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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年12月12日(火) 匿名カウンセリング 僕は心理カウンセリングを受けたことはありません。
カウンセラーが長野県内にどれだけ居るのか知りませんし、その養成の仕組みだとか、値段とかも知りません。
ただ、知識としては、日本全国くまなく存在するわけではないことや、能力も様々であること、やっぱり無料より有料の方がいいという話は聞いています。
最近のアメリカ・カナダのメンバーシップサーベイによれば、AAメンバーの2/3はAA以外の医療・心理・宗教的な手助けを受けており、その3/4はソブラエティに効果があったと答えています。
さて、ニュースリリースからこんな記事を見つけました。
ITを活用した新サービス『エキサイトカウンセラー』を開始!
ITを活用したとは言っても、カウンセリングは電話で行われるので、あんまりITっぽくはありません。課金はエキサイトのIDに対して行われるので、カウンセラーに直接払うわけじゃありません。だから、カウンセラーはクライアントの身元を知る必要はないわけです。
カウンセラーは三つ星から五つ星まで3段階にランクわけされています。30分の料金が3千円〜5千円というのは、僕には高いか安いか分かりません。ランクわけは利用者の評価によるとされていますが、その仕組みがうまく機能するかは未知数です。
一応カウンセラーの得意分野で探せる仕組み鳴っていますが、「依存症」で選んでも、「性」でえらんでも、現在登録されている42人のカウンセラー全員がリストされるテキトーさです。
ちなみに、ニュース記事によると、カウンセラーは提携カウンセリング団体からの派遣らしいです。提携先は、神戸メンタルサービス合資会社とNPO法人日本心理専門士協会。
日本心理専門士協会のホームページを見に行ったら、「カウンセラーの卵たち」と書いてありました(いまはそれが消えてますが)。
ひいらぎ、お前が人柱になって、試した感想を聞かせろよ、とか言われてもなー。
2006年12月11日(月) 病院メッセージ 今年もそこそこの数、病院メッセージに行かせてもらいました。
病院メッセージというのは、AAメンバーが病院にうかがって、アル中の患者さん相手に話をするものです。患者さんは、病院の治療プログラムの一環としてほぼ強制的に参加するケースもあれば、出たい人だけ出ればいいよという病院もあります。もちろん、前者のほうが圧倒的に参加人数が多くなります。
どちらが良いかはわかりません。自発的に参加したからって、断酒する人の割合が増えるようには感じられません。だから強制参加のほうが、断酒する人の絶対数は増えそうな気がします。
もちろん、こちらとしては自発的な参加者相手のほうが、やりやすいです。強制参加で人数が多いところへ行くと、「何しに来やがった」という反発心も強かったりするので、気を抜けません。
しかし、入院中は真面目に自主的にプログラムに参加している人が、退院後はAAや断酒会にいっさい通わず、通院もせず、もちろん抗酒剤も飲まない、もちろん結果は推して知るべし、このほうが普通だったりします。
病院のスタッフにしてみれば、やる気を持って治療に取り組んでいた人が、退院後は手のひらを返したようにやる気がなくなるケースを見て、すっかり不信感を持ったりするようです。でも、そういう病気ですから。
人数が増えてくると、どうしても相互通行的なやりとりをする余裕がなくなって、12番目のステップの活動というより、単なるAAの広報活動になる感じがします。広報活動だって、メッセージを運ぶ一環だと言われれば、確かにそうですが。
日本での病院メッセージは、皆で一室に集まってするケースが多いです。元祖アメリカでは、病室のベッドサイドまで行って、個別に話をすることが普通に行われているそうです。
日本でもそうしたことができないものか。そういう疑問に、ある精神科医が答えてくれました。
それは病院の責任問題なのだそうです。たとえばベッドサイドで話をしているときに、患者さんが興奮してAAメンバーを殴りつけ怪我をさせたとします。それを考えねばならないのが、精神病院の現実です。補償という問題を抜きにしても、日本ではそうした事故が起こると、病院側の管理責任を問う声が上がってしまう。だから、病院としては慎重にならざるを得ないと。
それは社会の問題なので、たとえAAメンバーが「もし事故の被害を受けても、なにも補償を求めない」という念書を出しても、解決するものではありません。
