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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年10月21日(日) 腹が痛い、トイレと仲良し はっきり約束をした憶えはなかったのですが、朝9時に起こされて「そば祭りに行こう」と連れ出されました。今回はジジババとセットであります。5人乗りの車に6人で乗っていきました。ジジの理屈だと「子供二人で一人分だから大丈夫」なんだそうですが、教習所で習った理屈では「子供3人を大人2人とカウントする」ルールだったような気もします。
この週末は、ともかく「生産的なことは何もしない」つもりでいました。頼まれているあれやこれやを放り出して、ゴロゴロ寝て、本を読んだりビデオを見たり・・。結局それすらしなかったのです。
さて、AAミーティングにも「波」があると思います。たとえば人数の波です。20人以上集まっていた会場が、3ヶ月後には7〜8人まで減っていたりしますし、その逆もあります。そこに参加する個々人にも、気分や都合の波があって、おそらくはその重なり合いが会場の波を形作っているのでしょう。
会場のいい雰囲気が気に入っている人は、雰囲気が変わると去っていったります。それはその人の目的が「いい雰囲気」なんだから仕方ないことです。そういう人に限って「以前は良かった、今の悪い雰囲気を誰か何とかしてくれ」と解決は他人任せだったりするんですが、それは別の話としましょう。
最近あそこの会場は雰囲気が良い、という評判が立てば人が集まり、暗いとかギスギスしていると言われれば来る人は減ります。
おそらく、「酒をやめたい」という純粋な願いだけで全員が集まっていれば、波は小さくて済むのでしょうが、自分だってそんなに純粋な気持ちでミーティング通いを続けているわけでもありませんから、人に文句を言えた義理じゃありません。
同じことは、ネットの掲示板やメーリングリストにも言えます。
自分の評判にも波があります。行いが悪ければ評判が落ち、善ければ評判が上がる・・・とは限りません。そこが難しいところです。「あの時、あんなに褒められるほど善いことをしたとも思えないが、今こんなに悪し様に言われるほど悪いことをしたとも思えない」と嘆いた経験はないでしょうか。
良い評判をもらえば自信がつき、自信がつけば気持ちに張りが出て、生きていくのが楽しくなる・・・それはそうなのですが、評判の善し悪しは自分がコントロールできないものである以上、良い評判を目的にすると、他者の視線ばかりが気になって、かえって辛く感じられるものです。それゆえ評判から自由になることは大切だと思います。
とはいうものの、頑張って仕事したのに、給料が上がらなくてやる気をなくしたりなどなど、人はなかなか評判から自由になれないものです。
たとえ他者が努力を認めてくれなくても、その人の中の神さまは、必ずその人の努力を認め、褒め讃えてくれるのは確かだと思います。
2007年10月20日(土) 安心して病む 午前中から家族で買い物に出ました。
僕が欲しかったのは、ワイシャツ1枚だけで、ついでに100円ショップでボールペンでも買ってこれれば十分でした。その用件だけ済ませるなら、自分一人で行動した方がず〜〜っと早いのです。
なんで女の買い物は、こんなに長いのか?
