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バッハの平均律 - 2005年03月07日(月) 週末は寒かったですね〜(;;) まだまだマフラーが首からはなせない今日この頃。 マフラーを巻いていると(巻き方のせいか?) アゴの横の方の肉が上によっていき、 そして頬の下の方の肉も上がっていくので ちょっと顔がむくんだように見える。 それをマイハニーに 「冬ごもり前のリスのようだ。」 と言われました(><) 話は全く変わりますが、 私はピアノに向かう時、 (もっとも昔のように毎日は弾けなくなりましたが) 必ずバッハの曲を一曲弾きます。 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から何か一つを選んで。 これはバッハの「平均率クラヴィーア曲集」が音楽における旧約聖書、 ベートーヴェンの32曲のピアノソナタが新約聖書と呼ばれていることに関係して、 確かバックハウスだったと思いますが 「バッハの『平均律』を毎日のパンとせよ」ということを言っているのを聞いて、 私もそうすることにしたのです。 昨日NHKの「芸術劇場」で 現代の代表的名ピアニストで名指揮者ダニエル・バレンボイムが そのことをやっぱり自分に課している、と言っているのを聞いてすごく嬉しかったです。 もちろん片や現代の最先端をいく大演奏家の言うことと私の言うことなんて 雲泥、月とスッポン、次元の違いすぎる話ですが それでもやっぱりバッハを弾く、というのはそういうことだと思うのです。 彼も言っていましたが、技術的には 対位法的音楽 −混声合唱をピアノで弾く、と考えてください−を扱う時、いっぺんにいくつものメロディーを弾く時の指の独立性を養う、という点、 そしてバッハには人間の喜怒哀楽からはじまって 音楽のアルファからオメガまですべてがある。 すべてを包括した巨大で高くそびえたつ音楽をたくさん書きました。 それを毎日弾く、ってのはやっぱり 音楽をやる人間にとってはゴハンを食べるようなもの、 なのかな? またそういう曲をグールドやグルダ、リヒテルのCDで聴く喜びは格別ですよ。 ... 再読「オルフェウスの窓」 - 2005年03月02日(水) 池田理代子の書いていた少女漫画で (少年マンガの場合は「マンガ」とカタカナなのに少女は「漫画」と漢字にした方がしっくりくるのは何故だろう?) 「オルフェウスの窓」という大傑作がありますが 多分女性の方の多くは、一度は読んだことがあるんじゃないでしょうか? 私は大学時代に偶然、愛蔵本として発売された、 電話帳みたいな全4巻を読むハメになったのですが、 それはもうのめり込みにのめり込み、 なんだか人生をそこで一回経験して終わらせてしまったみたいな 大きな感動にうちのめされました。 いや、これはすごい作品です。 スタイルこそコテコテの少女漫画だけど しばらくしてそれに慣れた瞬間、 登場人物の一人一人が歴史のうねりの中で必死に生き、 人を愛していくさまを前に、自分もドラマの中にいつのまにか入ってしまいました。 何かを読んであんなに胸のつぶれる思いで大泣きしたのは 小説を含めても他にないんじゃないかな。 で、実はまた今読み直しているんです。 いえ、特に理由はありません。 ただなんとなく読みたくなって。 その中でひとつ改めて感心、というか驚いたのは この池田理代子さん、音楽に対してどうしてこんなに深い洞察力をもっているのか?? ということ。 池田さんは皆さんもご存知の通り、何年か前 もう結構なお年なのに音楽大学で声楽を勉強したくらい 音楽が好きな人だけど、 「オルフェウスの窓」を書いていた頃はまだ30歳そこそこだった筈。 もちろん色々な本を読んだり、調査・勉強をして それを裏づけに書いているのだろうけど それにしても、そういう付け焼刃や、 ちょっと造詣が深い、という程度ではこんなことは書けないだろ! というような表現が随所にでてくる。 例えば主人公の一人、イザークがウィーン音楽院で学んでいて デビュー前に自分の音楽の進む方向はこれで正しいのか?と悩んでいる時に登場する 当時(この作品は19世紀末から20世紀初頭が舞台)のベートーヴェン弾きとしてドイツ最高のピアニスト、アルトゥール・シュナーベルと まだその頃は新進だけど、その後20世紀きってのベートーヴェン弾きとして誰もが尊敬するウィルヘルム・バックハウスとの比較。 この漫画の中では、当時シュナーベルは啓示と霊感に満ちたベートーヴェンを聴かせるピアニストとして、専門家にも一般聴衆にも半ば神格化されている存在として描かれ、 バックハウスは「鍵盤上の獅子王」と呼ばれているものの、知性に訴える面はあるものの“ただの”技術がたつだけのピアニストだとされている。(その当時のウィーンでは) そしてイザークの指導教授も「シュナーベルをバックハウスと比べるなんて愚にもつかぬことを。」と言う。 しかしイザークは「そんなバカな! バックハウスの弾くベートーヴェンこそ、あの力強いタッチがえぐりだす真実こそベートーヴェンじゃないのか?自分がおかしいのか?何故周りにはそれが聞こえないのか?」と悩み苦しむ。 このあたりのやりとり、まさに音楽史上で行われてきた問答で、 しかし後の世、現代に至ってバックハウスをそのように言うものは(まず)いない。 誰もがバックハウスを20世紀を代表するベートーヴェン弾きの一人と言い、 音大の先生は生徒に、ベートーヴェンを勉強する際「まずバックハウスを聴け」と言う。 (私ならグルダを聴け、というけどね。) こうした音楽に対する思想の変化や、洞察の深さをしっかりとした裏づけとしてドラマを作っていくさまは本当に壮観だ。 この場面、私も音楽をやるものとして改めて考えさせられたし、 またイザークの思いに共鳴せずにはいられなかった。 ところでシュナーベルの名誉のために言っておきますが シュナーベルもやはり20世紀きっての偉大なピアニストで 精神的集中の高さと高潔さ、演奏の流れのよさは絶品ですよ。 ...
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