2001年10月20日(土) |
ボタン vol.2 〜 おばあちゃんの死 〜 |
僕の家系は全て心臓系の症状で亡くなっている。 おばあちゃんもおじいちゃんもそうだ。 心臓系の症状はほとんど前兆が無い。 ある日突然それはやってくるのだ。
おばあちゃんは僕が小学2年の時に心臓麻痺で亡くなった。 おばちゃんが亡くなる日の前日の晩、僕はおばあちゃんと一緒の布団で寝ていた。 その晩も僕のおばあちゃんは、いつものように何も変わらずに僕のおばあちゃんだった。
僕はおばあちゃんの耳を持って寝るのがたいそう好きだった。 兄弟の間でもそれはブームだった。 寝る時はいつもおばあちゃんの耳の取り合いをした。 その争いに負けると、仕方なしにおかあ(母)の耳を持って寝た。
おばあちゃんの耳とおかあの耳とは、どこの馬の骨が見ても解るほど雲泥の差があった。 おかあの耳をつかまされた日には、保育園児といえどもしばしば寝つきが悪くなった。 一方でおばあちゃんの耳だと寝つきは目を見張るほど良く、心身ともに心地良かった。
僕はその日「おばあちゃんの耳争奪杯」に、辛くも勝利して耳を持つ権利を手に入れた。 そして、おばあちゃんの適度に垂れた柔らかい耳を持って大満足にスヤスヤと床に就いた。
朝、目覚めるとおばあちゃんは動かなかった。
トイレの中で胸を抑えてしゃがんでいる僕の頭の中を、そんな走馬灯が駆け巡った。 僕もおばちゃんと同じように昨日まで普通だったのに急に死んでしまうのか。
僕は胸を抑えながら焦った。 僕は助けを求めようと顔を上げて立ち上がろうとした。
すると運良く横の壁に書いてあった文章が目に飛び込んできた。
「気分が悪くなった人はこのボタンを押してください」
迷っている暇はなかった。押した。強く。強く。
2001年10月19日(金) |
ボタン vol.1 〜 コーンフレーク 〜 |
郵便局に行く。整理券を取って順番を待つ。
ふぅと一息ついて、ぼぉーと人の流れに身を任せた。 何気ない風景。そんな時間はたまにはいい。たまにはね。
あまりにぼぉーとし過ぎていたせいか、自分の体の変化に気付かなかった。 そうなのだ。自分の知らないところで、自分の体が吐き気を催していたのだ。
あれ?どうしたんだろう。昨日の晩ご飯のコーンフレークにかけた牛乳がイケナカッタのかな? それとも、昨日の3食ともが全部が全部コーンフレークだったのがイケナカッタのかな?
ともあれ整理券をかなぐり捨てて、トイレに行く。 洋式のトイレは空いてなかったので、体の不自由な人用の洋式のトイレに入る。
入るや否や、吐き気がひどくなる。 これはかなりキツイ。耐えれない。 僕はそう判断し、先ほど家で食べたばかりのコーンフレークを便器に吐き出した。
その後しばらく僕は吐き続けた。 すでに胃の中は空っぽだ。胃液しか出ない。
同時に胸が痛くなった。いや、胸というより心臓だ。 キーンと締め付け突き刺すようなら痛み。 心臓が縮んで耐えているのがよく解る。
この心臓を刺す症状はごくたまに訪れるのだが、吐き気と同時の訪問販売は初めてだ。 まさに盆と正月。まるで入浴中の電話。本当にCtrl+Alt+Delete。 僕をつかさどる身体のアプリケーションを全て強制終了させる勢いだ。
僕の頭の中をある情景が走馬灯のように駆け巡った。 ある情景とは僕のおばあちゃんの死。
2001年10月18日(木) |
赤のマシーンとシャアといつもの会話とニュータイプ |
僕はその日R171を原付で、ちょうど東を向いて箕面のアルペン前を走っていた。 僕の原付は赤のジョルカブ。 フォルムの綺麗な存在感のある赤のジョルカブ。
以前、紺のジャケットを着てクールに赤のジョルカブを乗る僕を見て、友達が言った。 「赤のマシーンに乗っているし、なんだかお前シャアみたいだな」 「おいおいなに言ってるんだよ。そんなかっこ良い者でもないよ」 僕は照れながら答える。
「なにまじで本気にしてるの?冗談に決まってるだろ」 照れてる僕に彼は幾分飽きれ気味。
