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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年09月24日(月) 間違う権利を保障する 2000年アメリカ・カナダ評議会報告書より
ロイス・F GSO退職にあたっての言葉からごく一部を抜粋
1977年にGSOのスタッフになったとき、当時の所長のボブ・ヒッチンスにこう尋ねたことを思い出します。AAにとっての将来の不安材料は何か、それについて彼はどう考えているかと。ボブは“厳格になること”をおおいに心配していると答えました。また、1986年の評議会で、元所長のボブ・ピアソンが話したお別れの言葉のなかでも、彼はAAの中で“厳格さ”が増すと、つまりつまらぬあら探しのような質問に対して、かんぺきな回答が要求されるような事態が増えたら増えただけ、AAは大きな危険にさらされるようになると話していました。
もちろん私たちは12の伝統、概念、順守事項に要約されたAAの原理にしっかりとしがみついていく必要があるのは当然のことです。けれども、その“厳格さ”は、自分は間違っていないという一人よがりの思い込みに乗じてはいないだろうかということです。新しく来た人がミーティングで自分のことをどういう病気だと言ったからとか、抗鬱剤を服用しているメンバーはバースデイを祝うのにふさわしいかどうか、などということが問題として取り上げられるとき、私たちは自分の手で、命を救われたAAの集まりからアルコホーリクを追い払っているのではないでしょうか。
GSOに対してAAの伝統をもっと“強要”するようにと要求してくる人が増えています。ビルだったら一体どう対応しただろうかと思うのです。彼をよく知っていた人たちによれば、ビルは心が広く、寛大で、寛容だったといいます。そして彼のお得意のせりふは「どのグループにも間違う権利があるんだ」というものだったと。AAの中での間違いは、おのずとそのなかで修正されていくのだという強い信念をビルは持っていたのです。
(略)今、AAのプログラムとAAに対する私の中の信頼感はかつてないほど強力なものです。20年前、当時引退したGSO所長のボブ・ヒッチンスが彼の40年のバースデイで私たちのグループで話をしてくれました。(ボブが酒をやめたのは1940年で、ビルの死後6年間GSOの所長をしていました)。その中で、その40年間にAAそのものはほとんど、それどころか、まったく、変わらなかったという印象があると話していました。
それは今も同じだと私は信じています。ステップ、伝統、順守事項、概念、これらのものは65年前にさかのぼっても、いつの時代も、現在と同じように、貴重で、分かりやすく、実践に役立つものです。それらのものはすべてが、ミルトン・マックスウェルが強調したように、一つの霊的な織物の一部なのです。たとえメンバーやグループがその文章を一字一句暗唱していなかったとしても、それらの原理は、理解され、意識されています。
(略)評議会メンバーである私たち――評議員、常任理事、スタッフは、――アルコホーリクス・アノニマスの中できわめて重大なリーダーシップ的役割を取っています。けれど私たち評議会メンバーが道に迷い、AAのメッセージを運ぶ私たちの活動の中にいつも溢れる、簡潔さ、人を排除しないこと、共通感、愛情といったものを見失うようなことがあったとしても、その評議会メンバーに“AAという船を沈める”力などありません。そんなことができる力のある人間はどこにもいないのです。AAの集まりそのものが私たちを正しい道に引き戻してくれるか、あるいは私たち評議会メンバーが無視されるかのどちらかでしょう。
(以下略)
〜AA日本ニューズレター85号掲載の文章より
2007年09月23日(日) 近況 ソフトバンク携帯は、バッグの中に放り込まれたまま、全く使われていない無駄な状態です。とはいうものの、26ヶ月は契約し続けねばならない縛り付きです。トホホ。
テレビ到着しました。
パネルの画素数は1,366×768ですから、フルハイビジョンはおろか、普通のHD放送すらドット・バイ・ドットでは映りません。パソコンのモニターではなく、テレビですからそこは気になりません。てゆーか、アンテナ繋いで見るまで、地上波デジタル放送がHD放送(1440×1080i)だなんて知りませんでした。640×480だとばっかり思っていたのです。
稲刈り終了しました。
自家消費分だけ天日干しにしています。自然乾燥のほうがお米が美味しいから、という理由ではなく、コンバインによる収穫(と乾燥)を頼むと高いからです。