もっとも、それは病院から地域の断酒例会やAAミーティングに参加することにも、同じ事は言えたわけです。いまだそれにすら慎重な病院もあるものの、ここ10年・20年の間に、驚くほどの変化があったのも確かです。
せっかく受け取ったのに、贈り続けなければ失われる。不思議なプレゼントであります。
2006年12月10日(日) 練習 (自分も含めて)アル中の人は「人と親しくなるのが苦手」だと思います。
自分からは何もしなくて、誰かが勝手に親しくしてくれるのを待っているだけ。そんな人が多いように思います。
あるメンバーが話していたのですが、人と人が親しくなるには、
・まず知り合って、挨拶をする関係になり、
・次いで、世間話をする段階があり、
・そして、プライベートな話をする段階へと至る。
という手順を踏むわけであります。
その過程では、「人間に対する恐れ」とか「無用な自分のプライド」とか、いろいろと乗り越えなくてはならないハードルがあります。そして、アルコールは、そうした邪魔者を一気に取り除いてくれる「魔法の薬」であったわけです。
その魔法の薬に頼り切ってきた(あるいはひたすら孤独を選んできた)人間は、しらふで人間関係を築く経験を積んでいません。だから、良い言葉で言えば内気でシャイな人間に、悪い言葉で言えば孤独をひがむ人間になってしまうのは、不思議じゃないでしょう。
自分の子供と何を話したらいいのか分からないとか、すぐに「昔の俺はこんなに偉かった」という話になったりとか。その下手っぴさは、なにもアル中に限りませんが。
自助グループでは、そうした人ばかりが集まってくるので、お見合いみたいに「まずお互いが親しくなることから」などと言っていては、その間にぼろぼろ人が死んでしまいかねません。だから、初対面だろうが構わずに、ミーティングでは身の上話や心の悩みを話しなさいとなっていると、僕は考えています。
信頼できる人を選んで、その人に話をするのではなく、たまたま自分の前に配置された人を信じるのだと。
AAの中にいれば、つまらない人間関係のトラブルに悩まされることも多々あります。でも、それはすべてを許せということになっています。何せ僕らは、AAという幼稚園の庭で遊んでいる子供です。子供同士の喧嘩をいつまでも引きずるわけにもいきません。お互い傷つけ合いながら、失敗しながら学んでいく。それが親しくなる方法ではないでしょうか。
社会の中では、人間関係の失敗は時に致命傷です。AAは練習の場だと思います。
ミーティングで話をきくばかりでなく、人と交わることもAAのプログラムでしょう。
(この項続く、かも)
2006年12月09日(土) 代行 僕のふたりの娘は、父親が酒を飲んでいるところを見たところがありません。
もし飲んでいるところを見たならば、言葉での説明が要らないくらい、この病気にはインパクトがあると思います。
でも、そのためにわざわざ飲んで見せようとは思いませんが。
どうやって、依存症のこととか、AAのこととかを、説明したらいいのか。それは、子どもが赤ん坊の頃から、僕の心に引っかかっている悩みでした。
が、そんな父親の思惑とは別に、母親による教育は着々と進行していたらしいです。
いつの正月だったか(今年かな)、町内会の三九郎(どんど焼き)の時、町内の奥さんに紙コップを渡され、そのコップに酒を注がれそうになりました。
断ったのですが「縁起物ですから」と、ちょびっと注いでもらうことにしました。
でも、娘は「パパ、ダメッ!」と怒りました。
「飲むふりだけでも」と言われたので、匂いぐらいは嗅ごうかとしたら、さらに「パパ、ダメダメダメ」と怒られました。
でも、なぜ父親が飲んでいけないのか、本当に理解していたかは疑わしいです。
春に山梨でのAAイベントに行った時、娘たちも連れて行きました。
もっとも、家族連れで行くと、スピーカーの話を聞いたり、話し込んだりってこともできません。ほぼ家族の相手で終わってしまいます。
それでも、会場のロビーで他のAAメンバーと話し込んでいるうちに、とある横浜のメンバーが僕の娘たちの相手をしていてくれました。
彼と娘たちの会話を断片的に聞いていたのですが、
「あなた達のとうちゃんは酒を飲むと・・・。AAに行っていれば・・・」
そんなような話をしてくれたようであります。それでどれだけのことが伝わったのかはともかく、「お酒飲むとどうなるの?」という直球の質問に、その仲間は真摯に答えてくれていたようです。
そのイベントでは、心に響くような誰かの話を聞けたわけでもなく、ただ会場の周囲の山野で娘たちとひたすら遊んで帰っただけでした。
けれど、自分でどうやって越えたらいいか分からなかったハードルは、その仲間が易々と跳び越えてくれたようであります。感謝。
「自らのためになし得なかったことを、神がしてくださっていることを、突然悟るであろう」〜6章。
