ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

2つのコンサート - 2003年12月17日(水)

先週末から今週にかけて
2つのとってもいい演奏会と出会った。


1つは先週金曜にあったN響定期公演。
マッシモ・ザネッティという、少なくとも私は全然名をしらない若者の指揮。

その日は色々他に注目のコンサートがあり、
オフィスの連中は色々に出かけて行ったのだが
私はこの知らない若者の名に、理由もなく妙に魅かれるものがあって
(なんでか自分でもよくわからない。)
N響に行った。

少し遅れてしまって、モーツァルトの交響曲第27番の第2楽章から会場に入ったのだが
えらく爽やかで、風のようにそよーっと流れていくモーツァルトを聴き
「まるでアバドそっくり。」なんて思っていたら
ホントにアバドの弟子だそうで、パンフレットに今やアバドとともにオペラの一演目を
振り分けているような有望な俊英なのだ、と書かれていた。
そういえば振っている姿もそっくり。

じゃあ後半のマーラーの第5交響曲なんかは、
さっぱりしてあまり感銘の残らないものになるのかなぁ?
なんて思ってたら、これは全く私の杞憂で
大変な中身の濃い、素晴らしいマーラーになった。
あくまで自然で深い息遣い、マーラー特有の細かい色彩の移り変わりも
感情の動きとともに自然に反映されていく。
ダイナミックでデリケートで。

「颯爽」としたコンサート。
今日になっても、その時の余韻がまだ残っているほどだ。



そしてもうひとつは、一昨日行った読売日本交響楽団の定期公演。
こちらはウィーンのベテラン、テオドール・グシュルバウアーの指揮。

このオーケストラはいつも思うのだが「眠れる獅子」で
凄い力を秘めている、それこそN響をも上回る可能性を秘めている(らしい)のに
たまにしか、そういう演奏をしない。

この日はその「たまに」がでた。
グシュルバウアーという人がまた素晴らしくて、
彼が振るとオーケストラが実に柔らかく、いいようもない厚みのある音がでて
しかも強い思いがひしひしと伝わってくる。
ああ、ウィーンの指揮者だな、と思う。

オール・シューマン・プログラムだったのだが、
メインの「ライン」交響曲の他、ピアノ協奏曲。
ピアノはやはりウィーンの若き名ピアニスト、シュテファン・ヴラダー。

実は私は何を隠そう、ヴラダーの大ファンなのだが
これは良かった。
瑞々しいまろやかな音と、覇気満々のリズム、ほとばしるエネルギー!
フィナーレなんて、この音楽がそもそもそうなんだけど
これこそ「天馬空を行く」という感じの圧倒的な演奏だった。


こちらは全体に「地味」であり「滋味豊か」というのだろうか?
そんなコンサートだったが、こういう日は本当に嬉しい。



...

時代はぁ〜変わるぅ〜♪ - 2003年12月12日(金)

(↑by 中島みゆき?)


かつて自分はPCやケータイなどなくても生きていけるし、
何の不自由があろうか?
と信じて疑わなかったが、
そんなものは砂上の楼閣のようなもんだ。


昨日ケータイを会社に忘れてきた (>.<)

会社に忘れたことはわかっているので
悪用されるとか、特に心配はなかったのだが、
なんとなく落ち着かない。


で、今朝会社に来てみると、
電話着信10件。
メール着信9件。


うーむ、すごい。
それにとてもみんな心配されている。
「どーしたのか?」「何かあったのか?」「死んだのか?(←これはウソ)」


特に彼女からのものはとても心配そうで、
私は胸が痛くなった。
PCからメールは送っていたのだが、それがナゼカ届いていなかったみたいで
あー、電話一本すればよかったんだ。
あ〜。

ごめんよ。


しかしながら「バカの壁」の話ではないが、
人間ってどんどん変わる。

こんな短期間でコミュニケーション・スタイルが
こういう風に激変し、
自分もいつのまにか、それが自然になっちゃうなんて
思いもよらなかった…



...




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