お仕事,宮崎学 VS 鈴木宗男 in Naked Loft,『桃太郎』


 11時に会社の予定が、起きられず11:40。
先週分の見直しを終えて、第2弾を18時まで、78枚。始めに説明を受けていれば、このペースでできたのに!

 19時から新宿『ネイキッド・ロフト』にてイベント「突破者・宮崎学、鈴木宗男を斬る!」
テーマは「鈴木宗男はなぜ辞めさせられなければならなかったのか?政界の裏側、小泉政権etc.を徹底検証!」

私は鈴木宗男が大嫌いだった。選挙では地面に頭をこすりつけるようにして、役人には怒鳴り、記者の前では泣き、田舎の強欲オヤジが利権のためにギャアギャアうるさくあちこち動き回っている、そんなイメージ。
そのメディアを通じて抱いたイメージがどう変るのか、興味あるところだった。

胃がんを克服したと聞いていたが、あまりの血色の良さに驚く。ギラギラしている。凄い生命力だ。
休憩時間には会場の人全員に名刺を配り、握手をし、終了後は写真に納まり、まあ精力的なこと。

「始めに政治の生々しい話をしましょう」と宮崎さんが言って、郵政民営化法案の行方とその結果小泉はどうなるか。
宮崎さんが作った議員リストには法案に反対する◎、多分反対○、そして△、▼がつけられ、一人ひとりについて「この人の地盤は何処何処ですね」「これは誰々の子分ですよね」と宗男にコメントを求めていく。

だんだん宗男がタジタジになり「宮崎先生、これは、このリストはですね、ここには記者の方たちもいますし、ここであの議員は○か、△かとなりますと、それをもとに揺さぶりをかけられたりしますから、名前を出して記号をつけるのはどうかと、ええ、私、思いますよ」。
「じゃあ、やばい話はやめときますか」と宮崎さん。可笑しい。
これは宮崎リストの情報、読みの確度がかなり高い、ということだ。

宗男によれば、小泉は法案が通ると思っているし、選挙になっても勝てると思っている。らしい。
選挙になったら宗男は、新党で2人で立つとのこと。
お?チー様と二人で?と思ったら違うらしい。チー様には新党の名前をつけてもらうことになっているそうだ。

2部は宗男逮捕の狙いと、メディア、司法について。

よく分からなかったのは、宗男はマスコミによってひどいバッシングを受けたのに「メディアも不幸、権力に利用されている」とマスコミを擁護するところ。
可哀想なもんかね?自ら権力にすりより、悪者を仕立てて騒いで金儲けをしているメディアが、なんで可哀想なんだ?

他ロシアについて、アフリカについて。「利権、私欲でやってない」と宗男。
そのまま素直に信じるほど素朴な私ではないが、理念があるように感じさせるのはさすが、と感心した。

宮崎さんのイベントでなければ宗男の話など聞こうと思わなかった。面白かった!

 電脳キツネ目組の人たちと歌舞伎町でお寿司『桃太郎』。ちょっとつまむつもりが一人7,000円。イテテ。
2005年07月20日(水)

お仕事,『仮面ライダー響鬼』オタク,ささきもと子バッグ


 バーゲン巡りで気になっていたジュンヤ・ワタナベのトップの在庫を伊勢丹に問い合わせる。
「売り場は全て秋冬物になっております」。
そうか、バーゲンも終わってしまったか。今シーズンは1着しか買わなかった。お金もないし、丁度いいか。

 機械部品カタログ校正に問題があったのか緊急呼び出しで午後から会社。
「何か不備があったのですか?」と社長に聞いたら「いや」。
しかし、細かく見ていたところは必要なくて、飛ばしていたところをもう一回見てほしい、とのことで先週の分全部見直し。
やはりマニュアルを読むだけで始めるのは無駄が多くなるのでは。

持ち帰りの仕事も発生。晩御飯に誘われるもお断りする。
知育絵本シリーズ、今回は『仮面ライダー響鬼』の校正。
前回の『魔法戦隊マジレンジャー』で要領が分かったつもりで開始が遅くなり、朝5時半までかかってしまう。

同時進行で、ささきもと子さんとバッグ製作のメール打合せ。こちらも3時半までやりとり。
可愛いバッグが間もなくできる。楽しみ!
2005年07月19日(火)

