心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月16日(月) 水難?

会社から自宅のパソコンの状態をチェックしてみたら、CPU温度が90℃ぐらいありました。本来ですと無負荷の状態なら、50数℃が正常値です。そういえば最近無負荷なのにCPU温度が70℃近くまで上がったことがあって、気になっていたのですが忙しさ(?)にかまけて(というか怠けて)ほったらかしになっておりました。
自宅の室内ではアラーム音がうるさく鳴り響いていることでしょう。90℃ともなると、中を循環している冷却水の気化が始まって圧が上がっているはずです。このまま上昇を続ければ、また年末年始みたいに漏水事故を起こしかねません。とりあえずリモートから打てる手段はシャットダウンだけです。
仕事を終えて、AAミーティングに出て、夕食を済ませてから帰宅すると9時半ごろでした。
パソコンの電源を入れてみると、まったく水が循環せず、すぐにCPUが100℃を超えて緊急シャットダウンしてしまいました。また水が足りなくなってキャビテーションが起きているかと思って水量をチェックしてみますが異常はありません。
あんまりミーティングのあった夜にするべき作業じゃないなと思いながらも、ウォータージャケットをCPUから外して分解してみました。水の中を回転するローターには金属ゴミが付着し、ジャケット内の水には埃が混じっています。でも通電してみればちゃんとローターは回っています。ジャケットを水で丸洗いしてみたり、ラジエーターまで分解してみたりしたのですが、2時間半後にわかったことは、理由ははっきりとは分からないものの、なんとなく水の循環をするのに抵抗が大きくて、ポンプの力がふそくして水をただかき混ぜている状態になっていることです。
どこからか埃が入り込んで、ラジエーターが目詰まりしてしまっているのだろうと想像しますが、確信はありません。ただはっきりしていることは、購入後10ヶ月目でCPUの水冷システムは埋め立てゴミになり果てたと言うことです。自分で分解しているのでメーカー保証も効きません。
それから9月の引っ越しでどこかへいってしまった空冷のファンを探し出してきて取り付けるのに1時間。

さて寝ようと居間へ上がってきてみると、雨が降っていて干しっぱなしだった洗濯物が濡れていました。
1万円以上した水冷システムが1年持たずにゴミになり果てる。頭に来て当然なのかも知れませんが、トラブルも含めて楽しめるようでなければパソコンマニアはやっていられません。「今年は水難の年だな」と思いながらも、昨日のプールは無事済んだからよしとしようかと自分に言い聞かせるのでした。

雪で車がつぶれた仲間からは保険で修理がきくという連絡を頂きました。
NFLではピッツバーグ・スティーラーズがコルツを破っています。ロスリスバーガーはモンタナ以来の天才ではないかと思ったりします。あと2週間で野球のプレシーズンが始まります。


2006年01月15日(日) five miles square is filled with fog

これがブログならトラックバックするところなのでしょうが、あいにく日々雑記はブログでないので、リンクできません。五里霧中という成句については こちら を参照してください。

市民プールで4時間も遊んでしまいました。おまけにまた来月遊びに行く約束もしてしまいました。子供たちは半額の割引券を持っているし、僕は障害者手帳で無料にしてもらっているので、それほど高くつく予定ではないのですが、中でラーメンを食べたり、お風呂の後にアイスクリームを食べたりしていると、財布の中身も体力も結構消耗するのでありました。
子供と遊ぶのは無駄だとは最近思わなくなりました(以前は時間がもったいないというのが正直な気持ちでありました)。娘たちが父親と喜んで遊んでくれるのも後何年かでしょう。そのうちに父親の下着は別の洗濯機で洗ってくれと言うようになり、口をきけば「金をくれ」ということになるのやもしれません。

最近断酒系の掲示板の投稿数が、以前と比較して減ってきているような気がします。
実際に数値を比較しているわけじゃないですが、以前だったら投稿数が多くてROM(読んでるだけの参加)すらできなかったところが、とりあえず毎日の投稿を追っていけるようになったというあたりが根拠だったりします。

その理由はやっぱりブログの流行なんだろうなと思います。
ブログを配信しているアルコホーリクは1年前、2年前とくらべてとても増えました。しかし、人間の持っている時間は有限であります。すると、あるところに文章を書けば、別のところに書く時間がなくなるわけであります。自分のところの更新をまめにしようと思えば、人様のところに書く量は減らざるを得ないのではないか・・・そんなことを思うのであります。
別にそれが良いことだとも悪いことだとも思いません。

