ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月21日(月) レ・ミゼラブル・コンテストの誘惑 処世訓というものを持っている人もいれば、いない人もいるでしょう。
僕のは「壊れていないなら修理するな」(If it ain't broke, don't fix it.)。壊れていないものを修理すれば、壊してしまうこともあるのです。なぜこれを処世訓としているかと言えば、僕がしょっちゅう壊れていない何かを直そうとして、壊してしまうからです。それは機械かも知れませんし、人間関係かもしれません。
「ソブラエティ一桁なんて、まだまだひよっこで、狂っていて当たり前だ」と仲間に言われてしまいました。確かにそのとおりなので、笑ってしまいました。
台風のせいか、ミーティングの参加者は少なかったものの、一人一人の時間の長い分かち合いができました。人それぞれ悩みはまったく違うものの、悩みのない人はいないという確認でした。僕は思わず「自分が一番不幸」コンテストを開いてしまうところでしたが、救われました。
2004年06月20日(日) 日曜日 こちら の記事でありますが、実は紙の新聞の上には見つかりませんでした。
僕の住んでいるところでは、地方紙以外は夕刊はありません。前日の夕刊の分と、当日の朝刊をあわせた「総合版」というのになります。当然総ページ数は少なくなるので、削られる記事がでます。この記事もそれだったのでしょう。
父が死んだあと、母は淋しさを埋めるためか様々なことを始めました。海外旅行・日本画・洋画・水泳。定年で仕事を辞め、パートにも出なくなった後は、とりわけ油絵に凝っています。今回、地元の美術展に応募し、展示されることになったというので、母と一緒に見に行きました。もちろん無料券があるからこそ美術館に入ってみようという気になったのです。
最終日でもあり、自分の絵を搬出に来たアマチュア画家の人がたくさんいました。大体は年配の方であり、女性のほうがちょっと多め。若い人はほぼ例外なく女性でした。
4月からパソコンの調子が悪くなっていたものの、我慢してあと2年は使おうと思っていました。けれどこの夕方、ついにまったく起動しなくなってしまいました。土日に作業した仕事のデータが取り出せない状態で途方にくれましたが、パーツ類を買ってきて復旧作業にかかりました。
夜、仲間と電話。終わったあと、自分がなぜAAを続けているのが、しばらく考えてしまいました。結局のところ思いつくのはあのリストです。
1.義務感。
2.楽しみだから。
3.自分にこれを分け与えてくれた人へ借りを返すこと。
4.再飲酒に対する保険が少しずつ増えるから。
一年半のサービス活動で、僕の視野は広がり、いろいろなことを知りました。知らないでいたかったことも知りました。AA外部から見たAAの姿も知りました。人は皆不完全でありますから、この共同体もまた不完全で欠点だらけのものであります。もはや「AAって素晴らしい」と無条件に信じられた頃には戻れません。
けれど僕は、いくら不完全であっても、AAを信じ愛することをやめることはできません。なぜならそれは、僕に「生きる意味」を与えてくれた存在であるからです。
例え苦しみが大きくても、そのぶん得るものも大きいと信じて、神様の照らしてくれる道を、ただ歩いていくのであります。
復旧完了は夜2時半。
2004年06月19日(土) 土曜日 朝8時に起きて、下の娘の保育参観(肉体労働つき)へ。
作業は分解されて保管してあったプールの組み立て。この作業はどぶさらいなどと比べて花形の作業であります。上の子の3年間と下の子の2年間を通じて、初めてやらせてもらいました。
睡眠不足で肩がこり、軽く頭痛がしましたが、身体を動かしているとそれも解けてきました。身体を使うのが本職の人に比べれば、やはり僕の身体は貧弱です。まあ努力していないのだから仕方ないです。
朝起きたときの思考で、いつものお決まりのパターンは「今日は保育参観も面倒だし、AAに行くのも大変だよなー」というものでしたが、最近はガイダンスに従って、毎日に感謝し生きる決心をすることにしています。今日も飲まない一日が始まるのだと。
