とどすダイアリー
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2003年07月24日(木) |
祝!!シニアツアー入り |
と、言う訳で今日7月24日はTodosの誕生日なのだ。 両親から来たメールによれば、当日の東京は35度の暑さでうだるようだったとか。でも今から50年前は扇風機も未だ普及していなくて、曾祖父がどこかから借りてきてくれたそうだ。それでもアセモだらけで育ったらしい。現代ではエアコンの普及でアセモと言う言葉も死語になりつつあるのかな?でも我が家が扇風機を買ったのは私が生まれてから8年経過してからだったそうだ。 そして私がこの世にオギャーと登場したのが午後1時06分、3190グラムと言うから当時としてはデカかったのだろう。その遺伝子がTodosに繋がっている。(と、自分のデブへの道を遺伝子のせいにしてはいけないのは分かっているが)
私がプロゴルファーなら、この節目でレギュラーツアーからシニアツアーに移行出来るのだが、残念ながらこの夢はイギリス駐在中に頓挫している。しかし、山田プロと一緒に何かゴルフ関係のことをしようd(^-^)ネ!、と言う気持ちだけは持ち続けているのだが・・・。ともあれ、ゴルフとJazzの2本立てでこれからもやっていくゾー!!皆さん宜しくお願いしま〜〜〜す。
2003年07月23日(水) |
ボーカルレッスン予約!! |
イヤー、先のじゃの目で録音した私の歌の音程は自分でもショックだった。最近はnakaGさんやともぼんさんも歌を唄うと言い出しており、追い上げ急である。楽器がまだ出来ないTodosにとってはある程度のところ仕事も通じて鍛えた歌の世界ではインストでは大学のJazz研ご出身の皆様との差別化を図りたい!!でなきゃ、セッションにも行けやしないゾー。 そんで緊急に小田先生に電話。ギターのレッスンを途中で辞めた形になっているので何となく電話しにい。まずはマネージャーの古賀さんと話したかったのに一時帰国中とやらで直接先生が電話口に出られてドギマギしてしまう。しかし何とかボーカルの話に集中してレッスンをお願いした。早速土曜日から開始。取り敢えず5回で250ドルの出費であるが、やむを得ない。聖子ちゃんを世に送り出した作曲家の先生だからきっとデビューしたての聖子ちゃんにも歌い方を指導したのだろう。ん、Jazzのボーカルじゃなくて歌謡曲になっちゃう??でも良いのだ。発声と音程の安定化がキーだから、多分これで良いのだ。と、言うことを信じよう。(段々自信がなくなってきた・・・)
何故かガラガラの飛行機だった。日本に戻るときは満席だったのにナンデダロー?ゆったりとしていたのに余り眠れなかったのもナンデダロー? ともあれ12時間半のフライトを終えて11:38にJFKに着陸、外に出るとム、ム、蒸し暑い!!こりゃ梅雨寒の東京以上にムシムシ状態である。正直、気候的には余り住みやすい街では無いネ。ロンドンは天気が悪いと皆言うけれど、冬は雪も降らないし、零度以下に殆どならない、そして夏は湿度が低いので快適である、NYよりはましだと思うなあ。 ともあれ、アパートに戻り軽くシャワーを浴びてからOfficeへ。一仕事片づけてから車のナンバープレートを取り付けにディーラーに行ってカイロプラクティックの先生のところで肩を診て貰う。以前に比べれば大分良いが、まだ動きに制限があることは事実。気長に自分でストレッチしながら直すしかないのかなあ? 夕食後不覚にもソファでうとうとしてしまった。これで時差ボケが増長されるんだよねえ。案の定夜中に起きてメールチェック。暫く続くかな??
