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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年10月10日(月) 変化 妻が入院して4日。変化があるといえばないことはありません。
まず本人は夜9時消灯、朝7時起床・ラジオ体操という、(普通の人だったら当たり前かもしれないけれど)慣れない生活リズムについて行くのが精一杯といったところ。食事は3食普通に食べて、間食を一切しないという生活になっています。
子供たちはジジババの元で、夜9時には寝るという生活になじんでいます。長女は保健室登校を続けていますが、1時間か2時間は教室で過ごすことも増えてきているとか。今週の金曜日は授業参観&PTA懇談会であります。仕事を休んで学校へでかけるつもりです。
もっとも変化がないのが僕の生活でしょうか。
金曜の送別会でどっぷり疲れたので、この週末は肉体的にも精神的にも疲労回復のためにあてられてしまいました。昼間起きているのは最低限で、後は寝ていて、夜になって活動するというパターンになってしまいました。
でもこれからは、子供を病院に連れ行ったりする役割が僕に回ってきます。仕事を休んでというわけにはいかないので、やっぱり朝から活動しないといけないでしょう。本社からも呼び出しをくらっていますが、これもやっぱり朝からでかけないといけません。
僕もこれからは生活リズムを正常人と同じにしていかないといけないのであります。
それにしてもニュース検索に変な記事がひっかかっています。オールアバウトジャパンからは「ネコを外に出すこと」、なぜか富士物流の「先進自動車」の話題。前者はネコの「薬物中毒」、後者は「アルコール検知器」のアルコールと、「メーカー依存」の依存がキーワードのようです。まあ、あまり神経質にならずにおおらかに読んで頂きたいです。
そういえば、ニューヨークGSOのウェブサイト(www.alcoholics-anonymous.org)が見ることができない状態が続いています。DNSで引けないというのはどういう事態なのでしょうか。これについて情報を持っている人がいたら教えてください。
ところで、セキュリティの問題から「いつ」とは言えませんが、ieji.orgを置いているレンタルサーバーも期限が切れます。最近は国内でもレンタルサーバーの値段が下がってきているので、<今度こそ>国内に移転しようと思っています。
現在契約している会社になにか問題がある訳じゃありませんが、ヨーロッパ経由、あるいは南米経由で無意味なアクセスに継続的にさらされています。悪意でやっているのか、どこかほかへの攻撃のとばっちりをくらっているのかは不明ですが、あまり気持ちの良いもんじゃありません。
いろいろと面倒なので、この際だからサーバーを移転してから対策しようという考えです。IPアドレスが変わるので、DNSレコードが更新されるまでの間2〜3日間はアクセス不能になるかもしれませんが、事前にご案内をしますので、ご心配なく。
なお、日記と掲示板は国内のサービスを使っているので、移転はしません。
2005年10月09日(日) うう、寒い 妻が入院して、子供たちはジジババの世話になりに母屋に移っていきました。僕も風呂と食事は、それから衣類の洗濯は世話になることになります。
アパートでは炊事も入浴もしないので、温度がその分上がらないのでしょう、寒々しく感じられます。
会社の送別会の後、前の会社からの同僚何人かで集まって話をしたのですが、どうも今の会社は「出世も、より多くの収入も望まない、現状維持で良い」という人間を快く思っていないようで、激しくプレッシャーをかけてくるんだそうであります。まあ、経営側としては、現状維持で満足という人間が多数を占めてしまうと、会社の発展が望めなくなってしまうので、会社人間(ワーカホリックといってもいいかも)が多くを占めてほしいのでしょう。
僕はコンピューター・プログラマーという点では専門職であるのですが、それとて今の会社では特別なスキルではなく、専門職にとどまるためには例えば博士号を取ったぐらいの数学屋であるとか、高周波回路の設計ができるとかのスキルが必要で、せっかくぺーぺーにまたなることができた僕にも、部下の管理だとか、そういうストレスフルなことが頭の上に降ってくるのもそう遠い未来ではなさそうです。
それにしても寒いな。
2005年10月08日(土) 魂の持ってきどころ 何年か前にAAにつながったあと、ふとしたことでAAを離れてしまい、ガンで余命何ヶ月と宣告されてAAに戻ってきたメンバーがいました。