2006年12月08日(金) 高いハードル ときどき顔を出すぐらいの頻度なんだけれど、続いている人がいます。
毎週でなくて、不定期にでも、AAミーティングに出席している人は、ともかく飲まないでいるものだと思います。
想像ですが、そういう人は、自分に必要になった時だとか、暇な時間ができた時に、AAミーティングに出かけてくるんだと思います。
でも、それって結構「すごいこと」です。
というのは、定期的ではなく、不定期を続けるのは、人間には難しいと感じているからです。これは、AAのミーティングに限りません。
たとえば、この年になると、何もしないで健康体という人が少なくなってきます。すると、スポーツジムとかフィットネスクラブに入会したという話も聞くようになります。
最初はみんな、「体を動かすって気持ちいいですよ」とか爽やかな顔で言うのです。しかし、続く人は少ないですね。毎週○曜日はジムの日で、他の誘いを断って行く人は続きます。でも、自ら拘束することが嫌いで、時間の余裕がある時にだけ、って言っている人は、まず例外なく「会費だけ払う会員」になります。
そして、半年もすれば会費だけ払って通わないばかばかしさに気付いて、退会してしまいます。
人間というのは、そういうもんだと思います。理由は多忙であったり、怠惰であったり、いろいろでしょうけれど。
不定期に通うのは、誰にでもできることじゃありません。
だから、AAのスポンサーは、「毎週決まったミーティングにきちんと出席しろ」と口を酸っぱくして言うのも分かります。だって、それが一番楽なやり方ですから。
ミーティングを休んだ言い訳なんてしなくていいのですが、僕も余計ないいわけをスポンサーにして怒られたことがあります。
「先週は調子が良かったので、ミーティングをサボっちゃいました」と。
すると、「調子がいい時にミーティングに来れないヤツが、どうして調子が悪くなった時にミーティングに来れると思うんだ?」と叱られました。
そういう甘えたことを言っているヤツは、いざ調子が悪い時には、もうミーティングに行けないぐらい調子が悪くなっているもんだと。
高いハードルを越えられる人がいるからって、自分も高いハードルを跳ぼうとすることはないですよ。低いハードルで楽をしましょうや。
2006年12月05日(火) 評判悪しのすすめ 最近、僕の評判が悪いですって?
あまりそういうことは気にしないんですよ。
だいたい、AAの中で失って困る評判なんかないですよ。
第一に、評判は「守るべきもの」じゃありません。
評判は、頂戴するものです。繁盛している店に行って、流行ってますねと言えば、「おかげさまで評判を頂戴しまして」と答えが返ってくるでしょう。
評判は、勝ち取るものではないんですよ。
そりゃ、根も葉もないことを言われれば傷つきますよ。でも、あんまり深く傷つくのは、自我が膨らみすぎている証拠です。
本当のことを言われると、もっと痛いです。でも、本当なんだから仕方ないじゃありませんか。自分で自分に格好付けてると、本当のことを言われた時に、すごく痛いんです。だから、自分にはありのままでいないとね。
自分の実体より良い評判に恵まれちゃうことだってありますね。でも、分不相応の評判を守りに行ったら悲惨です。背伸びして歩いていれば、転ぶのが普通です。
等身大の評価をされるのが、たぶん一番幸せなんです。
品行方正じゃないのに、品行方正のふりしてたってダメです。品行方正になるより、まず自分自身にならなくちゃね。
「女の尻ばっかり追いかけてる」とか「何年経っても人間的に成長しない」とか「まだ薬飲んでる」とか。本当だし。どんな話にも、いくばくかの真実は含まれているんです。
自分の信じたことをやっていれば、評価はあとからついてきます。春に種をまいて、秋まで世話を続けられれば、収穫があるでしょう。それが評判ではないでしょうか。たくさん種をまいても、地力以上には実りませんし。
話は変わるんですが、ソブラエティが長くなるのに、AAは平等だからって、グループの運営に口出ししすぎるのも考え物です。やっぱり、5年・10年・20年とたっていけば、何となくその人の意見に重みがついちゃうのが普通です。そういう意味では、1年くらいの仲間と平等ではないです。つまり、長くなれば自由にものを言う権利がなくなってくる。ビジネスミーティングに限らずです。
グループは間違えるものです。正しいやり方を知っている(と思っている)からって、口を出しちゃダメです。若い人に、間違える権利、間違いから学ぶ権利、こつこつやって評判を得る権利、そういうものを譲ってあげないといけません。さもないと死にかけの執事ですよ。
