サッチャーが死んで、イギリスのミュージシャン、
モリッシーが発表したコメントが秀逸すぎる! これは本当にすばらしい!
私が初めてイギリスに行ったのは80年後半で、その頃のイギリスはサッチャリズムがブイブイで、格差が拡大しまくり、貧乏な人たちの貧しさはすさまじかった。どれだけ物乞いに会ったろう! ニューキャッスル駅前で物乞いのオバさんにおっかけられたのは今も怖い思い出。オバさんに5ポンドもあげればよかったのかもしれないが、そのときはまだクレジットカードも持ってない貧乏旅行で、1ポンドの余裕もなかったんだ。
ミュージシャンたちは当時ものすごく連帯していて、モリッシーが加わっていたかは覚えてないけど、レッド・ウェッジという運動をしていた。ポール・ウェラーやビリー・ブラッグ、それに私が好きだった、ちょいアイドル系のバンドのブロウ・モンキーズがその中心。
私は21歳で、ウギャアアアと産まれて初めての海外旅行。ブロウ・モンキーズを見に、1人でイギリスに行った。これが私のミーハー海外追っかけ旅行の第一弾っ!!!
スーツケースやら服まで友達に借りて(当時、ろくに服も持ってなかった。貧乏で。。。って今も同じね)、旅費はぜんぶ師匠に借金した。
アエロフロートでモスクワ経由。当時はモスクワ1泊なんていう恐ろしいコースがあって、日程でそれになってしまい、見ず知らずの女性と同室で収容所みたいなホテルに泊まった。出てきた夕食の鶏肉には毛が生えていて、石みたいに硬くて、怖くて一口も食べれなかった。添えられていた水気がゼロのキュウリとトマト、それに硬いパンを無理やり紅茶で飲み込んだんだ。
そこで何枚かハガキを買って出したけど、届いたのは1通だけ。あとのはどうしちゃったんだろ?
窓から外見てると、兵隊さんが、巨大なマシンガンをチャッと振って「見るな」ってやるんだ。
すごかった。すごかったよ。。。
そんなこんなして行ったイギリス。お金もないから、いきあたりばったりで安宿とろうとしていたら、あまりに私が英語もできないからと、心配したRCAレコードのロンドンオフィスの女性が、ぜんぶRCAの特別に安いレートで、まあまあそこそこの、駅からすぐのホテルを予約してくれたんだ。あの人、名前も忘れてしまったけど、今思えば、すごくいい人だ。ありがたい。そうやって人に助けられていたのに、そういうこと、ぜんぜん、気にしてなかったよなぁ。。。子供すぎて。ワガママすぎて。
それで、私はブロウ・モンキーズのツアーを追いかけて、ロンドンから列車に乗り継いで、ニューキャツスル、グラスゴー、エジンバラと廻ってコンサートを見た。
で。そうそう。レッジウッドだ。その先々で、今、私らがやってるようなビラ配りをコンサート会場でしていた。署名を集めたりも。ステージにポール・ウェラーが出てきて、コメント言ったりした記憶もある。
みんなサッチャーの弱者切捨て、特に炭鉱閉鎖で多くの失業者が見捨てられていて、それにすごく怒っていた。英語はわからなかったけど、とにかくみんなすごく怒っていたのは覚えてる。
そして保守党政権を倒して、労働党政権を生むしかないんだ!と言っていた。
街はどこを見ても、ロンドンも、 to let とかになって、売り出されてる物件ばかりで、今のロンドンとは大違いで、街は全体に質素で、私がよく通ったのは、労働者のオジさんたちが仕事帰りに寄る、立ち飲みの紅茶屋さん。ドトールみたいのよりもっとガサガサしてて、イスなんてなくて、ほんと、立ち飲みの紅茶屋なんだ。寒いから、みんなそこで紅茶一杯、たしか30ペンスぐらい。それを飲んで身体を温める。そこが私も好きで、旅行中何度も行った。ちゃんと小さなポットにはいって、マグカップと渡してくれる。その小さな銀色のポットが欲しくて、ロンドンの合羽橋はどこだ?と雑貨屋を探して、やっと見つけて買ったりもした。それもすごく安かった。
すべてが質素で。悲しいくらい貧しくて。でも、その分、文化は栄えていた気がする。ロックはすごく元気だった。怒りがあるから。
古本屋さんなんかがメインストリートに何軒もあって、50ペンスぐらいで、本がバンバン積まれ、バンバン売れてた。
正直、私は今のロンドンより、あの頃の、格差いっぱいの、貧しいロンドンが好き。それは部外者ののんきな感想だけど。
サッチャーが死んで、あの初めての旅を思い出した。
レッド・ウェッジに燃えて怒っていた人たちも、もう、みんな50代とかだろう。そのとき怒りの若者だった人も、今はもしかしてお金持ちな中産階級になって、ロンドンのおしゃれな通りに家とか持って、カップ&ソーサーで小指立ててお紅茶飲んで、オホホホとかしてんのかなぁ。
私は相変わらず中野と家をチャリで暴走往復してるばかりだというのに。。。