余命何ヶ月という状況にもかかわらず、彼は働いていました。「無理しなくても」と言うと、「働かないと生活していけない」という答えが返ってくるのでした。抗ガン剤を打つために入院し、しばらくすると退院してまた働くの繰り返しでした。平日は働いてくるともう外出する体力も気力もなく、週末に奥さんの運転する車に乗せられて、土曜のAAミーティング会場に現れていました。お子さんが大学を卒業するまであと何年、俺は死ねないんだ、といって医者の宣告した時期を超えて彼は生きながらえていきました。
僕は自分のことが忙しくなり、土曜日のミーティングに出かけることも滅多になくなりました。
先日、ふと思い出して、その人のメールアドレスに「おそるおそる」というタイトルでメールを出しました。550エラー(メールアドレスが取り消されている場合)でメールが返ってくることが恐ろしかったのです。
返信はエラーメールではなかったものの、奥さんからで、ご主人が昨年の3月に亡くなったことや、先日納骨を済ませたこと、そして二人でAAに通った頃の思い出が書かれてありました。僕は「二度と会えない人」がまた一人増えたことを知るのでした。
ガンを宣告されてAAに戻ってきたのは、僕の知る限り彼が二人目です。
なぜ戻ってきたのか訪ねてみたのですが、二人とも感情のスリップを口にしました。
AAメンバーは、たとえAAから離れて暮らしていても、死を目の前にしてAAにもどってくるようにできているのじゃないか。そんなふうに想像してみたりします。
2005年10月06日(木) 妻の入院 妻の入院が決まりました。明日からだそうです。
準備は万端整っているので、特に前夜だからといって騒ぐわけでもありません。
最初に入院を口に出した義母(妻の母)は、今となっては入院に反対で、「できることなら入院せずにすますことはできないか」と言っているそうです。まあ、一時の感情で入院を口に出してみたものの、それから1ヶ月はたったでしょうか、人の気持ちだって変わって不思議でありません。
妻の調子も特にそのころより悪くなっていると言うことはないのですが、いつもかかっているクリニックの精神科医とは別の医師に処方を見直してもらったり、家事育児から離れて休息を取ると言うことも必要ではないかと思っています。
大学病院では、平均滞在日数を45日にするという目安があるそうなので、2ヶ月入院しているということはおそらくないでしょう(症状が改善しなくても退院させられちゃう)。
精神医療でも「セカンドオピニオン」を取ってみるということは必要だと思います。
さて、楽天ゴールデンイーグルスの監督就任が確実な野村克也監督。
僕は野村監督がヤクルトスワローズを率いる前からのスワローズファンでした。スワローズは確かに弱い球団でした。8月になって応援団長が「残り試合全勝すれば優勝できます」なんて叫んでいるような球団でした。いつもホエールズと最下位争いをしている弱さが好きでありました。弱将関根潤三は、ホエールズもスワローズも率いたことがありました。関根さんの野球解説は今も好きです。
「野村監督はんたーい」と神宮球場の外で酔っぱらいながら叫んでいた自分を思い出します。
スワローズにやってきて1年目は5位でした。3年目に優勝。翌年からは隔年で優勝して日本一になります。ヤクルトが優勝しないときは4位で、巨人が優勝。巨人を率いる長嶋監督がベビーフェイスなら、アンチ巨人の象徴としてヒール役を好んで演じてセ・リーグを盛り上げました。また日本シリーズでは、同じ捕手出身の森監督と激突。
勇退といってもいい形で監督業を廃業するかと思われたものの、阪神の監督を引き受けて周囲を驚かせます。
でも阪神では3年連続最下位。いつのまにかヤクルトファンから野村ファンになった僕は、3年間だけ阪神ファンをやりました。それがなんとなく有名人になった夫人の脱税問題で、引責辞任とは。
でも、野村監督は公の場で夫人の悪口を言ったことは一度もないです(僕の記憶にある限り)。「自分には過ぎた妻です」と言ってはばからなかった。
僕もみならって、妻のことが仕事に影響して云々などという言い訳をしないようにしようと思うのであります。(すぐに弱音が出そうですが)。
いくら野村監督でも楽天を3年間で優勝がねらえるチームにするのは無理だと思いますが、来年からはじっくりと応援させて頂こうと思っています。古田プレイングマネージャーも面白そうですが、まあ彼も監督としては新人ですからね。
おおっとその前に、シダックスの社会人日本選手権が残っています。志田会長の恩義に報いるためにも、是非優勝してほしいです。
