いつもの日記

2001年10月30日(火) 100%ノンフィクション

本日も久しぶりにボクシングの昼練習に行きました。

後輩の増井とマスボクシングです。
全然やってないからバテバテです。
2ラウンド目なんて手が上がらないです。

受身的なボクシングになってしまいましたが、まとめるところはきっちりまとめました。
そのお陰で、強引ではあるが、相手の外側をとりつつの右のフックから左のボディを、
ドンドンドンと3連続に決めて、増井君よもやのレフリーストップです。

言っておきますが、この今日の日記は100%ノンフィクションです。
わざわざ見栄を張るために事実を曲げるような事はナンセンスですから。



2001年10月29日(月) 昔の女友達と電話で話す。

彼女とは意外に長い付き合いがある。
僕と彼女との関係は、深くも浅くもなく頃合いである。
彼女は今の彼氏とちょっとばかり問題があるらしくそれを僕に話してくれた。

僕は聞き役は苦手で、どういう対処を取ったらいいのか解らない。
彼氏を批判したほうが良いのか、肯定したほうが良いのか、
彼女がどちらを望んでいるのか、そういうことが全く解らないのだ。

色々考えても解らないから、結局言いたいことを言う。
彼女が凹んでも仕方ない。
僕は正直に言うだけだ。

話が一段落して、僕のHPの話になった。

「けんちゃんの日記、私達の事を書いてくれないから読む気がしない。
だから日記は読んでないよ」

彼女はそういう人間だ。
基本的に自分以外の人間にあまり興味が無いのだ。

「自分が登場するなら読んでもいいんだけどね」
だって。

励ます事も考慮しつつ「君を日記で書こう」と約束し電話を切った。

数日後彼女から以下のようなメールが来た。

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*途中だけ*

あ、この前は電話つきあってくれてありがとう。
なんかすっごい溜まってた時で、バーンと色々聞いてもらっちゃって。
で、その後ですね、あたしは思いのたけを彼にぶつけました。
あたしはあんたのなんなのさー、みたいなことを延々。
わーわー泣きながら、、、です。

何をそんなにあたしは怒っていたのかは忘れてしまったんやけど。
結局奴もあたしの言うことをわかってくれたようで、一段落しました。
一瞬もう終わりかな、早かったな、とか考えたけど。
まだまだラブラブのようです。

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らしいです。それは良かった。
結局は、面と向かって正直に素直になって話さないと何も始まらないのです。

みなさん、もっともっと素直に正直に生きましょうよ。
それが一番難しい事かもしれませんが。



2001年10月28日(日) カプチーノの泡

週末に色んなことがあって整理がつかない。
そういう時はどうしましょう。

たぶん整理がつかないと思い込んでいるだけです。
整理はつきます。気持ちも安定してる。大丈夫。
そういう風に自分に思い込ませて今週も臨みます。

誰しもそういう風に自分を思い込ませる心持ち方法を知っています。
そういう心持ちの元でのちょっとした無理は努力であるし、望まれることなのだ。

なんだか意味の解らない日記になってしまってますが、仕方ありません。
心の奥で響いている車の爆音と、胸の鼓動がやまないからです。



2001年10月27日(土) 自動車免許取得合宿の友達とドライブ

4人がそろったのは10時であった。むろんAMではなくPM。

どこに行こうかとぐだぐだ言っているのが、ドライブでいいのだ。

初めにATCに向かう。
夜のATCは、昼のATCとはまったく違った場所になっている。
ストリートライブをしている者達は、あちこちかちこち、わんさかにゃんさかである。
だが、中には保育園児を自転車の籠に詰め込み、ぐるぐる走り廻している兄ちゃんも居る。
他には、夜釣りを楽しむ人が居る。昼には必ず夜釣りは楽しめない。
やはりここは昼とは全く違っているようだ。

次に向かった場所は、みんなが楽しむドリフト場。
その場所はこの時間帯普通の車は進入禁止なのだが、皆さんお構いなし。
100台は絶対に超える車が集まり、「ギャギャギャギャ」といってドリフトしている。
ほとんどの車は改造してあって、音は凄いし、おおかた車体が低い。
こんな低くては猫の死体も全てかっさらってしまって道が綺麗になってしまう。

ドリフトをしばらく眺めようとしてたら「ウゥ〜ン、ウゥ〜ン」とポリの登場である。
皆さんダッシュで逃げます。一気にその場から車が無くなりました。

次に僕達が向かったのは高速の1号環状線。
環状線というからにはグルグル廻ることが可能で、夜はココがサーキットになる訳です。
合流地点で止まって、僕達の前を250km/hで駆け抜ける車に見とれてました。
暫くしてまたまたポリの登場です。事故があったようです。

最後に向かったのは阪和道路の山道コース。
ここは高速の輩より音が凄い。「ババババ、ドドドド、ギャンギャンギャンギャン」
そんな感じだ。
コースの最初のストレートにあるバスの停留所で車を止めてこれまた見物。
時間は3時過ぎ。
僕はかなり眠くなり寝ようとするが、音が酷くて寝れやしない。

