映画『大変な結婚』,『おまた』


 メール、電話でパーティー打合せ。悩んでいた会費も39・サンキューってことで3,900円、当日4,500円に決定。
早速メールでお知らせを始める。

ところで司会とか受付とか、いないとまずいか。どうしよう。ボランティアいらっしゃいませんか?

 またしても『恋する神父』『ヒトラー〜最期の12日間』は立ち見、仕方なく『大変な結婚』を見ることにする。

レイトショーなので時間まで『おまた』で飲む。
女子サッカー放映中。「スポーツカフェみたいですね」と言いながら美味しい日本酒を一杯。
映画の話、パーティーの話。

「ゲストライブで冴島奈緒さんが来てくれるんです」
「なんかAV女優みたいな名前だね」
「そうそう、その冴島奈緒さんです」
「そうなんだ!」

お会計2,750円。「パーティー前売り3,900円でしょう」と言っておまたさんが1,150円くれる。
「あらま。お客様第1号ですよ!」
感激!なんか幸先いい感じ。

 しかし映画『大変な結婚』は、またしてもテレビドラマのような、うっすーい映画だった。
この映画を3回見るとなんたらとかいうキャンペーンをやっているが、何ら謎があるわけでもなし、細部に仕掛けが、とかいう映画でもない。こんなの3回も見る人がいるのかね。
2005年08月03日(水)

パーティー企画,『シャマイム』,宮崎学さん,『檸檬屋新宿』,口説かれない女


 今週は金曜日にゲラが出るので、木曜日まで思いがけない夏休みとなる。

 やることいっぱい。まずはパーティー準備。
21日『エールハウス』が決まって、冴島奈緒さんも協力してくれることになって、ゲスト出演のみならず、いろいろ相談。
東京、日本だけではなく、世界の都市でパーティークイーンだった奈緒さんだけに、心強いアドバイス。

夜になって『ナインアンダー』メンバー全員のスケジュールも確定。やった。
ワクワク。イベント企画は楽しいなあ。皆様にとっても楽しいパーティーになりますように!

 母と絶縁状態になってしまったT叔父に、母の伝言を伝えたら

> やあ。メールありがとう 若貴のように兄弟がはやっているが自分が当事者になるとは思わなかった 何を言ったから怒っているのか原因を知りたい 僕がわるければ改めて謝るが原因がわからないと対応できない 今は静かにしてたほうがよいかもしれないが聞いてみてください どうしても和解したくないならいないものと考えあきらめる

とのことで、対策会議。

叔父が「行ってみたかった」という江古田のイスラエル料理『シャマイム』。
私は何度か来たことがあるが、いつになく空いていた。
『シャマイム』は日本で唯一のイスラエル料理専門レストラン。自爆テロを恐れてか?
いろいろ食べられて安くて美味しくて私は好きだ。

7月28日に母が言ってたことをT叔父に伝える。
こういう時、双方の言葉をそのまま伝えたら仲裁にはならないものだと思うが、私は今回T叔父の味方なので、あえてそのまま伝えて、母の悪口大会。

「あの人に47年勤続を威張るな、とは言ったけど、それは理由じゃないな。やっぱりYさん(母の夫。私の父親)のことじゃないか。お祖父さんの遺産の事はもうずっと前に兄弟全員が納得している話だ。それを言うのはおかしいよ」とT叔父。
「私は叔父さんは謝らなくていいと思いますよ。母は叔父さんに対して威張り過ぎ。
母の働いていた組織で『私を知らない人はモグリと言われていた』ってよく言ってるけど、そういうことは人がいうのであって、自分で言うことではない。誰も言ってくれないから自分で言ってる」
「そうだよなあ。恥ずかしいよ。兄弟だって、仲がいいのは俺ぐらいなんだから」
「私は母が謝るべきだと思うけど、あの調子だと謝らないだろうなあ。」
「俺は、あの人は田中真紀子とか土井たか子と同じだと思う。絶対謝らない」
「私は喧嘩して何回か謝られたことありますけどね」
「俺には謝らないな」
「でも、叔父さんに何かあったらすっ飛んで行きますよ。喧嘩してようと普段文句ばっかり言ってる人だろうと、そうですから。絶対一番に駆けつけると思います。そういう厚いところはある」
「まあ、そうだな。しばらく暑いし、いいや。静かにしてよう。また涼しくなったら、なんとかね」

