ずんだいありー
□■□モクジ□■□→→コレマデコレカラ←←


1998年11月09日(月) 夜行性 a go go!

夜行性だもんね。わし。
さっき、朝刊を読んだりしてるし、なんだかしっかり寝たから体は翌日だし。
日記書く気まで湧いて来ちゃって今日二回目の日記だもんね。アップは翌日になるけど。

今新聞を見たら65歳以上と15歳以下には商品券をあげるという方向で
自民党と新公明党が歩み寄ったとのこと。ふざけんなよなぁ。
なんで経済の問題に年齢が関係してくんだよ。
困っている人は失業している人であって年金もらっている人じゃねえだろ。
65歳以上だってうん千万円の年収ある人だっているじゃんかよぉ。
30代で収入が毎月一桁の人だっているんだぞ。なんだよ、その考えはよぉ。

こういうのが偽りだよな。65歳は肉体的には老齢だけど商品券なんか必要としないで
バリバリ稼いで自活している人だって一杯いるんだぞ。
年収とか求職状態とか貧困線とか考査しろよ。
それに年齢でこういう風に決着を付けていくのはまさにエイジズムだよな。
国民年金にしてもしかり。何で学生が払ってサラリーマンの奥方が払わないのでいいのだ。
家事労働を考えれば免除は当然と言う人もいるがじゃぁ、俺のおばばはフルタイムで
バリバリ働いて主婦もやってるから年金を払わなくて良くてそして年金をもらう資格があるぞ。なんだよ、このシステム。

階級の概念が欠落してるよ。このバリバリ資本制の中で。


1998年11月08日(日) インディゴ地平線

昨日アップしてからずっと研究室にいる。
結局フェイクファーは8 時間ほどぶっ続けで聴き、
飯食いに行って帰ってきた9時半くらいからはずっと
「インディゴ地平線」になっている。
今、5時半だから同じく8時間くらいか。

いい曲を説明したいけどTSUTAYAだっせ〜からCDに歌詞カードついてねぇでやんの。
しけてらぁ。
だれか、教えて下さい。
♪街道沿いのロイホでぇ〜、夜明けまで話し込みぃ〜♪
っていう超単調な曲なんだけどなぁ。

夕飯は定食屋さんでレバニラ炒め。これがうっまいの。
レバーっていつから好きになったんだろう。
泉亭のパスタでもレバーのパスタ、すんごい好きだし。
昔、あんなに嫌いだったのにな。
スカスカの茄子漬けとらっきょうだけは今でも苦手だけど。

本気になって修論の序章を書いてる。
でも「輸出志向型の経済政策の下に急激にハッテンし」は、ね〜だろ、ATOK11!
確かにハッテンとカタカナで表記するのはあたいだけどさぁ。
力抜けるぜ、といつまでも他律的な私。
「おい、力抜けよ!」って誰か囁いて。
尻許で。


1998年11月07日(土) 運命の人

「運命の人」もとてもいい。あ、スピッツ。
そう、そこにいてほしいのは優しいだけじゃなく偉大な獣。
もうドツボの様に聴きまくってる。
早く来い来いわたしの優しい獣。
優しい悪魔はキャンディーズ。
もう、フェイクファーのアルバムだけで5時間ぶっ通し。

なんで、ハンバーグを二枚にチーズで挟んで上にベーコン乗せただけで
「マックイタリアーノ」なんだよ!マクドナルド。
なんでもイタリアンにすれば客が飛びつく訳じゃないぞ。
俺様は偉いからビックマックを頼んだぞ。
「マックイタリアーノはいかがでしょうか」という声を無視して。

