ。それは直らん。やめとけ」と言われる。

いやまだDV男と決まったわけではない。殴られてないし。やめない。
2005年05月25日(水)

ギネス君,お出かけ中止

 やっとギネス君のメールアドレスを聞き出す。
メールは嫌いだそうだから返信は期待していないが、これで葉書を書いたり届けたりしなくて済む。

気がついたら左肩に赤い痣があって、痛い。
左手小指と左膝には擦り傷、右の太腿の後ろに青痣も。
これって何?酔っ払ってぶつけたのか?ギネス君に投げ飛ばされた時に出来たのか?

ギネス君は、昨年ちょっとの間付き合っていた男性に似ているところがある。
だんだんわかってきたけど、多分同じ、サディスティックな性質の人だ。

今はカワイイ、面白いと思っている。
ギネス君に会えて良かったし、声をかけてきたのがギネス君でよかったとも思う。
そうバースデイ・カードにも書いた。会えば楽しい。悪い人ではない。

でも私は暴力は嫌いだし、人を支配したいとも思わないし、支配されるのも嫌だ。
いじめることにもいじめられることにも喜びは感じない。

 『なすび』の千秋さんが新宿でグループ展をやっているので見に行こうと思った。
家を出たら雨が降り始め、バス停で、昨日の目白駅状態になる。
昨日は駅構内だったが、バス停の小さな屋根では滝のような雨をほとんど避けられず。

バスがなかなか来なくて、展覧会の終了時間に間に合わない。
昨日同様どしゃ降りの中走って家に戻る。ずぶ濡れ。
せっかく支度をしたが、本日のお出かけは中止とする。
服のまま少し寝る。

 起きて洗濯、日記。日付が変わって25日0:00。ギネス君にお誕生日お祝いメール。
2005年05月24日(火)

『太古八』,『スーさん』,ギネス君

 評論家三上治さんの憲法問題イベントに出掛けようとしていたところへギネス君から電話。
誕生日当日は都合が悪いので今日はどう?と言われる。
憲法も重要だがギネス君のお誕生日イベントも大事だ。

「伊勢海老、鮑、松坂牛」と言ってたので東雲『ネプチューン』を考えていたが、月曜定休。
「29歳だから肉?」と言ったら笑っていたが、誕生日ディナーが焼肉というのもどうなんだ?
で『太古八』。

家を出る時降り初めた雨は、待ち合わせた目白駅でドシャ降りになる。
ギネス君は傘を持っていない。
傘を差していてもずぶ濡れになりそうな勢いで、駅構内に立ち往生する人大勢。
10分以上待って、仕方なく走る。まず銀行まで。
『太古八』は駅から2分ほどだが、やはり酷く濡れてしまった。

あくびでクビの話。ご主人の羽賀さんとギネスビールの話。
メールについて。アドレスは「後で教える」とギネス君。

羽賀さんに母の話。「お母さんらしいねえ。喧嘩してるところ目に浮かぶね」と言われる。

女将さんにチケットを譲ってもらった新勘三郎襲名興行で「獅童がいい顔してた」と言ったら「本人に伝えておくわよ」。おお、そういう仲なんだ。

ギネス君も『太古八』には満足した様子。いいお誕生日になったかな。

 帰る頃には雨も上がって、『スーさん』へ。ここはギネス君がご馳走してくれる。

 何も言わず我が家の方向へ。それはいいけど、ギネスビールのビンが4本入った彼のビジネスバッグを持たされる。なんでやねん?重いよー。

 部屋でギネス君に投げ飛ばされたりお尻を叩かれたりしたので、頭を叩き返したら怒って「帰る」と言う。
ドアの前に立って帰さない私。
「どいて」
「どかない」
「帰る」
「帰らないで」
「いたら殴るかもしれないから帰る」
「いや。私が悪かったから。ゴメンナサイ」
「帰るからどいて」
「やだ」
ドアをパンチするギネス君。本当に殴られるかと、怖かった。
殴ったら終わるし、帰ったら終わる。

「じゃあ言うことを聞く?」と折れたんだか方法変えただけかわからないギネス君。
この人、DV男か?SM趣味?酔っ払ってるだけ?
彼は私が意地悪をしていると言うのだが、違うよな?
2005年05月23日(月)

