心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年11月07日(火) ナチュラルワイン

ミーティングハンドブックを使っている人は、第3章に「ナチュラルワインしか飲まない」という言葉があるのを憶えているでしょう。
前の翻訳では「生ぶどう酒」でした。

ナチュラルワインて何だろう、と思って調べてみました。
natural wine は、自然発酵の酒精強化していないぶどう酒であります。おフランスでは vin nature。
vin doux naturel (甘口天然ワイン)というものがあり、これは「天然」とは言っても、実はワインにアルコールを添加したもの。これに対してアルコールを加えていないワインを「ナチュラルワイン」というのだそうです。

これは日本酒の本醸造(醸造用アルコール添加)と、純米酒(アルコール無添加)の違いとは意味合いが違って、アルコール度数の大小の違いのほうが強そうです。

ようするに「ナチュラルワイン(のようなアルコール度数の低い酒だけしか)飲まない」ことにしたらどうか? という意味ですね。
もちろん、ビール実験と同じで、度数の低い酒にしても、何も解決しないわけですが。

さて、妻が帰ってきました。

いや、家出してたわけではなくて。
実家に帰っていたのでもありません(ここは妻の実家で、僕は婿養子です)。

風邪をこじらせてぜんそくになり、入院していたのが、退院になりました。子供たちも戻ってきて、ふたたび家族揃った暮らしが始まりました。

うーん、部屋が散らかる。洗濯物が増える。トイレが汚れる。菓子や夜食を勝手に食われる。ゴミが増える。
まあ、猫は喜んでいますが。


2006年11月06日(月) 狂気乱舞

仲間のバースディミーティングでした。
僕はあまりプレゼントを贈るほうじゃありません。せいぜいAAの本とかです(もちろん、いつでも例外はあります)。
たまに気が向くと、バースディミーティングで集合写真を撮影して、額に入れて後から贈っています。最近は六つ切り、四つ切でも数百円で引き伸ばしできますし、額のほうも千円しません。安価でありながら、なんか立派そうなものになります。

さて、現在使っているディジカメは、バッテリーの持ちが悪いのです。
しかたないから予備のバッテリーを持ち歩いています。
バースディミーティングの前に、車の中でバッテリーを交換しようとしました。
カバンを空け、ケースの中から予備のバッテリーを取り出し、カメラを開けて、そちらのバッテリーを取り出し、入れ替えてそれぞれ格納する・・・何の問題もないはずでした。
が、カメラをワイシャツのポケットにしまおうとした瞬間、カメラの電池ボックスのふたが開いているのに気がつきました。
(あ、いかん。ふたをきっちり閉めなかったから、バッテリーを落としちゃった)
そう思った僕は、落としたバッテリーを車内で探しました。

でも、みつかりません。手元にあるバッテリーは、カバンにしまった1個だけです。

ミーティング前に車内を捜索し、終わった後にも捜索し、自宅へついて懐中電灯をもって捜索し、諦めきれずにもう一度捜索しました。
いますぐこのトラブルを解決しなくては、という衝動から開放されて、明日明るくなれば自然に見つかるだろうと思った頃には、もう寝る時間でした。

交換して手元に残ったバッテリーを充電しておこうと思い、充電器を見ると、ちゃんとそこにバッテリーがあります。「昨日充電し終わったバッテリーをかばんにしまった」「車内でふたつのバッテリーを交換した」。そういう僕の確信はまったく真実ではありませんでした。

バッテリーは、昨日からずっと充電しっぱなしで、車内で交換し終わったと思ったのは勘違い。

うつ状態のときは思考が鈍りますが、知能が落ちているわけじゃないと言います。ただ、注意力が欠如しているので、必要な情報が入って来ず、正しい判断が下せないのだと。
誤った認識を元に、一生懸命から回りして疲れ果てている。まさに「下手な考え」というやつです。

統合失調症も、知能に異常があるのではなく、正しい情報が入力されないので、間違った判断を下してしまうと書いてありました。コンピューターだって入力が間違えば、出力はいつも間違っています。

たとえ知能が正常であっても、行動が狂っていないとは限らない。自戒の言葉であります。


2006年11月05日(日) 低空飛行

今日は午後まで寝ていて、いったん起きた後、また夜まで寝ました。
といっても、ぐーぐー眠れるわけでもなく、布団の中でごろごろしているだけですが。かなりウツであります。