子供の服を買って、100円ショップによって、ソフトクリームを食べて、本屋によって、食料品を買って帰ると、もうすでに2時間経過していました。買い物だけでぐったりと疲れてしまいましたが、それに付き合うことになんか意味があるのでしょう、きっと、たぶん。
さて、妻はうつ病であります。
最近彼女はゴロゴロ寝てばかりですが、以前は元気でした。でも、病気は結婚前からのもののようです。結婚前後、僕が飲んでいた頃、そして酒をやめた後の数年は、妻は元気で、僕は彼女がうつだなんて気が付きもしませんでした。だがそれは仮の姿で、酒飲みの亭主と結婚し、旦那を「何とかする」ためには、自分が「一生懸命頑張らねば」と、元気を必死で演じていたようです。
やがて、その緊張の糸がぷつんぷつんと切れだしたらしく、次第にうつで寝込まれるようになりました。僕は自分の健康に自信がないだけに、健康な女性と結婚したつもりだったのに、すっかり当てが外れてしまいました。二人とも病気のことは正面から話さずに結婚したので、そりゃもうお互い様なんですが。
困ったなあと言いながら生活しているときに、ある人からこんな事を言われました。要するに、ある程度旦那の酒が止まり続ける見通しが立って、彼女も安心してうつを病んでいられるようになったのではないか、ということです。僕が酒をやめているから、社会で暮らしているから回復しているというわけでもなく、安心して病気を病むこともできない、緊張が続く生活を強いてきたのだと考えると、妻の病気を恨む気持ちも薄らぎました。
おそらく、僕が酒を飲んだりすれば、妻の鬱なんて吹っ飛んで消えるでしょう。妻が元気なときは、こちらの状態が良くないサインであります。
主婦に寝込まれると外食が多くなって、経済的にも、栄養的にも大変ですが、ともかく家族が餓死せずに暮らしているのですから、安心して病んで欲しい・・と生暖かく(?)見守っております。
それにしても・・・、東京のカウンセラーに行くって話は、またどこかへ行っちゃったのか? なんだかんだ言っても、アラノンに行ってもらうのが良いと思うのですが、思うようにはならないのであります。
2007年10月19日(金) こたつ こたつを出しました。パソコン部屋用には電気ヒーターを出しました。
10月の始めにこたつを出すのが通例でしたから、今年はずいぶん遅く、おそらく気候が暖かかった(夏が暑かった)のだと思います。実家では9月の終わりに秋祭りがあり、それにあわせてこたつを出すのが習慣でした。
昔は秋祭りと言えば、盆暮れと同じように、親戚が集まる機会でした。おじさんおばさんから小遣いをもらって、神社の夜店に行くのが楽しみでした。田舎の小さな神社ですから、派手な祭り行事があるわけでもなく、夜店もせいぜい数軒でしたが、楽しみなものでした。
近年、母が秋祭りも帰省してこいというので、子供二人を連れて行ったことがあります。子供たちもお祭りだというので、楽しみにしていました。しかし田舎の祭りはますます寂れ、誰もいない神社の境内に、一軒だけの屋台をテキ屋のおにーさんが守っているという状態で、子供たちは「これがお祭り?」とメガテン状態でした。
彼女たちにしてみれば、道の両側にずらりと夜店や屋台が並んでいるのがお祭りですから、無理もないことでしょう。
話変わって、僕の誕生日は6月の終わりなんですが、小学生の頃に描いた誕生日の絵日記には今にこたつが描かれていました。地球温暖化以前は、6月後半にもこたつがいるぐらい寒かったのだ・・という話ではなく、ずぼらな母が片づけなかっただけの話です。
当時を思い起こすと、居間などはかなり散らかっていました。母も祖母も片づけませんでしたから。新聞などが散乱していて、父が新聞を読み終えてから「今日の新聞だと思って読んだら、3日前のじゃないか」など怒り出したりしていました。。
そんな環境で育ったので、僕もなかなか片づけができない人間になってしまったのです(言い訳?)。
この頃実家へ顔を出すと、母が部屋をきれいに片づけてあります。まあ、それは年寄りになってヒマができたからなんでしょう。しかし、そのきれいな部屋を見ると「過去のあの散らかりようは何だったんだよ!」とツッコミたくなるのであります。
2007年10月17日(水) ひいらぎQ&A ・ホームページ左上の葉っぱは柊か?
あれは柊(ひいらぎ)の葉ではありません。素材データ集から拾ってきたもので、元は夏の草の葉をスキャンしたものだそうです。本物の柊の葉っぱは、周囲にトゲトゲがあります。「ひいらぐ」という言葉は、ずきずき痛む様子を示します。柊とは、人を傷つける痛い葉を持つ木という意味です。
・心の家路ってどんな意味?
人生という旅を終えた後に、魂が「家」へと帰っていく行路です。なので、人が亡くなると、その人の心の家路が安かからんことを、という祈りの言葉が雑記に出たりします。
・もっとおじさんかと思った。
なぜか文章でだけ僕を知る人は、50代だと思うようですね。
・どれぐらいAAミーティングに出ているんですか?
現在は週3回です。
・AAが嫌になったことは?