映画『セックス・イズ・ゼロ』

 母から絨毯選びの連絡は来ず。夜になってケータイに着信があるが繋がらず。

 映画『セックス・イズ・ゼロ』を見にシネマスクエアとうきゅう。
『パンツの穴』(見てないが)とか『グローイング・アップ』(大好き)のような、エッチでおバカな青春映画だと思っていた。

それはその通りなのだが、なにしろ汚い!
タバコの吸殻とか痰とか汚いものいっぱいのスープを飲み干したり、ネズミを素手で捕まえて飲み込んでしまったり、精液の卵焼き(うげえ!)に猫いらずをトッピングしたサンドイッチを「ウマイ」と言ってモグモグ食べてしまったり、その度吐いて、ゲロまみれで目覚める主人公。
気持ち悪い、かなりダサい、28歳の学生。

って、なんでこんな見てるこちらも吐き気がしてくるゲテモノを韓流シネマフェスティバルで、定価1,800円で見なくちゃいけないいんだ!と腹が立ってくる。
金をもらっても見たくない!と思ってうんざりしていると、映画が中断。真っ黒な画面になる。

数分の後、上映再開。後半泣く。
この映画は不思議だ。汚いドタバタシーンと、お色気シーンと、泣かせるシーン、全然作風が違う。
別の人が撮ってるのでは、と思う程。

結局200円ぐらいなら払ってもいいかな、と思える映画だった。
韓国で観客動員430万人のメガヒット!とは私には信じられないが。
2005年05月22日(日)

K氏邸,『おちゃのこ菜々』,『ダイニングバー オリーブ』

 アーティストささきもと子さんと、バッグ職人Kさんの自宅兼工場を訪ねる。
金町駅での待ち合わせに10分遅刻。スミマセン。

もと子さんとは話していたことだが、今回私の個人使用のバッグを作るだけではなく、商品化を考えているとKさんに初めて話す。

Kさんは非常に興味を持ってくれて、もと子さんの作品に「こんなのバッグにしたらいいねえ。作ってみたい」と職人魂を刺激された様子。
ものづくりをする人同士、すぐに具体的な作り方の話になる。
お茶を頂きながら、Kさんにバッグ業界の状況なども伺う。

Kさんは母の古くからの友人で、かつて一世を風靡した国内ブランドの商品も作っていた。
今も各大手デパートでKさんのバッグは販売されている。
そのKさんと、もと子さんとのコラボレーション。これは期待大。
素敵なバッグを持って営業に回る自分の姿が目に浮かぶぜ。

 17時に東久留米の和風ダイニング『おちゃのこ菜々』で母と、母の弟たち3名と待ち合わせ。
17時過ぎに着いたらT叔父が先に来ていて、飲まずに待つ。
20分経っても母と他の叔父たちは現れず。

先に2人で2杯飲んで、1時間過ぎてやっと現れた母たち。
何をやっていたのか知らないが、母は「ゴメンナサイ。時間制で追い出される?大丈夫よ、店長知ってんだから、ちょっと、店長呼んで」。
店長は代わっていた。

弟たち相手に大威張りの母。
繰り返される命令と「バカ」「嫌い」「あんたは言った」「私はそんなこと言わない」「覚えていない」。

 最近不登校に関する本を書いたというK叔父は、ボランティアで夜間中学などもやっている熱心な小学校教諭。

先月埼玉県の新任男性教諭が学校内で首吊り自殺した話を聞く。
ニュースでは「自殺の動機はまったくわからない」で片付けられてしまい、校内で自殺するとは脆弱エリートが、と本人が責められている。

成績優秀だった22歳の新任教諭は、埼玉県のエリート教員養成特別プログラムで育成された、5人の中の一人だった。
男性教諭自殺以降2人が恐怖で教壇に立てなくなり、今2人しか残っていないという。
プログラムの責任者は異動して知らん顔とか。

鳴り物入りで着任した新人君は、学校からも親子供からもかなり注目されていた。
授業中子供たちの前であくびをしたことが父母らにも知れ、学校にも酷く責められたという。
エリート君をかばう同僚や先輩はいなかったのだろうか。

自殺した日の5時限目はクラスの授業参観だった。その後には初めての父母会がある。
またギャンギャン糾弾されるに違いない。それを苦にしての首吊りだったのだ。

学校って本当に恐ろしいところだ。
授業参観を他の教諭が代行した、というのも信じられない対応だ。
子供たちの動揺を和らげるためって、後で「あの時既に担任は死んでいた。大変なことを隠されていた。たかが授業参観という行事を敢行するために!」と知る方がショックは大きいんじゃないか?

