ずんだいありー
□■□モクジ□■□→→コレマデコレカラ←←


1998年12月07日(月) あしべ

この前大学院のときの友達のあしべが上京して一泊してくれた。
仙台から友達が訪ねてきてくれるのはなつかしいだけでなく
学生時代に戻った気分になれて楽しい。

あしべは非常に優秀な院生で僕は心から彼女の能力に惚れている。
そんな彼女が今はまっている本(の話しをしてくれた。
内容はホモソーシャルな関係を築くためにホモフォビア・ミソジニー(女性嫌い)の文化が
生まれたのだろうということ。
説明は簡単なんだけれど実際の本は結構難しいようで読書会を2年以上かけているそうだ。
そんな話と研究室のことやら聞いていたらとても懐かしくなってちょっと興奮した。
そしてもうすぐ仙台にいた時間と働いている時間が一緒になるということを思い出して
少し怖くなった。

仙台での2年間はそれはそれは充実して楽しかった。
本気で人を好きになってみたのも、バックでイけるようになったのも真面目に勉強したのも
温泉に行くようになったのも、人との別れを経験したのもおかま社会に根っこをおろすように
なったのも、もう誰も見てないこのページをスタートしたのもスポーツクラブに入ったのも
全部仙台がスタートだった。

時間が凝縮していた2年間。

それを入社してからの2年間と比較すると完璧に大学院の仙台時代に天秤は傾くだろう。
それだけあの時間は充実していた。目標があった。やりたいとおもうことがあった。
そして今、僕はまだ暗中模索をしていて何がやりたいのか分からないまま今目の前にある
やるべきことに追われているだけ。
それは確かに仕事だけれどなかなか自分のやりたいこととは結びつかずにいる。
そしてそれがとてもつらい。

まだまだやめる気なんて更々ないけれど、自分が転職をしようと思ったときに
少しくらい英語と韓国語が出来ることと本人には何の特技も技術も無いことを痛感する。
今の僕は転職すらろくにできない。

と、ネガティブモードなんです。わし。


1998年12月05日(土) 余裕が全〜〜〜くない

上京していたCodyを拾い、東北自動車道を走る。
宇都宮インターが見えたらCodyが突然に「ぎょう・・ざ」とつぶやいたのだ。
それが間違いだった。
わたしは急にハンドルを左へ曲げ、なんと途中下車してしまったのだ。
餃子のために。

餃子に詳しいユーイチさんに美味しい餃子屋さんを紹介してもらい、
「正嗣」(まさし)氏家店へと車を走らせる。しかし、氏家店、既に店じまい。
帰る間際のおばちゃんを捕まえて別な正嗣を紹介してもらうが、
この説明がもう、全然わかんないの。
「白沢街道を南へ下ってね」と言われても白沢街道も南もわかんないのにどうすんだろう。
困ったCodyは店の中に入っていき地図を書いてもらってきたが帰ってきた
その顔には曇りがかかっている。う〜ん、とにかくおばちゃんの後をCodyのガイドで
早見優の「夏色のナンスィー」をBGMに出発。最初の左折は完璧。おばちゃんの
スズキエスクードは時速60キロと結構とばすがなんとかついていく。
しかし、次の指示、おばちゃん的にはまっすぐだったのだろうがうちらには
そっちは右折だった。ということで第2段階であっけなくおばちゃんのエスクードは消えた。
残された私達はCodyのわかったようでわかってないような記憶とおばちゃんが書いてくれた
距離感もへったくりもない地図だけを頼りにただただ「正嗣」岩曽店を探すだけであった。

でもぉ、あたしたちは結構強かった。
Codyの毒舌とZndyの嗅覚で気がつけばあらぁ、「正嗣」じゃないのさぁ!
にぃぃぃぃっっこりCody。ぷっくりzndy。
そりゃ、焼餃子、水餃子たくさん食べましたわ。本当に美味しかった。
また行けっていわれてももういけないと思うけど。