関係ないですが、相手が死んでいるから、二度と会えないから、ステップ9の埋め合わせができない、とは思いません。「会おうにも会えない相手も人もいるだろうが、そういう相手には正直な手紙を書く(p120)」。
たとえば死んでしまった人に手紙を書くことに、何の意味があるのか? ステップ9は相手に許してもらうためにするのではなく、自分の回復のためにするのですから、相手が読んでくれるかどうかは関係ないはずです。
したがって、「埋め合わせのできない相手」なんてのは存在しないことになります。会えないという理由をつけて先延ばししているだけです。
といっても、僕はまだ死んだ父に手紙を書けていません。だから強いことは言えません。まあ、スポンサーになると、自分がやってないことでも、やらせなきゃならない時も出てくるんでしょう(で、後であわててやると)。
2007年09月22日(土) 「リスク上等!」でないとねえ 恋愛相談に乗るほど経験豊富なわけじゃありませんが・・・。
恋愛の告白って「好き」って言えば済むだけの話じゃないですか。難しいことはないと思いますが。
気持ちを自分の心の中だけに秘めているときは、何のリスクもありませんが、言葉に出してしまうとある種のリスクは避けられません。たとえば僕が誰かを口説いたとして、その女性が、
「私、ひいらぎに口説かれたのよ。あの男、あんな変な顔をして、いったい何考えてんだろうね!わはは」
などと吹聴して回られたら、結構凹みますな。仮に首尾良く恋愛関係に持ち込めたとしても、物事には終わりがありますから、こっぴどい別れ方をしようものなら、腹いせ(?)にどこで何を言われるか分かったものじゃありません。
結婚というゴールがあっても、その先に夫婦げんかが待っています。「友達に相談」という名目で、いろんなことが家庭の外に漏れていきますし、ことによるとブログで全世界に向けて発信されちゃったりします。「夫婦げんかは犬も食わない」と言いますが、対岸の火事ってやつですから。
一人でいれば、そういう傷つき方は避けられるのでしょう。でも、納得して一人でいるんだったら、それも良いのですが、傷つくことが怖いから避けているだけなら、やはり淋しいのじゃないでしょうか。
何もしなくても、いつか可愛くて心優しい女性が目の前に現れて「あなたが好き」と言ってくれるという、実現性皆無の夢を見ているうちに、着実に年を取っていってしまうものです。年を取ると落ち着くなんて言いますが、体も心も衰えて、好きになるのが億劫になるだけでしょう。そうなったら遅いですよ。
ともかく、自分だけ安全圏に隠れていて、恋愛の美味しいところだけ食べようなんて、無理な話です。どーんと告白して、ばっさり断られて、経験値を積んだらよいのじゃないでしょうか。
え? 全然勇気づけてない? 否定的なことばっかり言ってる? ま、がんばんなさい。
「結婚する前は両目を開けて、結婚したら片目を閉じて」相手を見ろ、なんて言いますが、酔っぱらっているときは両のまなこが酒で曇っているわけで・・・。なまじ素面になってしまうと、いろいろ見えすぎて誰とも結婚できなくなる例もあるみたいですから、何が幸いなのかは分かりません。
ひょっとすると女のほうも、ぼーっとしていても、急に目の前に甲斐性のあるいい男が現れて「好きじゃー」などと言ってくれるのを待っているのかも知れませんね。女になったことはないので、分かりませんが・・・。
2007年09月21日(金) 領収書 ソブラエティ1年目に「金がない」という悩みをAAスポンサーに相談したら、返ってきた答えは「家計簿をつけろ」でした。
ステップ4・5と同じだというのです。まず自分の状態をしっかり把握しないと、修正もできないから、なんとなく金を使って、なんとなく足りないと言っているようではダメだと。
というわけで、家計簿をつけ、公共料金の請求書・領収書のたぐいはパンチ穴を開けてファイルしました。
その後、多少経済状態が改善すると、もう家計簿はつけなくなってしまったのですが、領収書のファイリングだけは続けていました。
一度、過剰請求を見つけて、何ヶ月分かさかのぼって返してもらったことがあります。
電子メールが普及する前は、AAメンバーとのやりとりは電話か手紙でした。郵便箱を開けて手紙が入っているのを見つけるのは、実に嬉しいものでした。それがないときは、JSOやセントラルオフィスからの書類でも、NTTや携帯電話の領収書と同封のパンフでも、ないよりマシでした。
