いつもの日記

2001年05月03日(木) 内定から一夜明けて・・・

就活も終わり、これから卒業のための研究の毎日が始まる。
と思うといてもたってもいられなくなるので、今日はボクシング部に顔を出した。

今日はGWともあって、俺と同期である元マネージャーのNGちゃんも来ていた。
ひさびさだったが彼女は姿かたちあまり変わっていなかった。
もうそろそろ永久就職を考えているらしいが、
彼氏である元ボクシング部キャプテンのKDさんがその気がないらしい。
でも仲良くはやっているようなので、結婚式には呼んでなっ!とPushしておいた。

ボクシングでは最近はミット持ちに専念である。
まずは新3回生の梅田のパンチを受けた。カウンターの練習をずっとやった。
彼はとても固いパンチを打つ。
もっと意欲的に練習すればもっと伸びるのに、と今更なって思う。

次に新2回生の瀬尾のパンチを受ける。
2回生と言ってもボクシングはをまだ1年しかやっていないのでまだ素人みたいなものだ。
だが、瀬尾はその2回生の中でも俺は結構注目してる後輩だ。
俺は色んな後輩から質問を受けるが、瀬尾が聞いてくる事は実践に一番近いところで、
勝つ事のための練習をしようとしているところが俺にも感じられるからだろう。
この日は瀬尾につきっきりになり、他の選手を見れなかったが、
瀬尾と話していると今更ながら色んな発見がありためになる。

まぁそれ以上にこいつのくったくのない笑顔が好きなんだろうな。
汗を久々にかいていい気分だった。

汗をかかなきゃ欲が乾かない。
乾かなきゃあ欲をほっさない。
ほっさないと成長しない。
汗かいていきましょう。



2001年05月02日(水) 人生の転機は天気のようにいつどうなるか解らない

そんな胸騒ぎがしながら面接官を待つ。
少し遅れて、面接官登場。

「ごめんごめん。待った?」
「いえいえ」
「柴山君やね?」
「はい。大阪大学大学院に在籍しています柴山健一です」
「えーとね。ボクシングやっているんだっけ?」

手元の資料を見ながら面接官が言う。
そこには今までの5回分面接で得られた俺に関する情報がある。

俺はいつものように今やっているコーチの話や、ボクシングを始めたきっかけなどを話す。
うんうんと面接官は頷く。
非常に話しやすい空気に俺はかなりまとめて話す事ができた。
前回の面接とは雲泥の差である。続いて面接官が尋ねる。

「どうして企画とか編集とかの仕事がしたいの?」
これにもいつものように、小学時代から高校まで積極的に取り組んだ学園祭での演劇の話や、
体育祭での応援合戦の企画の話を持ち出して話す。

今日は本当に調子がいい。綺麗にまとまって話ができる。
その後面接官は言った。

「他社はどうなの?」
「日立から内定は貰ってますが、リクルートが第1志望です」
「なぜ?」
「自由の雰囲気があり、社内のみんなが緊張感が向上心があるから。
 私もその場で向上していきたい。自分の能力を生かしがんばりたいです。」
「そうかぁ〜」

そう言って面接官は名刺を出して俺の前に置き、右手を差し出した。

「おめでとう!内定だよ」
「ほんとですか!?ありがとうございます!がんばります!」

そして、その場でがっちり握手。

「おう!頼むぞ、がんばってくれ。おい!今から外行くぞ」
「はい。わかりました。でも、何しにいくのですか?」
「めし。腹減ってるだろ?」
「えぇ、まぁ」

そして、そのまま人事の方と寿司屋でディナー。
それから、乾杯。

一気に人生が転がった気がするくらいの劇的な幕切れで、上の空のうちにディナーを終える。
帰りにもう一度人事の西田さんが言う。

「おう!宜しく頼むな!」
「はい!がんばります!」

そして再び握手。この胸の熱さは人生には欠かせない。



2001年05月01日(火) 陸通過。明日は6時に6次。

非通知電話。もうこれは陸しかない。勇んででる。
「あの〜リクルートです。明日か今日の夕方空いてます?」
「はい。明日行きます」
「はい。でわ、6時にお待ちしております」
「あっあのう、ひとつ質問いいですか?」
「はい。何か?」
「明日は面接ですか?」
「はい。そういうことになってます」
「あぁそうですかぁ。はい解りました。失礼します」
 電話を切る。
この前でてっきり最終かと思っていたがまだ続きやがる。
明日は6次面接である。これ以上長引かすと日立行っちゃうよ。ほんとにもうっ!
しかし、英語の論文読むのは時間がかかるわ。ほんとに今日は疲れたよ。