何とタイガーでもアーニーでもなく、ガルシアでもなくプロ入り初優勝を全英でベン・カーティスと言う若者がやってのけた。数年前フランスの若者がほぼ優勝を確定しながら最終ホールで映画ティン・カップみたいなことをやって崩れたが、今回はそんなこともなかった。 思えば1992年にイギリスはマンチェスターに赴任した時にたてた目標の一つが「全英オープンに出場する」だったなあ。間違えちゃあいけませんぜ、オープン競技なのだからアマチュアでも資格を得れば「地区予選」に参加出来るわけで、Todosはその地区予選にでる資格を得る、つまりR&A公認ハンディキャップが1だか2になるのが目標だったのです。表現を変えれば「全英オープンに出場する」に間違いは無いわけで・・・。残念ながらハンディキャップは7.4が最高で夢破れたのだが、この全英オープンは懐かしさを感じる試合であることに違いはない。 リンクスと呼ばれる海沿いの風ビュービュー吹くコースで開催され、毎年7月開催なのに選手がセーターやタートルネックを着ることが多いのが全英オープンである。Todosもリンクスは何度かラウンドしたことがあるが、地元のキャディーさんを雇わなければコースがどうなっているのか?どこへどう打って行けば良いのかも皆目見当がつかなかったりする。中にはパー3なのに丘の向こうにグリーンがあってグリーン面はおろかピンの位置も見えないホールがあった。これが全英オープン発祥のコースだと言うから驚きである。 そういやあどっかの国のO崎とか言う飛ばし屋のプロが「俺には全英は合わない」って泣き言を言ってひんしゅくを買っていましたなあ。
昔々カセットテープで出ていたスタンダードジャズカラオケを我が秘蔵のカセット棚に発見した。ボーカルのやり直し宣言のTodosとしては願ったり。早速、これをMDに落とす作業を開始。と言ってもラジカセのヘッドフォーン端子からMDLPの付いているポータブルMDに落とすのだが、作業は結構な手間である。ま、気長にやるか。このカラオケはボーカルにも使えるし、勿論ギターでも使えるものね。バックは甘〜〜〜いストリングス入りだけど。
話変わって今朝は体育館にMDの受け渡しにおいしゃんに会いに行った。彼のホームページに凛々しい姿があるけれど、本物を見たのは私が最初かな?小さな子供から大人まで50名以上の生徒さんが来ていてそれをボランティアで指導している。最近マウスピースに格闘されているおいしゃんの別の格闘である。禁煙もされたし健康的だなあ。
2003年07月19日(土) |
大阪の古池さんとの遭遇 |
いやー、やっぱりWeb友達の輪は凄い。16日のじゃのめバー兄ーセッションで大阪から出張でやって来ています、って一人でぶらっと現れて粋にギターを弾かれていた一見メチャ真面目そうなサラリーマンの方は貝塚のJoe中野さんのお友達で掲示板ですれ違っていた方だったのです。こんなことがあるって素敵です。彼は暫く出張で東京らしいので次回の一時帰国には何とか再会出来るように考えたい。勿論、そのうち中野さんを交えてセッション出来るようにまずは私が練習積まなきゃ。 私の掲示板にSAXOZISANが、バー兄ーさん掲示板にもTodosにギターを弾けと言うプッシュが・・・。緊急事態と言うことでNYのHiro師匠にブルースと枯葉をまず何とかこなせるようにとのお願いをした。本格デビューは年末か?何、遅過ぎる??
2003年07月18日(金) |
ジャノメの金曜日、田村っすデビュー |
今日は朝から地方出張。工場での打ち合わせである。朝早くのドライブなので先日入手した杉本篤彦メロー編を愛車のCDプレーヤーにセットして快適なドライブ。全曲オリジナルでメロディアスな良い感じ!!今夜はジャノメでOsapoohさん他の田村一族のデビューセッションだが、体力的にもチョット無理だろうなあと思っていると、携帯においしゃんからメールが入った。どうも今週に入って2本目のマウスピースを入手したらしく、試しにジャノメへ行きませんかとのお誘い。自分らしい良い音への追求に余念が無い。すごく積極的だなあ。私は、音よりも何よりも楽器を演奏する、と言う最初の一歩で止まっているので・・・。 今日もじゃのめは満員だったのかなあ?
