ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

ショルティの想い出 - 2005年05月31日(火)




昨日ショルティの話を書きながら
感慨にふけっていました。



私が思い出していたのはこの時のウィーン・フィルとの来日ではなく、
もっと前のこと。


実は私が「生まれて初めて」聴いた外来のオーケストラが
何を隠そう、ショルティ指揮のシカゴ交響楽団。

忘れもしない、1986年3月26日東京文化会館。
曲はモーツァルトの「交響曲第35番・ハフナー」と
マーラー「交響曲第5番」。


凄かったです。
そういう世界の超一流アーティストにふれたことが初めてだったから
自分が何を体験したのかわからないくらい、
圧倒的な全身的体験でした。



初めて、というのはホント新鮮。
「何を体験したか」がわからなくても、結構そのころのことはハッキリ覚えていたりもします。


まずはクラシック・コンサートのチケットを買うのも、どうやっていいかわからなかった。


それじゃそれまでクラシックのコンサートに行ったことなかったのか?と言われそうですが、
例えばピアノも歌も先生のリサイタルか、その関係筋のコンサートのチケットを先生や先輩などから買わされる、とか、
N響はその1年前から定期会員でしたから、シーズン毎にNHKホールに並んで買ってました。


今でこそ(しかもそれを仕事にしてるし)、チラシや何かに書いてある
「お問い合わせ」の電話番号に電話するなり、プレイガイドに行けば手に入ることはわかるけど、
当時はそういう風に頭も回らなく、
友達と話し合って結論を出したのは
「その演奏会をやるホールに行けば絶対手に入るだろ。」
ということ。
(↑今でも概ね間違いではない)


きっとシカゴ交響楽団なんてすぐ売れるに決まってるし、
それに学生の身分、お金もないから
(確か一番安いのが5000円、次が7000円くらい。S券でも20000円はいってなかったハズ。今に至っていかに相場が上がったかがわかります。)
とにかく朝一でホールに並ばなきゃ、と
始発の山手線に乗って5時頃には東京文化会館の前にいました。


無事買えたけど、ホールに配券されている数は少なく、
4F席のかなりハジでしたね。



当日、人生の一大事みたいにドキドキしながら会場に入ると、
まずビックリしたのは練習しているシカゴ交響楽団のプレーヤーたちの音の大きいこと。

アメリカのオーケストラは、開演して照明を落としてから一斉に舞台へ入ってくるのではなく、
開演前から舞台でめいめい勝手に練習して、三々五々集まってくる、というスタイルをとることが多い。
(もっともこないだのフィラデルフィア管弦楽団はそうではなかった)


色とりどりの音、音。
N響で聴きなれていたものとは明らかに違う音量。
しかも一人一人が、それまで私が聴いたことのないような自然な息遣いで演奏(練習)している。

なんて音楽的なんだ・・・。


その時点で驚いているのだから
本番、私がどれだけ度肝をぬかれたかは想像に難くないと思います。


最初書いたように全身的な感銘を受けました。


しかしシカゴ交響楽団の音、
フォルティッシモで全開になった時は、音圧でホールの天井がぬけるんじゃないかと思いました。

でもそんな時でも音がグシャグシャになるどころか
ひとつひとつの楽器が鮮明な輪郭をもってクリアーに、
そして楽器同士、ちゃんと均衡を保って響く。

私が聴いた初めての外来オーケストラはとてつもないオーケストラでした。



そしてそれを精力的に指揮・統制するのがゲオルク・ショルティ。


指揮している後ろ姿は、まあなにしろ忙しく(笑)
しかし印象的なのは頭の横に張り出しているバルカン星人みたいな大きな耳。


どんな時でもあの耳から逃れられる音はあるまい、という感じで、
実際、「そこ!そっち!あっち!」と言わんばかりに飛び出す指示の俊敏さ。
そして激烈でダイナミックなのに、複雑な音が実に精密に組み立てられていくマーラーの音楽。
(そして私が一番印象に残っているのは、第2楽章で一度、そしてフィナーレのラスト近く、クライマックスで再び響き渡るコラール風のテーマの部分で、普通なら指揮者が我を忘れてワーーッと指揮しそうなところを、ショルティは指をベロッとなめて冷静にページをめくり、しかも自分の頭をツルッとなでたのだ。あの時、この一見激情的な大指揮者がどれだけ客観的で冷静な頭脳の持ち主なのかよくわかった気がする)


世界の水準、
それも世界最高の水準を肌で知った日。



この日のことは一生忘れないでしょうね。







...

