一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。


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2003年12月26日(金) 番外編  2


番外編  2   読者のみなさまへ

          


この隠し味を書くことになって、御蔭で忘れかけてた事が、昨日のように思い

出されて私自身とっても楽しんで書いています、もし、こうやって書くことが

なかったら、きっといつの間にか忘れていくんでしょうね、こうやって書くこ

とを進めてくれた友に・・・感謝!ありがとう!

      
そして、気の向いた時にしか書かない、わがままな私に怒りもせず気ながに、

待っていただき本当にありがとうございました。これに懲りずに来年もまた続

けるつもりですので、気が向いたらまた、覗いてやってください。


来年からは、いよいよこの店を持ったときのエピソードなどなど書いてみよう

と思ってます、波乱万丈の船出でした、今となっては、ほんとうにいい思い出

です。


今年もそろそろ終わろうとしてますが、琢が作ったホームページ、みんなに可愛がられて、きっと彼も喜んでると思います。

 

どーぞ、みなさん!いい年を、お迎えください!ありがとうございました。


             また来年です! 
      
      
      


   











2003年12月14日(日) その45

その45

最後の言葉が

「あの世でも、また大会にでも出るか!」と、言ったそうです。

大将が涙ながらに、おやじらしい生き方だったなあーとしみじみ思いに更けた夜でした。そして・・・。

「さあ!みんな、おやじの為にも頑張ってほしい!大会まであと10日や!」

今でも憶えてるのは、部屋のなかに、お父さんのトロフィーがたくさん飾られていたことです。

大将はこのお父さんの名前が書かれたトロフィーをずーっとみて育ったんだと思ったら何故か胸がつまった。

たしか・・・大阪府立体育館だったと思います、日曜日なので私は店が忙しく見に行くことができず・・・。

くやしい思いをしたのを覚えています。

その大会があった夜、店が終わるのが待ちどおしく、終わったらすぐに自転車で飛んで行きました。

みんな大将を囲むように集まっていました。決勝の8人の中には残ってたらしく、最後にステージに上がった時、みんなの筋肉を見たとき、アカン!これは勝負にならんと、思ったらしい。

8人中、8位だったそうです。これだけ差があれば本人もサバサバしてて、笑いながらの報告でした、

大将が大会の式場をあとにして帰るとき、今回優勝した方に呼び止められ

「あのー失礼ですけど今度、線香をあげに家のほうへ伺ってもいいでしょうか・・・」

「実はあなたのお父さんには私がスランプに陥ってた時、親身になって、相談にのってくれました!」

「今日の優勝も、お父さんのお蔭なんです、いっしょに喜びたかったんです!」と、涙ぐんでいたそうです。

そんな話を、みんなにしてる大将も、涙・涙でした・・・。


次の夜、大将から電話があり、久しぶりにあの、赤い焼きそばの注文です・・・。

なかなかあかない戸を開けて、「まいどー一平でーす!赤い焼きそばでーす!」

大将はベンチプレスで練習してる若い男の子をつかまえて、

「あかん!あかんで!筋肉は一枚一枚、重ねていくんや!無理して重たいのを上げてもコワラルだけや!」

「下地が大事なんや!焦ったらあかんでー!」

私は、そーっと赤い焼きそばを置いて、大将の横をすれ違うとき、思いました、声までそっくりになりましたね!


             またこの次


2003年12月04日(木) その44

その44

「全日本ボディービル大会」もあと、ひと月ぐらいにに迫った、たしか六月のある日、

大将が店に来て、しばらくジムは休むとだけ告げて、帰っていきました。

近くの寿司屋で配達してる、肥満体のジム仲間が、仕事終わって店に来て、

「知ってる?大将のお父さんが亡くなったんやて!」

「何か脳梗塞で車椅子になったんだけど、医者が言うにはもう半年の命だったらしいで・・・。」

「どうする?お通夜に行く?」

肥満体のジム仲間が言うだけ言って、私に尋ねたけど・・・、


「ええ!あのお父さんが亡くなったの」・・・・・・(突然で何か信じられなくて・・・)