人様のブログを過去から現在に向かって継続的に読んでいくと、つくづく「ブログというものはリアルタイムに読むものだな」と思うのであります。なぜかを説明するのは難しいのですが、日記と違ってブログにはトラックバックやコメントというダイナミックさがあり、その楽しみは後からまとめて読むときには伝わりにくいもののような気がします。

明日からは1時間だけですが午前中の勤務が復活します。休職してから1年間、長い道のりでありましたが、振り返ってみれば1年なんていつでもあっという間であります。


2006年01月14日(土) 囚われているのか?

お腹を下しています。ゲリピーというやつであります(食事中の方すみません)。
以前は、こうしょっちゅうお腹を下すのは、過敏性大腸炎(つまりストレス性)であり、自分の生活がとってもストレスフルで、大変な人生を歩んでいるかわいそうな奴なんだと、自分を慰める材料にしていました。
最近になって、過労気味になるとお腹を下してしまうという因果関係がだんだんはっきりしてきました。若くないくせにたいした運動もせず、体力が衰えているのに無理をすると、すぐに過労になってしまいます。だから別に仕事が(極端に)大変だというわけではありません。
夜中にNFLのポストシーズンの試合を見ていたりするのがいけないのでしょう。
体が疲れていても、パソコンの前に座ると、血圧が上昇しアドレナリンが分泌されて「戦う自分」になってしまいます。だからよけい疲れます。それが証拠に、ノートパソコンが壊れた日の翌日は、さわやかな目覚めでした。
お腹を下していると、体重が急降下するので良いなどと言っていられません。過労でダイエット。そういえば中島らもが「病気でダイエット」を唱えていましたっけ。

疲れていると、コタツでのお昼寝がとっても気持ちが良いです。ぐっすり寝てしまうと、体のあちこちが痛くなるので要注意です。熟睡せずうとうととしているのが何とも気持ちよいのであります。

ひさしぶりのうたた寝だったので、そのまま寝ていたかったのですが、夕方になり地区委員会へ。もう役割は降りているので発言すべきことはあまりないはずなのですが、つい口を出したくなる自分がいます。ミーティング案内地図の増刷の計画を相談。

パソコンが(ソフト的に)壊れたらしいので、治し方を教えてくれと頼まれたので、それに使うためにノートパソコンをウルトラベースごと持って行きました。が、その人は欠席だというので、理由を聞いてみると、カーポートに積もった雪に、今日の暖かい雨が降り注いだおかげで重くなり、カーポートがつぶれ、下にあった新車のマークXもつぶれてしまったとか。
自動車保険には詳しくないのですが、こういう場合に保険金が下りるかどうかは微妙かもしれません。車両保険といっても、全部の損害を担保してくれるわけでなく、車の衝突(事故)についての損害だけという種類もあります。車が盗まれたとか、火事にあったという場合は、保証の範囲外というわけです。全損害担保という種類なら安心ですが、今回の大雪のような大規模の天災の場合にはダメという条項もあります。さらに、カーポートの雪下ろしをしなかったのは、善良なる管理者の注意義務を守っていなかったという主張が出るかもしれません。
仲間のこれからの難儀を思えば、ノートパソコンの重さをぶつぶつ文句を言ってはだめだと思い直しました。

明日は子供たちと市民プールであります。

ブログ アルコホリックの生活 を読ませていただいています。


2006年01月13日(金) 腕時計

去年十月に本社に出張した際に、腕時計をなくしました。
僕は会議中とか、パソコンを打っている時には、腕時計を外しています。だから、会議室に忘れてきたのかも知れませんし、上着のポケットに入れておいたのを駅のトイレに寄った時に落としてしまったのかも知れません。
いずれにせよ、気が付いたのは帰りに町田の駅まで来てからでした。どこにあるのかもわからないものを取りに帰るのは面倒だったので、そのまま帰宅してしまいました。
パソコンは(電源が入っていれば)時計をいつも表示してくれるし、車のメーターの中にも時計はあります。携帯電話も時計を表示してくれています。車のメーターはいつのまにか1分か2分進んじゃっていることがあるのですが、まあ遅れるよりはいいでしょう。
パソコンの時計は、設定さえ適切ならタイムサーバーと同期して、時刻表示はいつも正確です。ちなみに英語の timeserver には「日和見主義者」という意味があるのだそうです。携帯電話の時計は、cdmaOne/2000の仕様上GPSを使って同期していますから、これも正確です。
自動車通勤の自分に、いつも時間が微妙にずれている腕時計はあまり必要ではないということであります。
AAのミーティングも、僕が行く範囲のところは壁に掛け時計が掛かっています。