最近のメンバー同士のやりとりはメールが主ですし、届く郵便物は「片づけねばならないこと」の類なので、郵便受けを開ける楽しみは、以前ほどではありません。
何のために領収書をファイリングしているのかも、意味不明になってきました。若干の資源節約のために、領収書や明細はWebで参照するサービスの申し込みをしました。
2007年09月20日(木) あなたのスポンサーではないのだが 目の前で起きていることが、どうしても納得できない、という気持ちは分かります。
もし神様がいるなら、どうしてこの人に罰を与えないのだろう、と思ったりするわけですね。「配慮に欠けていた」ってのも含めて、自分に落ち度はないし、相手が悪いとしか思えなくて・・。いつかこの人は罰が当たるだろう、いや当たって欲しいと思ったりして・・。
でもそれは「私は間違っていない」、「もし神様がいれば私に賛成してくれるはずだ」という思い上がりですよ。
もっと言えば、「私は正しいのだから、神様は私の判断に従うべきだ。だから早くあの人に罰を下しなさい」と思っているわけです。
いつの間にか、自分が神様より偉くなって、命令を下したがっています。AA流の言葉で言えば「神の役を演じて」います。自分=神になっています。
世間において「自分は神だ」と主張する人間は、一般にキチガイと呼ばれます。それが「自分の古い考え」の狂気です。これにつける薬はステップ2。健康な心に戻してくれると書いてあるでしょう。
自分がアル中だと気がつかない人は、酒をやめようとは思いません。同じように、自分の考えの狂気に気がつかない人は、正気に戻してもらおうとは思いません。だから、自分の考えで苦しむのはひとまず良いことです。きっとたぶんね。
自分の考えでは、どうにも間違いとしか思えないことでも、神様の視点で見れば実は正しいことなのかも知れません。僕らは神のように全知全能ではないので、目の前で起きていることの正しさが理解できなくても、しかたないことです。諦めましょう。
それよりも神様はすべて良くしてくださると信じ、今日起きたことにもきっと何か意味があると信じ、罰をあてて欲しい人に頭の中を占領させるのはやめて、今夜はぐっすり寝ようではありませんか。
いくらミーティングに出続けていても、そういう考え方は意識して努力しないと身に付きません。3年後にはきっと自分が変わっていると信じて続けていきましょう。そうすれば自分のことだけで十分忙しいはずですよ。
2007年09月19日(水) 仲間の力じゃないんだよ ソーバー1年目に一冊の本を何度も読みました。
(いや、ビッグブックじゃなくて)
加藤諦三という人の本で、巻頭にこんなことが書いてあります。
人間は二つのことが大事である。
一つは、自分を尊敬し、自分を大切にすること。人にどう思われるかではなく、自分が自分をどう思うかが大切だ。
もう一つは、人間は他人との関係が大切である。意欲の源泉は他人との関係にある。
それに続いて、「この二つのことは、お互いに矛盾するではないか」と主張する若者の話が出てきます。僕もこの若者と同じように感じていました。自分を大切にすれば他者との関係はぎくしゃくするし、関係を大切にすれば自分を犠牲にするしかない。だから二つのものを同時に大事にはできない、と感じていたのです。
わがままを貫き通すか、そうでなければ自己犠牲の連続。そういう二者択一の人生を生きるのはとても辛いことです。でも、子供の頃からずっとその生き方を続けてきたので、ほかの生き方があるなんて知らなかったのです。
だが、知ってしまいました。知ってしまえば、別の生き方がしたくなる。要するにステップ1と2です。
関係ない話ですが、ステップ2をすっ飛ばして、ステップ4・5を済ませた人は、その次のステップ6に至ったときに、矛盾を抱えます。「性格上の欠点を神に取り除いてもらう」と書いてあるのですが、ステップ2を迂回してきていますから「神に取り除いてもらう」事ができません。
しかたないので、一生懸命「自分で取り除こう」とします。それも無駄にはならないでしょうが、いつの間にか人生が「自己犠牲の連続」になりがちです(経験者は語る)。そのうち「ステップって辛い」とか言い出しますから。
その時には、いったんステップ2まで戻った方が良いです。
例えば「仲間のおかげ」という言葉を使うのをやめる。だって「神様のおかげ」ですから。
2007年09月18日(火) 燃費の話、薬の話 ハイオクとレギュラーガソリンを混ぜて給油し、燃費の変化を探る実験の途中報告です。まだ7回しか給油していないので、何かハッキリしたことを言えるほどのデータは集まっていません。それでは面白くないので、無理に何か言うとすると・・。