今日はめちゃめちゃ嬉しいのだ。
去年からもう一年以上も個人指導してきた生徒が無事に推薦入試で合格したのだぁ!
これもあたしのおかげ。そうよ。そうだわ。
だって生徒、感謝の気持ちか感動か、信じられないのか電話先で
声がぶるぶるふるえてたもん。(理由になっていないけど)あたしもふるえた。
もうだめでもともとだったからね、良かった。本当に良かった。
手塩にかけてきた甲斐があって、学年一位にまでなったんだもんね。
努力家は報われるのだ。しかしこんなに嬉しい気分は久しぶりだなぁ。

と、ここまで書いたが、もう実は疲れてる。
ここ数日アップもできないくらいに気分が焦り、危機感に襲われている。
その割にキーボード打っては消去が続いているのでもどかしい。
早見優の「夏色のナンスィー」も「急いで初恋」「誘惑光線クラッ!」も今、空で歌えるぞ。
本当に論文、かき上げられるかどうか不安で不安で一昨日も布団に入って
電気を消してから突然起きあがって本をむさぼり読んでしまった。
とにかく他のことは今は何も考えられないほどに追いつめられている。
ニキビも増えた。髪はぼさぼさ。食ってばかり。そんなぁ、とっしごろねぇ。


1998年12月04日(金) 地元尽くし

疲労困憊。
朝の5:00に葬式に行くために埼玉を出て、葬式の後、
渋谷へ向かい人の多さにどきどきして独り言をたくさんつぶやいて帰る。
埼京線をわざわざ使って池袋まで行ったことに理由は無い。
地元の駅に着いてから西友を久しぶりに覗き、無印良品を覗き、家までの15分の道で
沢山の懐かしい店を覗いてみた。一番最後はもう20年来、食べているケーキ屋さん。
モンブランと苺ショートのうまさでここを抜いたのは数少なく。
やっぱり買ってしまった。
今日は久しぶりに家での食事だからその後にコーヒーでも入れて母親とケーキ食べよ。



1998年12月03日(木) 師走とはまさに

今日は久しぶりに忙しい日でした。帰宅したのが朝の5時過ぎ。
それから眠って起きたのが12時。授業に出た後に一旦帰宅。
今日は実家に帰省をする日なのでそのためにもう不必要なものを実家に持って帰ろうと
思ってがさごそと押入れを探す。それから仙台を出て、途中那須高原パーキングエリアで休憩。
で先程到着しました。現在、1:30過ぎ。
そして5:00にはもうお迎えの車が来ることに。三時間しか眠れないな。

それにしても国道17号からの分岐する16号、新大宮バイパス。
いつの間にあんなに便利になったの?ってこんな話題分かる人あんまりいないと思うけど。
今まではわざわざ三橋というところまでいってそこからうねうね上江橋をわたり、
川越までいっていたんだけどこの道が出来たお陰で信号の殆どない、
仙台西道路みたいな道をただひたすら走れば良くなったの。
お陰で時間が本当に短縮された。

今日、帰省することはもうずっと前から決めてたんだよね。
だけどまさかその前日に友達が死ぬとは思わなかった。
モーニング娘。を「喪に服す娘。」とかいったジョークをご披露していた
じーこねえさんも「あんたが喪に服す娘になったわぁ」と。まさに。

タケシは交通事故で亡くなったとのこと。中学校の時の友達。
そして中学校の友達の葬式に行くのは今回が三回目。
一回目は大学一年、次は去年、そして今回だ。本当に葬式の多い学年だ。