ということになる。
そして私の初見合い顛末。土井たか子、田中真紀子の話から7月20日の鈴木宗男 VS 宮崎学の話。
そこへ宮崎さんから「今から来んか」と連絡が入る。

「う、え、あ、今、母と叔父が若貴、浩宮礼宮状態で、叔父と対策会議中なんです」
「そうか。それは叔父さんを大事にな」

T叔父には宮崎さんの『愚者から愚民へ』をあげたし、『檸檬屋新宿』でチラッと会ったこともあるし、宗男話も興味津々だったので「一緒に行かない?」と聞いてみたが「今日はいいや。明日も早いし。宮崎さんにはまた今度是非」。

 T叔父にご馳走になって別れ、私は宮崎さんのいる都内某所へ。
「仲裁は失敗か。グフフフ」と笑う宮崎さん。

宮崎さんは叔父の「田中真紀子・土井たか子・私の母」説に激しく同意。
「いつそう思いました?」と聞いたら、5月13日『檸檬屋新宿』のイベントで、と言われて消え入りたい思い。

娘の私は母の醜い面も受け継いでいる。違いはそれを自覚しているかいないかだ。

 なんと、21日宮崎さんは神保町でトークイベントがあるという。
「えー、その日に私もパーティーを企画したんですが。ああ、それだと電脳キツネ目組の動員が見込めない。厳しいなあ」
「なんのパーティーだ?」と宮崎さん。
「私の日記のゾロメなんですが。あと誕生日。で、冴島奈緒 VS 宮崎学トークショウとか考えたんですけど、宮崎さんにお願いすると法外なギャラをお支払いしなくちゃいけないかと思って」
「そりゃそうだ。高いぞ」
「宮崎さんが冴島奈緒と何を話すの?」と21日トークイベントの主催者でもある編集者Sさん。
「男の道、女の道、愛と情とエロスについて」
「そんな話を宮崎さんがするわけないでしょう!なんで宮崎さんがエロなんだ!」
「そんなことないですよ、ギャラ次第でしょう?」
「ああ。当たり前じゃねえか」と宮崎さん。
「21日のギャラはいくらなんですか?会費は?」
「無料」
「へ?無料?!じゃあ、こちらはギャラをお支払いしますから、パーティーに来て下さい!」
「だめだよ、もう決まってるんだから」と笑うSさん。
キツネ目の男宮崎学、引っ張りダコになる。

パーティーの時間を遅くして掛け持ちできるようにすれば、トークイベントは無料だしキツネ目組の人たちも来てくれるのでは。
てなわけでトークイベントは神保町14:00‐18:00、パーティーは池袋18:30−21:00!皆様ヨロシク。

 『檸檬屋新宿』。住枝さんも私の母とT叔父を知っているので、姉弟の確執を笑う。
パーティーの「冴島奈緒 VS 宮崎学〜男の道、女の道、愛と情とエロスを語る〜」企画に「おっさんはそういう話苦手やろ」と言いながらも結構興味ありそう。

しかし、4時間!ものトークの後また語って下さいとは言えない。
なのでパーティーは『ナインアンダー』のゴキゲンなロックと、奈緒さんの「大人の女」な音楽でお楽しみいただきます。

 私を頑張って口説きたい、と言っていた男性から

> 口説けなくなっちゃったけど影の応援は継続です。

とメール。

「ありゃ、なんで口説いてくれないんですか?戦意喪失?他の標的が現れましたか?」

と聞いてみるが応答無し。どういうことやねん!
「口説きたくなくなった」ではなく「口説けなくなった」なら、言い訳ぐらいしてほしい。ちぇっ!つまらーん。
2005年08月02日(火)