2005年10月05日(水) 10 years ago (4) 〜 手遅れだと言われても、口笛�... 10 years ago (4) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃
上司と面接をして、上半期の業務目標の達成度を評価しました。といっても目標は僕のいないときに設定されたものですし、上司も僕の能力を測りかねていたでしょうから、かなりいい加減な目標であります。でも評価は下されなければなりません。
きっとこれが冬の賞与の査定対象となるのでしょう。僕の現在の立場は、時給のパート職員とほぼ同じですが、パート社員にも賞与が出る会社なので、はっきり言って僕はわずかな額でもいいから賞与が出ることを期待しています。そして、出なかったらすごく恨むんだろうな、会社とか自分の境遇とかを。
年内にはフルタイム勤務に復帰したいという話をしましたが、「まあそう急がなくても」と言われてしまいました。でも、年内ぐらいには復帰しないと貯金が底をつきます。
仲間のバースディ・ミーティングの後、実家へ。母親は海外旅行に行くので、来週は不在だよと教えられました。行き先は敦煌だそうです。これで何回目の海外なんだか。これもアル中である息子が腕時計もなしに東京から帰ってきて、アルバイト代が入ったと言っても家にも一銭も入れずに偉そうに腕時計を買い、そしてその懸賞で海外旅行を引き当てたというところから始まったものであります。当たったのは一人分だけ。「海外なんざ仕事で行くようになってやるぜ」と息巻いていた息子はそれを親に譲り、田舎者の農夫夫妻は一生縁がないものと思っていた海外旅行の代金を折半して出かけていきました。行き先はアメリカ西海岸。
月夜のグランドキャニオン上空をヘリで飛んだり、サン・ディエゴの海軍基地を眺めたり、貧しいメキシコの街を訪れたりして、海外旅行が大好きになった夫妻は、次からは全額自腹で出かける計画を立てます。パリを旅して、ショーボートでリチャード・クレーダーマンの生演奏を聴き、ブルゴーニュのワインを飲んだ父は、もう一度フランスを、パック旅行ではなく個人旅行で訪れようとフランス語のラジオ講座を聴きながら、ブドウの選定にせいを出していた10年前。
父がいなくなって一人旅はつまらないと言いながら、スペイン・イタリア・ギリシャ・揚子江・治安定まらぬカンボジア・カナダ・・・とすっかり旅行好きになってしまった母であります。
さて10年前。
スリップ(再飲酒)の繰り返しというよりは、酒の切れている日のが少なくなっていたあのころ。僕は妻になる予定の女性を伴って、AAミーティングに出かけました。AAメンバーの、特に若い主婦のメンバーに「初々しい」などと冷やかされつつ、なんだかよそ行きのミーティングをしました。
あのころは正直さなんて必要だなんて全く思っていなかったので、墓場まで持って行きたいことをわざわざ選んで話すこともありませんでした。しかも、自分でも「それほど酷くない」と思っていた経験談を2〜3織り交ぜて短い話をしただけのつもりだったのに、妻になる女性からは「すごい過去を持つ男なのね」と真顔で言われてとまどってしまいました。
AAミーティングにも「趣味で通っている」のだと思われてたようです。それは僕のミーティングに対する当時の態度をよく示しているのかもしれません。
やがてミーティングから足が遠ざかりました。
二日酔いなのか、禁断症状なのかはわかりませんが、朝に無理矢理起きてみても、手が震えて、吐き気と頭痛がして、激しく下痢をしているような状態で、とても車に乗って通勤などできませんでした。しかたなしに親に駅まで送ってもらい、電車とタクシーで会社に現れていました。帰りが大変だろうと同僚が車で送ってくれたのですが、明らかに酒で仕事ができなくなっている状態であるにもかかわらず、途中の酒屋の前で止めてもらって、酒を買い込んでくる僕を驚きの目で見つめ、「もう二度と君は送ってあげない」と宣告せしめたのも、この頃でした。
自分の部屋で布団に潜って酒を飲んでいると、ふと時計が目にとまります。ああ、この曜日のこの時間。今頃みんなはいつもの教会でミーティングをやっているんだろうなぁ・・・。そのことに気づくと、みんながしかめっ面して話をしているときに、「俺は飲んじゃってるんだもんねー、えへへー、いいだろう、うらやましいだろう」とあざけりの気持ちが浮かんできました。しかししばらくするとその気持ちは、「俺は何で飲んじまっているんだろう。みんながあそこに集まっているのに、どうして俺は一人で孤独にここにいるんだろう」という孤独感に変わっていきます。やがて、「もうどうにでもなれ」という気持ちになって、意識を失うまでがぶ飲みを続けるのでありました。
