えびたま

2020年12月13日(日) 最後かもしれないと思うと、意外と愛しい

大典が会社の研修会のため、ミニ典と二人で
踊りのお稽古へ。
帰りのお昼も二人だったのだけど
いっそまた近所のファミレスに行こかなと思ったが
ミニ典のリクエストによりマックへ。

結構混んでいて、並んでるうちに
モバイルオーダーを試してみよとアプリを開いて
結局途中でオーダー成立したので、
列から外れて席で待った。
便利だ、アレ。
関係ないけど、ミニ典がその席で
忘れ物のミニカーを見つけた。

今生理中なのだけど、今月婦人科を受診したら
その後は春に手術に向けて生理を止めることになるはずなので
ひょっとしたら人生最後の生理になるかもしれない。
わたしは生理痛はひどくない方なので
月に一度の煩わしさも、重い人に比べると
大したことなかったと思う。
ウィング付きのナプキンが発売された時の感動とか
夜用ナプキンのオムツのよな安心感とか
タンポンの便利さとか(しかし便利なのに使ってる人の少なさとか)
そのよなものの恩恵に与り、どっぷり甘え
生理中は割と快適に過ごしてきた。
もちろん失敗も数々あるけど
優れた生理用品に感謝しかない。現代に生まれて良かった。

妊娠中〜産後1年ほど、生理がなかった時期、
なんてラクなんだと思ってたものだ。
また来るとわかってたから、特に感慨も無く。
今回は子宮を取っちゃえば人工的にあがっちゃうわけで、
それはなんだかやっぱり寂しい気がする。
生理用品は使いぎれず余ってしまう。
誰かもらってくれるだろか。



2020年12月12日(土) 東北最後のミルキーウェイが閉まる

児童館のこどもまつりは、
入場は子供だけとのことで、ミニ典一人で
行かせよとしたが、
本人が「ついてきて」というので大典が送ることに。
二人が出発した後、自由来館時に必要なカードを
忘れて行ったことに気づく。
入場開始まで後5分。
大典には連絡がつかず、もうわたしが届けるか!と
着替えて玄関を開けたら大典が帰ってきたところだった。
やはりカードを忘れたことに気づき、取りに戻ったよだ。
結果的に送ってって良かった。

帰りは一人でずんずん歩いて帰ってきたミニ典。
子供たちで企画したお祭りだそで、
2年生以上の子たちが運営する。
ミニ典「怖い迷路」と「面白い迷路」に入ったって。
迷路から出られたご褒美に、プラ板のキーホルダーと
レジン細工の磁石をもらって
ご満悦で帰ってきた。

夕食は、明日で閉店してしまう近所のファミレスへ。
心なしか、混んでいた。
もっと頻繁に来てれば、閉店しないで済んだのかもと
なんだかいたたまれない。
多分わたしが仙台で暮らし始めた時はすでにあった
古いミルキーウェイ。
かつてはあちこちにあったけど
いつの間にかみんなビッグボーイになり
ここだけは名前が残ってるなと思ってたが
さっき検索したら、もう宮城で最後の店舗だった。
残っているのは千葉に1軒だけ。
なんだかショック。

跡は何になっちゃうのだろか。
できれば店舗は解体しないで、別なファミレスになるか
もしくはコロナが去った後、また
ミルキーウェイが復活するなんてことに
ならないものかしら。

こどもがもらえるオマケ。
ミニ典が最後に選んだのは、
拳銃の形とどら焼きの形消しゴムの二択までしぼった結果
どら焼きの方だった。
流石かわいいもの好きのミニ典。



2020年12月11日(金) 書類をちゃんと見てない大人

児童館にお迎えに行ったら、明日
こどもまつりがあるのだそで、
ミニ典が「行きたい」って言う。
「え、そんなのあるの!?」と聞き返したら
ちゃんとお便りもらってたそで。
裏に自由来館の書類がプリントされてた。

ああ、そいえば見てた。
そして自由来館の書類だけ認識してて、
そのうち出せばいいやと思ってた。
こどもまつりは予約制。
その場で職員さんに訊いて見たら、今からでも
予約できるというので、書類書いて
その場で提出して予約してきた。

