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寒暖の差 - 2004年03月12日(金) 昨日の東京、昼の気温 … 20℃ 今日の東京、朝の気温 … 4℃ カンベンしてよ〜。 前に三寒四温と書いたけど これじゃ、体がついてかない。 (← 歳って話も) でも今日の夜から もーっと寒い札幌に行くのです。 もちろん、マイハニーに会いに♪ 寒い北国だけど心はポッカポカさ。(へへ) ... クライバーの続き - 2004年03月10日(水) 昨日はクライバーの86年来日時のことを書いたが、 次に聴いたのは94年、ウィーン国立歌劇場来日公演を指揮した R.シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の伝説的公演。 これはキャスティングだけでも 元帥夫人=フェリシティ・ロット オクタヴィアン=アンネ・ソフィー・フォン・オッター ゾフィー=バーバラ・ボニー オックス男爵=クルト・モル というもの凄い顔ぶれ! クライバーの「ばらの騎士」というと 年配のファンの方には1974年にバイエルン国立歌劇場の来日公演の方が 印象深いようだけど。 このプロジェクトはDVDにもなっていて 確かに前奏曲からして、もう爆発的なテンションで、 左手なんかブンブン振り回しちゃって 音楽が画面からはみ出しそうなくらい凄い。 それからすると、 このウィーンのプロダクションでのクライバーは 「随分大人しくなって物足りない。」らしい。 ま、あのバイエルンでの記録を見ているとわからないでもない。 しかしながら私が観たのは、それとは全く別物の「ばらの騎士」。 86年に聴いたベートーヴェンを振った時のクライバーとは全く違うクライバーを 体験した一夜だった。 「大人しい」というのはわからないではないけど それよりももっと音楽が内面化して、 ひたすら心の中へ中へと向かう演奏だった。 若き日のバイエルンとの演奏は、シュトラウス一流の官能と 青春のきらめきがはちきれんばかりに充溢する音楽だったけれど このウィーンとの演奏は、ホフマンスタールの書いた台本にあるはかなげな黄昏が、これ以上考えられないくらいの透明感をもった音楽になった、 と言ってもいいかもしれない。 ことにオーケストラがウィーン・フィルなのだから!! このしっとり感は無上のものだった。 今、こうして書いていると色々な場面を思い出すが なかでも第一幕の終わり、 元帥夫人が「時ってものはなんて残酷なものなの?」 と結婚してからいつのまにか失いつつある若さを思って歌う 長大で静かなモノローグ。 これをはっきりと思い出す。 ここでのロットの歌も気品ある諦念に満ちた素晴らしい歌だったけど クライバーの指揮するウィーン・フィルはそれ以上。 どんどんどんどん、静かに静かに 音楽が内面へ内面へと降りていく。 元帥夫人の悲しみ、 泣いたり嘆くのではなく、静かに瞑想していく気持ちをやさしくそおっと包んでいって どこまでも沈潜していく。 ついには心の“裏側!”にまで達して、 ひたすら胸に染みて行く静かな悲しみ。 …いや、こうして書くと とっても言葉になんかできるものじゃないですね。 その時の信じ難い体験に、私の思いは果てしがなかった。 またしても、 音楽にはここまでのことが可能なのか? と。 みんな思っていることだろうけど それにしても、この「超・天才」のカルロス・クライバーは 今どこで何をしているのだろう? ...
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