です。それだから早めに行って、プラモでも買おうかな。 シャア専用ズゴック買おうっと。あぁ、そうは言っても書くこと無いねぇ。
それだけで十分。あっ、それとJADY AND MARY のベスト買いました!以上。
ナカタがいないだけで日本は誰も落ち着いてプレーが出来てなかった。
だから、全日本はトルシエに依存している訳ではなく、ナカタに依存しているのだ。 じつのところ、全日本はトルシエジャパンではなく、ナカタジャパンなのだ。
彼から早く巣立たなければ、いつまでたっても日本は欧州のサッカーにタチウチできない。 彼が持っている日本の枠だけに留まらない向上心と、 他国と互角に渡り合える自信は必ず身につけなければならない。
そうでないと外国の選手を招待するだけのワールドカップにもなりかねない。
2001年06月09日(土) |
JUDY AND MARY ( JAM ) |
深夜TVを見てたら、JUDY AND MARY解散コンサートのドキュメンタリー番組がやっていた。 実は再放送だったらしいが。
別にファンというわけではないが、マジで見入ってしまった。 彼らは鳴り物入りでデビューした訳ではない。 また、誰か凄いプロデューサーがいた訳ではない。
JAMは、まず恩田(Bass)とYUKI(Vocal)が出会ったことから全ては始まった。 そしてその後、五十嵐(Drams)が、そして続いてTAKUYA(Guitar)が加わるのだが、 彼らは小さなライブハウスから地道に活動を始めて、 解散する今では東京ドームの5万人が彼らの音楽の虜になって総立ちし、 熱狂するほどのバンドになった。
日本中のファンが彼らや彼らの音楽を欲し、一体となりたいと願われるバンドになったのだ。
「凄いというより、羨ましい。悔しい」 「YUKIもTAKUYAも俺と同じ人間であるのに、こんなにも輝き方が違うものなのか」
彼らの輝きを感じ、そう思った。 会場の最後尾ではJAMのメンバーも米粒みたいにしか見えない、 巨大な東京ドームの解散コンサートだったが、無事成功し終了した。 そしてJAMも同時に終了した。
番組はドキュメンタリーで、メンバーの一人一人の個人インタビューもあった。
これ以上の規模のものはそうそうないその解散コンサート後に、TAKUYAは言った。
「まぁこれくらいだったらまだまだやれる。 東京ドーム以上にもっと凄いのをやれるよ。まだまだいける」
恩田との出会いから始まり、JAMの8年という歴史をYUKIは振り返り、回想しながらが言った。
「おんちゃん、私をひろってくれて、ありがとう。。。」
涙で声がにごってた。
2001年6月8日という今日、ありえない事件が起こった。
37歳の男が小学校に乱入して、刃物で生徒を次々刺すという事件だ。
想像を絶する。とても痛い。
じっとその事を考えると、この世の幸にも不幸にも気分で転がる曖昧さを、 この人間の世界に対して本当にちっぽけな存在の自分に、 どうやったら納得させられるんだ!と神に問いたくなる。
刺された女の子は意識の遠くなっている過程で何を思ったのだろう。
2001年06月07日(木) |
「モチベーション」から「うぬぼれ」 |
モチベーションは人が成長するためのエネルギーである。 これが無くては人は成長しない。 これを自分の歴史に置き換えてみた。
斜面状ではなく階段状に僕が成長してきた歴史には、 自分の目には見えていない大きな気高い壁が必ずあった。 僕は課題というその壁を意識して登ろうとしていたわけではなく、 そんなことはたやすくまったく問題無い事だと思っていた。というより意識外であった。
しかしその壁にぶち当たってみるとその高さたるや自分の奥底を到底超えていて、 自分の浅はかさを思い知らされた。
その時は心底悔しくて悔しくて泣いた泣いた。