午前中で参観は終わったので、シャワーを浴びて、AAのオープンスピーカーズ・ミーティングへ。実はスピーカーを頼まれていたのですが、保育参観と重なっていたこと忘れていたので、あわててお断りする羽目になってしまいました。
着くと「間に合ったじゃないか」と言われましたが、そこは神の配慮によって替わりに選ばれたスピーカーにお任せしました。
はっきり言って僕はスピーカーが得意ではありません。頼まれれば断ることはしませんが、それでも回数が少ないのが客観的な評価というものだと思います。でもなぜか、「ビル・ゲイツの話をしていた人ですよね」と声をかけられたりするのが不思議であります。珍しいのかもしれません。
帰りは高速道路ではなく国道を走って帰りました。信号の少ない道を走っていると、いろいろなことを考えます。
昨夜の黙想は雑念でいっぱいでした。しかたないんで、教えてもらった祈りをすることにしました。僕が黙想をするのは深夜ですから、たいていの人は寝ているに違いありません。あの人も、この人も、気が会わないあの人も、そして特にこの人も、「ぐっすり眠れているといいな」と願い、「ぐっすり眠れていますように」と祈ります。スピリチュアルな生活は理論ではなく、実践だと言います。
昔、スポンサーに「あなたのことも毎日祈っていますよ」と言われたときに、なんだかひどく照れくさかったし、宗教臭くて嫌でした。「自分のためですよ。あなたにも分かるときが来ますよ」と言われました。プログラムは自発的なもので、押し付けられるものではないとつくづく思います。
帰宅して横になったら、いつの間にか寝てしまったようであります。脳が休みを要求しているのでしょう。
2004年06月18日(金) 金曜日 地方・小出版流通センターのページを見ていたら、ASKの文字を見つけました。「ふーん、なるほどねー」というわけであります。また、地小の契約解除リストを見ていると、小出版社が倒産したり廃業していく姿を見ることが出来ます。
通いだして9年目になる精神科医へ。
「なんか薬の副作用は?」
「喉が渇くぐらいですかねぇ。でも耐えられないほどじゃありません」
「便通のほうは?」
「毎日柔便。時に下痢です」(食事中の方申し訳ありません)
「変だね。喉が渇くのは消化器官全体の働きが鈍っている状態なんです。すると便秘になるのが普通なんだけどね」
「そう言われると変ですね」
「まあ、例外のない法則はないってことですかね」
僕の病気は単極性のうつ病(大うつ病)となっていますが、双極性躁うつ病の�況拭覆修Δ良�分があいまい)という疑いもあります。
金曜日にメールでソフトを送信するという仕事の約束だったのですが、来週月曜日にしてもらいました。おかげで残業せずに済むものの、土日に自宅へ仕事を持ち帰る羽目になってしまいました。プログラムはZIPディスク1枚に収まりますが、紙の資料は何キロという重さになります。
仲間のバースディミーティングへ。17年と9年・・・。け、煙い。
どうしてAAメンバーの、というかアルコホーリクの集まるところでは、タバコの煙がもうもうと立ち込めるのでありましょうか。やっぱりみんなアディクトなのでしょう。タバコは合法で手軽に手に入る薬物であります。そして、たしなむ皆がアディクトになります。機会的喫煙者なんてほとんどいません。
そういう自分もヘビースモーカーでありました。90分のミーティングをタバコなしで耐え続けることができず、たいてい中座して吸っていました。司会やるときも、話の長い人の時に吸いに出ていました。
ある内科医に言わせると、禁煙の効果が出るのは10年後から、顕著に違うのは20年後だそうです。「だから60才の人には、いまさらやめろとは言わない」そうです。
2004年06月17日(木) ハイゼンベルク ハイゼンベルクの不確定性原理というものがあります。
位置と運動量は同時に正確には求まらないという、説明するのが面倒な理論です。
電子の位置を知ろうと強い光を当てると、その強いエネルギーで電子の進む向きが変わってしまいます。じゃあ、弱い(波長の長い)光を当てると、今度は電子の場所があいまいになります。
