一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。
目 次|過 去|未 来
里子ちゃんの家を出たのが、もう暗くなってて帰りの夜道で思った事は・・・
20年近く昔に追い出された、あの我が家の前を通るか、通るのをヤメようか・・・随分、迷いましたが、思い切って、昔の我が家を見て帰ろうと思ったんです。
県道から脇道にそれた所に駄菓子屋があって、その前を通ると右カーブになってて、そこから300メータ行ったところに昔の我が家があります。
もう、とっくに暗くなった家の前の道路沿いに車をとめて、車の中から灯りの点いた家の中を覗いたら、私達が住んでたときは工場だったところが、洗濯干し場になっていました・・・小学生ぐらいの子どもが3人ほどいて家の中を走り廻ってて・・・私が中学の時、工作で作った郵便受けの木の箱が、まだ活躍してるみたいでした、
祖母がいつも朝早くから座ってた大きめの椅子が私を見てるみたいで・・・椅子は玄関の横に座ったまま、あの日、母が私達の手を引きながら、この玄関を出てゆく時、この椅子は何を考えてたのか・・・新しい家族がこの玄関を入る時、この椅子は横で何を思って座ってたのか・・・
家の中からご主人らしき人が出てきて不思議そうにこっちを見てました、私が車を少しずつ前に出しながら頭を下げたら・・・じーっと見つめられ、怒ったように家の中に入っていきました。
しばらく運転しながら何故か涙が止まらず、また、あの椅子を置き去りにして来たことに、謝りながら・・・また涙でした。
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「爺ちゃん!家、売って町へ行くぞ!」
「お父さんも町へ出たら、死ぬ気で働くぞ!それでも、うまくいかなかったら、その時、考えよう、今よりは希望があると思う。」
私も、ついついお父さんの考えに賛成してしまった・・・それは、あまりにも里子ちゃんが純粋で素直ないい子だったからでしょうね、話に聞くと町の方にお父さんの友達もいるから仕事も相談してみるとの事・・・
人生まったく絶望という事はなく、どんな境遇にいても、人間は結構、強いもので、ましては家族がソバにいれば苦しいながらも、きっと、道が開けると、思うし、小さい頃、私の父は逃げたけど、残された家族で這い上がって来た事を話した・・・そして最後に伝えたかったのは、「地道に少しずつ稼いでいれば、いつか一度はきっと、またいい時が来ますよ!私が今、そうなんでよ!」
お父さんは・・・泣いていた・・・私も何故か、あの、家を追い出された時、母が後を振り向き泣きながら私たちの手を引いてた頃を思い出して涙が止まらなかった。
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里子ちゃんのお父さんが・・・、
「さとこ・・・悪いねー、お父さんが怪我さえせんかったら、高校ぐらい行かせてやれたのにね、さとこ一人に頼ってしまって・・・」
その時の里子ちゃんが言った言葉が忘れられなくて、
「爺ちゃん?さとこがいなくなったら淋しいか?我慢してな、爺ちゃんを病院に連れていきたいとよ・・・お父さん?さとこがおらんと淋しいか?我慢してな、お父さんの足、治しちゃるから・・・お母さん?さとこがいない間、体、壊さんようにがんばってな、お金いっぱい送るから・・・弟や妹には高校、行かせてやりたいから。」
あの時みんな泣いた・・・爺ちゃんもお父さんも、お母さんもみんな泣いてたのを思い出します。お母さんが声を殺して泣いてたのを、今思えばあの時、一番、淋しかったのはお母さんだったんでしょね、しばらくして、お父さんが自分に言い聞かせるように喋りはじめたんです、
「さとこは行かんでもいい!その代わりこの家を売って町へ出る!」
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第二部 その17
「家で造ってる焼酎とよ、飲まんね?」・・・・・・(キツそう!)
