とどすダイアリー
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2003年07月02日(水) 7月の訪日決定

なんか外タレのスケジュール決定みたいな響きだけど、何てこたーない業務での出張なのだ。勿論アフターアワーズにはJazz、Golfも少しは(?)楽しまなきゃね。12日の夕方には成田空港に到着し、1週間ゴチャゴチャと動き回ります。Webに発表されている皆さんの日程をみると余りセッションとか無さそうなのでゆっくりと常磐線沿線グループで酒を酌み交わせるのかな?しかし、里帰り便でも通常の月は700−800ドルなのに夏休みシーズンだからかしら1200ドルもするのでビックリ。混んでいると疲れるのでマイレージを奮発して往復ともフルフラットにアップグレードしちゃった。日本は蒸し暑いんだろうなあ。嫌だけど夏痩せだけはしたいんだよねえ。そうそう今日は娘の誕生日。おめでとうネ。


2003年07月01日(火) かりんとう

NYに戻って食料品の買い出しに韓国スーパーへ。なんか疲れが溜まっているのでお菓子売り場で足が止まる。ダイエッターとしてはいかんいかん、と思いつつも日本製のかりんとうに目がとまった。沖縄産黒砂糖使用とデカデカと書いてある。これは精白糖と違ってオリゴ糖だな、と思い買ってみた。ハッキリ言って美味い。懐かしい甘みだね。何かオジンになって甘さに対する感覚が変わったのかな?そろそろ日本茶に和菓子???


2003年06月27日(金) 取りあえず出張日程終了

いやはや目が回るほど忙しい1週間だった。業界の不況が長引く中で皆生き残りをかけて必死だからネゴがきつい。本日訪問した会社も200人規模の工場を閉鎖するアナウンスをまさに今日行ったとのことでピリピリしていた。
そんななかでもサンノゼ・サンフランシスコは絶好の天気が続いている。何度もこの地を訪問しているのに、ペブルビーチにもサイプレスポイントにも訪問する機会が無いとはゴルファーとして何たることか。
ともかく疲労が相当に溜まった感じ・・・。週末にNYに戻り普通のペースに戻れればネ。Hiro師匠のレッスンも予定されているし。


2003年06月26日(木) パロアルト

ここサンノゼで有名なのはシリコンバレーとスタンフォード大学かな?昨日の夕食はそのスタンフォード大学のあるパロアルトと言う街のトラディショナルなアメリカン。101から University Avenue に入るとそこはアメリカと言う感じじゃない。古い家が左右に並びヨーロッパとも言えるけど、パームツリーが印象的なのでマニラとかジャカルタの高級住宅街みたい。凄く高いんだそうだ。そして住宅街を抜けると瀟洒な商店街に入る。ここらもお洒落だなあ。とてもNYとは比較出来ない。列車の線路(パロアルトの駅)を抜けるとスタンフォード大学だ。東海岸から来ると異国情緒イッパイって感じだね。お食事はスペアリブ、ステーキなど美味しそうだったけど、今回はシーフードにしておいた。でも誘ってくれたお客さんを笑わせようと「ダイエット中だけど、デザートは当然ニューヨーク風チーズケーキ!!」って注文して4分の3くらい食べちゃった。アハハ