起きて活動したところで、何をやってもとても効率が悪くて、ただ時間が過ぎるだけであります。そのくせ妙に疲れるのです。
そういう時は、頭を使わず、体を使うと良い、と医者に言われたので、アイロンをかけたり、モルモットのケージを掃除したり、滅多に見ないテレビを見たりしました。
バラエティ番組って、ほんとにくだらないなぁ、と思いながらも、あまりのくだらなさに笑ってしまいました。放送作家ってのも大変でしょうね。でも、放送作家は他のスタッフ同様、黒子であり、スクリプトを書く人間が、前へ出ては面白くありません。
アナログ放送が終了した時に、地デジに切り替えるかどうか、まだ5年悩めます。

隣県でAAのイベントが行われていたので、土曜日のミーティングは参加者が少ないだろうと思っていたのですが、初めてだとか、二回目だとか、そういう人がいて、いつもと同じぐらいにぎやかでした。

最近つくづく思うのですが、やっぱりビッグブックはもう一度翻訳し直したほうが良いですね。実際それを回復の道具として使ってみると、結構使いにくいところが多いのです。
あれを一冊の書物と捉えている人は、文章が(また)変わることには、反対なのかも知れません。けれど、回復の道具と捉えている者にとっては、その道具が使いやすいかどうかは、死活問題であります。そして、これからつながる仲間の生命や幸福を左右する問題でもあります。
実際に使ってみないと、使いにくさというのは分からないわけで、そのためにも古い訳から現在の訳に、改まる必要があったことは確かです。次はゆっくりやればいいことだと思います。
AAのメッセージは、難解でもなければ、複雑でもありません。「難しくて理解できない」なんてことは一切なくて、ただ単に自我がそれを受け入れて実行することを拒んでいるだけなんです。
「この簡単なプログラム」「この簡単な霊的道具」という言葉に偽りはありません。

ステップがなければ、ミーティングは成長しない。ミーティングが成長しなければ、AAも成長しない。人が入れ替わるだけのAAのままであります。


2006年11月02日(木) クマが多い

夏に子供たちと博物館に出かけたときに、途中の道でサルをみかけました。
走っている車の前を横切って、民家の屋根へと駆け上っていったので、「ほらあそこにサルがいるよ」と子供に教えてあげると、大はしゃぎでありました。
こっちが車の中にいるからこそ、こんな余裕の態度でいられるんであって、それはサファリパークと同じ原理です。
博物館の庭には、ニュートンが万有引力を発見したリンゴの子孫が植えられていたのですが、厳重に鉄柵で囲ってありました。理由を聞くと、サルに食べられないようにと教えてくれました。

サルと会ったという話を、実家の母にしたら「クマじゃなくてよかったねぇ」という反応でした。

本当に今年はクマが出たという話が多いです。毎週のように新聞記事になっています。学校の回りに危ない人がうろうろしているのも困りますが、腹を空かせたクマがうろうろしているのも困ります。
人里へ出たクマは殺すしかないと言われています。山に食料がないから、里に下りてくるので、里で食料をあさることを憶えたクマは、繰り返し里へ下りるようになるからです。罠を使って生きたまま捕獲し、催涙ガスを浴びせて山へ帰す「学習放獣」も行われていますが、無理解な批判をかわすためのパフォーマンスの類です。

今年は駆除数が多いので、猟友会に対してクマ狩を自粛しろと県から要請がでています。でも、猟友会も高齢化が進んでいて、駆除で疲れ果てて狩猟どころの話ではないとか。

それでもクマが増えているわけじゃなく、個体数を維持するのも難しい数になっているという話もあります。少ないはずのクマが人里に多い理由は、山野の荒廃です。

本来クマは人間の手が及ばない山奥の自然林に住んでいるものです。その下には、人間が手を入れる人工林があり、さらに下に野菜や養蚕用の桑を栽培する畑があり、そして一番下に人の住む領域があります。

山が荒れたのは、輸入材木との価格競争に敗れて、国産材が市場を失ったからです。割り箸も中国からの輸入が大半です。ちなみに割り箸は間伐材を使うので、割り箸を減らしても森林破壊を止められるかは大いに疑問です。。
また畑も、養蚕の衰退や農業の高齢化で荒廃が進みました。人が山に入らなくなって、クマに警戒心を起こさせる中間領域が失われ、人間とクマの生活領域がすぐ隣り合うようになってしまいました。