「 開けたら you can't stop 」とは何?
1 プリングルス 2 エンゼルス
 3 チョコパイ  4 鶴の恩返し
みの「ファイナルアンサー?」
               ・・・To be continude



2001年04月30日(月) ハンニバル

「悪くははなかった」
しかしレクターがクラリスの手を切らずに自分の手を切った気持ちが解らなかった。
「彼女を傷つけるなら自分の手を切っほうがいい」
とレクターは思った。

この気持ちが真底行くまで理解できなければ、この映画を理解したことにはならない。
だから「悪くはない」という評価を俺は下した。

まとめるとこの映画はルパン三世だ。
ルパン(レクター)、ゼニガタ(クラリス)だ。

だから、現実味を帯びてそうだが、所詮パロディーと感じてしまって、
この映画に価値を見いだせなかった。
パロディーでも意見や主張はあるが、この映画にはそれがあまり感じれなかった。

というわけで、結局は「良くはなかった」。
ただ集中して見ていなかったから意見や主張を見落としてしまっただけかもしれないが・・・



2001年04月29日(日) 「おとう」

僕は父のことを「おとう」と呼ぶ。
もちろん母のことは「おかあ」である。
僕だけが言っていたわけではなく、僕の兄弟はみんな言っていた。
「おとう」「おかあ」と。

両親のことを普通の家庭ではこのような呼び方はしない。
だいたい「お父さん」「お母さん」である。

子供の頃は、それがたいそう嫌だった。
友達はみんな「お父さん」「お母さん」と言っているが、
僕だけ「おとう」「おかあ」と呼んでいたからだ。

それを僕はかっこ悪いと思って、
友達の前では「お父さん」「お母さん」と無理に呼んだこともあったが、
やはりシックリこなくて困った事を覚えている。

でも今では気にせず「おとう」「おかあ」と呼べる。
みんなと一緒じゃないと嫌だと言う子供の時の価値観から、抜け出ているからだろうが、
そんなことより、僕の父は「おとう」で、母は「おかあ」なのである。
必ず「お父さん」「お母さん」では無い。


日立の内定が決まり、「おとう」に電話をした。

「日立から内定もらった」
「おぉーそうか」
「でもリクルートが受かればリクルートに行きたいと思ってる」
「おい健一。リクルートなんて行ってどうしょうけな。日立いっとけ」
「でもリクルートって社風も雰囲気も自由だし、
 やりたい仕事もできると思うから、今一番行きたい。
 だから受かったらリクルートに行く。落ちたら日立」
「そうかぁ。。。まぁよう考えて、行きたいところ行け」

家では絶対の「おとう」が案外素直に聞いたことに少々驚いて、
「おとう」も「お父さん」並みの寛容さと余裕が出てきたのかな?と思いながら、
「じゃあな」と電話を切ろうとしたら、最後に「おとう」が言った。

「おい、健一」
「なに?」
「三菱重工はどうした?」
「どうしたって言われても、俺全然興味ないよ。推薦枠あるけど。。。」
「やっぱり、三菱重工やで、健一。みつじゅう行かんとあかんで」
「そうやな。はいはい。じゃーね」

やっぱり、「おとう」はいつまでも「おとう」だった。 



2001年04月28日(土) リクルートの面接

本日はリクルートの面接だ。今日で5回目。一対一では2回目。

面接官は言った。

「で、君、本当にリクルートで働けんの?」

穏やかな話の流れの中で、いきなりの直球を俺は受け損なってしまった。
その時の俺の顔はかなり困った顔をしていた。今から思い返してももう仕方ないが。
何とか無理に頭をフル回転させ、俺は答える。

「は、はいぃ、、。リクルートの企画や、編集、などをする業務で、
 私の能力は、必ず生きると、思います」

「そんな仕事初めからできないよ」

「はい。わかっています。初めは営業からだとは重々承知です。
 営業のバイトをしたこともありますし、営業もできます」

「どんな???」

「家庭教師を家庭から取り付けるバイトです」

「どれくらい?」

「半年ほどです」

「なぜやめたの?」

「研究が忙しくなったというのもありますし、
 周りの方々が成績がよかったのもあります」

「ふ〜ん」

「実際に営業のバイトしてみて、
 子供が家庭教師をするようにさせるような人を納得させる力は私はあると感じています。
 そのような力を私は持っています」

「ふ〜ん」

今回の面接官はいままで出会った面接官の中で一番オーラを発していたし、
かなりの突っ込んだ質問をされる一方で、
このようなスカスカの手応えしか得られない面接を受けていた俺は、
かなり緊張していた。

