2001年11月29日(木) |
もちろん目覚ましなんてかけません |
そろそろ普通の日記を書く時期でもあるので書こうと思う。 あまりひねらず、ただ純粋に気持ちを書いてみたいと思い、書きます。
本日は、修士論文の中間発表がありました。 そのため、昨晩は大学に泊まりました。 30分の睡眠を3回に分けてとって、なんとか乗り切りました。
しかし、発表はあまり満足いくものでは無かったです。 巧く言葉が出てこず、よく噛んでしまって、もたつき、ずれこみ、 結局はまとめの部分を、聴衆に駆け足でおおくりするしか無かったです。
「まぁでもいいや、しょせんは中間発表だし」 と思って自分に言い聞かせてますが、本番ではもっときっちりやりたいと思いました。
前々から思っていたことですが、僕はかなりあがりやすいです。 別に高価なテンプラ粉を使っているわけではないのですが、揚がり易いのです。 僕は揚がってしまうと自分の持ち味の10分の1も発揮できません。 まるでトロを揚げてしまうようなものです。
こういう人には練習しかありません。練習あるのみです。 繰り返し繰り返し練習し、体に馴染むまでやらないと駄目なようです。 したがって、もし君が、大衆の面前でスムーズに話している僕に、万が一遭遇したなら、 それは一重に僕の努力の賜物であって、僕の元々の性質なんて事は絶対に思わないで下さい。
そんな切なる願いを胸に僕は床に就きます。 もちろん目覚ましなんてかけません。
この疲れた僕の目が開いた時が、次の日の始まりなのです。 所詮日付なんて人間がただ利便的に定めた区切りでしかないのですから。
「その神戸にあるお店のビビンバね、レタスとかも入ってるし、めっちゃ変わってるのよ。 でも、変わってるだけじゃなくて、とにかくおいしい。マジでやられたわ。」
「やられたという事は、君の負けだという事だね。」
「・・・」
「即ち、言い換えると店が勝って、君は負けたんだね。 なんだかんだ言っても、君は負けた訳で、店が勝者なわけなんだよ。 このことに関し君がとやかく言える権利も無いし、言うべきものでもない。 店の勝ち、君の負け。という事実しか何も語らんのだよ。」
「あのね、ちょっといい。」
「ふむ。何か?」
「けんちゃんと話してても全然面白くない。もうしゃべらんとって」
・・・・・
明後日の僕はこんな会話をしているのかもしれない。
「茨木って外人多いね。なんでだろうね」
「メッカですもの」
「えっ??・・・」
「だって外人のメッカですもの。外人というものを初めに外人と認めた発祥地ですもの。 だから、この外人のメッカである茨木に彼らは集まるのです。お解り?」
「はいはい。もうそろそろ時間だし。帰るね」
「気をつけて帰ってね。そろそろ暗くなってきたし、それに加えてここはメッカだし。」
明日の僕はこんな会話を楽しんでいるかもしれない。
Q1:ターミーと聞いて、ターミネーターが思い浮かぶ人は正常な日本人である。→○ Q2:ターミーと聞いて、彼が思い浮かぶ人は僕と同じリクルートの内定者である。→○ Q3:彼を知っているならば、ターミーと聞くと、必ず決まって彼が思い浮かぶ。→○
ターミーというネーミングもさることながら、 人間かどうかも不確かな彼ではあるが、僕と同じくリクルートに内定を頂いている。
そんなターミーと先日、同内定者の勇志の家で飲んだ。
ターミーがターミーたるゆえんに、存在感というものがある。 彼のごつくてワイルドなイデタチからは、金色(こんじき)のオーラが発せられている。 ミスターオクレの存在感を1とすると、彼の存在感は300万はかたい。 トリプルミリオンなんてあってもないようなものなのである。
しかし、意外なベビィフェイスから繰り出される彼のトークには、一貫性はほとんど無い。 彼のトークの根本には「適当」という文字がハッキリと刻まれている。 そんな「適当トーク」ばかり聞いてると、僕は彼の内部を何も理解しえなかった。 でも、ただひとつだけ解った事は、彼はラーメンがかなり好きだという事であった。
そして、そこから解った事は、それは正にターミーがラーメン好きな人間という事であり、 「ターミーが人間である」ということの証明にもなった。