今日は職場でも、提出する書類を間違えてて
差し戻し食った。
各方面、ご迷惑をおかけします。



2020年12月10日(木) パンが届いた。また嬉しからず哉。

義姉からパンが届いた。
めちゃくちゃ嬉し。
明日の朝にパンが食べられると思うと
なんだか安心して眠れる。



2020年12月09日(水) 会議前の軽食は結局腹が減る

職場会議のため、帰宅が遅くなったが
空腹が我慢できず、
21時過ぎていたが、大典を誘ってお茶した。
もちろんお菓子も食べる。

会議前に見た、社内の掲示板に書いてあったことが
ちょっと納得いかず、
モヤモヤしてたのもある。
また明日、よく考える。



2020年12月08日(火) わたしの脳はゴム脳。でも一部硬い。

昨夜徒然に、10年以上前のこの日記を読み返してみた。
大典のお友達のMくんについての思い出を
確か日記に残していなかったかと思って。
が、見つけられなかった。
何年のことだったか思い出せない。
渋谷だったのは覚えてるけど。
コクーン歌舞伎の後だった気がするから、
多分5月か6月だと見当はつけたけど、ダメだった。
そもそも書いてないのかもしれん。

そして、観たはずなのだけど、全く内容が思い出せない
映画の感想の数々。
これはびっくり。
割と観た映画は忘れないと思ってた。
あと、あべひげあべさんの思い出が結構書かれてて
ちょっと嬉しかった。

さて、今読んでる本、
日本版「84年生まれ、キム・ジヨン」みたいな気分で読む
「持続可能な魂の利用」。
面白い。面白いのだけど、読んでると辛くて顔が歪む。
自分の受けてきた性被害を嫌でも呼び覚まされる。
中学生の頃、本屋で痴漢にあったこと。
高校生の頃、やはり本屋で痴漢にあいそになったが
触られるギリギリで振り向いて難を逃れたこと。
まあ、わたしの性被害と言ってもこのくらいなのだけど
わたしでも0ではないということは、
世の女性たちはどれだけ酷い目に遭ってるのだと想像して苦しい。

もう20年前のことだけど、芝居仲間をグーで殴ったことがある。
うちの劇団員の女の子にセクハラをしよとした輩だった。
そいつは「やられて嫌ならきちんと捕まえとけ」と
訳のわからないことをわたしに言った。
彼女はわたしの恋人ではない。
「捕まえとく」って何だ?
そもそもお前がセクハラすることに非は無いのか?
その欲望は野放しか?
守れないこちらが悪いのか?
しかもそいつはその劇団(うちの劇団ではなく某先輩劇団であり
わたしは当時役者として所属していた)の
お気に入りの舞台監督であることを利用し
「お前がそういう態度を取るなら、あらゆる手を使って
この劇団にいられなくしてやる」とのたまった。
後日、このことを先輩劇団の代表の方に告発したが
そいつはこの発言を否定したという。
酔っ払っていたのか、余程興奮して覚えてないのか
(流石にヤバイと気付き)それを装ってるのか知らんけど。
あの場に大典もいて、当時は証人になると言ってたが
もうずいぶん前だから覚えてないかもね。
しかしこれって完全なパワハラだ。
代表の方はそいつを出禁にしよとしてくれたが
腕の良い舞台監督(それはわたしも認めてた)を
この劇団が失う方が、損害が大きいのではと思ってしまい
そこまではしなくていいです。と引っ込めてしまった。

当時はセクハラもパワハラも、告発されるほどのことでもなく
被害として自覚するには認識が曖昧すぎた。
(パワハラは言葉自体知らなかったかも)
そ思うと、20年経てば世の中の認識も変わるものよと感慨深い。
#metoo運動で、遡って告発された人々は
きっとわたしのよに、この怒りを昨日のことのよに思い出せる
悔しさを抱えた人間を敵に回していたのだ。
その劇団を退団した後はそいつと現場が一緒になることはなく
もうかれこれ20年にもなるので、
今後も関わることはないであろけど
いつまでもこの怒りは抱えて生きていくのだろなわたし。



2020年12月07日(月) 聞きたいことは全部お伺いできましたと

「文化関係」の人として某新聞の取材を受けた。
つまりは仙台の演劇人として。
今、コロナ禍ではほとんど活動できてないので
その現状と
芝居仲間の現状とか、お話しすることに。