宴の後,『土間』


 始発の時間になって、皆で片付け。
和服限定なのにTシャツなどで来た人は、ペナルティとして洗い物をさせられていた。素晴らしいルールだ。
私の後に3人ぐらい洋服で来た人がいて、洗い物の溜まり具合と丁度いい感じだったのでは。

甚平にさらしの大工さんと、浴衣のテレビ制作マンと、3人で西荻窪駅。
エスカレーターで前に立っていたら後ろから大工さんに足を触られる。ビックリした。

パーティーで「何フェチ?」という話を皆でしていたからか。
ラジオアナウンサーのきれいな女性は、電車の中で突然腕をつかまれ「僕、矯正フェチなんです」とジーッと歯を見つめられたことがある、と言っていた。

パーティーで話したことといえば、岡村靖幸。
下町の祭りスタイルが凄く似合っていた、私と同じ「サクライさん」という男性が、岡村ちゃんの大ファンだと語っていた。
帰ってみたら、岡村ちゃん覚醒剤で逮捕。あらら。

 高校からの友人、香港在住のSちゃんから突然の召集で品川イーストワンタワー『土間』。緊急帰国していたらしい。
一流企業への転職を繰り返す華麗なママさんでもあるSちゃんは、私の見合い話とかギネス君の話を聞いて
「なんで真理ちゃんはそんなにいろいろあるの?」と言う。
いろいろって、トホホ話ばっかりだけど。

お見合いの話をしたら

> あまりがんばって欲しくないな(^^ゞ僕がくどきたい

と言ってくれる人もいたので

「では頑張ってみて下さい。あはは」

と返した、と言ったら元生徒会長Nさんに
「可能性が無いのに気を持たせたりするのは良くないわ」と言われる。
「それはわからないよ。すんごい頑張ったら、心を打たれるかもしれないじゃん」

 宮崎学さんにお見合いの報告。
「三里塚闘争に青春を捧げたとかで。そんなこと熱く語られても…って感じでした」
「暗いな。まあ当分一人でおれ」
「はい」
いや、やっぱり駄目。楽しまなくちゃ!
2005年07月18日(月)

テレビ朝日『サンデープロジェクト』,和服限定宴会

 二日酔い。気持ち悪くて何度も起きる。
いつ布団に入ったのか知らないが、母もウンウンいいながら寝ている。

突然母が起き上がって「あら!8時!」と言って、また横向きに寝て足を上げ始めた。
いつもは5時ぐらいに起きて行ってる体操サークルに寝坊して、自主連してるのか?笑った。

「寝過ごしちゃったわ、こんなこと初めて」と母。
「多分お母さんが寝たの、4時ぐらいだよ」
「あらそう?」
母も昨日は相当飲んでいたようだ。

 テレビ朝日『サンデープロジェクト』に宮崎学さんが出演すると聞いていた。
頑張って起きて、お風呂に入って、見る。本日のテーマは「談合」。
「私は毎日のように談合してましたから」と宮崎さん。
「え?!そうなんですか?」と大仰に驚いてみせる女性司会者。

 「浴衣があるから取りに来て泊まれ」と言ってしまった手前か、和服限定宴会に出席する私のために和服探しに奔走する母。
母の浴衣はつんつるてんで駄目だろう、とのこと。いろんな人に電話してくれる。
しかしよく知らない私に着物なんて貸してくれるのか?帯やバッグはどうするんだ?

着物でも浴衣でも甚平でも作務衣でもいい、と言ったら「あ!Hさんなら法被があるんじゃない?」
「おお、そうだね!法被なら簡単でいいや」

期待して待つが「探したけど無かったよ」と塗装工のHさん。
とりあえず見てみよう、ってことで母の浴衣を探すうちに、押入れから絽の着物が出てくる。家紋入り。
「多分お母さん(私の祖母)のよ」と母。
「これは金子(母の旧姓)の家紋なの?」
「知らない。金子だか高橋(祖母の旧姓)だかわからない」

これでいいじゃない!→じゃあ誰かに着せてもらわなくちゃ→Hさん着付けもできるって→嫌だよ!
などと3人でギャアギャアやっているうちにHさんが
「こういうの着てる人はいない」と言い出す。
「変わってていいんじゃないですか?お葬式みたい?」
「うーん。イトーヨーカドーに1万円ぐらいで浴衣セットが売ってるから買ったら?」
「えー、そんなの…」