三人の死因はそれぞれ自殺、肝硬変、そして交通事故。
今回の件がどうしてそうなったのか皆目見当はつかないけどその前の二つはまさに
「死に急いだ」観がある。
特に最初の奴は小学校の一年生からの幼なじみでうちの目の前に住んでいた奴だったから
結構堪えた。弔辞を読んで下さいといわれてもなんか弔辞がかけない。
感傷に浸る暇もなくただ淡々とこなしただけのものでした。
悲しみは雪解けのようにとはよく言ったものでそのあとにじわじわとしもやけのように
じんじんと染みてきたのを覚えてる。今回はそれよりはちょっと距離のあった
友人だったのでそういうことはないけれども、人生の長さは本当に分からないなぁ。
車を運転して無事に自分の車庫に車を入れることが出来たらそれは
自分の運転がうまいのではなくてただ単に今日はラッキーだったと考えなくちゃ
いけないのかもしれないな。

「古都奈良の文化財」が世界遺産に決まったそうな。
そしたら奈良市長「これでたくさん観光客が来るようになると良い」とかコメントしてやんの。
ばっかじゃないの。
そりゃね、観光によって奈良市の財政は潤い、それを使って世界遺産の保護に
努めるかも知れませんよ。でも世界遺産に決まったということと観光ということは
そんなに直接的には結びつかんじゃろ。
もし本当に世界遺産として保護が必要ならば観光を捨ててだって守るものに
なったってことじゃぁないのか?本当に頭来るなぁ。朝から。

ひたさんも書いてたけどなんで仙台の「F堂」ではもうラブオイルを売っていないのだ!
あるのはラブラブだけ。これ、あたしゃぁだ〜〜〜〜〜〜っい嫌い!
もう絵に描いたような滴をぶにゅぅ〜って出したところで手を離すとなんと
全部ボトルの中に戻ってるの。
しかも乾きやすいと来ててバックやってるとケツの中で乾いてつってくるのがわかるし、
でもボトルはまだぬめぬめしてるから滑ってボトルが手からすり抜けていくし、
次の一滴は出しにくくてしょうがないし。
おまけつけてF堂では売っていたけどもう買いません。
金輪際。ということでラブオイルを二丁目に買いにいこ。
小学校の頃にならった「てぶくろを買いに」がなぜか私の右脳をよぎった。


1998年12月02日(水) カプった

今日のでぃなーはカプリチョーザでした。でもなんであんなに女ばっかりなの?
仙台のカプリって。男だけっていうのはうちら3人と食事の途中で入ってきた
オヤジと20代半ばの会社員風のあんちゃんだけ。その二人はいかにもそっち!
っていう感じで、Codyは読唇術を試みて二人の会話がゲイゲイしいことを報告してくれた。
ありがとよ、Cody!しかし君の全ての振る舞いは既にゲイゲイゲイゲイゲイしいわ。
いくら今日の髪型が三雲孝江であっても。

カプリチョーザが仙台に出来たのは去年のことだった。喜びましたよ。あたしゃぁ。
なんせ実家に住んでいた頃はカプリフリークでしたからねぇ。
池袋2店、新宿2店、赤坂、原宿、六本木2店、町田、下北沢、京都、四谷、渋谷。
おいてあるメニューは一緒だけど何かにつけて大人数の時には利用していました。
あそこはクリーム系はあんまり美味しくないんだけどトマト系は非常に美味なの。
ちなみに私のお気に入りのメニューは「温野菜のバター風味」
「カキのドリアカレー風味」「海の幸のリゾット」「ライスコロッケ」
そしてなんといっても「なすとほうれん草のスパゲティ」カプリに来るたんびに
この辺をぐるぐるすることが多い。今日は温野菜とドリアには手を出した。
更にデザートのケーキもでかくて旨いのだ。お気に入りはバナナチョコケーキ。
これは本当に絶品ですわ。
これだけ単品でお持ち帰り用に売り出しても絶対売れるんじゃないかしら。
お試しになってくださいね。今ならスピードくじもやっています。
お陰で今日、グラスワインと4種類のジェラートが無料になってしまった。