指揮者とオケと夫婦の関係? - 2005年05月30日(月)



う〜、蒸し暑い。

今年はカラ梅雨か?なんて書いてしまいましたが
ハズレるかな?



ところで昨日、「N響アワー」の時間帯で
「想い出の名演奏」というのをやってましたね。


1994年のゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルの演奏。
R.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と
ベートーヴェン「交響曲第7番」。


この時のウィーン・フィル来日公演は
なんだか演奏が冴えない、とか
クラリネットのシュミードルがチューニング中に慌てて舞台にはいってきた、とか
あのウィーン・フィルも毎年のように来日が続くと
緊張感がユルんでこんなんじゃイカン!
なんて専門家筋がら酷評されていたのを思い出します。



私がこの時行った横浜公演でのチャイコフスキー「悲愴」は
すごく良かったですけどね。

ウィーン・フィルの素晴らしく優美な弦楽器群がチャイコフスキーのメロディーを
この上なく切なくしなやかに歌い上げていました。



ところでショルティといえば昔から豪腕・熱血。
彼が指揮すりゃ、オケは痛快に鳴りきる
音楽バカ一直線みたいな激烈な大指揮者で知られていますよね。

↑こんな風に書くとひどい音楽家みたいに見えちゃいますかね。


いやいや、誰もが認める真の大巨匠です。
私は本当に彼が好きだった。大ファンです。
(前にも書いたような気がする…)



しかし、最晩年まで(82歳くらい?)若いときと全然変わらないように見えるショルティでも、
現にこの94年の来日当時も私自身そう感じていたこの名匠も、
昨日のオンエアで改めて見、聴いていると
「やっぱり年とって随分円くなったんだなぁ…。」
と思わずにはいられませんでした。


でもあの若々しい顔の表情。
爛々と輝く、後ろを振り向くことなど知らないような、いつも未来にむかっているあの目。

本当に魅力的だ。



何年前だったか、ウィーン・フィルの、確か創立150周年記念のドキュメンタリー番組みたいなのがあって、
その中で色々な指揮者をはじめ、音楽家のインタビューがあったんですね。

そこでショルティは
「ウィーン・フィルは本当に素晴らしいオケさ。偉大な伝統があってね。私たちは30年以上も素晴らしい関係を築いてきた。最高の信頼関係だよ。
でもね、彼らはどうしても自分のやり方を曲げないんだ。私が一拍めを降ったら即、音を出してくれ!というのにどうしても少し間を置いてから音がでるのさ。優雅にね。でも一拍めは一拍めなんだよ。それだけがなぁ〜。」
(↑正確にこう言ってたか記憶があいまいですが、内容はこういうものだった)
と言う。


そしてその次にでてきたオケの団員曰く
(誰だったかな〜?コンマスのウェルナー・ヒンクだったような気がするのだけど…)
「ショルティとはね、今や最高の関係ですけどね、最初の頃は何しろ強引で私たちとは違う流儀で自分の音を出させようとするんですよ。指揮棒を振り下ろしたらすぐ音を出せとかね。
でもウィーン・フィルの音はそういうのとは違う。だから昔は『ショルティのヤツを絞め殺してやりたい』なんて言ってる団員もいましたよ。でも今は誰もそんなこと言わない。みんな彼を尊敬している。お互い妥協点を見つけてここまできた、ってとこかな。でも彼はどうしても一拍目の音をバン!と即、音にしようとするところは未だに直りませんし納得できませんけどね。」



この双方の言い分を聞いててとっても可笑しかった。
微笑ましかった。


なんだか長年連れ添った夫婦みたいなやり取り。
(別撮りだから会話ではなかったけど)


だって彼らはうまくいってたんだもの。



これだから人間は面白い。







...




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