しかし、このクソ暑いのに絽の着物を着て出掛けるのもしんどい。
気に入る浴衣が無かった時のために黒い羽織だけ持って帰る。
母が浴衣代をくれた。私の遊びのために。昨日の母の涙を思い出し、心が痛む。しかし何も言わない母娘。

 Hさんに昨日のお見合い相手Sさんの電話番号をもらう。SさんとHさんは4時まであのスナックで飲んでいたらしい。

 『池袋西武』、『PARCO』で着物、浴衣を見る。欲しい物が無いし、値段も4万円とか。困った。

 結局、ジョン・ガリアーノの金太郎みたいなビスチェ、黒のショートパンツに借りた家紋入りの羽織って、ガイジンの勘違いジャパネスクみたいな格好。
ひい、どうしよう。でももう時間もないし、出掛ける。
皆は、可愛い浴衣とかちゃんとした着物で来るんだろうなあ。こんなの、いいのかね?冷たい視線を浴びそうだ。

 二日酔いのまま西荻窪のAちゃん宅に着いたのは20時過ぎ。
玄関が開いていて扉に大きな「宴」の筆文字が、通りからも見える。おお。

恐る恐る入って行くと、やはり女の子は皆浴衣で、写真を撮りまくっている。
「すみません、こんな格好で」とAちゃんに謝ると
「うわー!皆、見て!桜井さんやっぱり違うわー!」
え?
「すごーい、討ち入りみたい!かっこいいー!」
え?大丈夫なの?
「おおー、家紋が入ってるよ!回転して!」
そう?クルクルクルクル。

で、みんなの絶賛を浴びる。大評判であった。
調子に乗って羽織をチラッと脱いでみたら「エロい!セクシー!」とまた大騒ぎになって、もう得意顔。
わはははは!ありがとう、お母様、おマスさん(祖母)!

いやー、楽しいね。Aちゃんちのパーティーは。
女子は皆浴衣。男子は浴衣、甚平、法被にねじり鉢巻といろいろ。さらしを撒いてる人までいる。
前回5月4日「緑の日」は70名という驚異の参加人数だったが、「和服限定」のハードルは高く、精鋭が30人ほどか?

会話も楽しいお習字部屋、音楽談義部屋、キャバクラ浴衣祭り部屋。西瓜、南瓜、冬瓜も美味しい。
私は二日酔いのため始めは緑茶、だんだん復活して日本酒、焼酎。いいお酒が揃っているから。

 実は今日は早朝から川原でバーベキューというお誘いもあった。
新座・お見合いファッション→調布・アウトドアルック→西荻窪・和服に対応するのは無理と判断した。
バーベキューは冴島奈緒さんが来るので会いたかったが。

 3時ぐらいに眠くなってベッド。ベランダでタバコを吸ってる人たちのウンコ談義を聞きながら少し寝る。
2005年07月17日(日)

お見合い,新座泊


 仕事と明日の状況が不明で確定していなかったが「お見合い決行ですか?」と母に問合せ。
17時半になって電話が来て「あんまり先になるのも良くないから、今日にしましょう」とのこと。

紹介者Hさん案:先方がよく行く飲み屋のパーティーがある。そこへ私と母が偶然っぽく行く。

「偶然」なんて全く不自然だし、みんなが知り合いの飲み屋のパーティーに私が初めて行くのはどうなんだ?
母案:まずは寿司屋で会食、その後二人でどこかへ。

なぜ寿司屋が却下されたのかわからないが、東久留米のきれいな店に、パーティーを抜け出して先方が来る。
という段取りになる。

20時に東久留米駅。私の人生初のお見合い会場は駅前のスナックだった。
「きれいな店でしょ」と母。汚かないが…。食べ物もある、と聞いていた。
「何がありますか?」と聞くと「焼きそばとか」「焼きそばと?」「焼きそばですね」
見合いに焼きそば…。青海苔が歯についたりしていいのか?空腹なので食べる。
「美味しいでしょ?」と母。
「普通」

紹介者である塗装工Hさんが来る。
お見合い相手のフリーライターSさんを「とにかくハートのいい男なんだ」。

そして大工のなんとかさんと一緒にSさん登場。
ポロシャツに短パン姿。「スミマセン、こんな格好で」。別にいいけど。

48歳には見えない。
若い頃は成田空港の反対闘争に燃えたそうで、かなり目立っていたとか。だから成田空港は絶対使わないという。
もの書きの仕事の話、ヤンキース松井の話、映画の話、過去の女性の話。

前にSさんに会っている母は「タバコは吸わなかったと思うわ」と言っていたが、原稿を書くときは1日3、4箱吸うらしい。

「僕なんか興味ないでしょ。あなたみたいな人が僕に関心あるなんて、おかしいですよ」と何度も言うSさん。
なんだかよく分からなくなってきた。このお見合いは私がSさんに強く会いたがったためにセッティングされたものなのか?