久しぶりに母と電話。久しぶりといっても4〜5日しか間が空いてはいないけど。

「元気?お母さんの方で預かってる、郵便局の通帳が一杯になっちゃったけど、
どうする?通帳送ろうか?」

「うん、そうしてくれる?悪いね、ありがと。」

「今、どこ?」

「まだ、研究室」

「ご飯食べてんの?」

「うん、食べてる。大丈夫だよ、学食もあるから。」

「あそ。それじゃね」

携帯で30秒もかからない簡単な電話。ここ数年そういう電話が多い。
でもそれで十分に通じてくる、五臓六腑に染みわたる母の僕への信頼と深い愛情。
僕はいつになったらその信頼と愛情を母に伝え返せるのだろう。
いつになったらその信頼と愛情を別な誰かに傾けることもできるのだろう。
母と僕の関係は別な意味で運命の人だ。
父とは繋がらない気持ちがなぜか母には十分伝わる訳で、ぶくぶくと太って、
もう母の子宮には戻れないけど今でも見えないへその緒で母の胎盤と繋がっているのかと
思ってしまう。っていうか思いたい。

マザコンはおかまには許される特権。


1998年11月05日(木) スピッツ

今更はまってる。

「冷たい頬」はいい。
♪ふざけすぎて恋が幻でも構わないといつしか思っていた。
 壊れながら君を追いかけてく。
 近づいても遠くても知っていた♪ 
 だなんて。

今でも嫌いになれない好きだった人がどんどんと自分の好きな人とは違うものになっていく。
でも実際にそれは僕の想いがどんどんと現実の彼と乖離していっているだけのこと。
彼の前だとわざとふざける。わざと甘える。
もう、好きになってもらえないってわかっているから徹底的に甘えてみる。
確かにそれは壊れながら追いかけているのと似ている。
もう、幻想だけど。夢想だけど。空想だけど。
そう分かって超非生産的なことをしてみたりする。

髪を切る。
短く短くみじか〜くなった。気持ちいい。
広瀬通りに出て数歩も行かずにくしゃみ。寒くなった。


1998年11月04日(水) 僕は弱くない

なんか、やっと書ける。
別にここに自分の思いを、おかま人生を全て書き連ねる必要はないのだが。

最近、おわかれしました。

知り合ってから大体半年近かったけど。
飽きっぽいわがままな僕には珍しく長かった。
一緒に旅行に行ったり泊まりに行ったり来たりと充実した生活をしてはいたのですが
ある日を境に関係を支えていた愛情が薄くなってしまった。
それに気がついてからやっぱり僕は主体的に自分が一目惚れするなりして
恋しなくちゃ人を好きにはなれないんだって理解してお話をしておわかれしました。
今は独り身にまだ戻ったけど寂しいと感じることはない。

最後に電話したときに
「迷惑をかけたもんなぁ、追いつめられてたんだなぁ」って言われた。
でもそれはとてもとても違うと思った。
僕は受動態で表現される人間じゃない。能動なんだって。
迷惑をかけられ、追いつめられる僕は二人の関係において矮小化され、弱体化されていく。
でも僕のアレは矮小だろうが短小だろうが僕は弱くない。
そうやって愛さない理由を曲解されるとなんでおわかれしたいと思ったのかを
分かってもらえないままだろうな。

ま、わがままなアタシに半年も付き合ってくれて感謝しているんだけど。
おわかれしたい気持ちは内田春菊が
「物陰に足拍子」2巻で完璧に表現してくれてます。

修論、やっぱり序章を書くことにする。
ここで自分の論文の方向性を書き示さないと次に進めない気がする。
そうして後から序章を推敲すればいいや。


1998年11月03日(火) やる気が出ない

朝、目を覚ましたらたもつさん宅の玄関で爆睡こいてた。
昨日、たもつさん宅で飲んだときにトイレに行った後そのまま部屋に戻らず
玄関で眠ってしまったらしい。おおこわ。
風邪を引いた感じがして朝起きたらたもつさんも俺もくしゅんくしゅんくしゃみがうるさい。

学校に来たのはいいもののやる気がでないっきゃ。
もう11月でマジでやんなくちゃいけないのに。
ページのアップばかりをしている。




1998年11月01日(日) 超充実

昨日から始まった第3回オフ会。
楽しかったぁの一言に尽きます。
場所が人里離れた所だったこと、それから宿泊場所が一つの家の様に
なっているところだったのでおねぇぶりぶりこきまくっても安心と言うことで
あたしはそんなことはしませんが皆さん、心行くまでおねえさんを
ぶっこきまくっていたようです。(ツッコミ)

