心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年02月16日(木) 治りかけ

水曜日の明け方から熱が下がり始めました。
それまでろくに汗が出なかったものが、急に吹き出すように出るようになり、起きるたびにぐっしょりと下着が濡れています。寒さに震えながら着替える羽目になりました。布団はじめっと湿って気持ち悪くなりました。

飲んでいた頃は異常な発汗に悩まされました。上半身だけ大量の汗をかいて、やっぱり布団がぐっしょりとして気持ち悪くなるのでありました。当時はそれが禁断症状によるものだとは知らず、何か悪い病気になったのかと思っていました(その考えは間違っていませんでしたが)。

妻にもうつったらしく、熱を出して寝込まれてしまったので、炊事や洗濯は熱の下がった僕の役目になりました。その日の夕方から子供たちはまたジジババの元での生活が始まりました。

マット・スカダー・シリーズの第一作『過去からの弔鐘』を読破しました。熱にうなされながら読んでいたので、真犯人は見破れませんでした(言い訳だな)。ひとつ思い出したのは、「ぜったいにこれ、前に読んだことがある」ということです。プロットと言い、設定と言い、なんとなく覚えがあるのであります。
かといって、二見書房の本なんて買って読んだのはこれが初めてですから、誰かが過去に貸してくれたのかもしれません。それでいて、謎解きのところはきれいさっぱり忘れているのだから、なんともはやの記憶力であります。

熱が下がったのでもう一冊読もうかと思ったんですが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』に取りかかることにしました。

熱は下がったものの、どうやら単に薬が効いているだけのようです。局地戦では勝利を収めつつあるものの、全般的に戦局は拮抗しているようであります。

今年の秋にはインフルエンザの予防注射を打とうと思います。


2006年02月13日(月) インフルエンザだ

月曜午後の職場で、熱を測ったら37.7℃ありました。

「帰って医者に行け。治るまで出てくるな」

というお達しだったので素直に帰りました。

夜間救急に行っても混んでいるだけでしょうから、翌朝行くことにしました。
夜は38℃以上にあがったのですが、明け方には37℃ぐらいまで下がっていました。市販の風邪薬でも結構効くものです。

子供のかかっている小児科へ行きました。先週から長女がA型のインフルエンザでお世話になっています。

「妹を連れてきたと思ったら、お父さんか」

と医者に笑われてしまいました。小児科にかかるのは何十年ぶりでしょうか。

検査の結果A型のインフルエンザだと分かりました。先週から風邪を引きずっているので、インフルエンザでも風邪でもどっちにころんでも良い処方をもらいました。
タミフルであります。

薬を飲むと熱が下がる。効果が切れると熱が上がるの繰り返しです。
今週は全滅かな。

なぜ冬になると風邪が増えるのか。科学はその謎を解き明かしてはいないようです。寒くなって乾燥するからという理由はつけられますが、なぜ寒くて乾燥すると風邪が流行るのかは説明できないのだそうです。

風邪の季節ももうすぐ終わるでしょうが、皆様もお体にはお気をつけください。


2006年02月12日(日) また風邪だ

土日は風邪で寝ていました。
といっても高熱が出るというわけでもなく、鼻水がずるずるして、口で息をしているので喉が痛むぐらいですが。医者に行くほどでもないと思うので、近所の薬局で立体マスクと「喉鼻用」の風邪薬を買いました。

妻が帰ってきました。4ヶ月ぶりです。次女も一緒です。長女はまだインフルエンザから回復していないので、母屋に置き去りであります。

朝、家族一緒に起きた方が良いだろうと思うので、夜早く寝ることにしようと思います。日曜の晩は体調も悪かったので、10時に寝ました。おかげで月曜の朝は朝5時に目が覚めてしまいました。

