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九州交響楽団の東京公演 - 2004年02月24日(火) 昨日は「エジプトのヘレナ」のことで 長々と書きすぎちゃって 九州交響楽団の東京公演のことが書けなかった… ので今日改めて。 この指揮の大山平一郎さんという方は (この名前はどうしても、江戸時代の「大塩平八郎の乱」を連想させずにはおかない古臭い(またも失礼!)名前だ。) もう60を超えた方だが 多分、相当クラシックのコンサートをたくさん聴いている人でないと 知らない指揮者だろうと思う。 もともとロスアンジェルス・フィルで首席ヴィオラを弾いていた名プレイヤーで 当時ロス・フィルは かのイタリアの偉大な巨匠、カルロ・マリア・ジュリーニが音楽監督を務めていた。 大山さんはジュリーニに音楽家としてすごく認められていて、 アシスタント指揮者として自分を補佐してほしい、と頼まれたそうだ。 そしてジュリーニに指揮を学んだ。 そこから彼の指揮者としてのキャリアがスタートし、 ジュリーニの後任としてロス・フィルの音楽監督となった名指揮者 アンドレ・プレヴィンにもとても信頼され、彼の副指揮も務め、 またプレヴィンがベルリン・フィルやウィーン・フィルに客演指揮で赴き R.シュトラウスの「ドン・キホーテ」を指揮した折などは 当時シカゴ交響楽団の首席チェロを務めていたリン・ハレルとともに 大山さんはヴィオラ・ソリストとして何度も共演したとか。 これだけ書いてもすごい国際的キャリアである。 で、日本には数年前から指揮者として帰国するようになり、 5年前、初めて九響を指揮した時に、 楽員がみなその実力にほれ込んでしまい、 翌年から常任指揮者になった、ということだ。 と以上の話を、この大山さんをよく知る音楽業界の知り合いが 熱っぽく語ってくれた。 さらにこの男が言うには、大山さんは 「福岡で、かつてのサイモン・ラトルとバーミンガム市交響楽団のような濃密な関係で音楽をやってみたい。」 と言っていたそうだ。 今、ベルリン・フィルの音楽監督を務めるサー・サイモン・ラトルは 20代から40代前半にかけてバーミンガム市交響楽団という お世辞にもメジャーとはいえないオーケストラの音楽監督を務め 彼のずば抜けた才能は、同じイギリスの首都ロンドンのビッグ・オーケストラを始め 世界中からひっぱりだこであったのに 定期的に客演したのはウィーン・フィルとベルリン・フィルとボストン交響楽団、 そのくらいでなかったか。 なにしろ自分のオーケストラに心血と時間を最大限注ぎ 結果、世界にも類のない密度高い音楽を創る、クリエイティヴ集団を達成した。 私も彼らの来日公演を何度も聴いたが メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」なんか あんな極限まで精密で、なのに隅々まで血が通いきった演奏、 もう死ぬまで聴けないと思う。 また話がそれそうだ… で、大山さんはそれを「かなりの程度」実現した、と思う。 ロス・フィルという世界第一級のオケの首席ヴィオラを務める音楽性、 ジュリーニという世紀の巨匠に学んだ指揮と音楽、 ほとんどの時間を福岡で過ごし、九響と費やす時間、 それがすごい密度のベートーヴェンやブラームスを生み出した。 この言葉から、このキャリアから期待できる通りの、それ以上の音楽だ。 ひとつひとつの音、フレーズ、ハーモニーが吟味され (こういうのを聴いてしまうと、そこらへんのコンサートがいかに通したくらいでリハーサルを終えてしまうかがわかってしまう。) ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」においても ピアノとオーケストラのフレーズのやりとり、 よっぽどの時間のかけかたと、執拗な練習がなかったら ああはならない。 私の知り合いは、大山&九響のことをジャーナリストや批評家のセンセイに熱く語っても 「冷笑されるだけで…」と 苦笑していたが 日曜日はみんな目の玉ひんむいて、ひっくり返ったにちがいない。 大体、九響が(またも失礼ながら)あんな底光りにするような重厚な音で 鳴り響くなんてきっと誰も想像しなかったに違いない。 私も以前の九響を知っているが この変わり方は凄い! よくもここまで、と感動しきりだった。 まるでドイツの中堅都市のオーケストラかと思ってしまうほど。 メインの曲、ブラームスの「第1交響曲」は ドイツでもこれほどの演奏はなかなか聴けまい、 と思うほど 真剣なロマンがしっかりとした音で語られたブラームスだった。 