保育所の時に百人一首で負けた時も、 小学2年で文章題が解けなかった時も、 中学校で英語がとことん解らなくなった時も、 大学で自分の見聞の狭さを思い知らされた時も、 ボクシングで先輩に何も反撃できずに一方的に殴られた時もそうであった。
この心底悔しいという気持ちは僕の一番のエネルギーになっている。 しかしこの心底悔しいという気持ちはいつも生まれるわけではなく、 その為に必要不可欠なものがある。
それは、「うぬぼれる」という気持ちである。 概してこの「うぬぼれる」という気持ちは、 子供の時に最大であって、年をとるにつれて小さくなっていく。
これが大人の成長を止めているのかも知れない。 だから、もっと「うぬぼれて」やりましょう。
@@@ まとめのフォローチャート @@@
成長するために必要なもの ⇒ 「モチベーション」 「モチベーション」を得るのに必要なもの ⇒ 「心底悔しい」と思う気持ち 「心底悔しい」と思うために必要なもの ⇒ 「うぬぼれ」
∴ 成長するためには「うぬぼれ」が必要不可欠。
4月からCSKで働いている昔の友に昨晩電話をかけた。
「友達と今ゲームをしているから後でかけ直すわ」
と彼は言った。
「わかった。でわ後で」
と俺は言ったが、俺は電話の後すぐに寝てしまって、結局彼と話が出来なかった。
朝、起きて携帯を見ると、彼から「着信有り」と記録があった。
だから今日の午後8時にこちらからかけた。
でも繋がらない。
やはり社会人は何かと忙しそうだ。
最近眠い。それは早朝バイトのローソンのせいではない。 ちょっと前は早寝早起だったのに、今は早寝遅起になってしまっている。 その原因は2度寝だろう。
しかしなぜ2度寝をするのだろう。 ちょっと前はしなかったのに今はしてしまうのだ。 俺の考えるところ、2度寝は睡眠過剰をもたらし、それによって逆に眠くなり、 次の2度寝をもたらす。
そしてその2度寝も睡眠過剰であるので、 再びねむくなるという悪循環のサイクルにはまってしまうからであろう。 現在俺はその悪のサイクルに埋没してしまっている。 これは大変イケナイことだ。 このような悪循環のサイクルにはまらない事はきっと大切である。
しかし誰だってたまに2度寝をしてしまうことはある。 それは仕方ないかもしれないが、それを次の日に持ち込んではけっしてイケナイという事だ。 それを次に日に持ち込むと必ず悪のサイクルにはまってしまう。 だからこそ、2度寝した次の日こそ自分に厳しく起きなければならないのだ。
まぁ、こんな事書くのも自分がただ自分に弱いだけなんだけど。
2001年06月04日(月) |
村上給食 ver.1 |
村上給食とは研究室にホカホカの弁当を届けるお弁当屋さんである。 ここのサービスは今日から始まった。
お弁当の配達は昼も夜もやっていて、一つ350円。とにもかくにもリーズナブルである。
しかも今週中はサービス開始ということでタダなのである。 すごい太っ腹である。かなりの太っ腹である。
でもサービス期間を過ぎても安定して注文があれば良いのだが、 なかなかそうもいかないのが商売ではなかろうか。 村上給食の最初にして最後のカケである。
2001年06月03日(日) |
日本がカメルーンに勝ったらしい |
ニュースは"ニューヒーロー鈴木隆行!"と報じていた。
2発たまたまうまいこと決めただけで"ニューヒーロー"なんて言われる時代だ。 確かに2点を決めなきゃ試合には勝てないけど、ニューヒーローなんて呼ばれて、 プレッシャーになったり、有頂天になるぐらいなら言わないほうがいい。
そしてこれ以降の試合で決めれない場面があったら 「おい、どうした!?んっ!?」 なんて言われるのはとことん参るだろう。
でもそれがプロなのかもしれん。それが試練なのかもしれん。 ラオウにあっけなくやられたのは炎のシュレンかもしれん。 ここらで撤収
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