『デニーズ』,映画『ダンシング・ハバナ』,ギネス君のエール,『OASIS』

 会社に行ったら、高校からの友人Mがいた。7月まで別の現場にいたMと情報交換ランチで『デニーズ』。
仕事の話、近況報告。
「『ご近所さん』たちはどうした?」とM。
「岡山のプーチンだけメールが続いてる。あれ、ギネス君の話はしたっけ?」
「少し聞いた。どうなった?」
「もう終わってるんだけど、池袋でよく会うんだよね。どしゃ降りの中送ってあげたり、向こうがナンパ待機中だったり」

 前回より早めに仕事を切り上げるが、今日も『恋する神父』も『ヒトラー〜最後の12日間〜』も立ち見なので、諦めて『ダンシング・ハバナ』。

面白くない。音楽がダサい。オープニングの曲でひっくり返る。革命前のキューバだから?
キューバ音楽は好きだけど、映画スタッフのセンスが私と合わないのか?

主役のディエゴ・ルナは『天国の口、終りの楽園。』は良かったような気がするが、かっこよくない。
ダンスは頑張っているけど、あまりセクシーじゃない。
10代が主人公の青春映画だから?セクシーじゃないサルサは悲しい。

 池袋駅、マクドナルドの前にギネス君発見。おお、噂をすれば。
「よくわかったねえ」って、わかるよ。
「観察されるから逃げよう」と歩き始めるのでついていく。
裏道に入って植栽の鉢(?)にビジネスバッグを置くギネス君。

「この間(7月15日)はあれから頑張ったの?」と聞くと苦笑い。
「今日って、なんかあったのかな?」
「神宮の花火大会」
「ああ、それで浴衣が多いんだ。で、浴衣ギャルを狙っているわけね」
「うるさい。帰りなさい」
「はい。ところで私のメール、ついてる?」
「さあ。ついたような気がする」
「そっか。じゃあね」
「じゃね。逆ナン頑張って」
あ、やっぱりちゃんと読んでたんだ。

もはや動揺することもなく。しかし、月曜からこのクソ暑い中スーツ姿で、ミニタオルで汗を拭き拭き頑張るのう、29歳。感心する。

 『OASIS』に寄って、社長の鈴木さんに姉妹店『エールハウス』でのパーティーについて相談。
誰からも芳しい反応はないし、スペシャルゲストのスケジュールも未確定だが、会場を押さえておかなきゃ話にならない。
諸条件を聞いて、21日を仮予約。そうこうしている間に『ナインアンダー』のジャブロ君から「多分大丈夫」と連絡あり。
よーし、やるぞ!
2005年08月01日(月)

「内富義之氏が語る、万年東一」,『檸檬屋新宿』,『とときち』,『楽庵』

 宮崎学さんの著書『万年東一』『不逞者』の中で登場する、社会大衆党党首・安部磯雄襲撃事件の実行部隊であった内富義之氏の勉強会が、都内某所であった。

「万年への傾倒がひときわ激しく後年に至るまで万年の脇を固めた舎弟の一人である。氏は現在90歳。今でも『兄貴に付いて良かった、本当に楽しかったね。もう一回生まれたら、やっぱり万年の兄貴につくよ。』とおっしゃる。そういう風に万年東一の颯爽とした生き様に惚れぬいた内富さんに、万年さんの思い出と愚連隊流の生き様を語って頂く」と宮崎さん。

非常に貴重な機会なのに30分遅刻。会場は満席。重ねてある椅子をガタガタと取り出してもらって座る。

内富さんは非常にお元気で、万年さんのエピソードいろいろ。

万年さんが愚連隊とは全然違う組織である軍隊にいた時に、嫌な思いをしたり苛められたりしたことは?という問いに
「名前で助かったって言ってました。『お前は名前がいい』って…。どこへ行っても好かれる人なんです。誰でも好きになる」とか