「赤のジョルカブに乗っているのがシャアなら、町にシャアが溢れかえってしまうよ」 彼の理論は正しい。僕は苦笑いをしながら、軽くうなずき、答える。 「確かに、その通りだね。僕がシャアなわけないよね」 やはり僕はうぬぼれ易いのだ。
僕は彼のシャア理論を発展させる。 理論の応用は、特許を出したいほど得意中の得意だからだ。 「シャアで町が溢れかえったら、シャア渋滞なんかがあってちょっとした社会現象だね。」 僕はかなりイキって言う。 「それは無い」 彼の返事はとても冷たい。 でも表情は少しばかりハニかんでいる。
僕はそれをしっかり目で確認して、僕は勝利を確信し詰め寄る。 「TVのニュースではシャア予報があって"今日はシャア80%"とか言ったりするんだろうね」 「それも無い。でもシャア80%ってどんな事」 彼はここぞとばかりに反撃だ。 でも彼の表情はぞんぶんに崩れていて、全然僕はへこまない。いや、へこめない。
「たぶんだけど80%の確立でシャアになれるって事。 または成ってしまうって事。こちら側の意思が介入する隙間は無い」 「それは手厳しいな」
僕はだいたいこんな会話を日々楽しんでる。これがニュータイプというものだろう。
昨日までの2日間は僕にとっては非現実だった。 あれほどあまりにも密な時間を経験したことは今までに無かったからだ。
行きの新幹線で僕はノブと話しながら、非現実の世界に入り込んでいった。 帰りの新幹線で僕はコータの話を聞きながら、現実の世界に戻ってきた。
僕にとって新幹線は距離を移動するものではなく止まっている長い箱であった。 新幹線は僕の中では意識を変化させる場所でしかなかったのだ。
新幹線[しんかんせん]: 現実と非現実をつなぐ1964年に完成した箱型マシーン。 乗客全員がきっちり意識の変化が出来るように東京-大阪間を約3時間と決めた。
実のところ新幹線は600km/hほど出すことが可能である。 だがMAXで走ると乗車時間が短くなり乗客の完全な意識変化が不能という恐れがある。 そのため1965年に600km/hを出すことを法令で禁止した。 「新幹線の移動における意識変化についての法令」である。
しかしながら、現在営利目的でこの法令を影で破っている団体が今もなお存在する。 これが原因で完全に意識変化できずに現実と非現実とを彷徨う人が現在急速に増えている。 そのような人達は「イカンセン」と呼ばれ、センターで治療されることが決められている。
2001年10月16日(火) |
リクルートな内定式のリクルートな研修 2日目 |
5時まで飲んで騒いだ身だが、今日はプレゼン大会。 8時半に起床でしょう。 リンは寝てるが、ノソノソ起きて朝ご飯を食べる僕と純。
バイキングらしいがそんなにがっつく余裕は無い。 逸話に残る北欧のバイキングに申し訳ないが、僕達の体が食を受け付けないから仕方ない。
純は味噌汁を2杯、オレンジジュースを3杯飲んでいた。 かなりの水分を吸い取られるほど悪い夢でも見たのだろうか。 純の事がちょっと気になるが僕はいつでもマイペース。
クロワッサンを一口サイズに小さくちぎって口に放り込む。 ときどき純が味噌汁の油揚げなどを僕の口に放り込んでくれる。 パンだけ食べて栄養が偏る僕の事を心配してくれているのだろうがいらぬお世話だ。
でも昨日出会ったばかりなので冷たいことは出来ない。 笑顔でその油揚げを食べる。 意外に味は良くて純の油揚げを全部食べてしまう。
彼は続いてワカメを放り込もうとするが「もういいよ」と断る。 その辺はきっちりしておかないとのちのちに響く。 次に会ったときに僕の嫌いなセロリなんて放り込まれることはあまりにも厄介であるからだ。
朝ご飯を食べて昼ご飯までプレゼンの完成に向けて精力を尽くす。 結局、僕たちは劇形式の「リクえもん」をやることにする。
第一幕:リクえもんがリクナビを出してのびたの就職活動のやり方を教える。 第二幕:次はゼクシィを出してのびたとジャイ子の結婚を後押しする。 第三幕:最後に住宅情報を出してのび太とジャイ子と子供ののび男との住居選びを助ける。
というとても解りやすい内容。