それにしても九響というのは東京や、また北国とは違う感触の 熱い音を持っていて、それは基本的には変わらない。 九州人の情の厚さなのだろうか、ね。 ... 「エジプトのヘレナ」雑感 - 2004年02月23日(月) 週末、2つの素晴らしいコンサートを体験できた。 一つは金曜日に聴いた R.シュトラウスのオペラ「エジプトのヘレナ」日本初演。 もう一つは昨日、サントリーホールで行われた 九州交響楽団創立50周年記念東京公演。 指揮は知る人ぞ知る名匠大山平一郎、 ピアノは私の敬愛する熱血爺さん(失礼!)、園田高弘先生。 まず「エジプトのヘレナ」。 これは面白かった。 日本初演にはふさわしい上演だった、と思う。 このオペラを観るのは私は初めて。 というか世界でもそうは頻繁にやられないオペラ。 それには理由があって(私は観ながらそう思ったのだが) 2幕仕立ての2幕ともが、それぞれ一つの場面でほとんど人の入れ替わりがなく 会話が延々と続くので変化がない、ということと、 歌手が出ずっぱりで歌わなければならず しかもそれが超難しい技術を要するように書かれた歌なので 負担が大きい。 よっぽどの力量をもった歌手でないと… というのが一つ。 また、場面に変化がない、と書いたが 逆にその場面の中で魔法が使われたり、 主人公が幻覚を見て、それに振り回される、とか 超現実シーンが多いので、 舞台ではそれを見せるのはなかなかに無理がある。(と思う。) だから私はむしろこの作品は映像化した方が 面白いのではないか、と思ったくらい。 それが一つ。 とまあ、こんなことで上演の機会が少ないのかと勝手に想像するワケだが この日本初演、 日本人のみの公演でよくここまでの水準を達成できたものだと 正直、そこまで期待してなかったし、 心から感心した。 一番大変なのは歌手で、これは“いっぱいいっぱい”だったような感じはしたが それにしても、まず10年くらい前だったら こんな役は歌えないし、まず演じられなかったんじゃないか? R.シュトラウスのオペラってのは私は本当に好きだ。 それは芝居として極めてよくできているからだ。 (それはそれはよくできていて、シュトラウスに比べたら他の作曲家のオペラなんてただ荒唐無稽な歌芝居に見えるくらいだ。モーツァルトをのぞいてね。) 彼はオペラを書くにあたって、台本の選定にものすごく慎重で しかもその作家との共同作業は精密を極める。 で、オペラ好きならよく知っているわけだが そのシュトラウスと、この「エジプトのヘレナ」を書いた作家 フーゴー・フォン・ホフマンスタールこそが 音楽史上、燦然と輝くゴールデンコンビといわれた組み合わせなのだ。 このコンビから「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」 「影のない女」「アラベラ」 という傑作が生まれた。 私はこれらが大好き。 大学を卒業する頃、 テレビで見たバイエルン州立歌劇場日本公演の 「アラベラ」にすごく感動した。 (指揮はサヴァリッシュ。アラベラ役がルチア・ポップで相手役マンドリーカはベルント・ヴァイクルという当時の名コンビだった。) とっても素敵でかぐわしい、 上品で活気のあるラブ・コメディー。 それからすっかりR.シュトラウスのオペラの虜になり とにかく彼のオペラはナマで出来るだけ接したい、 と思ってきた。 こんなによくできた台本と音楽が最高の次元で融合しているのは 他にモーツァルトがダ・ポンテと組んで作った 「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」 だけのように思う。 …話がどんどんそれていってしまうが そういうしっかりとして、肌理の細かい台本なだけに 歌手は突っ立って歌ってるだけ、なんてのはあり得なくて リアリティある、最高の演技が要求されるワケだ。 そういうところは最近の若い歌手は随分達者になったものだ、 と感慨深い。 そしてR.シュトラウスを指揮したら当代最高の日本人 若杉弘の指揮するオーケストラ。 これがまた素晴らしかった!! めくらめく官能と色彩の洪水! そう、いつも私が事あることに書いているように R.シュトラウスの音楽こそオーケストラを聴く醍醐味であり、 最高の耳のご馳走だ。 それに比べると演出はシンプルすぎたかなー。 鈴木敬介さんの演出って、 よけいなことしないし、劇の本質的なところを ズバッと見せてくれるので基本的には好きなんだけど こういう幻想的な話にはちょっと 朴訥すぎたかな? って気はする。 ...
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