「あんたのいるグループは最近評判悪いじゃないの。あんたがいながら何やっているの」と言われても、任せてあるんだからと「へらへら」笑っている度量が求められているように思います。
○○さんがいるから、あのグループは安心だなんて言われるのは最低ですな。その人がいなくなったら、どうするんでしょうか。
2006年12月02日(土) 倶利伽藍行 日々雑記ではなく、週3雑記になっている、今日この頃です。
土曜日7時半起床。8時半出発。交通情報で安房峠が雪になっていると言っていたので、白馬から糸魚川に抜けることにしました。
松本、安曇野あたりでは、まだスタッドレスタイヤを履いている人はほとんどいません。しかし、北の方に行くと、ノーマルタイヤの車は皆無になりました。
10時、白馬の道の駅。11時、北陸道糸魚川インター。日本海側は、鈍い色の曇り空になっていました。北陸道は、ひたすら空いていて、ひたすらまっすぐで、眠くなるのでありました。北陸の空は、鈍い色の曇り空で、やがて1時に富山石川県境の倶利伽羅峠につく頃には、その空から激しい雨が降り出しました。
スピーカーの話は1時間半ぐらい聞いただけでした。あとは、3年ぶりぐらいに会った仲間とひたすら話をしていました(もちろん別の仲間とも)。
9時頃帰ろうと思っていたのですが、ずるずると10時半頃まで居残ってしまいました。夜の峠はみぞれになっていました。しかし、富山まで行けば、気温もあがって雨になりました。そのまま8号線を朝日まで行って、高速に。
糸魚川ではふたたびみぞれになり、融雪のために道に水が撒かれていました。
南下して標高が上がるにつれ、気温が下がり、みぞれが雪に変わり、道路も白い部分が増えてきました。なにしろ(前回も書きましたが)、スタッドレスタイヤがあまりにも古く、あまり雪が激しくなるようなら、南下を諦めねばなりません。
一番怖いのは、ずっと進んでから諦めることになり、糸魚川まで延々戻る羽目になることです。金沢の温泉施設で朝まで過ごした方が良かったかと思ったのですが、後悔先に立たずです。
後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず。
しかし、雪は激しくならず、生まれ故郷を通り過ぎる頃には、雪の姿も見えなくなり、3時半に自宅につく頃には、よく眠れそうな疲労に包まれていました。
たまったメールの返事はこれから書きます。
2006年12月01日(金) ほっと一息 今週は仕事が忙しく、ほぼ毎晩残業になってしまいました。
商売は相手のあることなので、どうしても思い通りにならないこともあります。
その電話をたまたま(他の社員ではなく)僕が取ってしまった、というだけの理由で、大変な思いをしたわけですが、それを貧乏くじと思ってしまうと、自分が辛いばかりです。
こういう時は、いつもユダヤの言い伝えの話を思い出します。
「スマート・マン(利口な人)とワイズ・マン(賢明な人)とは違う。スマート・マンは状況から抜け出すのが上手な人だが、ワイズ・マンは状況に入るのが上手な人だ」
状況への入り方がうまいってのは、いろんな意味に取れますから、毎回違うことを考えるわけですが。
賢くありたいと思います。困難な状況から自分だけが抜け出す「ずる賢さ」ではなく、状況にうまく関与していく「知恵」を持ちたいと思います。
ともかくいろいろ勉強になりました。
でも、やっぱり自分の能力以上のことをすると疲れますね。
というわけで、今日は昼まで寝ていました(罪悪感無し)。
明日は金沢のAAイベントに行ってくる予定です。
安房峠を越えるか、糸魚川へ抜けるか、上越回りでずっと高速道路で行くか。明日起きた時間で決めたいと思います。夕食は頼んであるので、会場で食べ、夜に帰ってこようと思います。
今日、新しくスタッドレスタイヤを買って交換しておこうかと思いましたが、明日は気温が高く推移しそうなので、そのまま行くことにしました。雪になると帰って来れなかったりして。
今年前半の自分のテーマは、「その人のハイヤー・パワーが進化する」でした。後半のテーマは、「直感とかインスピレーション」でした。いずれも、霊的なふれあいの中から与えられた言葉でした。
明日も運が良ければ、何か与えられるかも知れないと、期待しています。
それよりも、ビンボーなのに何万円も衝動買いしてしまった自分を、正気に戻してくれる何かが欲しいんですけどね。
2006年11月28日(火) 自己主張 自己主張とは、「自分の水差しをワインで一杯に満たす」ことだといいます。
アル中には、あまり良い例えじゃありませんね。水で満たしても、ジュースでもいいと思います。炊飯ジャーをご飯で一杯に満たしてもいいかもしれません(別の意味で問題ある?)。
みんなのグラスに、ワインを注いであげて、挙句に「ああ、私の水差しは空っぽになってしまった」と嘆くのは、自己主張とは対極なんだそうです。