私はカラオケは嫌いだ、と言っているのに何故東久留米のオヤジたちが演歌をがなり立てるスナックでお見合いなんだ?
「二人でどこか他の店に行く?」と母に聞かれたが、もう面倒なので「ここでいいです」。
Hさんの入れてくれたヘネシーをガンガン飲む。

Hさんとチークダンスを踊る母。
私と父親の話になって「この子は冷たい。潤いがない」とSさんに訴え、泣く母。なんなの、この絵は。

 泊まるつもりはなかったのだが、明日の和服限定宴会用の浴衣を借りるため、2時過ぎ、新座の実家へ帰る。
先月泊まった時に2階のベッドでダニに刺された。今日は母と布団を並べて寝ることにする。

私が布団に入った後、母は別の部屋でずっと泣いていた。
酔って泣き上戸になっているのか、何が悲しいのか知らないが、私は声をかけない。

私が冷たい人間だと言うなら、何故冷たくされるのか原因を考えればいい。
今母が私を恨んで泣くように、私も幼い頃、思春期の頃、母を恨んで散々泣いた。
母のすすり泣きを聞きながら、いつの間にか眠る。
2005年07月16日(土)

お仕事,宮崎学さん,『檸檬屋新宿』,ギネス君ナンパ待機中


 昨夜は飲んで帰って寝てしまったが、3時に起きてお仕事。
本日はマンション全戸に排水口掃除の業者が来ることになっているので、掃除、洗濯をしながら13時まで。

会社に行って続き。15時ぐらいに昨日の分が終わる。
本日分は残り30枚の予定だったが、パートナーHさんの仕事が早く、私は16枚やって終了。
ギャラはページ単価なので多くこなした方がいいのだが。

始めの2、3日えっちらおっちらやってた分を見直して、納品発送作業を20時過ぎまで。
6日間2人で500枚のうち194枚。次回はもっとできる。頑張ろうっと。

 宮崎学さんと都内某所。
最近聞かれるのが「男はできたか?」ではなく「掃除してるか?」
「はい!」排水口だけですが、…とは言わない。

 今週3回も来てしまった『檸檬屋新宿』は本日大賑わい。住枝さんパニック。

 終電よりちょっと前の山手線で帰る。
池袋駅を出て、前方約100m『ビックカメラ』の降りたシャッター前に見覚えある人影発見。
先方も私を見て、看板の影にすっと隠れた。ギネス君に違いない。

ガードレールに座っているギネス君。
私は笑いながら「何やってるのー?」って明らかにナンパ待機中だ。
「可笑しー。ははーん、こうやってたわけねー。なるほどー。ねえ、ちょっとやってみてよ」
苦笑いのギネス君。
「帰りなさい、大事なところなんだから」
「えー、どんな風に声かけるの?見たーい。見ててあげるからやってみて」
「帰りなさい」と駐車場に逃げるギネス君。
私も駐車場に入って行って「勝率ってどのぐらいなの?」と迫る。
「そこそこ」
「ふーん、そうなんだー」
「もうやだ。落ち込んだ。早く行って」
車輪止めに腰を下ろし、ずーっと下を向いているギネス君。黙ってしまった。
なんだか可哀想になってきた。「じゃあ帰るね」と言っても項垂れたまま頷くだけ。

ギネス君もバツの悪い思いをしたかもしれないが、私も少なからずショックだった。
笑っていたけど顔は引き攣っていたかもしれない。

帰り道、いろいろ考える。
連休前で気合が入っていたのかな。邪魔しちゃって悪かったかしら。
前からああやってナンパを繰り返し、私はそれに引っかかったって訳か。
私に会うかもしれないことぐらい想定しろよ。
私に使った手を繰り返しているという事は、私は「失敗例」ではなかったってことか?