しかし会議中でも、AAのミーティング中でも、掛け時計を見上げたり、携帯電話を取り出してみたりするのは、いかにも時間を気にしていますという風情であまり良くないなと思うのであります。まあそういうことを気にしすぎるのも良くないのかも知れませんが。
腕時計なら、さりげなく目をやることができます。

正月にパソコンのビデオカードを壊して、秋葉原の通販ショップに買い換えの注文を出しました。値段は価格.comで調べて一番安いところにしました。ついでに無線LANカードを注文し、ショップ内をさまよっているうちに、電波時計式の腕時計を四千円でみつけたので、とりあえずそれも頼んでおきました。
クレジットカードが使えなくて、銀行振り込み後の発送の店であります。しかもネットショップ嬢では在庫有りと表示しているにもかかわらず、発送には数日かかると案内がありました。どうやら客から送金があってから、問屋に注文を出して、それを発送しているようです。集客は価格.comで最も安い値段を付けることで行い、現金決済することで資金を早く回すことで成り立っている店なのかも知れません。
しかし、3つ頼んだものが、調達の関係からか3回に分けて届きました。だからといって送料が3倍請求されるわけでもありません。送料もバカにならないだろうにと思うのでありますが、まあ人のことであります。
これからは、最安値のこの店と、在庫数まで表示していてその日のうちに発送してくれる別の店と使い分けていくことにします。

というわけで、元日に頼んだ時計がやっと届きました。通販なので届いてみるまでどんなものなのか分かりません。四千円の時計に高級感は期待していなかったものの、なんだかムーブメントがとても厚いです。電波の受信部がかさばっているのかも知れません。
時計あわせのための電波の受信は午前3時と4時に行われます。知らなかったのですが、受信には2分〜13分もかかるのだそうです。実際に手動で強制受信してみたら、5分ぐらいかかりました。腕時計を身につけて腕を動かしていると、あまりうまく受信できないようです。深夜に起きて働いているという人には向いていない時計なのかも知れません。
いったいいつまで失くさないでいられるのやら。


2006年01月12日(木) 折り合いを付ける

ある人に『どうやって飲まないでいるか』をプレゼントしようと思ったのですが、手元に一冊しかないために補充をオフィスに注文することにしました。都市部の人なら、しょっちゅうAAのイベントがあって、そこで書籍も売っているでしょうから、そこで買えば送料がかかりません。
しかし自分はそんなにAAのイベントに出る方ではありません。先日も「ビッグブックの集い」でお会いした10年先を行く仲間から「月に5回日曜日があったとしたら、最低でも3回は家のことか家族サービスをして、AAは2回までにしておきなさい」というサジェスチョンをもらったのですが、僕の答えは「月に2回もAAに行かないですよ」というものでした。
まあ、ともかく田舎にいる人間は、郵送してもらうしかないわけなので、できればまとめ買いをして送料を節約しようと思うのであります。最近は『成年に達する』の新版が出ています。それからJSOのページのカタログを見ると『信じるようになった』が改訂版になっています。この2冊を加え、それから細かいパンフレットを足して注文を出しておきました。
夜中にFAXで注文をしておくと、翌々日には届きます。届いた包みを開けてみたら、『信じるようになった』が旧版でありました。JSOの出版と、セントラルオフィスの本の在庫の関係で、端境期に注文を出すと古い本が届くことがあるとは知っていました。でも、
(改訂版を手にするのを楽しみにしていたのに)
という思いは消えません。
いままでそういう事実に対しての僕の意見は、「いいじゃないか同じ本なんだし、細かいことを言うなよ」というものでありました。何事も自分の身に起きてみなければ、本当の意味はわからないということでありましょう。