理解してくれなくていいです。もっと簡単にしましょう。
今、目の前にある湯飲み茶碗にお茶が入っていて、このお茶の温度が知りたいとします。
温度計を突っ込んで、赤い棒の伸びが止まったところの目盛りを読むべしと学校で教わりました。それは間違いではありません。
でも、温度計はたいていお茶より冷たいです。冷たい棒を突っ込まれたお茶は、そのぶん冷めてしまいます。目盛りの数字は「お茶の温度」ではなくて、「温度計を突っ込んで冷めたお茶の温度」です。知りたいのは「お茶の温度」だったのに・・・。
始めに温度計をお茶と同じ温度にしておけばいいんですが、その温度を測るために温度計を使ってるんだし・・・(全然不確定原理と話が違うって?)。
何を言いたいかと言うと、「人の心を外部から推し量るのは難しい」ということです。
心の中を知ろうとすればコミュニケーションが必要なのですが、言葉を投げかけると、その言葉によって人の心は変わることがあります。いや、多少でも必ず変わってしまうのでしょう。だから、言葉をかける前の心の状態がどうだったのか、知ることは永遠にできないのだろうと思います。
大体人の心は、プライドだとか不安だとかを抱えていますし、人は正直とは限りません。電子に感情があるかは知りませんが、人には感情があります。
「相手の気持ちを思いやって」と言いますが、相手の気持ちがわからないときには、温度計の暖めようもありません。僕は冷たい男であります。
amazonで色平哲郎という人の本を探していたのですが、目的の本がみつかりません。本の元になったコラムを連載していた新聞社に電話をかけて出版社を教えてもらいました。「源流の発想(風のひと、土のひと)」 であります。本が届いたら、同封の振込用紙で支払うところはAAと同じ仕組みであります。
大手流通ではなく、地方・小出版流通センター扱い の本でした。
AAの本も、とりあえず地小で扱ってもらえれば、一般の書店から注文できるのになぁーと思いつきました。
2004年06月16日(水) 形のあるもの、形のないもの 今週になって、(それなりに)中身のある仕事をしています。
家に持って帰った仕事をするのにも飽き、来るんだか来ないんだかわからない電話を待つのにも飽きて、この文章を書いています。
今週は我が家の洗濯機が新しくなりました。前のは8年半使ったところで、脱水が出来なくなりました。修理も考えたのですが、5Kgしか洗えないという不満もあったので買い換えることにしました。急な出費で頭が痛かったのですが、なんとか8Kgタイプを4万円半ばで調達することができました。前のものは騒音がうるさく、洗濯中は眠れませんでしたが、新しいものは進歩していて静かであります。
昨年6月に買った腕時計のバックライトが点かなくなりました(フィールドでデバッグするプログラマーはほぼ例外なくディジタル式を使います)。こっちは電池切れになったので、100円ショップで電池を買ってきて自分で分解・交換したのがいけなかったのかもしれません。ともかく、保証期間内に修理に出さなくては・・・。
昨年だったか、ずっと愛用してきたビジネスバッグが「ばっくり」壊れてしまいました。鞄がないのも困るので、千円でパソコンバッグを買って当座をしのいできました。しかし、営業にも行くのに、いつまでも千円のバッグじゃいかんだろう、ということで、ちゃんとしたビジネスバッグを買う許可をもらいました。
この業界、服装や髪型はむさいくせに、アイテムにはこだわる人が多いです(ノートパソコンのブランドとか)。バッグも例外ではなく、Tumiだのケンジントンだのブランド物を持っていたりするので油断が出来ません。
前のが壊れてしまったのがショックだったので、今回は耐久性重視ということで、ゼロ・ハリバートンのアルミ製ケースに決めました。多分に見栄が入っております。
形のあるものもいつかは壊れるし、形のないものにいたっては壊れているのかどうかすらわかりません。これからもいろんな事象に振り回されながら生きていくのでしょう。
2004年06月15日(火) モラル・ハザード 僕の住んでいる自治体のゴミの分別方法が変わりました。