「グレープフルーツが体にいいって聞いて、グレープフルーツばっかり食べてました。食べ過ぎは良くないんですけどね」とか。

 二次会は『檸檬屋新宿』。移動中に、入院手術を乗り越え元気に復活して滋賀県から来たUさんとお話。

 檸檬屋に入る前に母と電話。先日の「金なら貸せん!」の顛末について母の見解。
「私の格好とかを見て、あんたに言ってきたんじゃないかしら」。私もそう思う。

 檸檬屋では、政局、アウトロー界の夏の陣他いろいろな話。

 居酒屋『とときち』。万年さんに因み生グレープフルーツサワーの杯を重ねる。

本日の参加者はほとんど男性で、中に宮崎さん関係のイベント初参加の女性がいて、お話。

年齢について。
「若々しい=○、年寄りくさい=×というのはおかしいと思う。その価値観に毒されている自分もいや」と意見一致。

私は若く見られる方だが、喜んで「幾つに見えます?」と聞いて2、3若い年齢を言われて「なんだ」と思う。

でも、その女性は私より10歳以上年上だが「同い年」と言っても通用しそう。
「若く見える」というのはこれぐらいじゃないと。美容関係のお仕事と聞いてナルホド。

 寅さんの真似をして私を「さくら」と呼ぶMさんが「蕎麦食おう」。
「いや、もう無理」と言ったが、
「この間の寿司『高かった』って日記に書かれちゃったからな、奢ってやる」と言われてついていく、現金な私。

新宿2丁目の『楽庵』。お腹いっぱい、といいつつスルスル。ご馳走様です、おにいちゃん。
2005年07月31日(日)

『植垣康博&李紅梅ご両人の結婚を祝う会』,『バロン』,ささきもと子バッグ


 午前中激しい雨で、結婚パーティーに出かける格好に悩む。考えていたら雨は止んだが時間がなくなり、走って駅へ。

乗り遅れられない「ぷらっとこだま」で静岡。化粧は車中。現金とご祝儀袋は静岡で調達せねば。

 車中、『MARIBAR』パーティー開催の意向を関係各位に送ってみる。この段階で反応が悪ければ駄目だろう。

 16:55静岡着。静岡は不便な街だ。コンビニがあまりない。静岡銀行は土曜日は提携銀行のキャッシュカードが使えない。
三井住友銀行の場所を聞いたら、駅に立ってた警官が教えてくれたのは三井信託銀行だった。もう。

松坂屋の店員は地図を持ってきて説明してくれ、結婚パーティーの会場のホテルも教えてくれた。親切な人だった。

 銀行に向かって歩いていたら「桜井!」と呼ぶ声が。
振り向くと、黒いタクシーからサングラスの男性が窓を開け、タクシーの進行方向をこっちこっちと指差している。
銀行に向かう私を道を間違えたのだろうと、ホテルの方向を教えてくれたらしい。

しばらくして三浦和義さんから電話。タクシーの男性は三浦さんだった。
心配して電話までくれるところがさすが三浦さん。まめ。

汗だくになって『静岡グランドホテル中島屋』のテラスラウンジ。
三浦さんが蜷川正大さんとお茶をしていて、私もアイスティーをご馳走になる。ほとんど一気飲み。

三浦さんはサングラスが赤みがかっているものに変っていて、相変わらずのかっこ良さ。
実は紹介して頂いた蜷川さんと私は同じこだまだったらしく「あら、もしかして化粧してるところを見られちゃいましたか?」と恥ずかしい思い。

三浦さんは月刊誌に写真日記を連載することになっているそうで、写真を撮られる。私の写真なんか撮ってどうすんじゃ?
映画製作の話などもいろいろ聞きたかったのだが、時間でパーティー会場へ。

私はロメオ・ジリのドレスに着替える。三浦さんに「また派手になったね」と言われる。三浦さんにはまるっきり負けるが。

植垣さんは紋付袴姿でお出迎えをしていた。会場には宮崎学さん、電脳キツネ目組の人たちもいて、ご挨拶。
23歳の新婦は朝鮮族の中国人とのことで、赤と緑のチマチョゴリが可憐な感じ。

客席はマスコミ、左右思想系、法曹界など多彩な面々の集まりで、スピーチも皆めちゃくちゃ面白い。
特に獄中にあった人たちの連帯感は強く、しかし皆明るくてとてもいい雰囲気だった。

ご夫婦の年齢差は33歳。植垣さんは27年間獄中にあったので、その年を差し引けば実社会年齢的にはお似合いだ、というよくわからない共通認識もあり。
特に植垣さんのご両親は嬉しそうだった。