出勤前に郵便局によって代金の送金を済ませました。ソブラエティ1年目、2年目あたりは、送金せずに何週間もほったらかしということがよくありました。グループで買ったものなんかは、会計係からお金をもらってからとか考えて遅らせたり、単に郵便局に行くのが面倒で遅らせたりしているうちに、オフィスから催促のお手紙をもらったりしました。BOX-916の代金なんかも何ヶ月分かまとめて払うのが常態になってしまいました。
最近ではなるべく早く郵便局へ行くようにしています。ひとつにはオフィスの財政状況を知るようになったこと、それから面倒なことは早く済ませたほうが自分が楽だということでありましょうか。
古い本を手に入れるのも、オフィスにいるのも同じ人間なんだということを、考えられない。考えてもそれが行動に結びつかない、そういう自分であります。

同じ日に、ACA(アダルトチルドレン・アノニマス)に頼んでおいた『ACのための12のステップ』が届きました。いままで「ACって概念がよくわからないんですよ」とうそぶいていた僕ですが、まあアルコールの問題に見通しがつくまで棚上げしておいたと言うのが本当のところでしょうか。
それにACの問題に12ステップが「効く」ということに確信が持てなかったというのもあります。
忙しく食事をしながら2〜3ページめくって読んだだけですが、他者の承認を求めようとする傾向とか、過剰に責任を取ろうとする傾向とかいう言葉や、棚卸し表や祈りを読んでいるうちに、何かインスピレーションのようなものが与えられたような気がしました。
これは自分の問題として取り組んだ方が良いのでは?
キーワードは、12ステップ・スピリチャリティ・祈り・仲間・諏訪、そんなところでしょうか。
でもまあ導きが与えられたと思ったら、相談してみるべきだという提案があります。誰かに相談する前に自分が飽きてしまうのなら、それはまだ時期がこなかったということでありましょう。
成り行きに任せて、現実と折り合いをつけていくというのは、なかなか難しいことであります。


2006年01月11日(水) モルモットの毛並みと統計

モルモットの毛並みが悪くなりました。
ネット上でモルモットの飼い方を検索したりすると、ケージの掃除は毎日するべきだ(我が家は冬場は一週間に1回)、巣の材料になる綿や木くずなどをたくさん入れこまめに交換すべきだ(汚れるだけなので段ボール箱しか入れていない)、水にはビタミンCを入れ餌はモルモットフードを(モルモットフードは高いのでラビットフードをあげている)などと、我が家の飼育環境の劣悪さを思い知らされるのであります。
まあ、室内で飼うと部屋がくさくなるのでベランダで飼育している家もあると言います。よく寒さで死なないものだと思うのですが、それに比べれば毎日ホッカイロの暖房をしてあげているだけ待遇が良いのでしょう。
それにしても、これではいかんとと思い、餌をモルモットフードに変えました。もともと買われて来たときはモルモットフードを食べていたのを、だんだんにラビットフードに慣らしていったのであります。それをいきなりモルモットフードに戻したら、まったく食べてくれません。
毎日レタス(冬場は高いのでサニーレタス)の葉っぱ一枚をあげているのですが、それしか食べてくれません。それと、リンゴの皮が大好物で、リンゴをむいていると「早く皮をくれないと飢え死にしちゃうよ」と言わんばかりにキーキーうるさいのです。
しかたないので、ラビット&モルモットフードのブレンドをしばらく続けることにしました。

二郎さんのところの掲示板で、かんたさんが昨年の断酒会の人数について書かれていました。男性9,657人、女性765人の合計10,422名。毎年二千人ぐらいが入会し、同じぐらいが去っていく。という話を「かがり火」からの転載として書かれています。
AAは名簿を作らないし、メンバー数の統計もないから、正確な数はわかりませんが、一説に四千人。メンバーシップサーベイのアンケートの回収数が毎回1700〜1800人です。

ドクター・バリアントの説では、アルコール依存症にも自然治癒(治療しなくても治ること)がある一定の割合で存在するということです。もちろん治癒と言っても、コントロールして酒を飲めるというわけではなく、単に飲まないでいられるというだけでしょうけれど。また、何年か前のニュースグループへの投稿ではある統計で、約3%のアルコホーリクが治療なしに「飲まずに死ぬ」とありました。

日本のアルコール依存症者数は、最近の研究で八十数万人と速報されています。これに3%の自然治癒率をかければ、AAと断酒会の実績を足したより多くの人が助かっていることになります。そう考えると、日本の自助グループはもっとしっかりせいよと言いたくなります(自分もその一員か)。
まあ、自然治癒という幸運は、すくなくとも自分には訪れなかったし、残りの97%の人にも訪れないわけだから、自助グループの価値がそれでなくなる訳じゃないのですが、ちょっと寂しい数字であります。