まぁ、実際にオフ会がどのように進行したのかについては
TOSHiさん、ブルちゃん、飛太さん、それに塁二さん(近日公開)の日記でも
ご覧下さいませ。

今回は新しい方々がいらっしゃってもう、大興奮。ずんだ、どきどき。
でもそのどきどきを隠すためについついおねぇをぶっこいてしまうのよねぇ。
本当にそれはそんな性格だと思うわぁ。
Codyなんて大人だからきちんと静かにしていたわ。
やっぱりしたたかね。あの女。キ〜ッだわ。

それにしても新しい方々はみなさんとってもと〜っても魅力的で僕は結構緊張していたのだ。
マジで。だから、夜にやったYes/Noゲームは超楽しかった。
Yes/Noゲームは匿名で質問にイエスならトランプの赤のカードを、
ノーなら黒を見えないようにして出して、いったい、その質問に何人がイエスと答えたかを
知るゲーム。

「この中でいける人がいる」という質問に一人を除いて全員が赤を出したのはびっくり。
そのままゲームは終了で部屋を暗くしてヤリ部屋に変身!とはならなかったものの、
随分盛り上がり、ゲームを企画したたもつさんと僕はにんまり(●^o^●)でした。
次のオフ会は僕が一応幹事予定なの。
もう今日から何をしたらいいのか考えてるのだ。
う〜ん。やっぱりお泊まりが楽しくていいし、
遠くからも来てもらえやすいし。
温泉は暖まるしちょっとどきどきの一石二鳥だし。
どうしよ。
考えつつ、お休みなさい。


1998年10月28日(水) 初めてのバイト

高校生の頃、学校の近くにポテトチップスの湖池屋の工場があってそこの商品開発部で
バイトをした。うちは親が教師と言うこともあって非常に厳しく、バイトはダメ、
大学入学までは午後7時以降は外出不可能だったのね。
(セブンイレブンが24時間営業だと知ったのもずいぶん後だった)
そんな中で出来るバイトはこれだったの。
一日一時間で千円。毎日行けば確実に二万五千円位入るとあって今は大親友となった女の子と
通ってたっけ。近くと言っても学校は埼玉で工場は東上線の成増で板橋区と自転車で
20分くらいかかるとこを自転車でキコキコ行ってたわけ。

社員割引でジャガイモを買った別のバイトのおばちゃんから男爵とメークインをたんまり
もらって親に「福祉バザーで買いました」って嘘言ったりもしたっけ。
親も「バザーで売られているジャガイモにしては美味しいな」なんていったりしてて。
そこでは一時間に三回、試食するスナック菓子が出てきてそれを食べて感想を述べるという
ひっじょうに簡単なもの。でもカッパえびせんとポテトチップスを食べ比べてどっちが
おいしいかっていうのとかあって非常に悩ませるのね。比べらんないでしょ。
両方とも同じ味のポテトチップスで片方が塩分が5%でもう片方が8%ですって言うのだったら
話も分かるけど。

ま、とにかく高校生の自分には二万五千っていう金は非常に大金で台風が来て学校が
早引けになっても行ったりしてた訳。で、バイト料が入ると当時そんなになかった
モスバーガーの成増店(1号店だってしってたぁ?)で食べたりしてたのね。
で、その頃、成増駅の再開発工事が済んで成増の駅になぜかベネトンのお店が出来たんだよね。
バブルの煽りで闇雲に進出したのだろうかねぇ。
まぁ、ベネトンはそんなに高くもなくセーターを買えたりもしたわけ。
で1月のバーゲンの季節にバイト帰りに寄ったらかっこいいツイードのジャケットが\9800に
なって売られてて一目で気に入って買ってしまったのにぃ。
イタリア製ということもあり、非常に丈夫で品質も良かったんだけど大学の3・4年くらいから
あんまり着なくなってしまって放っておいたままにしてた。
が!今年、コーデュロイのズボンを買ったことを機にまた着ることにして、
長かった袖を直してもらうことに。ちょっと払えば服は生き返る!お直しされた服は
ほとんど新品の様。
うれしくて研究室に遊びに来たじーこ(180/68/26歳・彼氏募集中)に見せびらかす。
これ着て、明日は来仙する塁二さんを迎えに行こう。