2003年06月25日(水) サンノゼに乾いた風

あー眠い。午前4時の目覚ましでベッドから這い出る。7時発のフライトで西海岸に出張だ。西のお客さんは絶対にワイシャツ・ネクタイをしないので荷物はなんかゴルフに行くのと変わらない。4時45分にアパートの玄関に出ると、いつものユンさんがリンカーンのリモで待っててくれていた。相変わらずコーヒーのサービス付きで韓国語・日本語を交えておしゃべりしながらJFKへ。アメリカン航空のチェックインはいつものとおりセルフサービス。端末の画面をタッチしていくと座席も、荷物も全部確認出来てボーディングパスが印刷されて出てくる。便利な世の中だ。757はまずまずの込み具合。朝早くから出かける人が多いね。まあ10時にはサンノゼに到着するから時間を有効に利用出来るフライトだ。MDにノイズキャンセラー付きのSony製ヘッドフォーンで武装してケニーバレル、山本剛、ジョン・ピザレリ、杉本篤彦などを聴きながらの6時間。サンノゼ国際空港にランディング。真っ青な空に乾いた風が抜ける。気温は100度近いだろう。Avisでビュイックのフルサイズをピックアップして101を北へ走る。これから厳しい交渉の連続であることを忘れさせるクルージング。さあ、やるっきゃないか・・・。


2003年06月23日(月) 急に夏だ

仕事の始まる月曜日になると天気が良い。今日は華氏で80度だから摂氏だと30度の状態となった。外出先で屋外に駐車した車に乗り込むのに蒸し風呂状態でしばらく待たなければならないくらい。これで夏になるのだろうか?汗かいて痩せなければネ。結構節制しているのだが体重は減らない。ダメだね。


2003年06月22日(日) 相変わらず天候不順

今年のNYは天候不順がず〜〜〜〜〜っと続いている。土日になると必ず雨が降り、従って気温も上がらずとても6月とは思えない。昨日も午後から大雨になったし、今日もスッキリせずに雨模様。部屋を片づけたり洗濯したりの日曜日。練習が余り進まない。日本にいる子供達はそれぞれに大学生・高校生のスタートが軌道に乗ってきたらしい。ここが勝負だから頑張って欲しい。
夜から出張者が入ってくる。今週はかなりヘビーな1週間となる。水曜からは西海岸にも出張しなければならない。出張経費を安くあげるために早朝のフライトが多いし、土曜日に宿泊するとチケットが安くなるので日曜も朝一のフライトでNYに戻ってくる事になる。このあいだ日本からやって来た旅行者がUAで往復ニッキュッパ(29800円)だったそうだが、アメリカ国内線でも東・西の往復でこんなに安い切符は手に入らない。いずれにせよ業務多忙でギターの練習は1週間お休みになりそうなのが辛い。


2003年06月21日(土) 久しぶりのウッドベリー

NY郊外のウッドベリーコモンと言うショッピングアウトレットは日本人観光客はもとより買い物客には人気スポット。今日は秋以来久しぶりに行ってみた。天気が悪かったのでちょっと空いていたかな?いつもの通りIZODなどで掘り出し物を探してゴルフ練習などで酷使していたスニーカーを探したが、最近のスニーカーはどうも形が妙で(年取ったのかなあ、センスが合わないね)これと言ったものが見つからない。作りの割には値段も高いよな。それでRockportで40ドルくらいの皮のスニーカーっぽいのを買ったんだ。アメリカで日本人が靴を買うと言うのは結構大変な作業。と言うのも「甲高・段広・外小指」と言う日本人の足形はどんなデブでも足の形が細いアメリカ人用に作られた靴はどうやっても合わないのだ。日本ではEEEなんてのが標準的だけど、こっちだと殆どがEかD!!デザインとサイズが合っても標準のMと書いてある靴はまず殆ど履けない。広め(ワイド)のWは必須で場合によってはExtra Wideじゃなきゃ入らないのだよ。RockportはWide仕様の在庫が他の店に比べて多いのでここで探すのが通例。でも日本人サイズの7.5、8、8.5などのWは有ってもワンデザインに1個くらい。だから有ったらとりあえず買わなきゃ次はいつ買えるか分からないのがアメリカの靴ショッピング。なんかゴルフともJazzとも関係ない話題であった。


2003年06月20日(金) Hiroさんレッスン開始だゾー!!