中村うさぎさんに「ドキュメンタリー映画『UTAKATA』見ました。監督の中田文さんは知人なんです」と挨拶。
「ああそうなんですか」と見開く大きな目が印象的。

 うさぎさんに映画の話、ホストクラブ通いの後はまっているものなどを聞きながら、電脳キツネ目組の人たちも一緒に二次会場『バロン』へ。

植垣さんのお店『バロン』はぎゅうぎゅう立ち飲み状態、床で座って飲んでいる人もいる。

キツネ目組は新婦の友人、親戚の若い女性たちにいきなり「小泉の靖国参拝は反対?私は反対」などと話しかけている。堅いなあ。

 明日は午後から新宿で宮崎学さんのイベントがあるので、帰りをどうするかというのは着いた時からの皆の話題だった。
新幹線最終か、夜行の「ムーンライトながら」か、朝まで飲んで帰るか。

私は明日からインド出張のHさんと一緒に新幹線で帰る。

 車中ささきもと子さんから電話。バッグの話いろいろ。トンネルで電波が途切れてアウト。帰って話の続き。

 『MARIBAR』パーティー、最もコアな人たちに聞いてみたのに「いいね!行く!楽しみ!」という反応は無し。
これじゃ難しいかなあ。

植垣さんの結婚パーティーもご本人たちは遠慮するも、周りが是非と呼びかけ人となって催されたのであって、自分からやるものではないかもしれない。

でも、多分やる。だって面白いと思うもん!
2005年07月30日(土)

金なら貸せん!,第17回池袋演劇祭審査員説明会,『アナスタシア』


 午前中、Xさんから「お願いしたいことがあります」と留守電メッセージ。
通勤中何度も公衆電話からかかってきて、何事かと思ったら
「女房が出かけてて、日曜に帰ってくるが、それまでにお金が必要で、誰にも連絡がつかなくて、45,000円用立ててもらえないだろうか?僕の事だから絶対迷惑かけません」という話。
「へ?私お金ないですよ」
「そうですか。困ったな」
切羽詰った様子で大変そう。今現在45,000円なら口座にあるかもしれない。
「日曜日には女房が帰って来て、すぐにお返しできますから、郵送でお返しします」
「へ?郵送?なんで?」
「いや、急いで返した方がいいかと思って」
ってよくわからない。14時までに振り込んで下さい、と言われて口座番号を聞いて電話を切る。

母に電話。昨日の激論後なので「なあに?」と怖い声。
「今ね、Xさんから45,000円お金貸してくれって電話があったの。どう思う?まさか寸借詐欺ではないだろうけど、私にお金貸してくれって、変じゃない?」
「まさか。私が貸してもいいけど。」
「いや、それは大丈夫。ちょっとYさんに聞いてみてからにする」

XさんとはYさんを通じて知り合った。飲み屋で会うだけの仲だ。
母よりも恐らく年上で、過日母ともどもお世話になった。
「世話してやったんだから金を貸せ」ってことなのか?

Xさんは私の経済状況など知らない。知ってたら私に金を借りようとするはずがない。
私もXさんの経済状況や仕事の詳しい内容など知らないが、私より遥かに高い社会的地位にあるのは確かだ。

Yさんにやっと電話が繋がった。YさんもXさんにお金を貸したことがあるという。
「ちゃんと返してくれたけど遅れることもあるし、男と女の事だからやめておいた方がいいよ」と言われる。

「男と女だから」というのもよくわからないが、考えてみたら私はXさんの住所も知らないし、電話は公衆電話からで、こちらから連絡もとれない。
そんな人に金を貸すか?やっぱりやめよう。

それに「方々当たったけど誰とも連絡がつかないから」とXさんは言ったが、私よりXさんと親しいYさんは今度の事は何も知らないじゃないか。

約束の14時過ぎ、電話がかかってきたがクライアントとの打合せで電話に出られなかった。
「あのー、まだ振り込まれてないんですが。銀行に手形を…どうたらこうたら…、なんだったらこれから僕が取りにいってもいいんですが…」とメッセージ。