そりゃもう何度もあります。
でも本当に嫌になったら、もう続けていないと思います。
AAでもなければ、家と職場の往復の淋しい人生ですよきっと。
2007年10月16日(火) 謙虚以前の問題 小学校から中学へ進むときには、同級生がみんな一緒でも、高校になるとバラバラです。いや、小学校から中学への進学でも、慣れた場所を離れる辛さはあるでしょう。
僕は18で親元を離れ、大学を中退した後は、仕事は転々と変えてきました。AAのホームグループも、今のところが延べで5カ所目(実数だと3カ所)。来年はまた別のグループでバースディをやりたいと思っています。父親はすでになく、母親も老齢、夫婦といってもどちらかが先に死ぬのが通例です。
かように人生とは、誰かと親しくなっては別れ、場所に馴染んではそこを離れるという、別離と喪失の連続です。どうにも孤独であるのが人生の実態だと思います。
自分を愛せない人は、その孤独に耐えられないと思います。耐えきれず辛いからこそ、人を愛してみるものの、そもそも自分を愛せず、尊敬できず、信頼できない人間が、他の人を愛し、尊敬し、信頼できるわけがありません。結局、自分を満たす道具として相手を利用したあげく、喪失の嘆きを真の愛と勘違いしてみたりします。
孤独の人生にも、最初から最後まで自分につきあってくれる友人がいます。最も近しいその友人、つまり自分自身を最良の友として、愛し、尊敬し、信頼する。謙虚だ謙遜だなどという話は、それができた後の話であります。
世の中には自分を愛することが自然にできる人がたくさんいますが、アル中さんには少ないように思います。自分を愛する能力のない者が、その能力を獲得するのは大変です。でも、その能力の有無が人生の質を大きく左右するのですから、意識的な努力をしてみる価値はあると思います。
ニュース検索を更新しました。MSN毎日→毎日.jp、産経新聞→MSN産経への対応。検索元が空欄になるバグ修正。Googleニュースのチューニングなどです。
2007年10月15日(月) 300:100000000 初めて300bpsのモデムを買ったのは1985年だったと記憶しています。
値段の記憶は曖昧ですが、5万円と10万円の間だったと思います。それでも安くなったからこそ手が届いたのでした(bpsはビット/秒)。
ちなみに、初めて買ったプリンターは信州精器製で15万円ぐらい。初めて買ったパソコンは、本体20万・フロッピーディスクドライブ30万・白黒モニタが10万でした。だんだん年寄りの昔話になってきたので、ここらへんで止めておきます。
300bpsだと、調歩同期で1秒間に30文字。全角だと15文字伝送できます。読むのが早い人なら、秒間15文字は読めるでしょう。だから当時の電子掲示板システムには、記事を伝送表示ししている最中にスペースキーを押すと、その記事の表示をスキップする機能が付いていたりしました(つまらない記事を読まずにすますため)。
その後に1200bpsと4倍になり、2400bps、9600bps、14.4Kbps、28.8Kbps、33.6Kbpsとどんどん高速化していきました。電話回線がディジタルになって64Kbps。ADSLが1.5Mbpsあたりから始まってどんどん高速化。現在光回線を使っている人は100Mbpsでしょうか。
100Mbps=100000000bpsです。300bpsと比べるとものすごく高速で、ビデオ映像をリアルタイムで伝送できたりします。
でも、なぜかその高速回線を使って、300bpsの時代と変わらない電子掲示板という仕組みを使っていたりします。不思議と言えば不思議な話です。
疲れたので早く寝ます。
2007年10月14日(日) ヒューマン・ファクター 病院メッセージの輪番。この病院は3ヶ月ごとの輪番なのですが、4月は「ド忘れ」、7月は埼玉にいたので、9ヶ月ぶりでした。
さて、僕が日常で顔を合わせる人はせいぜい十数人でしょうか。生活の中ですれ違う人は多くても、コミュニケーションを取っているわけではないので、人間関係のあるには十数人ぐらいです。AAのミーティングに行っても数人〜十数人増えるぐらいです。
ところがコンピューターネットワークを介すると、その人数は飛躍的に増えていきます。そうすると、日常生活の十数人との間では、大きなトラブルのなかったコミュニケーションが、勢いトラブル含みになってきます。
僕は相手を知らないし、相手も僕を知らない、そう言う人たちが僕があちこちに書き散らした文章を読んで、さまざまな事を感じたり、考えたりします。そうすると、僕の予想を大きく越えて、さまざまな反応が起こってきます。良いことも悪いことも起こります。それがネットの醍醐味でもありますし、同時に怖さでもあります。