「徹底的にわれわれのやり方に従った人で回復できなかった人を、われわれはほとんど見たことがない」
まるで回復できないのは、回復できないやつが悪いんであって、AAのせいじゃないもんね、とでも言いたげな文章です。「そこまでやらなきゃ回復できないんだったら、回復なんていらねーよ」というのが僕の正直な気持ちでした。「そんなやりかたで回復したって、きっとうれしくないよ」。酸っぱいブドウの論理で自分をなぐさめるしかありませんでした。
ひいらぎに「飲まないで生きる」生活が与えられるのは、まだ半年以上先の話です。
(この項、続きません)。
2005年10月04日(火) アルジャジーラ・めがね・降り続く雨 またまたニュースをチューニングしてみました。
ひとつはライブドア・ニュースを検索対象に加えたことです。これは「ライブドアがアルジャジーラのニュースを配信する」というニュースを読んで、見に行ってみたところ、他にはないニュースを配信していたところから検索対象に加えてみようと思った次第です。実のところは、ライブドアに対するニュース配信を打ち切った新聞社・通信社が多いらしく、ライブドアとしては独自のニュース源を増やして差別化を図る必要があったということらしいです。
ただ、ライブドアのニュース検索は、「○日○時○分」という形式でニュース配信時刻を表示してくれるので、何年の何月なのかわかりません。あまり古いニュースはないみたいなので、年がわからないことはないのですが、何月のニュースなのかは「適当な推測ルーチン」をでっち上げているので、実際にニュースを読んでみると何ヶ月かずれているということはあるかもしれません。
もうひとつは、72時間以内のニュースをまとめた「新着」というジャンルを作りました。これは4つの検索対象すべてについて、72時間以内の日付時刻がついているものをまとめたものです。毎日このページを読みに来ていただいているのに、検索結果はあまり変化しないので、新着だけ見ればいいように作ってみました。
どっちにしても、完全に「他人のふんどしで相撲を取る」という技ではありますが、検索プログラムもこまめにチューニングが必要なので、まあそこらへんにオリジナリティを感じていただければと・・・いいわけですね。
さて「二萬円堂」には確かに値札がなく、どのような組み合わせでも2万円+消費税という値段でありました。セルフレームのめがねといっても、最近の流行のものは、レンズのサイズが小さく横長であります。もちろん流行とは無縁の僕は、PSY'Sの『私は流行、あなたは時代』を口ずさみつつ、古くさい大きなセルフレームを選択しました。といっても4種類しかなく、選択に時間がかかったのは、どれもあまり気に入らないからでありました。
できあがるのに20日間いただきます、という店員の言葉にも怒りを覚えず、別に急いでいないからいいですよと言って2万1千円支払って帰りました。
めがねを購入しただけでも、運勢が変わり始めたのか、帰宅すると妻が、大学病院から電話があって木曜日に入院できるという話を伝えてくれました。しかし木曜は長女の耳鼻科の日であるため、入院の日を金曜か、来週のはじめにずらせないか交渉中だそうであります。僕としては、耳鼻科には僕が仕事を休んで連れて行けばいいから、一日も早く入院して欲しいのですが、もう妻が病院に電話してしまっているので、変えようもありません。
風呂と食事をすませ、頭痛がするので鎮痛剤を飲んで寝て、起きると10時半でありました。皆でテレビドラマを見ているので長女が寝たがりません。子供は早く寝かさなくてはと思うものの、テレビの前から子供をひっぺがして、布団に連れて行く気力が出ません。まあ、こうやって母子でテレビを見るのもあと数日かと自分を無理に納得させて、今夜は添い寝はなしになりました。
最近僕は、うつに対して有効な治療法を発見しました。それは適度な運動と、十分な睡眠です。昼夜逆転の生活はやっぱり心にも体にも良くないようであります。結局常識が正しかったと認めるのに長い年月を必要としただけのことであります(頑固な自我というやつがじゃまをして)。
といいながら、一度寝てしまったので、なかなか寝られずに夜更かしをして、雨が降り続く明け方に寒さで目が覚めてしまいました。毛布一枚では寒いのですが、掛け布団は3階の押し入れの中です。面倒くさいのでそのまままた寝たら、起きたときにはすこし風邪気味になってしまいました。
先週の水曜日よりはかなり具合がいいです。うつにも波があるし、人生にも波がある。今日は仲間のバースディであります。
2005年10月03日(月) めがね ニュース検索をチューニングしてみました。