仕事中になんでこんなに煩わされなくちゃならないんだ。どうして私が申し訳ない気持ちにならなきゃいけないんだ。

16時前、電話が来る。
「あのねえ、振り込まれてないんですが」
「あー、ゴメンナサイ。残高が無くなってて」
「だったらねえ、重なったら困ると思って…、それだったら始めから断ってくれたらいいのに」
「すぐ連絡したかったんですが、こちらから連絡とれないから。スミマセン」
「わかりました」ガチャ。

またすぐ電話。
「今の事はYさんたちに言わないでくれる?心配するといけないから」
「はい」ガチャ。
もう言っちゃいましたよ、黙ってる訳ないでしょう!と言ってやりたかったがやめる。
もちろん母とYさんにはそのまま報告。

ああやだやだ。あちこちあたったのではなく、当初から私がカモだったのだ。
Xさんは始めの電話で「また今度お世話しますから、それぐらいしかお礼できないけど」と言った。

お世話になっておいて言いたかないが、してもらったのはXさんの懐を痛めるような「お世話」ではない。
例えば、私がイベントの仕事をしていた時に入手困難な人気イベントのチケットを取るとか、招待券をあげるとか、そんな類の行為で、私はそれをしてあげた人に借金を申し込んだことはない。

Xさんは別に悪いことをしているわけではない。長い間いろんな人に繰り返してきたのだろう。
「貸して」「嫌です」「あ、そう」でいいのだが、今まで小銭以外を人に貸したことがないドケチな私には、勉強になる経験だった。

 9月に開催される『第17回池袋演劇祭』の審査員に応募して、母も私も当選。
本日は18時半より審査員説明会。審査員は105名いるという。
前夜祭とか、意見交換会とか祝賀会とか、演劇人との交流もいろいろあって面白そう。

 19時半過ぎに会場を出て、新宿三越『アナスタシア』で眉カット。
アナスタシアメソッドは誰がやっても同じなのかと思ったら、髪色に合わせてくれたり、施術者の個性もあると知る。
髪型のように毎回違うものでもないだろうが、参考までにヘアカタログにアップしてみた。

相変わらずの混み具合で次回予約は11月。

私はまだ使ったことがないが、香港でアナスタシア女史に直接施術してもらったという友人に、眉型シートをもらったので、自分でも描けるかもしれない。

 明日は完璧眉で静岡、植垣康博さんの結婚パーティーに行くぞ。
2005年07月29日(金)

お誕生日続き,ささきもと子バッグ完成!,七月大歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』,『なすび』


 7月26日が木村タカヒロさんのキャラクター、キムスネイクのお誕生日で、27日が三浦和義さん、28日はサエジマニアのoちゃんのお誕生日。御三方にお祝いメール。

 ささきもと子さんから「サクランボバッグ完成!」と写メール。

> かわいいけど、シックで上品☆

ホントだ!素晴らしい。素敵!(『MARIBAR BBS』29日の投稿参照)

24日にバッグ職人Kさんにもと子さんのオブジェを届けて、もう完成とは驚き。
もと子さんが出演するNHK『おしゃれ工房』の撮影に間に合うように急いで仕上げてくれた、Kさんの職人魂に感動。

 獅子座の男たちの誕生日が続き、ささきもと子バッグが完成し、なんだか気分がハイになる。
私も獅子座、日記もまもなく111111アクセスのゾロメか。「パーティーやろうかな」と思いつく。

興行打つにはお金がいる。10万アクセスの時は仕事もなく、気分も乗らず、静かに過ぎた。
今の仕事はちょこちょこ続きそうだし、夏は私の季節、暑さのあまり粋狂をやってみたくなる。

 目白のバー『なすび』の常連客に古典芸能の評論家先生がいて、歌舞伎座の『NINAGAWA十二夜』のチケットを取ってもらう。
暑いのに劇場まで来て下さり、チケットを受け取る。なんと、招待券!
蜷川幸雄の歌舞伎初演出が話題の作品で、大変な人気興行なのに。感激。

やはり、セット、音楽からして普通の歌舞伎とは全然違う蜷川ワールド。
襖も鏡張りで、非常に不思議な感じだった。
客席のフットライトも、鏡に映せば幻想的に浮かび上がって、歌舞伎座ってきれいな劇場なのね、と感心。

男女二役(女は男の振りをしているから三役とも言えるか)の尾上菊之助が頑張っていた。

舞台半ばで地震。客席はどよめくが演技は続く。
後で評論家先生に聞いたのだが、劇場の決まりでは、舞台の照明が落ちたら役者も逃げていいことになっているらしい。

「あほう」「きちがい」という言葉を何十回も聞いて、その馬鹿っぷりにこちらも気が変になりそうなくらい。面白かった。

9月の蜷川演出『天保十二年のシェイクスピア』もどうしても見たい!と思う。
どなたか、チケットないですか?買います!