ハイオクとレギュラーの価格差は、僕の近所では約7%です。そしてレギュラーガソリンにすると、燃費が7%ほど悪化しています。つまり、経済的効果は出ていません。普段の走行には影響ないものの、ここ一番では出力の低下を感じることもあります。
これから冬に向かって気温が下がっていくと、空気の密度が上がり、吸入酸素量が増えるので燃費が向上します。だから、毎回ハイオクとレギュラーの比率を変えながら、データを積み上げていきたいと思います。
うつ病の治療のために飲んでいる薬は、昨年10月の記録が残っています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20061018
トレドミン(塩酸ミルナシプラン)については変化がありません。たぶん一生この量(50mg×2回)を飲むのでしょう。
レスリン(塩酸トラゾドン)の量は半分に。
ロラメット(ロルメタゼパム)は減らした後に、ワイパックス(ロラゼパム)に変更。さらに1mg錠を半分に割って出されるところまで減っています。
アタラックスP(パモ酸ヒドロキシジン:通称アタP)は、50mgから25mgに半減し、実は勝手に服用を中止しています。次回止めてもらいます。
夜は5時間眠れればせいぜいで、あとは目が覚めてしまって眠れません。けれど、昼休みに机に突っ伏して寝ているのを除けば、仕事時間中に眠くて困ることは無くなりました。精神状態が悪いと寝付けないこともありますが、棚卸しと祈りが効いてくれます。睡眠の質が改善してくるのが分かります。
医者はだいぶ薬が整理されてきたとは言うものの、最終的には寝るための薬(残ったロラメット)を廃し、トレドミンとレスリンをうつ病の再発防止用に維持量飲み続ける状態に持っていきたい・・・しかも来年あたりまでに。と自分で勝手に治療計画を立ててしまっています。
睡眠薬を切ってうつ病がぶり返しては元も子もなかったので、減薬には霊的状態の改善がどうしても必要でした。長い時間がかかったものの、ようやく睡眠薬と手の切れる未来が、実現可能なものとして見えてきた感じがします。
これも霊的な道具のおかげです。
2007年09月17日(月) 自分の頭で考えろ! 改めて別に書いてもいいのですが、忘れないうちに。
まずルールを求めるのはやめなさい、ということです。
法律という社会ルールは、確かに犯罪を減らすけれど、犯罪常習者を更正させる能力には乏しいものです。依存症者も同じで、酒を飲まないというルールを守れた試しがありません。そもそも、何でそのルールを作る必要があったのか、原理原則のところから根気強くやっていかなければなりません。
ステップや伝統も、ルールではなく、原理原則です。守らなくても、処罰はされません。ただ、AAメンバーが大きくステップからそれ続ければ再飲酒と死が、AAグループが大きく伝統からそれ続ければ、グループの消滅が待っているだけです。
だが、人はルールを求めたがります。その方が簡単だからであり、考える手間を省けるからでしょう。
AAのオープンミーティングで、AAメンバー以外(アル中以外)の人に話をしてもらうかどうか、って問題もその一つです。
「アルコール以外の人には、オープンミーティングといえども、話はしてもらわない」のが正しいという人もいます。でも、それはルールですね。
アメリカのAAミーティングでは、話し出した人がアルコール以外の人だと分かった途端に司会が話を遮り止めてもらうところがある・・ていう論拠を出す人もいます。でもそれは、アルコールとそれ以外で分けているのと違うのです。
伝統5ではAAはアルコールの問題に専念しろと書いてあります。アルコホリズムと、そこからのAA流の回復手段だけを分かち合うのであれば、家族の人や別の依存症の人にAAの回復の話ができるわけがない、というのは分からないでもありません。(そう主張する人でも、なぜか医者の話はありがたく聞いたりする不思議)。
だが、それを言い出すのなら、AAメンバー自身も話の内容を吟味しなければなりません。アルコホリズムとその解決=ステップです。昨日も書きましたが、決して「今日辛いことがあって、ここへ来て打ち明けて楽になった」という癒しの話じゃありません。そこまで厳しい基準を自らに課して初めて、「それ以外の人」にも厳しい態度で臨めるのではないでしょうか。これがルールでない原理原則です。
前述のアメリカの話は、AAメンバーであろうと無かろうと「アルコールの話に限ってくれ」といって遮られてしまう、という話であります。