2006年01月10日(火) この簡単な霊的道具一式

さて、年賀状は宛先不明で返ってきたものはありませんでした。
年賀メールのほうは、100通ほど出したのですが、10通余りがリジェクトされてきました。それを見て、「ああこの人、会社止めたんだな」とか、「プロバイダー変わったんだ」とか思うわけであります。まあ、その人の勝手でありますが。
メールのほうに、わざわざ返信をいただいたものもありました。返信の返信をするのもなんなので、この場でお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。

the simple kit of spiritual tools というフレーズを入れたために、「これは何だ」と思われた方もおられたようであります。simple と spiritual は「簡単」と「霊的」で、AAメンバーにはなじみの深い単語ですが、kit とか tools って何だ? というわけです。

これは実は(もう分かっている人も多いと思いますが)ビッグブックからの抜き書きです。

それほどに、多くの人がやめたくてもやめられないのである。
解決はある。私たちは誰も、目標に到達するのに必要な課程の作業を、つまり、自分を点検してみること、思い上がりを抑えること、短所を告白することなどを実行するのを好まなかった。しかしそれをやって本当に成功している人たちを見て、(略)私たちは、足下に並べられた簡単な霊的道具一式を手に取るほかなかった。

というわけで、自分の頭で考えた方法で回復しようとしないで、ステップにシンプルに書かれた方法通りにやってみて、その方法を伝えていきたいという年頭の決意であります。まあ、年の初めに考えることは、年末に一年を振り返るまで、すっかり忘れているのが常ですが。

酒をやめられて素晴らしい、と言いながら、実はコントロールして酒が飲めるようになる手術がもしあるとしたら、何百万円かかろうともそれを受けたいと思っている。そういう自分を変えていくことが、回復なんだなぁと。アル中は何年酒をやめたって、飲みたいものなんだ、それが変わることなんかあり得ないと信じてきました。
しかし、本当の受容とは、「どんな手段を使ってもコントロールは取り戻せない」ということに満足するということなのでしょう。
そんな風に回復したいという、回復への希求であります。


2006年01月09日(月) 冬の集いへ

高速バスの中は暖かく、ぐっすり眠れました。
八王子の料金所を通過する際に目が覚めたので、新宿で待っている仲間にメールを打ちました。調布あたりと高井戸でまたメールを打つつもりでしたが、再び目が覚めるとルミネまで迫っていました。
「何で長野の人間がSuicaをもっているかな」と不思議がられましたが、僕はプリペイドカードマニアなので、パスネットも持っています。
湘南新宿ラインで戸塚まで45分です。実は戸塚は横浜と川崎の間にあると思っていたのですが、横浜よりむこうにあるとは知りませんでした。桜木町より南に行くのは初めてです。

ビッグブックの集いの「冬の集い」は今まで一度も出席を欠かしたことがありません。今回も行けるかどうか危ぶまれましたが、無事行くことができました。午後を使ってたった3人のスピーカーというのは少ないような気もしましたが、それぞれ中身の濃い話をいただけました。静岡のKさん。宮城のJさん。そして名古屋のMさん。Jさんの「最小限の努力で最大限のソブラエティを得ようとする」という言葉に共感を覚えました。Mさんの「神を信じないという人は、その人の持っている特定の神概念や宗教観に対して反発しているにすぎない。宇宙の中に自分を超える大きな力がどこにも存在しないと信じている人はおそらくほとんどいない」という話にうなずきました。
来て良かったなと思いました。何のためでもない自分の回復のために行く。来年もまた来たい。そう思いました。

終わった後、デニーズでのアフターに参加させてもらいました。事務的な話が必要で、メールではどうももどかしく、直接会って話をしたかったので、それは大変助かりました。顔なじみとAAのプログラムについて大いに話が盛り上がるというのは楽しい経験です。が、もっと積極的に見知らぬ顔と知り合いになっていけば良かったなとちょっと後から残念に思いました。

仲間からHandspringのVisorを頂きました(貸してくれただけか?)。クールな皮のケースに入っています。時間があったらさわってみます。

掲示板や心の家路宛のメールで知り合った人々とも何人かと顔を合わせました。それはとても楽しい経験であります。こういう機会があるたびに、実はその一人一人をお互いに紹介するようにしたら、掲示板がもっと仲間意識にあふれるのかも知れないなと思うのですが、僕なりの恐れがあってそうしていません。でも、ご希望があればそうしたいと思います。