夜の集会を片っ端から回ったこの日はこれにて終了。
お腹が減ったから吉野家へ。
現在は狂牛病で大変だが、みんなの意見が一致すれば関係ない。

かなりお腹が減っていたらしく、みんな一言も喋らずに黙々と食べる。
そして、後は帰るだけのウイニングラン。

最後はマイ原茶に乗り換えて、八尾市から自分の部屋まで帰る。
帰宅時刻はAM4:45。

今夜出会った出来事は、僕とは全く別世界で、ひどく刺激的だった。
しかしながら家に帰った僕は10秒もたたないうちに即寝てしまった。
車が爆音で頭の中を駆け抜けていくのだが、僕の眠気はどんな車も追い抜いてしまったのだ。



2001年10月26日(金) ブギ

「ブギって何?」誰かが言ったそんな言葉の赴くまま、僕はインターネットでブギを調べた。

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ブギウギ:
ブルースから派生したジャズ音楽の一形式。
1920年代後半にシカゴの黒人ピアニストの手により黒人の間に流行した。ブギ。
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ブギウギは「リズム浮き浮き心づきづきわくわく」という言葉で表現し得ていると思う。
聴く者がなんとなく「ウキウキ ワクワク」するリズム、それがブギウギだ。
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その時代には、ブギはTBSの社内用語になるほど成長していた。
この流れのおおもとは、あるディレクターの気軽な一言から始まった。

「アレコレ言う前にとりあえず、"ブギ"をつければいいんだよ!」

それから、ママハハブギ、予備校ブギ、ADブギ、が誕生した。

ブギがみんなの心を掴む速度は本当に速かった。
ディレクターは自分の双子の子供に「ブギ」と「ウギ」という名前をつけた。
会議などでは他人の意見に賛成する時は「ブギ、ブギ」といいながら頷いた。
仕事の後は、みんながみんな「とりあえず、ブギろうぜ!」と言って、呑みに行った。

それから、ブギは急速にカテゴリーを問わず広がっていった。
社員食堂ではブギ定食が販売されて一番人気になった。
ADブギの加勢大周までが「ブギ、ブギ」言い出して、仕事にならずに事務所が困った。
TBS社内での通貨はブギとなり、コーヒーは一杯200ブギだった。
収録は「3,2,1,ブギ!」で始まり、「おつかれブギ」で終わった。

だが、この流れも長くは続かなかった。
結局は、ブギは単なるブギであって、日本や世界を変える事は出来なかった。
フジTVは、「ブギはフジに対する当てつけだ」と批判した。
美空ひばりフリークはデモを起こし、「東京ブギウギ」を歌って、TBSまで踊って歌った。
ブギを商業道具として気安く使用するTBSに、いてもたってもいられなくなったのだろう。

このような流れに押されるごとく、ブギはいつもの地位へと戻っていった。
僕達は、そんなブギの時代を、バブルの時代と同じようにとらえるようになっていった。


そんなバブルのようなブギ時代が過ぎたあと、ブギをここまでに至らしめたディレクターは、

「アレコレ言う前にとりあえず、名前の後ろに"。"をつければいいんだよ!」

と、つんくに言っていた。



2001年10月25日(木) てつマン(推定性別:男)

僕達はその夜から朝にかけて、てつマン(推定性別:男、推定年齢:39歳)に出会った。
彼は基本的に僕達が4人でジャラジャラやるゲーム時によく現れる。

僕はその時彼に会うことを望んでいたのだが、僕達の中には会うのを望んでいない者も居た。
平山はその一人で、そそくさと自分の家に帰って行った。
有藤は2位を勝ち取ってからは横の部屋のソファーベットで寝てしまった。

残ったプッチとカモダとスギちゃんとナガサワと僕は、更にそのゲームを楽しんだ。
時間は午前2時を過ぎようとしていた。
この時にはてつマンはまだ現れていなかった。

午前2時という時間はかなり微妙な時間帯である。
帰ろうと思えば帰れるが、帰るのでも少し滅入る時間帯である。
この曖昧な時間帯ではまだてつマンは登場しない。
彼は確実な状況ではないと動かない性質であるからだ。

僕の統計から推測すると、彼が現れる時間はだいたい午前3時〜午前4頃である。

本日もそのゲームが長引き、3時半を過ぎようとしていた。
ゲームの合間にふと時計を見ると、そんな時間になっていたのだ。
僕達は時計を見つつ、こんな事を言う。

「もう3時半も過ぎたなぁ。」
「ならそろそろてつマンが来そうだね。」
「うん。そろそろだろう。」
「うん。うん。」

このようにみんなの意見が一致すると、必ずてつマンはその時に部屋に現れる。
僕達の考えをお見通すことが出来きるのだろうか、いつもタイミングは寸分違わない。
ボタンを押せば缶ジュースがでてくるように、僕達の意見が一致すれば彼が現れるのである。

てつマンは僕達にいつも何か変な薬をくれる。
それはハイテンションの薬や、不機嫌の薬である。
どんな薬をくれるのかは解らないが、それぞれみんな貰って飲むことになっている。