舞台関係のスタッフさんたちが
普段はどいう仕事をしてるのか、
現在どのくらい仕事の機会が奪われているのか、
演劇の公演自体がどのくらい減っているか。
などなど。

いっぱい話せた。と思ったけど
時間としては正味45分ほどだった。
大事なとこはこぼしてないとは思うけど
伝え切れたのだろかと若干不安。



2020年12月06日(日) 休日の昼寝禁止案浮上

休日の恒例になってきた夜のウォーキング。
大典と二人歩きながらその間
いろいろ話すわけだけど、今日は
「ミニ典が大きくなってきたら、家族会議を設ける」ことを
考えていた、と言う。

定期的に3人それぞれ議題を出し合い
話し合うのだと言う。
ど言う議題が出るか想像すると、ミニ典からは
「母ちゃんは怒りすぎ」とか
「やっとん(踊りのお稽古)辞めたい」とか出そだ。
大典は「お休みの日のお昼寝禁止」。
今日もわたしも一緒に午後お昼寝しちゃって、
起きたらもう夕方だった。

大典が言う「議題」とは
「お休みにどこに行くか?」とか
家庭内のルールだとか、そんな感じらし。
まー、まだまともな議論になりそにないから
実施はもちょっと先だと思うけど。

「議論しよう!」と改まってやるの苦手なのだよな。
仕事のカイギはまだ我慢できるのだけど
劇団のミーティングもついついおちゃらけてしまう。
少なくとも、ミニ典の「イヤな時間」にならないよに
楽しくやれる工夫は必要だろな。



2020年12月05日(土) も少し歩きたかったし、ゆっくりお茶したかった

大典の用事が多かったので、
わたしとミニ典二人でお留守番しつつ
芝居仲間のCちゃんを誘って、
農業園芸センターの「わらアート」を観に行った。
行こ行こと思ってたのだけど、
のびのびにしてる間に今日が最終日。
思い立ったのが当日だったのと、
お洗濯など家事の都合で、出発がだいぶ遅くなった。
現地についてみると、閉園まで1時間切っていた。

恐竜好きだから喜ぶかなーと思ったが
パーっと観て、パーっと戻ってきて
「たてものに入ろう!」と言うミニ典。
敷地が広いので、一つ一つ結構距離があるが
コモドは走ることに抵抗がないから
移動が基本全力疾走。着いて行けない40代二人。

結局10分も観ないうちに、
ジェラートのノボリのある建物に入ることに。
ミニ典は北海道メロンのジェラート、
わたしはホットココア。寒いから。
食い終わる頃には閉園時間になってしまった。

あまり行ったことないエリアだから
普段行けないカフェとか、帰りに寄ろうかーと
話していたのだが、
ミニ典は漫画が読みたくて「かえろう!かえろう!」と騒ぐ。
わたしも自分の運転に自信もなく、
「一度自宅まで戻り、うちの近所のカフェに行く」と日和った。

Cちゃんとゆっくりお喋りはできたけど
ついてきてたミニ典が漫画三冊を読み終わったところで
ほぼ強制終了。むー。



2020年12月04日(金) 爪切りとプリンタインク

買おと思っているものをいつでも思い出せるよにと
ことあるごとに、頭の中で呟いているけど
実際買い物をしよとなった時
全く思い出せない。

無印とヨドバシでなんか買う物あったはずだなーと
思いつつ、週末のパンを買って
その間に思い出せなかったので帰宅した。

夕飯の後、大典が東京でお世話になった仕事の社長さんに
電話してた。今朝着信があったのだと言う。
大典の東京の芝居仲間だったMくんが
亡くなっていたのだそだ。
大典が東京を引き払うより前に、Mくんは病気のために
実家に戻っていた。
その病気のために亡くなったらし。
明日が1周忌ということで、お母さんから社長さんに
連絡があったのだという。

まだ大典が東京にいた頃、確か
コクーン歌舞伎を観た後だったか、
Mくんとその当時の彼女のJちゃんと
わたしらの4人で、渋谷で夕ご飯食べたんだった。
(わたしを見て「山口百恵系」と言われ、非常に驚いた)

東京で大典らが組んでいたユニットのお芝居で何度か観て
いい役者さんだなと思っていた。
話をしたのはその、一緒にご飯を食べた時だけだが
大典から話題を頻繁に聞いていたので
勝手に親近感を持っていた。
本当に残念だ。
大典のことだから、Mくんの写真もどこにあるやら
わからないと思う。
舞台の映像は探せばあるかもしれない。
大典の数少ない東京時代のお友達。
また会いたかったな。
大典が、お世話になりました。ありがとう。


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