朝のニュースで、医師たちが禁煙を訴えてタバコの吸い殻を拾って歩いたと伝えていました。医師曰く「ポイ捨てを害悪視するのではなく、それは病気の症状であるので、早くニコチン依存症だということに気がついていただいて、禁煙へと結びつけて欲しい」。
なんだかアルコールと似た話であります。「酔っぱらうのは病気の症状であるので、それを罪悪視せず、早く依存症だということを認めてもらって、断酒へと結びつけて欲しい」といったところでしょうか。
しかし僕の周囲では、酒を止めたことよりも、タバコを止めたことの方が評価が高いです。きっとタバコというのは吸い出せばすぐにニコチン依存になってしまって、多くの人が止めたくても止められず、止められない姿も人のよく知るところであるってことでしょう。それに対してアルコールは、飲み出したからといってすぐにアルコール依存にもならず、依存症になっていないうちに禁酒に成功するという例を世間がたくさん見ているから、「さして苦もなく成し遂げられるべきもの」という程度の理解なのではないかと思うのであります。

先週末で目薬がなくなったので眼科医に行きました。最近頭痛が多いので、眼圧が高いのではないかと思っていたのですが、案の定22ありました(単位は知りません。ヘクトパスカルか)。普段は13から16ぐらいであります。
「風邪をひいてるからかも知れませんね」
と言われたのですが、風邪のせいなのか、目薬を切らしたせいなのか、それともストレスによるものなのか。
普段は2ヶ月にいっぺんなのに「また来月来てください」と言われてしまいました。


2006年02月10日(金) 近況報告ほか

ざっとまとめて近況報告をしておきましょう。
最近調子が悪くて、ここ一ヶ月の間に4日休みました。あいかわらず11時からの変則勤務です。でも午後7時過ぎまで働いていたりします。来週今期の査定があります。また給料下がるんだろうと思いますが、まあくびがつながっているだけ良いとしましょう。

妻は12月に退院しましたが、まだまだ「何もする気になれない」と言ってジジババの世話になってばかりです。子供も一緒です。というわけで、半独身生活をいまだに続けております。
今週は長女がA型インフルエンザで高熱を発していますが、今夜は結構元気でした。

携帯電話買い換えました。特にそうする必要はなかったのですが、まあ物欲です。WIN端末にして、安い料金プランに変えたのですが、あっというまに通話料が溢れています。高いプランにすると余り、安いのにすると足りなくなる。困ったものであります。まあ障害者割引をしてもらっているので助かっていますが。

PHSのデータ通信カードを契約しました(PHS3回線め)。WIN端末が本当のデータ定額だったら、こんなの要らないのですが・・・。物欲的には W-ZERO3 あたりがねらい目ですが、今はおとなしくしています。1ヶ月でもう5万台も売ったんですって、すごいですね。日本のPDAの台数新記録になるでしょうね、いずれ。10万台売ったのって「あれ」しかないでしょ。

AAミーティングは週に2回です。例年正月明け1ヶ月ぐらい過ぎると、病院の患者さんが増えていましたが、今年はそんなでもありません。理由は僕には分かりません。
地区委員会からもなかなか卒業できていません。4月ぐらいにまでには片づけたい・・・と自分では思っているのですが。

Internet Explorer 7 を試してみています。タブブラウザーになってなかなかいいです。まだベータ版でバグが多いのですが。
仕事はCOMの勉強中です。世の中.NETだっていうのに。

ローレンス・ブロックの『過去からの弔鐘』を読もうと思っています。途中で飽きちゃうかもしれませんが。ちなみに、狂人スカダーでも、泥人間スカダーでもなく、マット・スカダーであります。

ACのことはよく分かりません。あいかわらずです。分からないのに分かったようなふりをするのもつらいので、分からないと言っています。

体に疲れが溜まっているので、今日は寝て過ごします。


2006年02月09日(木) 原油高雑感

自動車の運転免許を取ったのは、結構遅くて30才になってからでした。
当時はまだ酒が止まっていなくて、酒臭い息で教習所に現れる僕に対して、教官は「お前みたいなヤツには(どうせ飲酒運転で事故を起こすだろうから)免許はやりたくないが、こちらも商売だから」とさんざん嫌味を言われたものですが、免許のおかげでミーティングに通うハードルが低くなって助かりました。
それまではガソリンの価格なんてものに興味すらありませんでした。