僕はその日調子は悪くは無かったが、上がったり下がったりの成績だった。
しかし、彼が現れて薬を貰った後の最終のゲームで、かなり弾けて大きくプラスに転じた。
これもすべて、てつマンがくれた薬のお陰だと、周りのみんなは言った。

確かにそういうこともあろうが僕達が何を言おうと、
「僕はプラス。プッチはマイナス」
という結果しか何も語らないのである。

教訓:てつマンと会うのはせめて月2回くらいにしておきましょう。



2001年10月24日(水) 阪大ボクシング部の同期と飲む

とことん久しぶりに同期の奴らと飲む。
大阪以外からは、三重の四日市からボウズヘッド花っち、奈良からプリンス森田が参戦した。
大阪勢はチャーリー石橋、アフロ岡沢、スキンヘッド玉越、ディティール柴山である。
総勢6名の男だけで飲む。

1軒目は東通りの奥のほうにある洒落たお店「Relax」で飲む。
近況報告を兼ねて、あいも変わらない彼らとのトークを楽しむ。
時折僕はいじられる。
意外にみんな2年前ままである。

2軒目は「くいもんや12.6」で再び飲むのだ。
ここからアフロ岡沢が駆けつける。
アフロのモアモア感を出すのに苦労したそうだ。
ここでは主な主題は阪大ボクシング部の行く末のを話す。

やはりみんな阪大のボクサーである。
それぞれの熱い思いをぶつけたりぶつけられたりである。
でも結局は一番盛り上がるネタは下ネタだったけど。

3件目はチャーリー亭でこれまた飲む。
主な主題は日本のお笑い事情。
ダウンタウン松本の凄さ、ロンブーって面白い?漫才ならやはりオール阪神巨人か!
なんて事を話す。

僕はそんな雰囲気を楽しみながら、いつも間にか寝てしまっていた。
彼らとまた飲みたいな。
こんないい気分のまま寝れるのなら。



2001年10月23日(火)

彼女は彼氏の目を気にして服を着る必要はないのだ。
自分に似合う自分が好きな服を着ればいいのだ。
彼女が男の子っぽい格好をしても何も問題はないのだ。

結局服なんて裸までの過程にすぎない。
精神的にも肉体的にも。



2001年10月22日(月) ボタン vol.4 〜 がんばってください! 〜

スピーカーの中で彼女は叫んだ。

「がんばってください!」

「えっ?」
僕は思わず言ってしまった。言わずには要られなかった。

「がんばってください!」
再び同じ調子で女は言った。ほとんどテンポもリズムも変わらない。

僕は戸惑っていた。何をすべきかも解らないのだ。

「がんばってください!」
再び同じ調子で女は言った。本当にほとんどテンポもリズムも何も変わらなかった。

僕は訳が解らなくなって頭をひどくかいた。

それと同時に、どこからともなくテープが巻き戻されるような「ガー」という音が聞こえた。
その「ガー」は、「ピッ」という音と同時に止んだ。

僕は恐る恐るもう一度横の壁についているボタンを押した。

スピーカーから声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
先ほどと同じように女の声だった。
それはきっちり3度繰り返されて、すぐに「がんばってください」コーナーに突入した。

僕はその「がんばってください」の声を3回聞かぬうちにトイレを出た。
僕の症状などそのシステムのアホサには本当に無力で、既に吹き飛んでいたからだ。

僕の症状は、本当にビックリ仰天するくらい良くなっていた。
なぜなら無意識のうちに「ホリケンサイズ」を小声で歌えるほどになっていたからだ。
しかも「シバケンサイズ」として替え歌しながら。



2001年10月21日(日) ボタン vol.3 〜 天然100% 〜

「大丈夫ですか?」
ボタンのそばのスピーカーからやさしそうな女の人の声が聞こえた。

「だっ、大丈夫じゃない」
俺は心持ち苦しそうに言った。

「大丈夫ですか?」
また同じ調子で女の人が言った。歳は結構若そうだ。

「胸が心臓が痛い。締め付けられる」
僕は現在の症状を伝えた。

「大丈夫ですか?」
また同じ調子で彼女は言った。
彼女はまるでこの状況が解っていないのだ。

ドアを叩くNHKの受信料取立と電話による英会話教室のセールストーク。
それが同時にやって来ているほど酷いのだ。
別の側面で捕らえるとすると、クリスマスと誕生日を一緒にされる勢いである。

「はっ速く!速く!だっ、誰か来てくれ!」
僕は声を絞り出して言った。
搾り出すという表現がこの時ほど適切な時はなかった。

まさにその声の成分を検査すると天然の100%は必ずくだらなかった。
ましてや濃縮還元の100%など取るに足らなかった。

最近は若い者でも濃縮還元の100%を使いこなす奴が増えてきている傾向は特にある。
だが、そんな社会一般の事を考える暇など少しも無かった。
チューブを切って内部を覗いても、半回分の歯磨き粉しか残って無いほど暇は無かった。

搾り出した天然100%の僕の声が届いたのだろう、しばらくして女が悲痛な叫びで言った。


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