週2回出せるのが可燃ゴミ、週1回が(プラスチック)ビニールゴミ、月に1回が資源物(新聞雑誌ビン類)、ペットボトル、埋め立てゴミ、破砕ゴミ・・・。それは変わっていません。変わったのは分別の方法です。
以前は可燃ゴミの中にビニールを混ぜると怒られていたのですが(逆も真)、可燃ゴミにしろビニールゴミにしろ、どうせ一緒に混ぜて焼却炉で燃やしていたので、あんまりまじめに分別しても意味がなかったのです。生ゴミが多い可燃ゴミばかりだと、炉の温度が上がらずに燃え残りがでるのと、ダイオキシンが出るので、一緒に燃やすのは合理的です。でも、何のために分別しているのか、誰にも答えられませんでした。
今回ビニールゴミがリサイクルに回されるようになって、今度は「ビニールゴミにリサイクルできないものを混ぜちゃだめ。他のビニール・プラスチックは可燃ゴミね」という決まりになりました。「リサイクルできるもの」の定義が「包装容器であり、水で簡単に洗っただけでキレイになるもの」だそうです。なかなか形而的です。
たとえばスーパーの袋は包装容器なのでビニールゴミです。でもビーチボールは容器じゃないので可燃ゴミです(空気の容器じゃないの?)。ペットボトルのふたは容器。マヨネーズの袋は容器だけど、水で洗っても油が落ちないので可燃ゴミ。コンビニ弁当の容器は脂っこいので基本的には可燃ゴミ、でもそばやうどん類のはビニールゴミ。子供のおもちゃは容器じゃないので可燃ゴミ。カップラーメンのフタは容器(の一部)だけど、紙で出来てるのは可燃ゴミ、アルミが使ってあるやつは埋め立てゴミ。CDは音楽の容器・・ではなくて、水で洗ってもアルミが取れないので可燃ゴミ。でもCDのトレイはCDの容器です。
ゴミを捨てるたびに「これは容器だろうか?」とか「水で洗うと」とか考えるとだんだん面倒になってきます。
結局のところ、皆が「面倒だから全部可燃ゴミに出しちゃえ」という考えになって、ゴミ分別モラル・ハザードが発生しているのでありました。
2004年06月14日(月) やっとステップ2 ミーティング。テーマは「もう一度底つきについて」。
しかしなぜか話は金銭的自立の話になりました。
祈りについてアドバイスをもらいました。
「神様。もしいらっしゃるなら、私にわかるように教えてください」
これは子供の祈りだといいます。子供の祈りは、すべての人に必要とされているものだそうです。
最近の僕は、ハイヤー・パワーの存在を感じています。信じているのではなく、感じています。その存在は生まれたときから僕と共にありました。ただ僕は、その存在を「感じること」を拒否していただけなのでしょう。
最初は僕も、AAのいわゆる「先行く仲間」を信じることにし、次いでAAそのものを信じることにし、自分にとって好ましい・好ましくない偶然を「神の意思」としてきました。ただやはり(忠告されたとおりに)、それには限界がありました。それは信仰を深めてきたわけでなく、信じたいという信念を深めてきたに過ぎなかったようです。
その時そのときの自分のステップが間違いだったとは言いません。ただ感じられるようになるまでに、ずいぶん時間がかかったなという感慨はあります。
信じている・いないという話ではなくて、共にあることを感じているのですから、もう議論の余地はありません。
人間の奥深くには、神と親密な関係を築くことでしか埋められない、心の隙間があるといいます。アルコールで埋めてきたその隙間を、その存在が少しずつ埋めてくれているようです。
仲間と一緒にいるミーティングは、僕にとって必要ではあるけれども、特別な時間帯ではなくなりました。AAの集まりも、日常の連続の一部になりつつあります。
僕は自分の欠点をハイヤー・パワーに取り除いて欲しいと願います。中には取り除いて欲しくない欠点もありますが、一生それを抱きかかえていたいという思いは薄れました。もちろん、欠点は死ぬまで残るでしょうし、欠点だらけの自分を僕は愛していくでしょう。
弱くて愚かな自分を愛せるからこそ、他の人も愛せるのでしょうから。
「やっとステップ2」といったところでしょうか。