わたくしが愛用している5階のトイレの個室には一枚の仙台の地図が貼ってあるの。
塩釜も多賀城も載っているというのになぜか私の住むインターチェンジの方は
載っていないのよ。仙台市なのに、青葉区なのにぃ、家。失礼しちゃうわ。ぷんぷんよ。
ま、いつもいつもトイレを使うたんびに「Codyはこの辺でしょう、たもつさんは
ここぉ、それから仙台に来たばっかりの時に伝言であったアンディ(仮名)を
ここで降ろしたような・・・」とかいいながら楽しんでいたのね。
「きゃぁ、こんなとこに与兵衛沼なんていうのがあるわぁ。行ってみなくちゃ」とか。

だのにぃ〜、な〜ぜぇ〜???今日行ってみたら、ぬわんと!地図が剥がされているでは。
そしてそこには代わりに一枚のB4の紙が貼られていました。
「自治寮の維持・発展をかけて闘うぞ!大学当局のデタラメなやり口を団交要求で糾弾!」
はぁ。あたしゃぁ、今日からこの紙を見ながらトイレタイムを過ごすのかぃ。
ひどいよ、学生寮自治会連合。いくら何でも。あんたこそデタラメだよ。



1998年12月01日(火) Truman Show

Truman Show

ジム・キャリー主演のトゥルーマンショーを見た。今日は映画の日だったので出かけたものの結構込んでいたので困った。結局前から二番目の座席に。

仙台のアーケードがぶつかる藤崎デパートがあるところに大きなクリスマスツリーがあるんだけど、なんであんなに悪趣味なんだろう。なんかぴかぴか光っているだけなの。綺麗ではあるけどなんか情緒がないのね。国分町に飾った方が似合いそうな感じ。もっと小さな装飾の雪が降っているような穏健なツリーの方が仙台の雰囲気にもマッチしている感じがするんだけど。

実家でのクリスマスは非常に寂しいことがおおかったなぁ。ファンタジィを期待しているあたしの意に反していつも家ではただの平日だった。夕食とかもきんぴらゴボウに味噌汁とかだったし。高校生の頃訳も分からず母親に「なんでクリスマスにきんぴらなの!」と八つ当たりをしたことがある。母親も訳が分からずに「あら、クリスマスでも美味しいわよ」とか抜かしてよけい憤慨したりしました。正月はそれなりに盛大なんだけどね。やはりわが家は伝統的。

今週末は実家に帰省をすることに決めた。年末年始は修論もあって実家に帰省できないし、今年は母親一人でスペインに行って来るって言うから親父一人だし。今のうちに最後のお年玉をねだるかな。25にもなって。久しぶりの帰省だから楽しみ。


1998年11月30日(月) 11月が終わる

早いなぁ。
もう11月も終わり?マジで?
たもつさんともひたさんともCodyともあそんでない。
あ、あたし結構友情を軽く見ているって思われているかも。
そんなことないです。みなさん。ただ、ちょっとの間は好きにさせてください。
かならず、また皆さまにまたお世話になります。
修論、がんばろう。全然進んでね〜。


1998年11月28日(土) 在日であるということ

久しぶりに神戸に住むヒョンから電話があった。
就職活動で悩んでいるということ。
話し始めたら結局、長くなってしまった。

ヒョンとは韓国語で兄さんの意味。
彼は在日韓国人二世で僕がソウルに韓国語を勉強にいったときに出会ったのが始まり。
それから勝手に僕がヒョンと呼び始めた。
ソウルの韓国語学校はすごい楽しいんだけどなんか韓国オタクで
ちょっと性格が壊れている人とかもいたりしてそんななかでやたら
ブラックなネタをご披露してくれるヒョンとはすぐに仲良くなった。
ポケベルのメッセージとか岸田今日子の語りとかにしてるし。
もみあげを残す、日本で流行りの髪型を韓国の床屋でやってもらおうとしたら
めちゃめちゃ斬斬り頭になって帰ってきて俺が爆笑したこともあった。
彼はハングルのハから勉強をして僕が韓国に行ったときにはもう5級くらいで
かなり話せるようになっていた。