クマが多いのも、サルが多いのも、これ経済問題であります。

子供の頃は、一人で森の中へ遊びに行ったものでしたが、今やそんなことが望める世の中ではなくなってしまいました。

人間とクマ(あるいはシカやサル)は共存はできず、棲み分けをするしかありません。自然破壊ではなく、人間の山からの撤退が、このような事態を作り出したのは、皮肉な話であります。

ニュースで、中国が割り箸輸出に関税をかけるとやっていました。経済成長で、割り箸の国内消費が増え、日本に売る箸がなくなったんですね。


2006年11月01日(水) 矛盾してないよ

ほとんど加藤諦三の受け売りですが、この雑記にオリジナリティなんて期待されていないでしょうから、気にせずにいきましょう。

「自分を大切にすること」が大事なんであります。
他の人から自分がどう見られているかではなく、自分で自分をどう見ているかが大切なのであります。

同時に「人間は、他の人との人間関係を大切にしなければならない」というのであります。人生の楽しさとか喜びは、人間関係からやってくるんだと。

このふたつのことは矛盾しているか? いやちっとも矛盾していないんであります。

でも、最初この話に接した時、僕はふたつを同時に満たすことなんて、できっこないと思いました。人間関係を大切にしようとすれば、どうしても自分を押し殺して生きなければならない。それでは息が詰るから、自分の意志を押し通そうとすれば、どうしても人間関係は悪くなる。
人間は社会的動物だから、人間関係無しでは生きていけない。だから、自分の意志と、人間関係と、どちらを大切にするか、バランスを取っていくのが人生なんだと。
ところがそのバランスが難しくて、悩み事がまた増える。
そう思っていたわけです。今もそれほど変わってません。
まったく馬鹿なヤツだ。あ、自分か。

だいたい、自分のことが尊敬できないヤツが、自分以外の人間を尊敬できるわけがありません。
あいつはここがダメだ。こいつはあそこがダメだと、あら探しをしているわけです。テレビに出ているヤツを見ては「くだらねぇ」とつぶやき、人の書いた本を読んでは「一面的理解しかしてない」と切り捨て、尊敬できる人間なんていないよね、と自分を納得させるんです。
優しくしてくれる人がいれば「素晴らしい人だ」と誉め称えるけれど、その人が意に沿わないことをすれば、とたんに「裏切られた。あんな人だとは思わなかった」と嘆く。
自分に対する評価はとても甘いんだけど、実は欠点が多いことにも気付いていて、その事実を恐れている。
棚卸し表なんて、怖くて書けっこないわけです。

そういう間違った認識を変えるのは、簡単ではありません。というか、それができるんだったら、今こんなところにはいません。

AAミーティングに行って、60分や90分そこに座っていると、心の中に様々な考えが浮かんでは消えていきます。それを繰り返すなかで、少しずつ矯正されていくということかもしれません。

そういえば、いつも色紙に「偏向矯正」と書いていた仲間がいました。(字が違う?)


2006年10月31日(火) 矛盾してないよ

ほとんど加藤諦三の受け売りですが、この雑記にオリジナリティなんて期待されていないでしょうから、気にせずにいきましょう。

「自分を大切にすること」が大事なんであります。
他の人から自分がどう見られているかではなく、自分で自分をどう見ているかが大切なのであります。

同時に「人間は、他の人との人間関係を大切にしなければならない」というのであります。人生の楽しさとか喜びは、人間関係からやってくるんだと。

このふたつのことは矛盾しているか? いやちっとも矛盾していないんであります。

でも、最初この話に接した時、僕はふたつを同時に満たすことなんて、できっこないと思いました。人間関係を大切にしようとすれば、どうしても自分を押し殺して生きなければならない。それでは息が詰るから、自分の意志を押し通そうとすれば、どうしても人間関係は悪くなる。
人間は社会的動物だから、人間関係無しでは生きていけない。だから、自分の意志と、人間関係と、どちらを大切にするか、バランスを取っていくのが人生なんだと。
ところがそのバランスが難しくて、悩み事がまた増える。
そう思っていたわけです。今もそれほど変わってません。
まったく馬鹿なヤツだ。あ、自分か。

だいたい、自分のことが尊敬できないヤツが、自分以外の人間を尊敬できるわけがありません。
あいつはここがダメだ。こいつはあそこがダメだと、あら探しをしているわけです。テレビに出ているヤツを見ては「くだらねぇ」とつぶやき、人の書いた本を読んでは「一面的理解しかしてない」と切り捨て、尊敬できる人間なんていないよね、と自分を納得させるんです。
優しくしてくれる人がいれば「素晴らしい人だ」と誉め称えるけれど、その人が意に沿わないことをすれば、とたんに「裏切られた。あんな人だとは思わなかった」と嘆く。
自分に対する評価はとても甘いんだけど、実は欠点が多いことにも気付いていて、その事実を恐れている。
棚卸し表なんて、怖くて書けっこないわけです。