2003年07月17日(木) |
カラオケまで楽しめない |
朝のラッシュを避けて6時半には家を出た。一応弱冷房車を避けて並ぶ。ま、当然だが私の乗る駅から座れることは無いが、人の出入りの少ない中の方の吊革を確保しMDを聴きながら約1時間のライドである。昨夜の反省会の意味もありジャノメのセッションを聴いた。おいしゃんのミディアムテンポはムードたっぷりで○。Wさんのピアノで盛り上がり、彼が席に戻ってからOsapoohさんネタや、仕事がらみでインターネットの普及とコンテンツのありかたなど飲みながらのトークが入っていて音楽とは別に面白かったな。でも自分のMistyはアキマヘン。何でこんなに音程が悪くなったのだろうか?NYに赴任してからと言うモノめっきりカラオケなどで歌う機会が減ったのも一因だと思うし、当然ながら加齢とともに喉周りを始め腹筋など筋力が落ちるのでどうしても音程が悪くなるのだろう。とすればトレーニングしかないのだろうなあと思っているうちに会社に着いた。 朝からいきなりウェストコーストのお客さんと電話会議から始まった昼の部だが、夕方の税務コンサルタントとの打ち合わせまでなんだかんだと忙しかった。が、昼休みを利用して会社の裏の楽器屋さんでボーカルトレーニングの本を買うのを忘れなかったね。 そして25年のお付き合いのマスター兼オーナーシェフのお店でお食事。締めのカルボナーラは絶品である。コツはまず濃い生クリームを使え、と言われたのがおかしかった。そして、満腹になってからお次は馴染みのスナックへ。日本は不況だと思っていたが、食事のお店も某文房具関係の会社の暑気払いとかで満員、そしてスナックも満席である。たまたまとのことだが少しは株価とともに景気回復??しかし音程が悪いのを自覚している今、マイクを持つ気にならない。最後の最後に店のママのリクエストでお約束の「マイ・ラグジャリー・ナイト」を歌ったけどもう一つ盛り上がらず。この歌はその昔真っ赤なマツダのコスモのCMでしばたはつみが歌っていた名曲。他の人は滅多に歌わないTodosの持ち歌なのだ。そのうちジャズ・バラードにして歌おうと言う目標の曲なのだ。 ともあれ、最終一本前に乗ってのご帰還。帰宅は1時。また長い一日だった。ハー
今日の夜の部はSAXOZISANに誘われており浅草のじゃのめに行くことになっている。プロギタリスト田辺充邦さんホストのライブだと思っていたらセッションだと言う。と言うことはおいしゃんも演奏するし、こちらにも順番が・・・。 お店に入るまでいろいろあったが、予定通りじゃのめのステーキを食べておいしゃんと一緒に一番乗り、と思ったら一人先客が居た。後から我々と同じ地域のピアノの若者であることが分かった。そうこうしていると12日にnakaGさんとBBで飲んでいたときにやってきたギター青年がやってきた。ギブソンのES175を持ってきている。今日は田辺さんのエキスを吸いにきたのだろう。みんな何か得るモノを求めてやってくるミュージシャンだ。あー、早くギターで参加出来るようになりたい!! そうこうしていると演奏が開始され、いきなりおいしゃんは当然のようにサックスで参加、ミディアムテンポが気持ちいいね。何度も田辺さんからギターどうぞ、って呼びかけられたが、参加は無理。結局お決まりの歌で1曲だけ参加させてもらった。ピアノは某広告宣伝会社のWさん(Osapoohさんのお友達)ですごい刺激的なフレーズを弾く素人にはとても見えない方、そしてベースは某米系コンピューター会社の部長さん、ギターは当然田辺プロ。バックが良いので結構うまく歌えたかな?と思ったが録音したMDを聴いてガガーーーーン!!音程が悪いのだ。穴が有ったら入りたいとはこんな感じ???ギターが弾けるようになるまでは歌で、と思ったのがJazzの神様に対する冒涜だったかのように、目の前が真っ白になった。こりゃ小田裕一郎先生にボイストレーニングを受けなきゃダメだね。アメリカに帰ったら早速コンタクトしなきゃ。 ともあれ、楽しくも考えさせられた日であった。あー、どうしよう。
2003年07月15日(火) |
メチャ忙しい一日(仕事もJazzも) |