そして最後に 「リクルートはこんな風に人々の人生の節目で情報を提供しています。 同時にリクえもんを使って成長してきたのび太のように、 個人がリクルートを利用して、 自分の価値基準で物事が判断できる人間になってくれる事を願っている会社です」 と締めた。
僕はメガネが似合っていることもあり、のび太役に抜擢される。 そして僕達はキャストをきっちり決めて何度もリハーサルを繰り返した。
12:30からは25チームを4つに分けて4会場で予選を行う。 そして各会場上位2チームが決勝に進むわけだ。 僕達「リクえもん」チームはただならぬ熾烈の争いの中予選を勝ち上り決勝進出。
決勝はかなりハイレベルな戦いであったが、僕はかなり優勝するつもりでいた。 予選以上に気持ちを込め、声を出して、体全体で演じた。
全ての発表が終わり結果発表。 僕達「リクえもん」は願いもむなしく敗れさる。 とても悔しかったが、全力を出し切ったから後悔は無い。
全てが終わって、リンと純と僕は3人で同時に握手した。 彼らとほんとにひとつになれた気がして嬉しかった。
2001年10月15日(月) |
リクルートな内定式のリクルートな研修 1日目 |
12:00 途中で一緒になったノブと内定式会場「晴海グランドホテル」に到着。 ちょっと早かったが、人事の人と話をして時間稼ぎ。 しばらくして続々と内定者が集まる。
13:00 プログラム開始。現在リクルートの各部署で働いている社員の人の話を聞く。 内定式というより研修である。ちょっとお遊び気分で来ていた無知な自分にムチを打つ。
夕方からは6人ほどづつのグループに分かれて、明日のプレゼン大会に向けて話し合う。 プレゼント大会ではパソコンは使用しないし、パワーポイントは無い。 だから昨年のプレゼン大会では劇とかをやったチームもあるそうだ。 内定者は150人ほどいるから、25チームが競う。 かなりの熾烈な争いが予想できる。
プレゼンのテーマは「リクルートとはどんな会社か?」ということ。 各グループはこのテーマにそって議論する。
僕のグループは男3人と女3人の6人グループ。 話し合いは夜ご飯を食べてから本格的に始まった。 かなりの時間をかけて話あうが一向にいい案が出ない。 ハッキリ言って駄目なんじゃないかなと僕は思った。
そんな事をぼぉ〜と思っていると、僕のグループの誰かが言った。
「リクルートってドラえもんみたいじゃないかな。 就職や結婚などの人生の分岐点で必要な情報を提供してくれるしね。 就職ならリクナビで、結婚ならゼクシィみたいにね」
その言葉にみんなの目が変わった。 僕は思わず身を乗り出した。 頭の中に「リクナビ〜」と言いながらアイテムを出してるドラえもんがイメージできた。
「それで行こう!」みんなの気持ちが一致した。
それからはトントン拍子に事は進んだ。 大まかな流れは出来た。 僕達は充分な手応えを感じ、24:00話し合いは終了した。
それから朝の5時までシルバーと呼ばれる大きな会場で内定者と話し飲んで騒いだ。 沢山の人と色んな事を話せた。 社員の人事の人も一緒になって馬鹿騒ぎしてくれた。 「いい会社に入ったな」と今日だけで14回も思った。
明日から1泊2日の内定式のため東京に行きます。
12:30「晴海グランドホテル」集合という情報を入手。
けっこう盛大にやるのだろう。 「ならばかなりテンションを上げていかねばならないな」と思う。 だがそう思うとそれがかなりプレッシャーとなり、逆にテンションが下がってしまう。
僕はそういう人間なのだ。
でも、「行ったら行ったで楽しいんだろうな」っても思う。
僕はそういう人間でもある。
なんていうのか、終わった時に 「あーあ、楽しかった。1泊2日なんて短いよ」 って思えたら最高だろうな。
それは会社次第だし、自分次第でもある。 どちら側も「やってよかった」と思える内定式になればと思う。
なんだか幾分緊張しているのかよい締めの言葉が見つからない。 けれどもこれで締めさせて頂きます。 こっちにだって都合というものは有るのですから。
実のところ昨日免許を門真の試験場で取ったのです。 でも昨日は爆笑問題の事でいっぱいでそれどころでは無かったのです。