具体的には、「急性アルコール中毒」が引っかからないようにしたのと、ある種のキノコがアルコールの分解を抑制して云々という記事が混じる対策、あとメチルアルコール中毒についてです。「依存度」という言葉を排除することで、経済記事の混入も防ぐように・・・なっているといいな。
急性アルコール中毒も広く考えればアルコール問題ではあるのですが、とりあえずアルコール「依存」の問題と、自助グループ関連にフォーカスしておきたいので、除くことにしました。薬物依存関係の記事では、自衛隊の記事があっちこっちに散見されてうんざりです。検索エンジンがキャッシュしたときにはトップ記事だったので、ページに混じり込んでいたのでしょうが、現在見に行っても「薬物」の薬の字もなかったりします。
ネットオークションで不要なものを落札してしまいました。入札して値段をつり上げて遊んでいるうちに、自分が落札者になってしまうというまさに「自業自得」のパターンであります。ネットオークションといえども商取引なので、一方的にキャンセルすれば契約違反になってしまいます。泣く泣く買うのであります。
「値段をつり上げて」どこが面白いのかというと、自分が落札者にならない範囲で、他人により多くの支出をさせるというところにギャンブル性があるからでしょうか。
僕は長いことセルフレームの黒縁のめがねをかけてきました。縁が太く、丸いやつです。これは顔の部品としてとても目立つので、セルフレームのめがねは僕のトレードマークのように人々の記憶に焼き付いて、顔を覚えてもらえるのでありました。
しかし、セルロイドは紫外線によって劣化します。最初は柔らかく弾力があったセルロイドが次第に堅くなっていきます。曲げに対して伸縮せず、細かな亀裂を生じさせて曲がるようになります。そして金属疲労で金属が折れるのと同じように、たいして大きな応力でもないのに、セルロイドは亀裂からぽっきりと折れてしまう日がやって来るのであります。
このようにして定期的にめがねを買い続ける生活をしていたのですが、昨年後半にめがねが恒例に壊れたときに、ついに妻の堪忍袋が切れ「セルフレームのめがねは(定期的に壊れるので)まかりならぬ」というお達しがだされ、金属フレームのごっついめがねが新調されました。しかし、ごっついだけあって重く、とっても疲れるので、もう一度だけめがねを作り直すことにしました。
そのときも「セルフレームはだめ」という理由で、現在の金属フレームのめがねに落ち着いたのですが・・・。
思えば、あれからロクなことがないなぁ、と思うのであります。
僕は縁起は担がないけれど、げんは担ぐタイプなのであります。というわけで、明日は2万1千円を握りしめて「にまんえんどう」という名前の眼鏡屋さんにいってみようと思うのであります。もちろん、セルフレームのめがねを買うのであります。ああ、自己中。
2005年10月02日(日) 日曜日 一応午前中に起きました。
長女が『はじめての「ぬう」と「あむ」』という本をお気に入りで、何か縫ったり編んだりしてみたい年頃のようです。昨日は外出のついでに布と糸を買ってきました。が・・・、男親に絹糸と木綿糸の違いがわかるはずもなく、今日は交換にお出かけしていました。
「30周年でひいらぎの具合が悪いって聞いて電話してみました」という電話をいただきました。なんのことはないパソコンのサポートであります。「Windows98にシステムの復元の機能が見あたらない」という話でしたが、システムの復元が組み込まれたのはMeとXPからなので、素直に諦めて頂いて、リカバリーCDで復元して頂くしかありません。
紙の新聞を取らなくなって1年あまり、「やっぱり紙の新聞が読みたい」と唱えていたら、母屋から義父母の読み古しの読売が届くようになりました。特定のニュースを追いかけるには、Yahoo!ニュースなどで検索するのが一番てっとりばやいのですが、世の中全般を見渡すには、やっぱり紙の新聞の閲覧性というのが効いてきます。
産経新聞の新サービスは東京朝刊の紙面が月額315円で読めるというもの。Flashでニュースを配信するというのが目新しいところです。これなら仕事時間中に読めていいかなと思います(いいのか?)。
データがFlashだとすると、コピーしたり、再配布したりできそうな感じですが、そこのところがどうなっているか、契約してみないことにははっきりしません。
ヤクルト古田監督というニュースも気になりますが、やっぱり野村克也が楽天を率いるのかどうか、気になるところであります。
子供たちとまたよく風呂にはいるようになりましたが、頭を洗いたがりません。面倒だというのであります。これから年頃になる女の子が、何日も頭を洗わないのはどうかと思うのですが・・・。