本人の性質で片付けられようとしてたところ、漸く組合も動き始めたというが、これで動かないで何のための組合かね。

 で、私もあくびしたら即クビになった、という話をした。
私は母に「バカ!」と言われると思っていた。
しかし、あくびで自殺の話の後だからか皆「酷いねえ、あくびぐらいするよなあ」。
母も「『あくびは大脳の働きを活発にするんです』って言ってやればよかったじゃない!」と意外な反応。

 母とT叔父が、空いた皿を寄越せ、うるさい、と喧嘩になる。私は叔父に加勢。
「オレは命令されるのが嫌いなんだ!」
「じゃあもう二度とうちへ来るな!」
とやっているので、「じゃあ私も行かない!」と私。
「ああ来るな!」と母。

本当は今日は新座に泊まって、明日は絨毯選びに付き合うはずだった。
お店を出て帰り際、母は「絨毯は?」と言ったが「来るなと言われたんで帰ります」。
これからまた実家で飲んで母に怒鳴られ続けるのも面白くないので、帰れることになって良かった。
絨毯選びは必要なら明日また来りゃいい。

 23時半過ぎ、『ご近所』のNさんから「飲まない?」とメール。
24時「池袋にいます」。おお、それなら行くよ。

4時までやってる『ダイニングバー オリーブ』。
私はもうお腹いっぱいだが、結構食べ、ビールを飲み続けるNさん。

「この間口説こうとしてた女の人はどうなった?」
「ああ、あれはもういい。メル友って感じ」
「Nさん、メール下手。質問一言だけとか、失礼だよ」
「友達だからいいかと思って」
「仲のいい友達ならいいよ。でも私とNさんはそういう間柄じゃないでしょう」
「許して」
「許さない」

「とんだことしたことある?」と私に聞くNさん。
「とんだこと?クスリとか?」
「違う」
「警察の世話になるとか?」
「違う」
Nさんの『とんだこと』はストリートでギター対決をして勝ったとか、コンビニに血だらけのメイクをして行って皆の注目を集めたとか。ふうん。

閉店後4時半までねばる。お会計1万円ちょっと。
5千円札を出して「厳しい?」と聞くNさん。
「大変厳しい」と私。
「まあ、俺の方がいっぱい飲んでるしな」ともう一枚千円札を出すNさん。

収入がないと知っている女を深夜に呼び出して、私より遥かに飲んで食ってきっちり割り勘にしようとは、驚き。
「もっとちゃんとしたお店でご馳走させてよ」などと言っているので
「それもいいけど、ここもよろしく」。
「じゃあ、バッグビジネス成功したら奢って」
「いいよ。成功したらね」

JRの改札まで送れと言うNさん。お安い御用で。
2005年05月21日(土)

『歌わず、語れ。』,企画書,『フィフティーン』

 お友達のNANIOさんのネット小説『歌わず、語れ』

> 構想約5年、そしてホームページ開設とともに連載を初めたのが1999年夏。
> 幾多の挫折をくりかえし、執筆に苦節6年……
> 10年余りの思いを、ここまでひきずって・・・

書かれたという渾身の作品だが、遂に

> 完結しましたっ\(ToT)/

とのこと。素晴らしい!私も大変嬉しい。

10万アクセス目前の『NANIO PAGE!』は、何故か『抱茎亭日乗』といつもアクセス数が近くて、追いかけている感じだったが、これで一気に差が開きそうで、置いてかないでー!とも思う。

私も10万アクセス記念パーティーを構想中だが、お客様がかぶりそう。合同でやるか?
宮崎学さんと、ARBと、スカパラと、ナインアンダーと、冴島奈緒さんと、ゲストもたくさん。
トークショウ、ライブ、ポエムリーディング、そしてサーカスな宴って、どうかしら?
フリマとかオークションもやって、NANIO祭り。ああ楽しそう。

などと一人で空想。盛り上がってNANIOさんのBBSに

「じゃあ早速、お祝い&打合せがてら、飲みますか」

と投稿。

とはいえ、NANIOさんはシャブ中サバイバーの自伝的小説という偉業を成し遂げた。
私はただ、今にも終わりそうな日常を生きているだけで、人を集めるお題目がないではないか。とも思う。