東京での暮らしは自動車とは関係ないものでしたし、住んでいたアパートはどこもストーブ禁止(電気ストーブは可のところもあった)でありました。今ではちょっと考えられないかも知れませんが、火事防止のためであります。なので灯油を買ったこともありませんでした。

当時レギュラーガソリンが1リットル120円台だったと記憶しています。そしてその後ガソリン価格は低下を続けます。高止まりを続けていた長野県内のガソリン価格も、異業種からの販売参入などがあって安いときには90円を割りました。おかげでスタンドがばたばたとつぶれました。競争が沈下した後は、再び全国でも最も高い水準で推移することになります。

日本の石油のほとんどは中東から輸入しているそうですが、そのドバイの原油価格は1980年代から1バレル(159リットル)=15ドル程度だったそうです。湾岸戦争の時に37ドルまで上がったのがトピックでしたが、その後は1990年代を通して10ドル台を保っています。

2000年にスバルから新車が発表されて、僕はその車を買うことにしました。家族は大反対だったものの、僕にはひとつの目算がありました(勝手な話だけど)。エコノミストによると、いままで採掘した原油の積算量と、今後採掘可能な原油の埋蔵量が等しくなったときに、原油価格が高騰し「石油ショックが起きている」というのです。つまり「残りあと半分」になったところで、産油国は「もう半分しか残っていない」と考えて原油価格のつり上げを行い、それが経済に大きな影響を与えてきたのだと。そしてその後に、新たな油田が発見されたり、採掘技術が上がったりして埋蔵量が再び増え、原油の価格がまた下がるのだそうです。
その例のひとつが1970年代の石油ショックでした。それ以前の例も挙げられていましたが、何せ生まれる前の事象ですから憶えられませんでした。

そしてエコノミストの論によると「2000年代(2010年まで)に再び、採掘量=埋蔵量となって、石油価格の高騰が起こるだろう」という予言でありました。僕はそれを信じて「大排気量の車(燃費悪し)に乗るのは、これが最後のチャンスかも知れない」と思ったのであります。その後は燃費の悪い車に乗るのは、きっとお金持ちだけになるのだろうと。

しかし21世紀になっても、原油の価格はあまり上がりませんでした。それでもドバイ原油は20ドル台まで上がりましたが、「まだまだ採掘技術が向上し、22世紀になっても石油燃料の時代は続くのではないか」という説まで飛び出すようになりました。

そうか、そうであるか。もっと人生の後になっても大排気量の車に乗るチャンスがあるのだったら、なにもこの苦しい台所事情の時に無理をすることはなかった。僕は内心落胆していたのであります。

しかし思わぬ伏兵が現れました。中国とインドであります。大人口を抱えるこのふたつの国が工業生産と車に石油を使うようになって、世界中の原油を買い集めるようになりました。供給が安定していても、需要が逼迫すれば値段が上がる道理です。Javaを使ったドバイ原油のチャート を見ると、最近は60ドル程度まで上昇しています。
論説によれば60ドルという事態は長続きしなくても、今後40ドル台で落ち着く可能性は十分にあるとか。

15ドルのものが45ドルになれば価格は3倍です。20世紀最後に100円前後だったガソリン価格は、130円台まで上昇しましたが、今後200円とかもっと上がる可能性もあるのかも知れません。

4年間で3万数千キロしか走らなかった車ですが、その後の9ヶ月の通勤で6万キロに達しました。オドメーターを見ながら、いずれこの車も買い換えねばならないということを考えるのであります。通勤をしながらプリウスに抜かれることも多くなりました。初代のプリウスは出力不足がいわれましたが、二代目はふつうの車並みの運動性能はあるようです。それを眺めながら「次はああいった車かな」と思いながら心は晴れないのであります。