今日はいよいよ本格レッスンの開始。掲示板に寺分さんのビデオを持ってきて、と言う師匠の業務連絡もあったので、他にもマーチンテイラーやジョン・ピザレリのビデオも持ってHiroさんの自宅に車を走らせる。最近覚えたGWの料金所までの裏道で渋滞をカットしてマンハッタンに入る。さすがに金曜の夜は道路が混むが7時過ぎに到着。ニコニコ顔で師匠が迎えてくれた。私のギターを取り出していろんなフレーズを弾いてくれた。なかなか良いギターだと誉めて貰い嬉しかった。まずは雑談をしながら師匠のギターの歴史を聞かせてもらいお互いに知り合うことからスタート。こんな中から方針を決めてくれているのだろうなと思った。そして師匠の未発売CDを数曲聴かせてもらう。フュージョンっぽい曲想だが、オクターブ奏法を中心にメローなフレーズが紡ぎ出されている。いいなあ。
そして、噂のカレーを2人で毒味、いや味見した。何時間も鍋に付きっきりで作ったのだろうトロトロに材料が溶けたカレーでご本人はもう少しコクが足らない、とおっしゃっていたがTodos好みのカレーで大満足。そしてレッスン開始。これまでの数ヶ月Todosがやってきたことを確認した後に基本的なコードをベースに構成音のアルペジオが重要であり指版上にコード構成音が見えるように、それを色んな順番やフィーリングで弾いていく、CもAmもスケールの構成音は同じだけどスケールを発想の原点に置かずにコードトーンで音を選ぶ、などなど深い話が続く。師匠のC/Am/Dm/G7のバッキングに合わせてコード構成音でアドリブの真似事をやってみたり、あっと言う間に時が経っていく。楽しくやることを主眼に教えて頂いた。
レッスン後もコーヒーをいれて頂き、宮の上先生の秘蔵ビデオを見せて頂いたりアフターアワーズが続き遂には師匠のバッキングでMistyを唄ったり深夜に近い時間までお邪魔してしまった。ありがとうございます。
これでスタートが切れたかな、と「しなやかに」思うTodosでした。


2003年06月18日(水) またまたマンハッタンで歌っちゃった

最近勤め先を換えたトドスNY支部長との会食。久しぶりである。相変わらずダイエットが持続していてこれじゃあトドスとは認められない風貌、とやっかむのは止めておこう。正直言って羨ましい。背は高いし「今は」痩せてますますハンサムである。これじゃあ一緒に飲み屋に行っても俺は無視されそうだ。と、痩せようとの決意を新たにして・・・。食事は店の看板を出していない秘密クラブのように怪しい、と言うことは無い日本メシを支部長が選定してくれていた。ここのオーナーシェフとは一度ゴルフコンペで顔を合わせた事がある。感じの良い方で彼の発案なのかメニューが基本的には無くお任せでコースが出てくるのだが、だからと言って普通の金額なので気軽に家庭料理が楽しめると言う感じ。ワインを一本飲んで、何かお食事は?と言うウェートレスの誘いとダイエッターの2人は丁重に断り店を出た。
2次会は46丁目のかほるである。ここは前にも書いたけどNYで唯一本当にピアノ(スタインウェーだ!)が置いてあり生演奏をするピアノバー。水曜なのでTOYAさんがピアノ担当。店に入ると誰も客がおらず貸し切り状態でのスタート。いきなりTOYAさんのピアノで歌いまくってしまった。じゃのめでも歌ったニアネスオブユーに始まりナットキングコールを数曲。それからシナトラのレットミートライアゲイン。この曲フェーバリットなんですねえ。歌詞が素晴らしい。My Wayを歌って引退したシナトラが復帰するときに歌ったのだが、歌の世界を別れた女に例えて未練たらしく「もう一度やらしてくれ」と唄うわけである。当時の女性ファンは参ったに違いない。普段の仕事では4ビートをやらないToyaさんだが、次々とやってくれるのでTodos大満足。お客さんの少なかったのを良いことに6−7曲唄ったかな?
Toyaさんありがとう!!


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