2005年10月01日(土) 色紙 10時半に起き、疲れがとれていないので、もう一度寝て起きると午後4時でした。
すでに子供たちは2回おでかけした後でしたが、もう一度誘って街へ出ました。
お目当ては一番大きな文房具屋さんです。
仲間のバースディのための色紙作りの材料を買いに出たのでした。
僕は1年・2年・3年と一昨年、今年と色紙をもらいました。
でも仲間の色紙はあまり作ったことがありません。
あっちこっちのミーティング場にでかけるよりも、決まったミーティングに欠かさず出ることを信条としていますし、あまりAAのイベントにも出かける方ではありません。だから仲間の色紙を抱えて、寄せ書きを集めて回るのはあまりやったことはありません。
字も下手だし、イラストが描けるわけでもなく、レタリングも下手です。だから、なるべく色紙作りは回避してきたのですが、今回はお鉢が回ってきました。
ICトーンでレタリングをしながら、はたしてこれは「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ作業」なのかどうか、ちょっと考えました。しばらく考えても結論は出なかったので、あまり難しいことを考えるのはやめて、色紙のデザインに集中することにしました。
夜は家族でお祭りに出かけたのですが、日中に一時間以上歩き回った僕は疲れてしまい、仕掛け花火の点火を待たずに、ひとりで先に帰ってしまいました。
まあ、ともかく太ってしまった妻を連れ出して「歩くこと」「子供と一緒に過ごす時間を取ること」「少しでも睡眠時間を多く取ること」そんなことを心がけていきたいです。
できあがった色紙は人工的な要素が多くて暖かみに欠けるような気がしましたが、あまり自分の能力に過大な期待を寄せるのはやめ、まずまずの出来だという結論にすることにしました。
2005年09月30日(金) 9/30 無理に学校に行かせる必要はないだろうということで、長女は学校を休みました。
どんなときにもマイペースの次女は、普通に通学していったそうです。
僕はといえば睡眠は十分とれているはずなのですが、肩こりや腰の痛みが残って、睡眠不足を感じさせます。お昼前に、仕事を休もうかどうしようか迷っていると、学校から電話がありました。保健室の先生からで、午後だけでも保健室登校しないかというお誘いでありました。
そういえば金曜日で、アラノン・ミーティングが昼間にある日であります。でも妻は乗り気ではありません。
僕は仕事に行きたくないし、長女は学校に行きたくない、妻はアラノンに行きたくない。でも、3人で家にいても仕方ないので、それぞれ出かけることにしました。
僕は職場に着いたものの、腹痛がおさまらず一時間もしないうちに早退することになってしまいました。気がつけば半袖のワイシャツを着ているのは自分一人です。今度から長袖のシャツに替えなくては。
家に帰っていると、妻が帰ってきて「私は一生懸命アラノンに行ったのに、あなたは途中で帰ってくるとは何事であるか」と責められてしまいました。そこへ長女がおなかが痛いと言いながら飛び込んできました。
学校では痛くなかったそうなのですが、家を目前にしたところで、急におなかがキリキリと痛み出したのだそうです。
本人の希望で正露丸を牛乳で飲んでみたものの、痛みはいっこうに治まりません。おまけに、日曜日に救急病院でもらった痛み止めまで飲んでしまいました。
聞いてみると「キリキリ」と胃が痛むと言います。僕は子供の頃から30代まで神経性胃炎に悩まされましたので、この症状はよくわかります。正露丸ではなおらないので、胃痛の薬をさがしてみましたが、手元にあるのはみな15才以上という指定の薬ばかりです。
大きな薬局に行って探してもらった、やっと5才以上という薬を見つけました。胃が痛くても食欲はあって、暖かいものが食べたいというので、家族でうどん屋に行くことにしました。
妻はアラノンに行っただけで「疲れてしまった」と言って、今夜の風呂はなしと宣言して、夕方早々に寝てしまいました。僕も体調が悪いので横になったのですが、夜になって起き出して、子供たちを風呂に入れて、寝かしつけました。
長女に添い寝(といっても寝るまでの間だけだけど)は、今週は水曜を除けば毎日続けています。寝る前にパパがしてくれる、とってもいい加減なおとぎ話みたいなものを長女はとても楽しみにしてくれます。
ともかく、こうして週末へとなだれこみました。
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