自分の長期見通しが当たったのに不満を持つ理由はありません。もちろん車を買い換えるのはまだ年単位で先のことなので、先取りの心配をする必要はありません。車を買い換えるお金なんて無いから、また重いローンに呻吟しなければならないのでしょうが、どうもそれが理由でもないようです。別に大排気量の車に乗り続けることにこだわりを持ってはいないつもりでした。

そういえば昔読んだ『FBI心理捜査官』という本に、常習的犯罪者は高出力の車に乗ることを好むと書いてありました。力の誇示なのだそうです。心が晴れない理由はそういうことなのかもしれませんね。


2006年02月08日(水) ライブドア雑感

結果的にはプロ野球に新規参入したのがライブドアでなく、楽天で良かったとは思っております。参入1年目に歴史的な大敗を喫したイーグルスと、転職1年目にあえなく休職してしまった自分の姿がなんとなく重なるわけでありまして、野村監督を迎えた楽天にとって「再生」の年である今年には、自分も再び芽を出していきたいと思っているわけであります。

遠く久米島まで親企業の醜聞が聞こえていくなんてことにならなくて、ほんとに良かったと思っているのであります。

が、ライブドア=虚業と決めつけられると「それもどうかなぁ」と思ってしまう天の邪鬼なのであります。

CNETの記事 「ライブドア暴走」の道程--奈落への転回点は2004年初頭

あたりを読むと、ライブドアいう実績のある会社がどこで道を間違えていったかが見えてきます。

「こんな時だからこそ安定したサービスを」――ライブドアの技術者魂 では、経営者の放埒は別として、現場は粛々と実務をこなしている様子がうかがえます。

実際ライブドア関係のブログサービスも滞ることなく続けられていますし、「心の家路」もライブドアのニュース検索を利用させてもらって、それを表示しているわけですが、異常があったようでもありません。また掲示板もライブドアのを使わせてもらっているわけです。こうしたものが続いていくことについて、ユーザーとしては特に心配はしていないのであります。

アフターミーティングを終えてファミレスを出ると、外は雪というか吹雪でありました。
これは帰ったら雪かきか、また深夜に大変だなと思ったのでありますが、自宅まで戻ってみたら積もってもいませんでした。

綺麗なたまちゃんにはとげがある。 を読んで「そうなんだろうなぁ」と思いました。AAにはいろんなものを失った人が集まってきます。金も名誉も失った男が、最後にこだわるのは「女」だったりして。それも「人に自慢できる女」を欲しがったりするんですな。

まあ、堀江元社長が「やっぱり人間、愛ですよ」なんて言い出したら気持ち悪いけど。


2006年02月07日(火) 曇り空の向うはいつも晴れている

地上波デジタル放送が長野でも始まろうとしています。
といっても始まるのは長野県の中でも広域を対象とした中継局だけです。山の多い長野県は、細かな地域ごとに中継局が張り巡らされておりそのすべてがディジタル化されるには、かなりの年月がかかるでしょう(といってもアナログ停波までには完了するのでしょうが)。

テレビ番組をベータのテープに録画することに喜びを感じていた20年前ならいざしらず、今はあまりテレビを見ないので、いずれ家のテレビも、パソコンのチューナーボードも買い換えねばならないというのは、ちょっと面倒な感じです。
ただ、ゴースト受信がなくなるというのは良い話かも知れません。

期待しているのは、「ワンセグ・モバイル」と呼ばれる移動端末向けのテレビ放送が同時に始まることです。いままでアナログのポータブルテレビがちょっと流行ったこともありましたが、所詮一過性のブームにすぎませんでした。理由は映像の悪さでしょうか。移動体で安定してアナログ波を受信するのは難しいことであります。
とりあえずは携帯電話に「ワンセグ対応」のモデルが登場して、通勤電車の中でテレビを見るといった用途が一般化するのかも知れません。「おまえは自動車通勤だから関係ないだろう」と言われれば確かにそうなのですが、SONYからワンセグ対応のVAIOが発売されていたりするようなので、いずれはパソコンのUSB端子につなぐワンセグチューナーが登場したりなんかして、会社のパソコンで(昼休みにだ)テレビを見るなんてことも可能になるんじゃないかと思っているわけです。