どうしてそうなるのか考えています。
例えば、
見返りを求めないで親切をしていると、自分では思っていても、実は(感謝されるとか一目置かれるとか)見返りを求めている気持ちを抑圧しているだけなのかもしれません。
あるいは、その気持ちに気が付いていても、それを外に表すことができないのかもしれません。
愛していると言いながら、実は相手に見捨てられないことを求めているのかも知れません。
どうすれば、ワインを皆に分けながら、水差しを満たし続けることができるのか。
感謝することは、役に立ちそうな気がします。
自分の気持ちを言葉で表現することも大切だと思います。
人生はギブ・アンド・テイクであることを思い出すのもいいかもしれません。もらっているものの多さは、表に書き出すとわかりますな。
嫌々仕事をやっている人は、仕事をサボる人や仕事をしない人が、たいそう気に食わないのだと言います。自分が嫌々やっていることを、他の人がサボったり、免除されているのは、不公平だというわけです。自分を不幸であると感じていて、なのに他の人が幸福になるのは許せないという状態。
たまたま自分が働いていないと、自分もそのように嫌われていると不安になるでしょうね。
仕事に喜びを感じている人は、その喜びを感じられない人や、感じる機会を与えられない人を、少しかわいそうだと思っても、憎んだりしないと思うのです。だから、働けなくなっても、人にどう思われるかはそれほど気にならないんじゃないかと。
霊的に健康でありたいと思います。
まあ、水差しが空っぽになっちゃったときは、休むしかないんじゃないかと、人生を休み休みやっている僕は思うのであります。
2006年11月26日(日) 過去 5年日記の話は、ミーティングでもたまにしています。
ソブラエティ1年後から、実家の近くの病院で、院内のAAミーティングが始まりました(病院メッセージともちょっと違いました)。
それで僕も、それまで通っていたミーティングを一個減らして、そちらに出席するようになりました。
すると、母が近くまで来ているのなら、帰りに顔を出せと言ってきたのです。
最初は、他のAAメンバーと一緒に行っていたので、本当に必要があって寄る時にしか実家には顔を出しませんでした。でも、そのうち一人で行くようになって、ミーティング後に実家に寄るのが当たり前になり、夕食と風呂にあずかるようになりました。
当時、母は5年日記というのを付けていました。それは各ページに毎日の日付が振ってあって、ページの中が5段に別れていて、毎年同じ日は同じページに書き足していく仕組みです。
僕が飯を食ったり、テレビを見たりしている間、母は日記を付けていることもありました。
すると、母が今日の日記を書いているページには、2年前、3年前に僕がやらかした所業と母の苦悩が書き記されているのであります。それを見て母が、「一昨年の今日、お前はこんなことをやった、あんなことをやった」と言うわけです。
例えば、車庫の柱に車をぶつけて屋根を落としたとか、自転車で酒を買いに行って(川に落ちたのか)ずぶ濡れになって帰ってきたとか。
聞いている方としては、心中穏やかではありません。というか、いたたまれません。
自分でも忘れていた所業が白日の下に晒されるのですから。逃げ出したい気分でした。
僕の態度も穏やかでなかったのか、最初のうちは母も遠慮して言っていましたが、そのうちその遠慮もなくなっていきました。
そしてそれは、5年日記が尽きるまで続きました。
僕らは、AAミーティングで、ステップ4・5、8・9で自分の過去と正直に向き合うべきだとされています。でも僕は、自分の自己洞察ってやつが、どんなに甘っちょろいものかは良く理解しました。自分の過去の記憶は、酷いなら酷いなりに美化されていて、事実とはかなり違うんだってことを。
だから、AAミーティングに家族がやってきて本人の話を聞けば、「おいおい、思い出を良い方に改変すんなよ」って気持ちになるんではないか、そう考えています。
昔のことを言われるたびに、表面に出して(あるいは内心で)感情的になっていた自分ですが、だんだん諦めにも似た気持ちで、他者の視点から見た事実と向き合えるようになりました(ちょっとはね)。
そういうチャンスを与えてくれた、母の5年日記には感謝しています(今ようやく)。
院内ミーティングが病院メッセージに衣替えした後も、あいかわらず通っているのは、母が月に一回は来いと言うのも理由のひとつです。
2冊目の5年日記を書き終えた母は、もう日記を書くことに興味を失ったようで、少し安心しています。
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