「大将は大丈夫?家はどこか知ってる?今から行こうか!」

肥満体君は大体わかるって言うので、すぐに大将の家に向かった、

公園の近くで、家の表に、確かダンベルが置いてあったのを憶えています。

もう!ジムのみんなは来ていて、大将の傍で心配そうに見守っていたのを憶えています。

大将は、ずーっと、お父さんの傍に付っきりで、焼香に来る人に深く頭お下げていました。

大将が・・・。

「みんな、悪いけど、お通夜の最後まで残っててくれないか?」

「あ、はい!」


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2003年11月27日(木) その43

その43

車椅子のお父さんは、ベンチプレスで横になってる大将の傍で、

重量を上げてる息子さんに・・・

「まだ日にちはあるから、慌てて筋肉を壊すなよ!」

「当日になって、筋肉が硬くなって目ばえがしなくて入賞できなくなった
 連中をたくさん見てきた」

「最初から一枚一枚、筋肉を着けていこう!」

二人の間には凄い空気が流れていました。

「あのー、す すみません!赤い焼きそばの代金を・・・」、すると、

お父さんが「ああ!すまん、すまん!いくらや!忘れとったがな・・・」

車椅子にかかってたバッグから、財布を抜き出しながら、私に・・・。

「出来るだけ続けなあかんで、筋肉は少しずつ着けるんやで!」

「筋肉には必ず裏地があって、その裏地をキッチリと着けないと、何年
 やっても、すぐに休むと筋肉が消えてしまうからな」

「華やかな仕事ほど裏地ってゆうのが大切なんやで!」
「君が今、やってる配達だって裏地なんや、いつか自分の店を持ったとき、今の配達が
 きっと生きてくるよ!」

「どんな立派な着物でも、かくれた裏地が、しっかり縫ってないと、着崩れしてしまうし」
「裏地の糸がきっちり縫われてたら、上から着物の帯をゆっくり締めても着崩れしない!」

「人はみな、裏方のお陰で表の人がいきてくる!裏方の感謝を忘れたらあかんで!」


ベンチプレスの大将が・・・「おやじ!早よ食べな冷えるで!」


いまでも、あのお父さんの言葉はよく憶えています、20才の時のあの気持ち

を忘れずに大切に生きてゆかねば、と、思う今日この頃です・・・。


             またこの次
            


2003年11月21日(金) その42

その42

それからというもの、大将は人が変わったようにトレーニングをした。

43号線沿いの排気ガスでいっぱいの、このジムがいままでと違った

雰囲気になった、ピーンと、張り詰めた空気でした、いちばん奥の

いつもの場所で、汗をビッショリ掻いて大将は頑張った、みんな

頑張った、普段あまり練習もせず、世間ばなしをして帰る連中も

大将にあおられてか、鏡の前でポーズをとっては筋肉をピクピク!

とにかく、みんな頑張った、一人ひとりが心の中で大将にエールを送った。


そんなある日、店に、大将から電話があった、

「赤い焼きそばを、二つジムに持ってきてくれへんか!」

初めてだった、ジムに配達するのが・・・。

「はい!わかりました!大将?まだ練習してるんですか?」

「やってるで!もう終わるけど!・・・」

この時間になると43号線も車が少なくなった、暗い国道沿いの中で

そこだけが灯りが漏れて、中を覗くと、大将ともう一人いた・・・。

「まいどー!一平です!赤い焼きそば持ってきましたー!」

その、もう一人の車椅子の人がこっちを振り向き、

「こんな、遅くにわるかったなー、このジムに通ってるんだって?」

「あ、あはい!」・・・・・・(大将にそっくり!・・・えええまさか!」



         また次の日


2003年11月17日(月) その41

その41

大将が奥に引っ込んでるとき、逆三角形のみんなが,なにやら話してるのを聞いてると、どうやらポスターの全日本大会の事らしく・・・。

「今度は大将は出るのかなー」

「いやーもう年やでー絶対でーへんと思うで!」

「でも、大学のときは学生選手権で四位とか五位とか言うとったやろ!」

「アホか学生と社会人といっしょにすな!」

「せやけど今度で9回目やろ!もうあきらめてるでー」

「それもそーやな」

「それでも、大将はお父さんに憧れて今日までやってきたんやろ!」

「入り口にある、あのお父さんの写真をいつも大将は見てるんやろなー」

「そう思うとやっぱり、全日本で入賞したいやろなー大将!頑張れやな!」


大将が奥から出てきた・・・

「みんなーちょっと集まってくれ!」


みんなが大将を取り囲むように集まった、

「これから、もう!カップラーメンは食へんで!何故かと言うと」

「今度の全日本大会で引退する!最後の大会にする!」

「みんなには初めて言うけど、俺はもう9回も挑戦してきた!」

「あれ?みんな知ってたんかいな・・・10回を区切りにやめる!」

大将の目が潤んでいました、父との約束を果せなかった、せいなんだろうか

すると、大将を取り囲んだみんなの中から、


誰となく、一人が、パチパチと手を叩きだした・・・すると、みんなが叩きだした、不思議とみんなの心が一つになった、

「大将!大将!頑張ってください!頑張ってください!」



大将は泣いていた・・・下を向いて肩を震わせてた・・・。



          またこの次


2003年11月14日(金) その40

その40

相変わらず開かないジムの戸を、こじ開けると靴箱の上の方に額入りの

大きな写真があったんです、みんなに聞くところによると、オバQ、

いやいや!大将のお父さんらしくて、真ん中の人が何やらチャンピョン

らしくて、大きなトロフィーを抱えていて、左右の人のどちらが、二位・三位

か分からないけど、確か左側の人が、思わず、大将!と、言うぐらい似てて

誰が見てもお父さんとわかりますが、おそらく、ボディービルの日本では

奔りじゃないかと思います、おそらく大将は父を見て育ったんでしょうね、

写真を見て感じた事は、今の大将のもっと若い時に父は全日本の三位に

なってたってことです・・・。


私がジムにかよいだして半年ぐらいたった頃、ジムの鏡の横になにやら

新しいポスターが貼られていたんです、

「全日本ボディービル大会」と、書かれた大きなポスターでした。



         またこの次


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