もっとも最近仕事が完全に煮詰まっていて、「このままでは会社にいつまでいられるのか」ということが不安でありました。実は今日は部長にプロジェクトの進捗を報告する日で、なんと言われるか戦々恐々という心境でありまして、とても雑記なんか書いている心の余裕はありませんでした。
ただひとつ決めていたことは、虚飾をせず正直に現状を報告しようということだけでした。その結果がどうであれ受け入れようと。

「半年や一年で結果が出るとは思っていないよ」

なんだそんなものか。一人で悩んでいるのが一番良くないのかも知れません。
この苦しみがまだ半年も一年も続くのか。やれやれ。それがあなたの意志ならば、ここで働いていろと言うことなのでしょう。

iPod nanoに1GBの新モデルが登場して、ちょっと欲しかったりして。でも、新しくした携帯電話だってまだ使いこなせていません。ソフトバンクがブログに引用して良いニュースの配信を始めるそうです。mixiでもニュース配信が始まるとか。今年はmixiにデビューしたいなぁ。

しばらくうつで沈んでみたり、イライラしてみたり(これもうつの症状か)していましたが、少し晴れたようです。


2006年02月06日(月) enumeration of facts

鼻風邪を引きました。マスクをして会社に行ったのは、他の人への感染予防ではありません。鼻が詰まっていると、口で息をします。するとのどが渇くのです。それを癒すために水分(ジュースだ)をのべつ幕なしに飲みます。水分過多で下痢をします。脱水症状で熱が出ます。この連鎖をなんとか止めるために、湿気を含んだ空気が鼻を覆ってくれるように、3枚200円という高価な立体マスクを買ったのでありました。
なぜか人と話すときにはマスクを取るので、同僚にいぶかしがられてしまいました。

体調が悪いのでAAミーティングは早引け。

アイロンかける気力なし。洗濯物はたまったまま。でも新たに洗濯する。

低気圧が本州南岸を通ったおかげで「南雪」になり、僕の住んでいるあたりでも雪に。
夜中に2回雪をかきました。深夜にやる理由は、朝になると氷の表面が凍ってより力が必要なのと、単に朝起きて肉体労働をするのが辛いからです。

うつの状態が良くありません。3日ほどで良いから休養のための休暇をもらおうと思うのですが、あいにく上司が出張で誰もいません。まあいいや、そのうち良くなるかもしれないし。


2006年02月02日(木) 世界が終わるわけではない

どうも最近調子が悪く、今日(金曜日)も休むことにしました。
昔は春から夏にかけて病院に入院している時期が多かったりしましたが、近年は1月〜2月ぐらいが底のようであります。

仕事がそんなにキツいのかと言われれば、そんなにキツくはありません。ただ若干疲れるのであります。じゃあ家でのんびり休めばいいのですが、ジジババとの関係もあって、こちらでも若干疲れるのであります。人間関係は得意ではないので・・・。
家でも会社でも少しずつ疲れて、実はAAに行っているときが一番休まったりして。

一昨日も休んだばかりだし、休みが増えると会社員としては少々立場が悪くなります。が、そのことを気に病んでいると、休む意味がなくなります。

ちょうど昨日の記事で、たとえ失敗しても、世界は終わらない というのがありました。

それに倣って、論理療法的アプローチをやってみることにしましょう。

1.〜に越したことはない。
「欠勤せずに仕事を進めるに越したことはない」

2.〜だからといって人生が終わりというわけではない。
「欠勤して仕事が進まないからといって、人生が終わりというわけではない」

3.永遠に〜と決まっているわけでもない。
「永遠に休むことが続いて仕事が進まないと決まっているわけではない」

4.〜の状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。
「仕事が進まず周囲の期待に応えられない状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない」

5.〜を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。
「仕事を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない」