だが原理に100%沿って生きられる人はいません。AAメンバーだってヌルい話はしてしまいます。だからこそルールはナンセンスなのです。少なくともAAの中では。
まあ、ルールを作るのは個々のグループの勝手で、「自分に甘く人に厳しいルール」で原理から外れたからといっても、処罰がないのもAAであります。
常に伝統やステップの原理に照らし合わせて考え(Think! Think! Think!)、同時に現実は原理どおりにはできないことも受け入れる。清濁併せ呑むことが求められる、それがAAでしょう。てゆーか、世の中なんでもそうでしょうけど。
2007年09月16日(日) 後からついてくる 埼玉のサービスフォーラムから帰りました。
明日は町内会のバスハイクで、三鷹のジブリ美術館であります。
「ステップは後からついてくる」と良く言われたものです。
これは、ステップは意識的に取り組まなくても成し遂げられる、という意味ではなく、AAの中で飲まない生活を続けていれば、いつか必ずステップに取り組もうという意欲が生まれるはずという約束の言葉です。言外に、AAの中にいる限りステップは避けて通れないのだよ、という脅しも含まれている気がします。ともかく、AA=ステップであるという合い言葉です。
最近その言葉が聞かれなくなった、と言う人がいました。
ステップなんぞやらなくても、とりあえず酒をやめていることはできますから。そして、ミーティング場に「回復」ではなく、「癒し」を求めて集まってくるのかも。今日こんなことがあって辛かった、でもここで話せて楽になれました、なんて話ばかりしているのかも知れません。まあ僕の想像に過ぎません。
それにしても、いつか必ずステップはやらねばならない、という覚悟というか、共通理解が失われつつあるのだったら、怖いことです。
話変わって、AAスポンサーから
「誰もあなたを縛り付けて、無理矢理口に酒を流し込んだ人はいない」
と言われたことがあります。
誰かのせいで酒を飲んできたのではなく、自分で飲んできた、ということです。
じゃあ、好きで飲んできたかというと、病気だから飲んできたわけです。
誰かのせいにしたがる、あるいは自分は酒が好きなんだと言い張る、そういう逃げ口上を防ぎ、病気と正面から向き合うための助言だったのでしょう。
仲間の訃報が届きました。僕が初めてAAミーティングに行ったときに、その会場にいた一人です。僕が知っている頃、彼はいつも「ここじゃないどこか」を探しているように見えました。その彼もついに行くべきところを見つけたのかもしれません。
「自分に正直になる能力さえあれば回復する」(第五章)
2007年09月14日(金) 疲れたのでテキトー HA、肥満アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちも肥満状態から回復するよう手助けしたい、という男女の共同体である。
HAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、肥満をやめたいという願いだけである。会費もないし、料金を払う必要もない。われわれは実質的に何も活動していないのである。
HAは、いかなる宗教、宗派、政党、組織または施設にも縛られていない。また、どのようなダイエット方法にも、治療方法にも、支持も反対もしない。
われわれの第一の目的は、肥満の解消であり、他の人たちも適正体重を達成するよう手助けすることである。
(HAは某メーリングリストミーティング上に存在する、AAメンバーの有志の会です。実質的活動はありません)
閑話休題。
ここの下のニュース検索が、またまた偏りを見せている気がします。チューニングをやり直さなければ・・と思いながらもほったらかしです。それにしても、いろいろマイナーなニュース媒体から記事を引っかけてくることに感心します。
ライブドア・ニュースが、ホリエモン騒動の時に、あちこちのニュース媒体から契約を解除されてしまい、困ったあげくにマイナーな媒体と多く契約し、その影響がまだ残っているってのが真相のようです。
次の改造では、どこの検索で引っかけたのかも表示する予定。
閑話休題。
世の中には二種類の人間がいる。片方は、世の中の人間を「〜する人間」と「〜しない人間」の二つに分類したがる人であり、もう一方はそんな分類をしない人。もちろん僕は後者。
閑話休題。
サービスフォーラムは土曜午後一時開始のようです。午前九時に出れば間に合いそう。明日は天気が良さそうですから、運動会は土曜日に済んでしまいそうですね。
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