2004年06月13日(日) よりどころを求めずに 免許更新センターに行って、運転免許の更新。
この事件 のおかげで、ゴールド免許とはお別れであります。それでも道路交通法の改正で5年間有効な免許証をもらえました。
片目が弱視で視力がないので、いつも視野検査を受けているのですが、片目で140度の視野を確保するのは難しいものです。そのせいで適性検査でひっかかっております。今回は、弱視の目(遠視)も無理やり矯正したメガネを作り、なんとか片目0.3の視力を作り出しました。実際には0.25ぐらいの視力しかないので、あとは「感」と「運」が頼りでありました。
「安全協会にご協力いただけますか?」という笑顔の質問に、
「ごめんなさい、僕お金ないんです」という返事をしたところ、笑顔が消えて能面のようになってしまいました。そう言いながら一万円札を出して、おつりをもらっていたりします。
25分の映画を見せられました。思ったよりも穏やかな内容で、「交通警察24時間」とか「緊急病棟24時間」とかいうテレビ番組のほうがよほどショッキングであります。あと25分は講義の時間で、道路交通法の改正の話が主でした。飲酒運転関係の罰則も点数もずいぶん重くなりました。飲酒運転は、偶然の犯罪とは違って「故意犯」であるから、厳罰で臨むのだそうです。実際それで件数は減っているので、抑止効果はあるのかもしれませんね。
病院メッセージの輪番の日だったのですが、そんなわけで休ませてもらいました。自分がいなくても物事が動いていく安心感を感じます。でも本音を言うと、ちょっと淋しかったりしますね。まあ、贅沢を言えばキリがなしです。
AAも僕の人間関係も変化を続けています。変化を続ける流れに逆らって泳げば、疲れ果てて人生はすぐ終わってしまいます。絶対的なよりどころを求めずに、ありのままの自分を養っていきたいと思います(センターで暇だったので孟子を読んでいました)。
2004年06月12日(土) 面付け大間違い こんどのラウンドアップのflier(チラシ)の印刷が仕上がったと印刷屋から連絡がありました。早速取りに行きまして、刷り上ったチラシを見た瞬間、自分のミスに気がつきました。
B5版4ページを、B4版一枚の表裏に印刷し、中央で折って4ページのチラシを作る手はずになっています。
○数字をページ番号だとすると、刷り上りは表|�´◆叩⇔◆鱈��ぁ辰箸覆辰討い泙靴拭�それは僕がそう指定したからです。
本当は|�き 鱈↓�|というふうに面付けしないといけません。これを折ると|� 鱈↓�|�ぁ辰箸いΕ船薀靴�完成します。
しかし|�´◆鱈��ぁ辰箸いμ棉佞韻世函�横書きなのに表紙が右に来て「左開き」になってしまい、さらに|� 鱈��ぁ鱈◆辰箸いκ僂淵據璽弦柔�になってしまいます。
あまりのショックに、8,300円という概算見積もりが、10,600円と二千円以上高くなっているのに、苦情一つ言わずに帰ってしまいました(紙の値段が違っていました)。
さーてどうしたものか? と悩んでいても答えは出ません。刷りなおしたほうが良いか、このままでいいか。
言い訳は山ほど浮かんできますが、5分で済む面付け確認をしなかった理由にはなりません。
幸い、土曜日の晩で実行委員会の何人かがミーティング会場に集まる予定になっていたので、そこへ持ち込みました。
「良く出来てるじゃない」
「一つ問題があるんですよ」(もったいぶり)
「なになに?」
「・・・・・」
「わかんないよ」
「折ってみてください」
「あ、判った」
「間違えちゃって、すみません」
「いいんじゃないの、こういうものだと思えば」
「そうよ」
そうですか「こういうもの」ですか。何週間もかけて作ってくれた原稿を、印刷に出すときに間違えてごめんなさい。
仲間は許してくれました。仲間だからこそ許してくれたのでしょう。仲間は許さないといけないのだそうです。だって仲間だから。
今回はそれに甘えておきます。
お手元にページ順のおかしなチラシが届きましたら、笑ってやってください。
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