だから今日免許獲得の事を書こうと思う。 しかしながらたいして書くことも無い。 試験は順調に解けたし絶対受かったって思ったから。
電光掲示板が数字の羅列に変わる瞬間(2:30)に僕は黙々と本を読んでいた。 「やがて哀しき外国語」という村上春樹のエッセイである。 ひとつの話がもう終わりそうなのだ。読ませてくれ。
しばらくして歓声と悲鳴が上がる。 掲示板が数字の羅列に変わったようだ。 ゆっくりと顔を上げ135番を探す。 「131、132、133、134、135と」 ほら、確かにある。 僕は当たり前のように「学科受かりました」と既に作成してたメールを友達に送る。
受かった人は1階で印紙を買う。 落ちた人はぐったり肩を落として第6教室に吸い込まれていく。
落ちた人はなぜ第6教室なのだろうか。 それは第5教室ではなぜイケナカッタのだろうか。 ふとそんなことに思いを巡らすメグライアン。
しかし、そんなことを考えてもまったく意味は無い。 ここで意味があるのははっきりと点灯した数字だけなのだ。
2001年10月12日(金) |
獏笑問題の未来 BBSより |
赤ヘルさんの言っておられることは充分に納得です。 確かに田中が居ないと太田は生きないということはあるでしょう。 しかし、もみじ饅頭の中身がアンコだろうがカスタードだろうが美味いものは美味いのです。 田中はそんなもみじ饅頭の中身のような気がするのです。 中身が田中だろうが、チョコだろうが美味いものは美味いのです。
他に引っかかった点として 「太田のしゃべってるところだけきいてみてください、そんなにおもしろくはないはずです」 とありました。 そうなのです。太田ってそんなに面白くないです。 確かに発想力は豊かで、見方も別角度でシュールでとてもいい感じなのです。 しかしいかんせん彼は基本的に即興型ではなく用意型の芸人なのです。
彼らはたまたまボキャブラ天国という番組の形式に芸がぴたっり合ってしまい成功を収めた。 それが「彼らは何をしても面白い」という変な勘違いを生んでしまった。
ディレクターはなにも解っていない。 司会なんて彼らができるテリトリーではないのだ。 即興のトークなんてもってのほかだ。 彼らが一番生きるのはTVではなく綿密に計画された舞台なのである。
太田は既にこれらに気づいているかもしれない。 でも彼らはワンパターンの芸を長く引っ張り過ぎた。 これから変革することなどTVもファンも許しはしないのだ。
だから太田は、このままではやばいと気づいていながらシュールなボケを言わねばならない。 だから田中は、やばいなどと少しも気づかず、意味無く声を上げて突っ込むのだ。 一日に120回と繰り返すのだ。
そのうち日本の皆々は気づく「こいつらたいして面白くない」と。 それから彼らはマイナーな芸人の道へ進む。
そして3年が過ぎる。
当然太田はお笑い番組のディレクター的な位置を獲得し、テリ−伊藤と対立する。 そのかたわらエッセイなどの本を出版する。結構売れる。
当然田中はMrチンの後釜となりチビッコにTVゲームを紹介する。
たぶんこんな感じが爆笑問題の未来だろう。 おおかれすくなかれ。
最後の朝。 まるで小猫が行き先を迷うように僕の心は困惑していた。
涙の跡。 外は雨。 それは全てを流す時間的存在だった。
お陰で僕は踏ん切りがつき、ようやく靴紐をしっかり結べるようになった。 加えて前にも歩けるようになった。
僕達は家へ帰ってまたそれぞれの道を歩いて行くんだ。 ここは終点でも発着点でもゴールでも無く、ただの交差点だった。
この交差点では巻き込み確認も方向指示器も必要なかった。 ぶつかるならぶつかればいい。 譲りたいなら手を横に流して笑顔をすればよいのだ。
僕は再び1人の道を歩き始めた。 仲良くなった彼等と再び何処かの交差点で会う事を約束して。
僕の背中で新しい出会い達が歓喜と悲観の声をあげていた。
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