6.〜は残念だ。でもこの世が終わるわけではない。
「仕事を休んで周囲の期待に応えられないのは残念だ。でもこの世が終わるわけではない」

7.〜されたい。しかし、〜ねばならないというわけではない。
「期待に応えて賞賛されたい(悪い評価は受けたくない)。しかし、賞賛されねばならない(失敗してはならない)というわけではない。」

体も疲れているが、脳も疲れています。脳疲労とうつと両方同時におきているのかもしれません。昼間午前中寝るというのはあまり脳が休まらないないのだそうです。もちろん夜寝るのが一番なのですがね。でも、昼間寝る必要がある場合には、午前中は眠いのを我慢して起きていて、午後寝るのが良いのだそうです。これについてはまた別の機会に書いてみたいです。

というわけで、午前中起きているために、こんな文章を書いてみました。
努力できないときは休むのだ。


2006年02月01日(水) ちょっと一休み

風邪をひいていると言うほど体調は悪くなかったのですが、なんとなく疲れがたまってしまっていました。2週間に一度の精神科への通院日でもありますし、車の保険の更新もしないといけません。仕事に大幅に遅れていくのもうっとうしいので、思い切って休みをもらってしまいました。

精神保健福祉法の改正(?) のおかげで第32条そのものがなくなり、別の法律によって通院医療費の補助を受けることになりました。その申請は市の窓口でもできるのですが、結局は前の法律と同じでひとつの医療機関でしか使うことができません。というわけでかかりつけの精神科医で申請を代行してもらうわけですが、前回は印鑑を忘れ、今回は障害者手帳のコピーを忘れました(診断書がいらなくなるので診断書代が不要になる、ただし障害者手帳の申請にはもっと高額な診断書が必要)。また次回の診察の際までおあずけであります。

それにしても医者が混んでいて、午前中一杯かかってしまいました。世の中がストレスフルになっているのか、精神科医のしきいが低くなっているのか・・・。

農協で自動車共済(保険)の更新手続きをする。農協は安くて助かるのですが、一般の保険会社と違って外交の人が更新の手続きをやりに家まで来てくれたりせず、こちらから出向いていかないといけません(組合員の家になら来てくれるけど)。ちなみに農家でなくても共済に加入はできます。ただ農協という金融保険機関の財務体質がどれぐらい良いのかはわかりません。少なくとも郵便局よりは体力がないでしょう。一生ものの生命保険なんかを頼むには不安がありますが、一年更新の自動車保険ならいつでも逃げ出せます。
「搭乗者傷害」の特約をなんか総合特約に変えるように勧められて、支払いが済んだ後にパンフレットをよく読んだら、いままでの特約なら同乗者死亡の際には一千万まで支払われたのが、300万円までになっています。通院医療日もかならずしもお得になるとは限りません。あれだけ熱心に勧めたと言うことは、「搭乗者傷害」の特約がさして有効に使われないのか、それとも特約事項のせいで赤字になっているか・・・。

ブログのほうには書いたのですが、携帯電話を買い換えてしまいました。

帰って布団をひいて寝ました。

会社員をやっていて良いと思うことは、自分が休んでいても物事が止まらないということであります。
逆に言うとフリーランサーの頃は、体調を崩して仕事を休むと、それだけ確実に仕事が止まってしまったと言うことです。20代の頃は、連続飲酒にすぐに陥るようになり、確実に仕事ができなくなっていました。仕事をするためには酒を切るしかないわけで、なんとか酒を切って納期に遅れても仕事を納品し、納品が終わるとまた浴びるように酒を飲んでいました。
「飲み過ぎる」か「まったく飲まない」かどちらかしかできないのに、「いつでも止めようとおもえば止められるのだから」とまったく問題視しませんでした。
しかし、やがて仕事があっても酒を止めるのが困難になり、酔って仕事ができないでいるのに、催促だけは矢のようにやってくる・・・という苦しみを味わいました。

組織に属して仕事をするのはしんどいこともあるのですが、助けられている側面もたくさんあります。というかそれがないとやってられない。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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