そういう間違った認識を変えるのは、簡単ではありません。というか、それができるんだったら、今こんなところにはいません。

AAミーティングに行って、60分や90分そこに座っていると、心の中に様々な考えが浮かんでは消えていきます。それを繰り返すなかで、少しずつ矯正されていくということかもしれません。

そういえば、いつも色紙に「偏向矯正」と書いていた仲間がいました。(字が違う?)


2006年10月30日(月) 信じられるものを信じる

AAでは共通の神は信じない。皆それぞれ好きなものを選ぶのであります。
自分で理解できる神(God as we understood Him)を選ぶことが大切なんだと思います。

ここで見栄を張ってしまうと、遠回りは避けられません。
なんだか高尚で、どこへ出しても恥ずかしくないような「マイ・ハイヤー・パワー」を選ぼうとすると、対象を信じることも、感じることもできなくなってしまいます。結果、そのステップに対して熱心でなくなってしまうでしょう。

ある人が言っていたのですが、自分の望みが「金がほしい、いい女がほしい」だとするんだったら、金持ちにしてくれる神さま、いい女を与えてくれる神さまが、今のその人にふさわしいハイヤー・パワーなんだと。
金と女に幸せを求めているのに、そういう自分の欲求を押し込めておいて、自分でもさして望んでいない霊的な回復を与えてくれる神さまを求めようとするから、いくら探しても見つからないんだと。
ここでも私たちは、自分に正直にならねばなりません。
あなたのハイヤー・パワーのイメージは何ですか? と尋ねられたとき、金と女を与えてくれる存在ですと答えれば、あなたは回復していないねと思われるのがオチでしょうが、でもそれが事実なんだからしょうがないんです。

自分の中のハイヤー・パワーが成長(develop)することも、今年になって教えてもらったことです。最初に選んだ神が、永遠不変である必要はなく、自分の霊的状態の進展にしたがって、当然対象も進化するわけです。自分の望みがいつまでも「金と女」であるわけがありません。少なくとも、優先順位は一番目から下がるでしょう(たぶん、二番目か三番目ぐらいに)。霊的に成長すれば、ハイヤー・パワーだって成長するわけです。

長いことやっている人の話を聞くと、良いハイヤー・パワーと良い関係を築けていてうらやましいと思うことがあります。でも、そうなるには時間がかかるんです。であるのに、一気に差を縮めたいという虚栄心、あるいは焦りなのか。人と同じものを信じたほうが安心できるのか。立派な神さまを求めて悩んでいる人は多いと思います。信じたくないものを、無理に信じようとすれば、悩みも起こります。

僕のハイヤー・パワーは僕を幸せにする。あなたのハイヤー・パワーはあなたを幸せにする。というか、あなたを幸せにしてくれるのが、あなたのハイヤー・パワーです。
自分が幸せとして何を望んでいるのか。虚栄や否認を捨てて、自分に正直になれば、「自分より偉大な力」を感じるのは、それほど難しいことではないと思いますよ。


2006年10月29日(日) 雑談

・ソニー製のバッテリー問題が、まだ続いています。結局同社製のVAIO用も交換になったほか、リコールではなく「ユーザーの不安を払拭するための自主交換」だった富士通製のパソコンが発火してしまいました。
本来パソコンメーカーの責任である問題を、ソニーに擦り付けているという声もありました。900万個以上のなかで、たかだか数個しか発火していないと、原因を追究するのも難しいのが実情じゃないでしょうか。
まあユーザーとしては「充電を行なう際には、パソコンから離れないでください」と言われても困るわけですが。パソコンを買ったときにユーザー登録をしていないと、自主交換もリコールも案内が来ないので、念のため。

・ソフトバンクの通話定額が気になりませんか、というご質問をいただきました。
あれはソフトバンク同士でないと定額になりません。僕が電話をかける相手で、ソフトバンク携帯のユーザーは一人しかいないので意味がありません。ドコモ・auにかけるとずいぶん高額です。また夜更かし族の僕にとっては、夜9時以降が従量制ってのは論外です。それだったら、ウィルコムのPHS定額のほうが良い感じです。
もともとvodafoneのユーザーだった人には、さまざまな料金プランが選べるようになって、お徳でしょうけど。