そして、個人面接では2回目だが、今回は最終かもしれないと俺は思いだしてきた。
緊張のあまり、言葉がしどろもどろになってしまい、何度も

「言っている意味が解んない」

って言われた。

俺はこの状況が辛くなって自分にリラックスさせるのも考えて俺は言った。

「そろそろ選考も佳境に入っていると思われて、かなり緊張しています」

「うん、そうだよ。佳境だよ」

そのごも面接は終始、面接官に転がされている感じだった。

これじゃあ受からないよね。
ほんとに。1週間以内に電話があれば通過だが、まだまだ続くかもしれない長旅に、
集中力が続くかどうかわかんなくなってきて、ボーとしながら電車に乗った。

そして、人が多く込み入った電車だったが、疲れが押し寄せてきていたので、
座る事を俺は高らかに望み、そして座った。
電車の中で面接の事を思い出していた。

「で、君、本当にリクルートで働けんの?」

この言葉が頭の中を反芻していた。たしかにリクルートは厳しい会社だ。
動きも速い。そして、会社の求める結果も早い。
しかしだ、即答で

「はい。働けます。自信はあります」

と答えるべきだったのだ。

「で、君、本当にリクルートで働けんの?」

まだこの言葉が反芻していた。
俺は言うべきであった正解を思わず声に出してしまった。

「はい。働けます。自信はあります」

前に座っていたサラリーマンがいぶかしそうな目で見ていた。



2001年04月27日(金) 日立内々定

昨日の内定が効いてきて体が今日は軽かった。

だが実は健康診断の検尿で引っ掛かってしまい、今日朝一の尿を健康センターに持っていく。

最近いつもひっかかるのは潜血と蛋白だ。
ダブル受賞はかなり珍しいほうだ。

健康センターにいくと、同研究室のモリモリが長いすに座っていた。

「どうしんたん?」
「俺な、糖でてんねん」
「へぇーそうなんや。糖かぁ。俺なんて潜血と蛋白やで。ダブルやしすごいやろ」
「ふ〜ん」

なぜかモリモリは悔しそうだった。俺は勝ち誇ってセンターを後にした。

午後23:03一通のメールが届く。
見るとすぐに次の一文が目に飛び込んだ。
目が飛び込んだわけではない、一文がジャンプ台から俺の目に飛び込んだのだ。

 このたび採否につき検討致しました結果、「内々定」とさせて 戴くことになりました。

「おっしゃーあ!」
俺は飛び跳ねていた。そして、今までの就活が走馬灯のように頭を交錯した。
しかしながら、それはこれから始まる本当の戦いの前フリに過ぎなかった。
明日のリクルートの5次面接という大舞台が待っていたからだ。



2001年04月26日(木) 午後19:35

ピリリリリリィ、ピリリリリリィ
電話が鳴る。
「午後19:35 非通知」
それは携帯のディスプレイに示されていた。
俺はすぐさま外へ飛び出し電話にでた。
「はい。柴山です」
「あぁ柴山さんですか、こちら日本ユニシスの奥田です。こんにちわ」
「こんにちわです」
それから、現在の進行状況などを聞かれその後、奥田さんは言った。
「うちとしては柴山さんに是非来て頂きたいと思っています。即ち内内定ということです」
「ありがとうございます」

「来てほしい」
とはいい言葉だ。就活において自分の存在を最も肯定される言葉だ。
俺は他社の状況もあったため5/2まで待ってもらうことにした。
内定はでたが、これからがほんとに悩まねばならないのかもしれない。



2001年04月25日(水) 今日の日立の面接って最終!?

「他に何かありませんか?」
時計を気にしながら、左側の女の面接官が言った。
「えぇーと。全然考えて無かったんですよ。困ったなぁ」
俺は頭を書きながら言った。
「なんでもいいですよ。しょうもないことでもいいよ」
即座に右の男の面接官が答えた。
俺を気に入ってくれたのか、初めより男の面接官の返答は親切に感じた。
俺は別に聞くことも無かったが、とりあえず
「じゃあ、しょうもないんですが、この後の選考過程ってどれほどあるんですかぁ?」
「え!?今日これが最後だよ。」
「え!?これ最終ですか???」

最終と解ったのが第4コーナーを周っていた後。
だから、もがいても仕方ない。でも俺は勝利したと信じている。
♪はーやーく 来い来い 内定連絡 (お正月の歌の結び)



2001年04月24日(火) 日立の面接のため横浜へ

面接の為にホテルをとってくれるので、前日に横浜入り。
夜は独りで寂しく食べる松屋の牛飯(並)290円。
小泉さんが総理になったというニュース。
ユニシス、リクルート、電通からの電話待ち。
今日も電話は鳴らずに静かに夜はふけていく・・・


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