先日一晩かけて話した事の収穫は、たったこれだけであったが、 ターミーが人間だと解っただけでも大した収穫だった。
「悩んでいる事無いのよ。いつでも、どこでも、羽を思い切り伸ばしなさい」
その本は僕にそう呟いた。 僕は紀伊国屋でその本を読んでいたのだが、「これだな」と思って元気が出てきた。
店を出てから僕はさっそく思い切り羽を伸ばしてみた。 とても気持ちのいいものだ。
と、実感する前に、通行している人達は、僕が伸ばした羽をきっちりよけていった。 ある人はかがんで、またある人は肩越しにかわして行った。 だから、みんなとても歩きにくそうだった。
一人のおばちゃんが言った。 「こんな人の混むところで羽なんて伸ばさないでよ。やるなら自分の家で伸ばしなさい」
おばちゃんの理論は確かに正しかったのだが、 僕の実質5畳という狭さの部屋では、羽を伸ばすのも困難なのだ。
僕は読書家では無い。だから本を読むのは嫌いだし、長い文なら読む気がしない。 昔から僕はそういう性質で、小さい頃はゲームさえあれば満足であった。
「そんなふうに本や長い文が嫌いなあなたが、何故日記を書いているの?」 と君が疑問に思うならば、答えるけどいかがかな。というわけで、君たちの疑問に答えよう。
僕は、文章を読むのは3度の飯より嫌いだが、書くのは3度の飯より好きらしい。 ある時から僕は自分という存在を表現するための手段として、 文章を書くということで快感を覚えるようになる。
それが最初に劇的に訪れたのは、たぶん中学校の頃だろう。 僕の通っていた中学には、「お話会」という学校の行事が、年1回開催されていた。
そこでは、クラスから1人選ばれたクラスの代表は、体育館のステージ上で、 ただ一人立って全校生徒に向かって、自分の文章を読むのである。
この光栄な立場にあろう事か僕は、1年と3年の時にクラスの代表として選ばれる。 年1回のお話会が3年で3回あったから、3回中2回僕は選ばれていることになる。 3の2だから、打率に直すと.667。
これは凄い。かなり凄い。おいおい凄い。 これは、MVPをとったイチローですら、たぶん一生超えられない数字でもある。
小泉首相がこの事実を知ったら「すごい。さすがだね」と誉めるありさまだろう。 イチローがこの事実を知ったら、彼は悔しさのあまり一日の素振りを300回は増やすだろう。
だいぶ話は逸れたが、以上の経緯より僕は文を書く事が、意外に得意で好きらしい。 そして自分の書いた文章を誉められることが一番嬉しいのだ。どんな事より。
そういう訳だから僕は文を書いている。でも、僕は読むのは嫌いである。 ということは、僕は皆に文を読んで欲しいが、僕のように読むのが嫌いな人も居るはずだ。
僕はこの読むのが嫌いな人にも、読んでもらうために文章の量に気を使っている。 読むのが嫌いな人は、文章の量に敏感で、読むべき量が多いとかなりなえる。 量がかなり多いとわかった時点で、読む気がしなくなるのだ。 だから僕は、僕みたいな読者に考慮してなるべく1ページで抑えようとしている。 なるべくというぐらいですけど。
2001年11月23日(金) |
僕のメガネはズレやすい |
最近だんだん解ってきた 僕のメガネはズレやすい
「理由は何だ」と問われたら 「扱い方が悪いのです」
だから僕はメガネ屋へ行く 期待を胸にアクセル回す
ビジョンメガネの店内 ただ僕一人寂しいな
でも店員の笑顔は素敵 儲かってなさそうなのに笑顔は素敵
「これなんかゆるいねん。とりあえずなおして」 僕のメガネは手術中
買う気は無いけど見てる振り そうしないと中々直してくれないの
直されたメガネは僕の耳に 吸い付いたようにピッタリヒット
やっぱりメガネはそうでなくちゃ でも 僕のメガネはズレやすい
免許の写真でもズレてます だから 僕のメガネはズレやすい
2001年11月22日(木) |
ドラッグストアの野望 |
2001年11月12日(月)の「どうしたらいいのだ」という日記で、電気屋で薬を売っていると書いた。