 ならば、お題目は作ればいいのであって、活動開始。
言ってるだけの企画を、ブルンブルン始めればいい。
バッグ・プロデューサーとして企画書を書く。

紐や紙で作品を作るささきもと子さんに「バッグを作ってみない?」と持ちかけたのが3月28日。
何をするにも、思いついてから言葉にするまで、動くまで時間がかかる私。
でもやり始めると、結構ガーッと行くのだ。やるぞ。

出版企画だって、ブルンブルン。やりますわよ。

 高校1年の冬休みの宿題「80枚創作」で書いた、『フィフティーン』を公開することにした。
これも随分前から「やるやる」と言ってそのままになっていた。
実は1年ほど前、原稿の入力作業をするまでは、こんなに酷いとは思っていなかった。
あまりにも恥ずかしい出来だったので、途中で投げ出していた。

最近『サーティーン あの頃欲しかった愛のこと』という映画が公開された。
主演の14歳の少女は、13歳で脚本を書き、15歳で新人賞を受賞したという。

5月13日で上映が終わってしまって未見だが、この映画と『フィフティーン』を比べてみたいと思った。
封印したい過去の作品を晒すという、なかなか人がやりたがらない行為と、自分がどう向き合うのかという好奇心もある。

当時の現国教師の評価は忘れたが、ろくなものではなかっただろう。
一番読まれたら困る人に読まれて、「あれ、オレでしょう?」と言われるバツの悪い思いもした。
今誰に読まれて何と思われようと、あの時ほどのショックはないはず。

図書室から持ち出して以来、誰の目にも触れることのなかった『フィフティーン』。
時間の無駄なので読まない方がいいですが、ごく少数の興味のある方へ、ということで。
2005年05月20日(金)

クビ!

 3時間睡眠で駒込駅。クレジットカード会社で電話受付のお仕事。
派遣会社から勤務開始15分前に到着コールをするように言われており、電話をしていたら担当者に「ケータイは禁止です」と注意される。

出欠を取ると男性が一人無断で来ていないことが判明。担当者が派遣会社に連絡。
戻って来て「今、本人から電話がありました。無断欠勤は止めてください」。

初日は研修で、電話の受け答えの説明を聞く。
資料が配られている最中にふあふあ〜っとあくびをしたら「あなた、名前は?」と聞かれ、担当者が派遣会社に連絡。
戻って来て「桜井さん、お帰り下さい。出たら派遣会社に連絡して下さい」。

「はい。失礼します」と言ってトイレに寄って、ビルを出る。10:28。
ありゃ、1時間も経ってない。

派遣会社に電話。
「状況確認ですが、あくびしましたか?」
「しました」
「あー、そうですかー。やはり導入研修は大事ですから、緊張感持ってやってもらわないと」
「そうですね。大変申し訳ありませんでした」
「では、今日は出勤扱いになりますが、明日からのお仕事はキャンセルとなります」

おや、1時間分の時給が出るか否かと思ったら、今日1日は出勤とな。
それはなんだか得したような?……わけない!
この会社から再び仕事を紹介されることは、ないであろう。

参ったね。駄目だね。もう会社勤めは出来ない体になってしまったのか。
校正の仕事を書類ではねられたと言ったら、ギネス君に「だせぇ」と言われた。
電話受けのアルバイトをやると言ったら「ちゃんと仕事してるか、電話かけちゃおう」と言われた。
それが電話も取らないうちにクビって、遥かにダサい!みっともない!カッコワルーイ!

電話の仕事は経験もあるし、評価も悪くなかった。
時給は低いけど、つなぎには都合よく楽チンな仕事だと思っていた。
そう私が舐めてかかっていたのが伝わっていたのだ。
あくびは大脳の働きを活発にするのだよ、などと言っても始まらない。
ああ稼ぐのって面倒臭い。

まあ、他の人たちには緊張感が走って良かったのでは。皆様頑張って。
あの担当者の下でピリピリしながら何日も働かなくて済んだし、良かったわ。
と、強がってみたところで、さて私はどうしよう。

やはり本を、バッグを作るかしら?眠くならない仕事をするしかない。
2005年05月19日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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