ギネス君に対しては好きな気持ちはほとんど失っているが、感心と軽蔑、心理的な興味が入り混じっている。
また会うだろうか?次は無視されるかもしれない。

「調子はどう?
ナンパ作戦うまく行ってる?
実は私の今年のテーマはナンパだったのです。
されるのではなくする方ね。
極意を教えて!」

なんてメールを送ってしまったから。
2005年07月15日(金)

二木会,御茶ノ水居酒屋,『ダブリナーズアイリッシュパブ』


 持ち帰った機械部品カタログ校正のお仕事。今日は56枚に挑戦。
しかしお出かけのため17時まで。後は帰ってからやる。……つもり。

 T叔父に誘われて知った『平成フォーラム・二木会』は平成元年から続いている第二木曜日の勉強会で、今回が第180回。
本日の講師は元日本経済新聞ベンチャー市場部長で現日本経済研究センター主任研究員の大塚将司氏。

大塚氏は2003年1月、突如社内メールを使って日本経済新聞社社長鶴田卓彦を告発、退任に追い込み話題になった。
大新聞のサラリーマン記者が、自社の、「天皇」とも呼ばれていたワンマン社長に喧嘩を売った、ことの顛末はいかに?
興味津々のテーマだが15分程遅刻。

企業の内部告発というと、現体制に干されている人物からとか、派閥抗争絡みだったりするのが常だが、大塚氏の場合そのどちらでもない、義憤にかられての反乱だった。
*詳しくは大塚将司著『日本経済新聞の黒い霧』(講談社刊)を。

日本ムラ社会では組織に反旗を翻したりすると孤独で惨めな結果に終わることも少なくないが、大塚氏は裁判で和解。懲戒解雇されたが復職し、給料も変らず。

そして日経改革は大きく進んだか、と思いきや鶴田の元秘書が幹部に複数いて、事件のほとぼりも冷め「夜の社長室(=赤坂の高級会員制クラブ)」が復活、元秘書を編集局に配置するなど宮廷政治体質は変っていないとか。

私の質問。
「年間3500万円の交際費を使い、1000万円の株式配当を個人で得ていた鶴田は何にお金を使っていたんでしょう?わからない、とのことでしたが、証拠はないけど多分女とか、政治好きだったとか、大塚さんは何かネタを握って喧嘩を仕掛けたのではないんですか?」

大塚氏。「わからないです。女好きはかなり好きでしたけどねえ」

大塚氏は「裁判の決着は玉虫色でしたから、すっきりとはしないですね」というが、私は痛快だと思うし、かっこいい喧嘩だったと思う。

朝日、読売など大手新聞各社の組織体質と企業体質の共通点と違う点の話なども大変面白く。

 御茶ノ水駅近くの居酒屋にて懇親会。
他の皆さんは大手マスコミの給料とか車代とか、お金のことを話していた。
私は大塚さんに、組織対個人の喧嘩のいろいろな局面での判断、組織人としての立場とジャーナリスト魂の葛藤、「やった!」「やばい」「しまった…」などドキドキ話をもっと聞きたいと思った。

 5月21日に母と喧嘩して以来連絡を取っていないT叔父と、池袋『ダブリナーズアイリッシュパブ』。

母は、T叔父が酷いことを言ったので追い帰したと言っていた。T叔父が何と言ったのか私に言わなかった。
「そうか。何か悪いこと言ったかとずーっと考えてたんだが、思い当たらなかった。でも、君に言わない、ってことでなんとなくわかった。怒らないでよ」とT叔父。
「わかりません。私も怒るかもしれませんよ」
「いや、怒らないでよ。君の今の仕事の状況。全く安定していなかった君のお父さんと一緒じゃないか、2人はそういうタイプの人間なんじゃないかって言ったんだ」
「それは事実じゃないですか」
「だろう?君のお母さんの見方は違うかもしれないけど、周りはそう見てた」
「母は父親と一緒にT叔父さんを援助した、という強い自負がありますから、T叔父さんに言われたくない、というのはあるかもしれないですね。私は威張り過ぎだと思うけど」
「愛する人のことを悪く言われたくないんだな」
「謝る事ではないと思うけど、何に傷つくかは人それぞれですからね」
「『謝ってた』とか言うとまた蒸し返すから、『気にしてた』って言っておいてよ」
「わかりました」

2003年9月5日に母に「親子の縁を切る」と言われて、仲裁してくれたのはT叔父だった。
今度は私が姉弟の仲裁役となるか。しかし、何をやってんのかね、我がファミリーは。

 帰ってお仕事の続き……できるわけない。
2005年07月14日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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