 数寄屋橋交差点で評論家先生と再会。先生は丸の内線で、私と母はJRで『なすび』に向かう。
母と私が先着。先生にお礼。

先生は『FLAMENCO曽根崎心中』の帰りで、母は30日に見に行く。
千秋さんと他の常連客の中にも、今年の上演を見た人がいて、音楽、演出、衣装などについて議論百出。
ホント、『FLAMENCO曽根崎心中』が素晴らしい作品であるのもそうだが、『なすび』は文化レベルの高いお店だ。

 母と、絶縁状態にあるT叔父について激論。
「T叔父さんは、『気にしてる、と伝えてほしい』と言ってた」と私。
「一生気にしてればいいじゃない」と母。
「そう叔父さんに伝えてほしいということ?お母さんだって気にしてるんじゃないの?」
「私は許さない」
「なんで?」
「私は47年間働いた。それをあの子は『俺だって三十何年働いたんだ、威張るな』って言ったのよ。私の47年と一緒にされるなんて、冗談じゃないわ」
「そんなの!T叔父さんだって大変だったでしょう」
「Tはただ働いてただけ。私はTたちを食べさせて、夜学に行って、あんたを育てて、おじいさんの世話をしたの。私の苦労に比べてTは何にもしていない!だからKもHも(母の弟たち)怒ったのよ」
「じゃあ、T叔父さんは常に何を言われても『やあちゃん(母の呼び名)のおかげです。ありがとうございます』って下手に出てなきゃいけないの?」
「そうじゃないけど、TはYさん(母の夫。私の父親)を馬鹿にしたのよ」
「馬鹿にしたんじゃなくて、真実を言っただけじゃない。私だって同じように思ってる」
「あんたが言うのとは違うのよ。Tがそういうふうに見てたなら、私は許さない」
「T叔父さんに言われたくないという気持ちは分かるけど。その一言で傷ついたから、全部否定するわけ?
前にお母さんが私に『親子の縁を切る』って言った時に仲裁してくれたのはT叔父さんでしょ。
傷つけたり、傷つけられたり、癒したり、癒されたり、家族ってそういうものじゃないの?」
「Yさんが入院した時とか亡くなる時、Tはいろいろ助けてくれた。感謝してる。なのにYさんのことを悪く言うなんて、最低」

「で、『一生気にしてれば』って伝えればいいの?」
「私からは絶対に連絡しない。Tと付き合ってもプラスはない。マイナスになる人間とは付き合わない」
「へえ、全部損得なの。自分が『あの人はプラス』『こいつはマイナス』って決めるの。随分偉いんだね。」

母はT叔父の言葉に傷ついたのかもしれないが、自分もT叔父を傷つけていることに全く意識が及ばない。
「自分は間違ってない、あいつは馬鹿、私は誰も傷つけてない、って思ってるでしょう。それは傲慢だよ」と私。
「傲慢じゃない!」
「常に自分が正しくて、私は偉い、あいつは私を傷つけた、許さないって自分で言って人もそう言うべきだと思っているなんて傲慢じゃん」
「私は傲慢じゃない!」
「間違ってるよ!だから嫌われるんじゃん」
「嫌われてない!誰一人切れてない!皆続いてる!」
「それは皆大人だから言わないの。しつこく誘われて、うるさいなあと思ってるの!」
「ああそう!そう思ってりゃいいじゃない。私もこのままで行くわ!今更変えられないから!」

ますますヒートアップする母。元気で何より。T叔父には大変申し訳ないが、仲裁失敗。
2005年07月28日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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