(◎^o^◎)


1998年10月25日(日) 先輩

おお、最近はそう呼ばれることもあるのね。久しぶりの感覚だわ。
先輩って呼ばれるのって。嬉しいかも。

向かいの講座の1年生が就職活動について訪ねに来た。
うちの大学院は独立大学院なので下に学部を持たない。
それは画期的なことなので非常にいいことだと信じているけれど反対に就職活動の時には
ゼミや学部の流れによる、旧来の就職活動では太刀打ちできないんだよね。
それに基本的に学生の大体が博士課程への進学を希望しているし、就職を考えている人も
シンクタンクや研究所、それから教員に公務員と私企業を目指す人は非常に少ない。
ということで私企業に進むあっしのところへ来たと言うことだな。
ふんふん、先輩と言われちゃ、なんか嬉しくて話に乗ってしまう。女の子でも。

就職活動を始めたのは確か去年の11月くらいだったなぁ。
就職活動を応援するリクルートとかに登録をしてインターネットの就職情報も
ブックマークに登録して更にメーリングリストにも名前を登録してなんとか情報を
漏らさないようにしたのが始まりで、それから具体的に人に会いに行って話を聞きに
行ったりなんとかコネを探したりしたんだよね。
両親が公務員の我が家には私企業の流れはなく、兄の知っている人を捜せどうまいこといかず
結局、そう簡単にコネなんて転がっていないことを知るのね。
あああ、二丁目に行ってだれかダディをお相手したらあったかもしれないわなんて考えてみたり。

本格的に始まったのは1月。
出版社でしたねぇ。試験終わった瞬間にダメだったと確信。
それから3ヶ月は落ちるだけでしたね。
まぁ、最初の書類は通るんだけどそれからが必ずダメなの。
とほほで、毎日焦燥感と、将来が定まらないっていう不安感を抱えつつとぼとぼと
広瀬川の周りをうろうろしていました。
父親なんて落ちたって分かったその日に
「お前なんか、受かる訳ないんだよぉ。お前がぁ!」と
酒の入った勢いで怒鳴られたりもして、殺意を感じたりもして。

変化は面接に通ってから。その面接は3対3の一次面接。
隣は筑波大学の体専(体育専門)の奴でカラダ、顔どれをとってもめちゃくちゃいけるの。
まじで。あんなにいける奴は本当に就職活動中そいつだけだったって、おい。
で、その隣が優秀そうな九大の女の子。
あたしゃぁ、この筑波の奴には負けるわぁって思ったら
そいつ「ラグビーをやってて学んだことは何ですか」の質問に
「う〜ん、学んだことは、ま、自分は大した奴じゃないんだって言うことですね」といって
シ〜ンとさせてやんの。狙ったのは分かるんだけどね、かわいそうな奴だ。
その面接に通ってからは本当にトントン拍子にコトが進んですんなりと内定を
もらったんだよね。そこだけ。あっという間でした。

内定の電話が鳴ったのは学校で研究会が開かれているときであたしゃぁ、
その会場で迷惑も顧みずひゃぁ!って30cmくらいジャンプをしたらしい。
ま、嬉しいし。

で、一個面接に通り出すとどんどん通るのね。
面接のテクみたいなのをカラダが覚えるのかしらね。
別の大阪の会社も話がのりまくってしまい5分のところが15分になってしまったりして
結局は相性というのを確信しましたね。
大阪のノリでの面接はちょっと楽しかった。
ま、面接のポイントは自分をどう売り込むかと言うことでしょうね。
究極的には。時間がかかりましたがそれをこの時間で学んだ気がする。
それにちゃんと内定ももらえたし。