さて、超早起きして会社。朝の8時から私が任されている会社の年次株主総会と取締役会が日米を繋いで行われるのだ。準備も大変だったが、飛び出るかも知れない質問などにキチンと答えなくちゃあならないのでプレッシャーもきつい。案の定、本社の社長からも質問が飛び出す。ま、何とか答えて無事終了。今回のメインイベントの一つが終わり、次は某重要顧客との電話会議が連続して開催。納期短縮の為に我が工場がお盆休みを変更して対応してくれたお陰でなんとか顧客の要望に添えることになったので一安心。英語による国際電話会議は40分くらいで和やかに終えることが出来た。工場の皆さんありがとう。午後は本社の幹部経営会議に第一四半期終了の報告を。パワーポイントでビジュアルな報告を行いこれも無事終了。実はこの間に熊本のWeb Friendであるan弾手さんと初めて電話で話した。さすがに熊本は遠いのでお会いする機会はなかなかないが、何時の日か彼のピアノで歌いたいものだ。これ昼の部。
============== そして夜の部 =============
経営会議を途中で抜けてArty Artyと言うお店へ。チバリーヒルズ在住のMoritatさんと待ち合わせして夜の部が始まる。ビールを注文して昼の部のストレスを抜いていると長身のハンサムな方がやって来た。おー、ベースマンはやっぱり背が高い、って感じでMoritatさんその人であった。SonyのCrieでMP3音源のキース・ジャレットを聴きながらのご登場である。紺のスーツに身を固めビシッとしたビジネスマンと言う風情。Jazz話に話しが弾んでいるとこの日演奏する杉本篤彦さんから電話があり、これからこちらに向かうとの事。礼儀正しい人である。今日のユニットは木村純さんと言うサラリーマン出身!!のボサノバギターと杉本さんのギブソンL-5でのデュオ。Waveからいきなり入り最高のステージを聴かせてくれた。木村さんのアコギのラウンドワウンドの弦とL-5のフラットワウンドの弦の音色の違い、2人とも指弾きだが4本の指をボサノバ風に弾く木村さんと、独自の人差し指・親指でのアップダウンを行う杉本さんの奏法の違い、しかし2人の優しさと爽やかさと言う共通のパーソナリティーによるブレンドでサイコーの雰囲気。ファーストステージ終了後も我々のテーブルでWesの話に花が咲き、L-5を持ち出して色んな曲のさわりを弾いてくれた杉本さん。感謝、感謝。 ずっと聴いていたかったが、山本剛さんのライブに行く約束もしているので、ここで失礼する。実はMoritatさんはその昔プロになろうという勢いの名手だったらしく、山本剛さんとも共演したことがあるらしい。霞町から竜土町を抜け星条旗通りを歩いて防衛庁前のオールオブミークラブへ。お店に入るとカウンターで山本剛さんと話している女性が居た。彼女が浜松のUiUiさんらしい。山本さんの大ファンでBBSに書き込んだ私のURLを辿ってTodos掲示板にたびたび山本剛ネタを書き込んでくれている。いや、しかし25年前六本木Mistyで大活躍されていてTBMに数々の名演を録音している大巨匠山本剛さんとWebと言う縁で何故か最初から知り合いのように話しが出来るなんてサイコーの幸せである。勿論Moritatさんがここでも仲介役をやってくれているのだが。Webの輪は素晴らしい。終電の関係でワンステージしか聴けなかったが、やっぱり山本剛節である。お約束のDinahも歌ってくれた。練習の成果あってタイミング良く「バカヤロー」と叫ぶことも出来たし・・・。 一人お先にお店を出るときに山本剛さんが「俺、送るよ」とエレベーターに乗ってきてくれて外まで出て握手し、「来てくれてありがとう」って男同士の、んー、出来ればミュージシャン同士の、と言いたいが、法要じゃなかった抱擁をして別れた。「今度アフターアワーで結構ですからMistyを山本さんの演奏で歌えたら死んでも良い」って言ったら「キーはE♭で良いの?いつでもOKよ」って言ってくれた。
仕事とJazzに死ぬほど「濃い」一日であった。(そしてこの日記も最長記録だ!!)
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