デニーズを出た後、トイレに行きたくなりました。戸塚の駅のトイレは工事中で、仮設の小さなトレイがあるだけでした。しかもそれは大変汚れていました。何でこんな冬にスイカを食って出すヤツがいるんだと、便器に座れるように手を汚して掃除をしつつ恨みの言葉が出ました。そういえば今日は成人式であります。湘南新宿ラインは長距離なので、列車の中にトイレがあります。そのことを忘れていたのだから仕方ありません。

ノートパソコンのバッテリーは、帰りの電車の中でちょっと使っただけで終わってしまいました。思えばこのノートパソコンを使って5年近くになります(買ったときはWindows98SEが載っていた)。あれから僕は、日々雑記を始め、「心の家路」を公開し、それが元でAAの出版に興味を持ち、AAの役割が回ってきて、そしてビッグブックの集いの人々と出会ったのであります。不思議な連鎖を思います。
そういえば去年の冬の集いの直後にうつで休職に入ったのでした。実は冬休み前から限界だったのですが、冬の集いに出かけていくためには、仕事を休んでいては家族から文句が出るだろうと恐れていたので、無理して仕事を続けていたものの、集いが終わったら緊張の糸が切れたみたいになってしまったのでありました。背伸びをするものではないなと今更ながらに思うのであります。
あれから1年が経過して、いろいろなことがあり、僕も新しい環境になじみつつあります。やっぱりアルコホーリクは環境の変化に弱いのかと思います。

帰りのバスがサービスエリアで休憩に入ったので、建物の中でコンセントがないかノートパソコンを抱えて歩き回りましたが、一個も見つけられませんでした。まさに電気がないと powerless なのであります。

いろいろ心の栄養をもらって、また前へ進んでいく力を与えられたような気がします。


2006年01月08日(日) 凍る一日

風呂の排水管が凍った話は書いたでしょうか。
上水道の水の配管も凍り、水洗トイレの配管も凍り、唯一確保されたお湯の配管もボイラー内部が凍ったせいで水しか出なくなりました。

昨日の疲れを取って一日ゆっくりするはずが、水回りの対策に追われる一日になりました。
とりあえずボイラーには電気毛布を掛け、上にさらに毛布を巻いて縛っておきます。
上水道は配管が壁の中なので、部屋全体を暖める以外に方法はありません。キッチンに石油ファンヒーターを持ち込んで暖めますが、なかなか10℃以上にはなってくれません。
それでもしばらくするうちに、トイレの給水が復活しました。排水も問題ないことがわかって、とりあえずトイレには安心して入れるようになりました。

ボイラーも溶けたので、今度は電気毛布を風呂の排水管に巻き付けました。しかし、いっこうに解ける気配がありません。
母屋のほうでは、風呂が凍り、洗濯機が凍り、トイレの給水のバルブが凍って水が噴き出しました。パッキンが痛んでしまっているようなので、おじいちゃんが市内のホームセンターに買いに行ったのですが、ちょうど良いサイズのが無くて諦めたそうです。そこで、僕が高速道路を使って近くでは一番大きなDIYショップまでパッキンを買いに行きました。
パッキンのついでに、カートリッジ式のバーナーと、車のウィンドウォッシャー液を買って帰りました。ついてきた子供たちには、マクドナルドのチーズバーガー100円のおやつ。

ウィンドウォッシャー液はアルコールと界面活性剤の混合液なので、マイナス25℃ぐらいまで凍りません。これをお湯と1:1に混ぜて、風呂の排水に流しました。しばらくすると水面が下がっていったので、氷が溶けたと見て、下水掃除用のワイヤーを突っ込んで中を掃除し、あとはお湯をひたすら流します。
お湯をたっぷり流した余熱がまわったのか、上水道も回復し、とりあえず(2階はともかく)水回りは夕方までには回復しました。

大晦日(というか元旦)に壊したパソコンのAGPカードが届いたので、さっそく装着してみました。カノープス製は、長年使い込んだMatrox製と同じぐらいにシャープなかっちりとした出力で、評判通りの性能です。

それにしても、今年は水難の年かもしれません。
週間天気予報を見ると、14日には雨になって、長期予報では月の後半は温度も平年並みに戻るとか。ぜひそうなって欲しいと願っております。