・日曜日は、地区委員会+全県ミーティングへ。こんどの週末の本栖湖に行かなければ、これが年内最後のAA関係の遠出(?)になってしまうかもしれません。


2006年10月27日(金) してもらうこと

神さま、私にお与え下さい。
自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを。
変えられるものは、変えていく勇気を。
そして、ふたつのものを見分ける賢さを。

AAのミーティングでは定番とも言える「平安の祈り」です。

こうして、「受け入れる落ち着き」と「変えていく勇気」、そのどっちを使えばいいか「見分ける賢さ」を身につけることが必要なんだと、いつも思い起こさせる効果を感じます。

この三つのものの価値を認めるので、それを身につけたいと努力するわけです。
それは「性格上の欠点」を取り除いていく作業なんでしょう。

結構時間が経ってから、我が身を振り返ってみると、結構変わっている部分もあって、良かったと思わせてはくれるんです。でも、全然変わっていない部分のほうが、ず〜っと多くて、ああ俺って全然回復していないという現実を、目の当たりにしてしまうわけです。

「バケツの水を、耳かきで掻き出すがごとし」
とスポンサーは教えてくれました。
まさにバケツ+耳かきの組み合わせのように、性格的欠点が目に見えて減ることすらなさそうな気がしてきます。

そういう時こそ、この祈りが3行ではなく、4行あることを思い出しなさいということです。
価値ある三つのものを与えてくれるのは、自分ではなくハイヤー・パワーなんだと。

努力すれば欠点が減って当然だと考えるのは、無力とはほど遠いわけです。努力したって減らないんだから、するだけ無駄だと思うのも同様。

努力すれば、神さまは性格的欠点を取り除いてくれるし、三つの価値あるものも与えてくれると「信じる」ことがステップ2。
いつどのように取り除いてくれるかは、神さままかせで自分が心配することじゃないよってのが、ステップ3。

もちろん、何もしないで勝手に良くなったりしないのは、依存症も性格的欠点も同じです。いったん良くなっても、ぶり返すところも同じかな。

努力と成果は比例しないのは、労働とか収入とよく似ています。でも、比例しないから働く意味がないってわけじゃないでしょ。


2006年10月26日(木) 野球の話

わが楽天野球団には、当面関係がありそうもない日本シリーズは、日本ハムファイターズが制しました。札幌では楽天もずいぶん痛い目にあいましたからね。

これで、3年連続でパシフィックリーグのチームが勝利したことになります。
じゃあ、パリーグ球団が強くなったのかというと、そうとは思えません。カギはやっぱり、パリーグだけプレーオフを実施してることにあるんでしょう。

年間百数十試合を行い、勝率一位を優勝とするセントラルリーグ。一方、パシフィックリーグは、勝率三位までのチームが、リーグ終了後にプレーオフを行い、トーナメントに勝ち残ったチームが優勝です。

年間を通じて平均的に良かったチームよりも、10月に調子の良いチームの方が強い。考えてみれば当たり前のことであります。パリーグが、前期・後期に日程を分けて、それぞれの優勝チームでプレーオフをしていた頃も、後期優勝チームの方が有利でした。
サッカーJリーグの前期・後期制でも同じ現象がありました。

来年からはセリーグもプレーオフを導入して、セパ同じ仕組みになります。ただし、プレーオフ勝利チームが優勝ではなく、優勝はあくまでも勝率一位チームにするんだそうです。まあ、その方が無難な感じです。
そうなると、日本シリーズが「勝者と勝者の対決」ではなくなってしまいますが、そこを気にするなら、プレーオフなんてしないほうがいいと思います。

以前だったら、日本シリーズ終了とともにプロ野球のシーズンも終わっていたのですが、WBCもあった今年は国際試合が熱いです。

11/2-8 日米野球
日本選抜対メジャー選抜。例年はエキジビション的要素が強いですが、今年はアメリカも本気で勝ちにくるでしょう。

11/9-12 アジアシリーズ
日韓台中の各リーグの優勝チームによるクラブ選手権。

なんだ新庄、アジアシリーズ出ないで引退しちゃうのかよ。阪神時代といい、メジャーでの成績といい、今回のアジアシリーズといい、お前ってやつはよー。ぶつぶつ。

野球に興味がない向きには、つまらない話でした。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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