僕は大学院入学のために97年の3月に帰ってこなきゃいけなくなった。
ソウルを去る日にタクシー乗り場でお別れしたときの彼の淋しそうな
目を忘れられない。
あれから数回電話したり、手紙をやり取りしてヒョンも今年、帰国した。
僕が就職活動をしているときの頃だった。
大変だったけどなんとか僕は希望の就職先に内定し、彼も同様に
就職活動を始めたが一向に決まらなかった。
僕が内定したことを教えたとき、一番喜んでそして一番素直に悔しがって
妬いたのもヒョンだった。
そして僕はそういう彼の正直なところが大好きだった。

そしてもう11月末。
彼はまだ就職活動をしている。受験した会社はとうに20近い。
しかし落選が続いている。その原因を彼の能力や話術の限界に求めることも簡単だろうな。
でもやっぱり彼が在日韓国人だという事実を看過することは出来ないと思う。
そこに落ち続けている理由を収斂させてしまうのもまた違うかも知れないけれど。
でも、このご時世においては芸術学科卒業の今、26歳で韓国語の分かる在日韓国人が
必要とされず、経済学科で21歳で日本語しか分からない日本人は必要とされるのか。

エスニックな部分で斬ることの出来る問題ではないけれどねぇ。
そしてそんな彼には今、在日韓国人が経営する物産と韓国領事館の仕事の
二者択一しか残されていない。
日本で生まれ育ち、日本語で教育を大学まで終了し、それから韓国語を習得したヒョンは
日本人といっても過言ではない。
(アイデンティティ論は棚にあげておく。僕が知っている彼はそうだ。)
その彼が結局、就職先として選ばなくちゃいけないのが両方とも韓国系であるという事実。
そこにはおぼろげながらも確実に境界線という名の差別が見える。

ネクタリンって1900年代にアメリカに渡った韓国人が桃とプラムをかけあわせて作って
できた果物なんだよ。しってた?


1998年11月27日(金) ドラえもん、来仙!

え?なんでこんなに警察官がいるの?
ウチの住んでる方なんて青葉区のさいはてなのに。
一つの交差点に警察官が10人もいた。
中国では江沢民はドラえもん(機械猫)とよばれているそうな。

明日あさって、仙台の町中にはでないほうがよさそ。
「君、所沢ナンバーの汚れた車を運転しているなんて過激派だな!」
「いえ、そんなことないです。」
「うるさい、身体検査だ。ケツを出せ。」
「あん、いやん!」
「この野郎、公僕に向かって女の腐ったみたいな声を出しやがって。
 俺がおめえを本当のおんなにしてやる!」
「あん、いいん!」

何いってんだろ、俺。
もう二回もつかまってるんのに。


1998年11月25日(水) Royal Milk Tea

昨日のページのアップは今朝の5時過ぎくらいだったにも関わらず、
それから三時間後くらいにはすでに一人の性年Codyから答えが届いていた。
J-Phoneやデジタルツーカーで使うことの出来るスカイウォーカー・スカイワープで
メッセージが届いたのだ。ああ、出社途中にチェックしたのね。
よっぽど朝から暇だったとみた・靖子。

今日の夕食は僕のいる研究室でおとなりさんと一緒に作ることに。
両親が石巻から来ている友人が母親の手作り料理を出してくれておいしくありつく。
それからロイヤルミルクティーを作ることにした。
牛乳が沸騰しないように気を付けながら紅茶を出すのは面倒くさいので
コーヒーメーカーの保温する上にティーバッグと牛乳を入れた
ティーサーバーを置いて待つこと1時間。

出来たミルクティーは上品な肌色でまろやかな味でした。
これをアップしたら少し眠ろう。


Seoul-Soul |MAIL