2003年07月07日(月)

翔の今日の宿題。


『折り紙で10こなにか作ってくる』


理由はわからなくてもやって来いと言われればやらなくてはなりません。

翔はツルを折るといいました。

教えてくれと言うので私なりに丁寧に教えました。
なのに一つの過程が過ぎると「次どうだっけ」と聞くンですね〜。
はっ倒してもいいですかね。

どうにかこうにか1つできあがるとまた次もツルを折り始めるんです。
そしてまた同じコトを聞く。

「ねっ翔。今日の宿題はツルなの?」と聞いたら
「なんでもいいんだよ」
「なら自分が作れるのにすれば?」
「いいよツルで」

いやぁ〜 あんたが良くてもコッチがまいっちゃうんだよねぇ。



2003年07月06日(日)

みなさんご心配おかけしました。
徹は昨日無事退院いたしました。
暖かいメッセージ、ありがとうございました。
とっても嬉しかったです

徹の手術は大成功で最初手術した左目は視力が0.9まで回復しました。
右目の方はコレから抜糸するので視力は教えてもらえませんでしたがレンズの濁りがなくなり本人はかなり見え易い様です。

心配していた網膜は両目とも無事でした(^_^)v
やれやれです。

発病して4ヶ月。
なんでアトピーでこんなことになってしまったんだろう。
アトピーを治してあげるコトは本当にできなかったんだろうか。
何度も落ち込みました。

でも徹はいつも元気だったんです。
「本が読めないならテレビみよう」
「バレーできないけど筋トレしよう」と前向きです。

入院中もいたって元気。
大変だったのは徹なのに徹の明るさに助けられてました。

外出禁止なのに徹は今家にいませんが。



2003年06月24日(火)

朝っぱらから徹の入院先の担当医から電話がありました。

手術は大成功だったのですが寝ている間に縫い目が開き、
ソコから瞳の奥のお水が殆ど出てしまったそうです。

さっしはつきました。夜中に触ったんです。
手術後から付けている金でできてる様な頑丈な眼帯を外して触りまくったんだと思います。
でなきゃ私そっくりの『寝相』で自然にとれてしまったか・・・
(注:ワタシは子供のころ友達の家に泊まりに行って寝てる間にガラスを割った女です)

予定では明日一時退院できるハズだったのに右目の手術が終わるまで退院はなくなりました。

それよりも、その出てしまったお水は大丈夫なんでしょうかね。
「また手術でもして水入れるんですか?」と聞いたら3時間くらいでお水は元の量に戻るそうです。

ドキドキしたせいか疲れているんだか今日スゴイことが起こりました。

ホント驚いたんですけど病院のロビーいたら立て揺れの大地震が起きて立っていられないほどでした。
徹も他の人も回りにいたので「地震地震!!」と大騒ぎしたんですがね、
どうやら地震はワタシだけに起きた『地震』だったんですね〜。
しかも余震付きです。

夏になると動悸や眩暈は起きやすくココんとこ頻繁だったんですが今日のは違うんです。

一人きりだったら『地震大きかったな〜」で終わっていたと思いますが。







2003年06月23日(月)

ご心配おかけしました。

徹の左目の手術。無事成功です。
心配していた網膜の異常も見つからず人工レンズもキレイに収まりました。

一応術後1時間は絶対安静と言われ寝ていたんですが...
1時間が過ぎたとたん病棟を徘徊ですか。

「お腹すいた!』と遅いお昼をぺろっと平らげ
面会終了の8時まで翔と遊戯王カードで遊んでましたよ。
その上看護師さんを呼びつけては『目が痛いから診察してくれ』だとか『眼帯のテープをもっとしっかりつけてほしい』とぬかす始末。

完全復活です。





2003年06月19日(木)

翔の参観日でした。
1日開放してくれるアレです。何時に行ってもいいのです。

音楽の時間に到着しました。
翔はいつもニコニコしてる子なんですが授業中もおんなじでしたよ。

ココはワタシの母校でもあります。
自分が通った年数より保護者として通った年数の方が長くなってしまいました。

子供の学校へ出向くとちょっとした同窓会になります。
親子揃って同級生というくされ縁が4人もいます。


お願いですから昔のあだなで呼ぶのはやめてください。


「ミクロマ〜ン。 」


 進