がしかしだ、薬屋即ち、ドラッグストアはもっと凄かった。
薬屋はいつからか解らないが、ドラッグストアと呼ばれるようになり、 どのようなものでも売ることを可能にした。 日用品やお菓子はもちろんで、CDまで売っているのだが、それに留まらなかった。
自転車
そう、あの足でこぐ自転車。解りますよね、自転車。2つの車輪がついた自転車。 売ってるんです。今では本当にドラッグストアで売ってるんです。
これを知った日には僕は、 「将来お金が溜まっても、絶対に自転車屋はしない」 と誓いましたね。
自転車屋で働くならまだしも、自転車屋をするは、やはりきつい。 絶対みんな清潔感のある白衣を着たお姉さんの居るドラッグストアで自転車を買うだろうし、 対抗して自転車屋で薬を売っても誰も買わないだろう。
チェーンオイルで汚れたきたない作業着にスパナ持ちながら、 「お大事に」 って薬を渡されても、風邪が治るだなんて思わない。 逆に、そんなんで満足するお客さんは違うクスリをやってる。絶対に。
現在、ドラッグストアを取り巻く状況は大方こんなところだ。しかしだ。 僕の推測するところ、ドラッグストアにとって「自転車」は所詮通過点に過ぎないと思う。
ドラッグストアの野望は果てしない。 彼らは僕達の感覚を少しづつ変化させていく。 彼らは彼らが出来る領域を少しずつ広げていく。 僕達にわからないように。気付かれないように。
彼らはそのうち居酒屋を経営し、学校を建て、さらに球団を持ち、ついでに政党を作る。 そして僕は30年後、白衣を着た総理大臣の居る国で、初めての獅子座流星群を見る。
2001年11月21日(水) |
ある会社員(男) と 募金ボランティア人(女) |
「募金お願いします!」
と街頭で言ってる人が抱えた募金箱には、みんなの財布の紐がゆるくなるように、 あらかじめ幾らかの小銭とお札が入っている。
そんな現実を知ってしまった僕は、何を思えばいいのだろう。何て言えばいいんだろう。
たぶんこう言えばいいのだ。
「君らがみんなで日雇いのバイト行ったほうが儲かるよ」
「あ、あなたっていう人は何てことを言うの!そんなつもりでやってません」
「それならどういうつもりでやってんの? すぱっと、本音を言っちゃえばいいじゃない。 こういうボランティアをしてる自分が一番好きで、そんな好きな自分になりたいって。 それが一番の目的で、いつもそのつもりだ。って言っちゃえばいいじゃない。」
「・・・・」
「それから、そんな自己満足的なボランティアの募金が終ったら、 一日に集まった募金以上のお金を費やして、呑みに行くのでしょう。 「お疲れ様〜」って盛り上がってね。所詮そうでしょ。」
ある会社員(男)と募金ボランティア人(女)は、白昼堂々街頭でこんな会話で討論をしていた。 僕はそのそばを通り過ぎただけだが、大方話の内容は合っていると自画自賛している。
2001年11月20日(火) |
Webに存在するもう一人の自分 |
「Webに存在する自分とはもう一人の自分である」と僕は考えている。
僕達はそのもう一人の自分で、なんでもどんな事でもしたいと考える。
現実の世界においては自分が抱えてる責任、羞恥心、義務、臆病さ、などが交錯し、 それらは絡まった縄のように、ほどけないシガラミを作る。
そして僕達は、そのシガラミのために何もできない。
現実の口は壮大な夢を語り、頭は大いなる野望を創造するが、行動は起こせず、 結果は出ないから、結局僕達は何も出来ずに羽をたたんで、いつもの生活を繰り返すだけだ。
だが、Webの世界ではそれらを可能にする事ができる。
現実では多くのシガラミがあって不可能な事も、ここではシガラミなんて考えずに、 できるだけ正直に、最高に素直になって、羽を思い切りのばして、可能にする事ができる。
こういう世界だから僕は、羽をめえいっぱい広げて正直に素直に文章が書けるのだ。
現実の僕にはそんなことは到底出来ない。 現実の僕は、臆病で、保守的で、そしてなにせ自分にたいして言い訳がうま過ぎる。
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