でも就職活動をするに地方にいるっているのはちょっと不利だね。
東京の大学生間の情報交換の速さと言ったらないよ。本当に。
あのネットワークはすごいわ。マジで。
その頃にこちとら、就職部もないんだから。(厚生1掛というのが兼務しているらしい)
おいおい、大学の凋落って地方から始まって行くんだからもっとしっかりしてくれよなぁって。
しかも担当のおじちゃんは事務員でしかないからなんにもわかってないし。

ま、こんな話聞かされても彼女、困っちゃうだろうなぁ。
じゃぁ、何話そう?落ちた日は二丁目行ったりしたらいいわよ、とか?
GAPで買い物すると気が晴れるわよ、とか?
仙台-福島間は携帯の入りが悪いし、東北交通バスよりはJRの政宗号の方がまだ快適で
往復で買うと11,500円になって安いわよってこと?こういうことかしら?


1998年10月24日(土) 楽しかった一日

しかし、なんでこう急に寒くなってくるの。
眠る前にカラダ暖めなくちゃ眠れないじゃないのさ。
だからってラッシュ嗅いで眠ることもないんだけど。

でも今日朝起きたらなんだか頭が痛い。頭痛の理由として考えられるものは三つ。
1)風邪を引いていた
2)昨日、確かに飲み過ぎてた
3)ラッシュの嗅ぎすぎ。
まぁ、一番確実なのは風邪を引いてて飲み過ぎててラッシュを嗅ぎすぎたってことか。はぁ。

夜は盛岡からきた人達と飲みまくる。
といってもあたしゃぁ、非常に下戸なもんですぐによだれ垂らして寝てしまうんよ。
でも、今日はなんとか寝ずにすんだ。
7時くらいから飲んだくれたので帰ってきて、十分に遊んだって思ってもまだ2時半くらい。
なんか得した気がしてこれをやっている。

ドリカムはいい。
最近心に滲みるときがある。
Hitaさんも書いているけどこれを書いているときに聴く歌は結構ドリカムが多い。
ここ最近聴く歌は「Love Goes On」のアルバムに入っている「星空が映る夜」と
「Wonder3」の「二人のDifference」。
この両方の歌も特定の人(もう、知っている人は知っているひとのことなんじゃが・・・
宮本輝は知っている・・・ダバダ〜)を思い出しちゃう曲なんよ。

二人のdifferenceはちょっと聴くのがつらい。
「わたしだけが忘れない。あなたは全て忘れて、毎日の中で少しも私を思い出さないの」
なんて、本当に振られてからもう時間なんて何千時間も経っているのに思い出してくる。
毎日の中で思い出してもくれない人に自分がなってしまうのはすごく嫌だ。
思い出を否定されてしまう気がする。
そうやって今更ジロー、坂上二郎、轟二郎って、ひきずり女は今日も行くのね。
あたしって本当に歯切れの悪い奴だ。

ドリカムには明るい歌もいっぱいあって、それも好き。
Magicのアルバムは好きなんだけど「冬三昧にはまだ遠い」なんて今から歌ってる。
夏から歌ってた。「彼は友達」も好き。

今の僕の時間と喜怒哀楽を表現する歌の引き出しがぽこぽことある感じ。
最近はなんだか方向性がちょっとずつ違う方向へ進んでいる気がするけどね。

修士論文の方はちょっとづつ進んでる。タイトルも決まった。
おっしゃぁ、あとは突っ走るだけ、一億の夜を越えて。
この前の火曜日の発表の時に久しぶりに教授から非常に積極的なコメントを
もらってうきうきしてるんだよね。
時間がない中で何とか書いてみようという気力が湧いてきた。
論文がものすごく面白いものになるんじゃないかっていう一抹の期待
(不安じゃなくて)が湧いてきた。やるじょぉ。


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