「帰り、車なんで、じゃー1杯だけ・・・」
「カメ」ごと出してきて、そこから湯呑に注いでくれるわけで、今でも憶えてますよ、そりゃー!最高でした、なんて言うか、深い味とでも言うか、キツイけど喉越しが良くて・・・二杯目が早かったのを覚えてます(笑)お爺さんが言うのには・・・ ワシの爺さんの頃からこのカメで、継ぎ足し継ぎ足し、してるからかなり古いとのこと、そりゃー美味いはずです。お母さんが大阪に行く娘のことで言いい始めた・・・、
「子のこの下にまだ四人も学校にいってるから、この子には働いて仕送り、してもらわんとね、父ちゃんが怪我してからサッパリ収入がないとよ・・・爺ちゃんも、婆ちゃんが死んでから体がメッキリ弱くなってね、病院代もない始末でね・・・」
その女の子は、こっちをチラチラ見ながら、忙しそうに台所の片付けをしてた、お母さんが呼んだ・・・「さとこ!さとこ!こっちに来て、座らんね!」
「どう?大阪へ行きたいの・・・」と、私が聞くとさと子ちゃんは黙ってた・・・。
爺さんが・・・「行きたくなかったら行かんでもいいとよ」・・・(なみだ目になっていた) 母さんが・・・「何言うとね!どうやって食べていくとね!」・・・(怒ってる!コワ)
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第二部 その16
今度は店の従業員を雇わなくてはならないわけで、とりあえず私の田舎に捜しにいくわけです。 その頃はフリーターなどはいない時代で、店をやるには正社員という世相でした。 しかも田舎の子の方が長続きするという考え方で、ここらの商売人はみんな田舎の方へ友達とか親戚の紹介とかで捜しに行ってましたね。
私もいろんな方が紹介してくれると言うことで田舎に帰ってみたけど、なかなかいない訳です。 こんな事もありました、ある中学卒業したての女の子が大阪へ行きたいと言ってる、と友達に聞いて、その日の夕方、彼女の家へ伺うわけです、ずーっと山奥の家で、辺りは18時というのにもう真っ暗で灯りひとつないわけです。ちょうど夕飯時で・・・、
「こんばんはーあのう、黒木君の紹介で来たんですけど」 「夕飯時にすみませんねー」・(8人は居る!みんなこっちを向いてる!汗)
家の方が・・・
「黒木さんから聞いとるとよ、あんたが大阪から来た人ねー」
「へぇーえらいまた遠いとこからねぇー疲れたじゃろー」
「まあ、そんなとこに立っとかんと上に上がらんねー」
「あ、はい!」・・・・・(これから大変な事が・・・)
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第二部 その15
オルテガさんが手に持って来たのは「お祝い金」だった、
私の前に座り・・・・・・(大きい体を動かすのにとてもしんどそう!)
「これは、今まで事務所に配達してくれたお礼や!」
「ええか、配達してた時の、あの気持ちを忘れたらあかんで!」
「店の中で料理を出すときは、雨の日に濡れながらお客さんの所に配達してた気持ちを思いだすんや、雪の日に配達してた時の冷たい手を忘れぬなよ!」
「ええか!コツコツお金は貯めるんやで、決して儲けから残そうと思ったらあかんで!贅沢せずに始末しながら残すんやで!」
「ええか!いろんな人と付き合うんや、いろんな人の話を聞くんやで、 自分の考えや意見は十年早いぞ、まず聞きながらどういう人か観察するんやために成る言葉はノートか何かにメモって残しとくや、本屋に売ってへんお前だけの、こころの本を作るや!」
言葉って凄いものですね、相手のこころに刻まれた言葉は30年経っても、昨日の事のように鮮明に出てきます。
この日から何日かしてオルテガさんは入院することになるんです。
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第二部 その14
体調があまり良くないのか、オルテガさんは寝ていた・・・。
不思議と事務所の中も前とちがって、コザッパリしていました。 ソファに座って待ってると、オルテガさんがしんどそうに僕の前に座った。
相変わらず大きな頭だった、それとビックリしたのが顔色だった、「真っ黒」になってた、あの時の私は肝硬変だと顔色が黒くなるのを知らなかったし、
「あのー顔が・・・だいぶん焼けましたね・・・」
オルテガさんが、 「そんな俺の事より、のれんわけ、してもらえるんやて、よかったなー」 「コツコツ頑張ってれば誰かが見てるんや、信用、ゆうもんは自分で掴む もんじゃないんやで、人から与えてもらうもんや!信用と書いて用事を信じる つまりや、自分の仕事を迷わず信じて働くってことや!すると誰かが見てるから少しずつ信用してもらえるわけで、これからが勝負やで!」
「それから、おまえの店に行って飯でも食べたいが、それはやめとく」
「ワシらのような人間がおまえの店に出たり入ったりしてたら、ほかのお客さんが来なくなるやろ、それともうーこの事務所にも来るな、店のオーナーがやくざの事務所に出入りしてたら誰が見てるやかわからんからな」
「その代りや、店前に祝いの花輪だけ出さしてもらうわ、」 「尼はやくざの事務所の多いとこや、開店した店は必ず上納金を取りに 来よるからな、ワシの花輪が出てたら誰もよう来んから大丈夫や!」
オルテガさんは、「ちょっと待っとき」と、言って、部屋の奥の方へ行った・・・
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