新宿へ向かうバスの中でこれを書いています(9日)。ではまた。


2006年01月07日(土) 三九郎

さんくろう【三九郎】信濃で、左義長(さぎちよう)をいう。

さぎちょう【左義長・三毬杖】‥(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという) 小正月の火祭りの行事。宮中では正月15日と18日に吉書(きっしょ)を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6〜7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。朝10時に町内のお地蔵さん前に集合しました。町内の小学生は12人。昔は三九郎は男の子の行事でしたが、現在は男女両方が参加する行事です。また三九郎は子供だけで作る習わしでしたが、現在は大人が作って子供は見ているだけであります。これも時代の流れでありましょうか。

いままで町内の行事は、妻に任せっきりでした。妻の具合の悪いときには、ジジババが出てくれていました。しかしジジババも年を取り、僕におはちが回ってきました。
AAスポンサーからも、そろそろ地域社会とかそういうことに力を割いていくようにという提案をもらっていたので、比較的素直にそういう方向性が決まりました。

集まった子供たちは東と西の二組に分かれて、町内の家のしめ飾りを集めてまわりました。お母さん方はその付き添いであります。4人しか集まらないお父さんたちは、近くの河原で三九郎の作成です。3本の竹を結んで簡単な櫓を組み、周囲に縄を渡します(ここら辺の作り方は僕の子供の頃と違って簡素化されているので、僕は初心者であります)。集まった門松は分解して、竹をキャンプファイヤーのような形に組みます。その上に、町内の神社のお祭りで使った縄を積み上げ、稲藁をかぶせます。
子供たちが集めてきた松飾りを全体に飾り付けて完成です。僕の子供時代には冬休みを何日も費やして作った三九郎ですが、イマドキは1時間あまりで出来上がりであります。
ここでいったん解散。

風呂の排水管が凍ったのはまだ溶けません。DIYショップの店員に尋ねてみたら、水道管用の凍結防止帯を巻けば良いと教えてくれました。凍結防止帯の説明書には「凍った水を溶かすだけの熱容量はありません」と書かれているのですが、時間をかければ良いそうです。
そいつを巻いたりしているうちに、知らぬ間に三九郎の点火時間を過ぎてしまいました。

年長の子が呼びに来てくれたので、あわてて出かけました。
午後4時の点火から、最後の炭火に川の水をかけて消すまで、およそ3時間。寒風の中で立っておりました。紙コップの中に注がれたジュースが、いつの間にか凍っているという寒さであります。
大人には(当然のことながら)御神酒として日本酒が振る舞われるのであります。僕は飲みませんからと断ったのですが、縁起物ですから口を付けるだけでもと少し注がれてしまいました。長女がそれを見て「パパ飲んじゃだめ」ときびしくチェックを入れてきました。彼女は父親の依存症のことなど知らないはずですが、ママから教わったのか「飲むふりだけでもだめ」ときびしいのであります。
口を付けずに日の中に捨て御神酒をあげ、そのコップにジュースを注ごうとしたら、まだ何滴か残っているからそのコップを捨てなきゃだめだと、なかなかきびしいのであります。
彼女は最近パパの本を勝手に読むようになって、静かにしているなと思うと『どうやって飲まないでいるか』とかを熱心に読んでいたりします。じゃあ理解しているかというと、そうでもないようでありまして、「どこが一番好き?」とか聞くと、P48の「チーズ、ナッツ、エビ、フルーツゼリー、ミント」と書いてあるところだそうであります。

昼間は4人しかいなかったお父さん方も、夕方のお酒の出る頃には十人以上が集まるのであります。そして、頭だってやっている人が、「もうお終いにします。あとは係のものが片づけますから」と言っても、誰も帰ろうとしません。火が燃え尽きるのを、みなが取り囲んで待っています。
帰っても良いはずなのに誰も帰らない。終わるまで帰らないという不文律があるのでしょう。白鳥の群れが鳴き交わしながら飛んでいくのを見上げながら、なんだかつらいなぁと思っているのでありました。

昨日は元気にお湯を沸かしてくれたボイラーも、ついに凍ってしまったようで、お湯が出ません。母屋でお風呂に入れてもらったものの、いったいこの寒さはいつまで続くのか、ちょっとうんざりしております。

子供たちが楽しんでいたのが救いであります。こうして僕の町内会デビューの日は過ぎたのでありました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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