その怖さから「ネットの無名性」を使って逃げる人もいます。ある意味卑怯な手段ではありますが、やむを得ない自己防衛だってあるでしょう。ただ、逃げているのは、相手からではなく、自分からですね。たぶん。
日常生活で出会うわずかな人たちと、一見うまくいっているように見える人間関係も、実は潜在的にはトラブルの種を抱えているのでしょう。それがネットを介することで、相手の人数が一桁も二桁も、時にはもっと増え、試される機会が増えるだけ、潜在していた問題があぶり出される確率が上がるだけなんだと思います。
ネットの怖さといのは、実は日常の人間関係がうまくいっている(ように見える)のは単なる幻想であることを伝えてくれます。この場合も、危機が訪れたのではなく、幻想が終わっただけの話です。
1985年からネットに出ていますが、ネット上で起きる人間関係のトラブルは昔も今も変わりがありません。どんなに技術が進歩しても、おそらくそれは変わらないでしょう。なぜならそれは、ネットという技術の問題ではなく、それを使う人間の抱える問題だからです。
2007年10月13日(土) 自己決定 気に入らない仲間(AAメンバー)というのはいるものです。
僕は回復途上なので、たいていどこのグループに行っても「こいつは気に入らないな」という相手が一人はいるぐらいです(必ずいるわけではありませんぞ)。
でも、気に入らないのは、相手の問題ではなく、自分の問題です。
「気に入らない」と決めているのは、あくまで自分であって、相手ではありません。もし、相手の言葉や行動が自分に「気に入らない」という感情を呼び起こしているとするなら、それは相手に自分の感情を支配されているということです。
誰かに自分の感情を支配されるなら、それはおそらく不幸でしょう。
自分の感情ぐらい自分で決めたいものです。
というわけで、「気に入らない」のは自分の選択であって、相手の言葉や行動のせいではありません。「気に入らない」と思うのをやめることも、自分の自由な選択肢であるわけです。しかし所詮コントロール喪失なので「気に入らない」のを止めることも、なかなかできなかったりするわけであります。
今日は仲間のステップのお手伝い。でも、慣れないことなので、結構疲れました。緊張していたということでしょう。
2007年10月11日(木) AAで通用すれば・・ 「AAでは通用しても、社会では通用しない」
という言葉があります。要するに、甘えているということでしょう。AAの仲間は甘えの行動を許してくれても、世間様は許してくれるとは限りません。
しかしながら、AAで通用すれば、社会でも通用するとも思います。
誰かが開けてくれているミーティングに通っているだけでは、その理屈は理解できないかも知れません。ひとたびAAを維持する側に回れば、「なんで俺はこんな苦労をしているんだろう」と思うぐらい、いろんな物事が発生してくるものです。
なにせAAは病気の人間だけで構成されている共同体です。ソブラエティの長短にかかわらず、性格の偏りは激しいし、「古い考え」ってのが染みついている人ばかりです(自分もね)。自分中心の人たちが一緒にやっていくわけですから、トラブルがないわけありません。
一方世間のほうは、おおむね健康な人間が(おそらく)半数以上を占めているでしょう。局所的な偏りもあるでしょうけど、それはおいといて。健康な人が多ければ、健康な論理で物事は進みます。
「自分がAAを出て行けば、飲んでしまい、やがて死んでしまう」と思っている人は強いですね。生き残りたいから、ミスを認めもするし、謝りもします。一緒にやっていかなければならないから、仲間を許します。ほのぼのした人間関係というボンドでくっつきあっているんじゃなく、プログラムに対する信頼という紐帯で結びついているからこそ、同じトラブルの繰り返しでも続けていけるのでしょう。
そうやって、トラブルから逃げ出さずに対処する訓練をAAで積んでいけば、世間の中で時折起こるトラブルにも対処していけるものだと思います。
日付が変わってから帰宅する日々が続くと、うんざりって感じなんですが、それでも高速バスで東京まで行って一日AAの会議に出てくるほうが、よっぽど疲れたりするのです。
2007年10月10日(水) 高すぎる目標設定 最初の頃は日常の記録など書いていたこの「雑記」ですが、次第に現実生活から乖離していっています。一番書いていておもしろいのは、AA関係の出来事です。けれどあまり生々しいことを書けば「私のことを書かないでくれ」と言われることになりますし、それを言われないなら言われないで恐ろしいことです。かといって、AAネタを避けても、家の中や仕事にそれほど変化があるわけでもありません。
AAミーティングでは、なるべく生(なま)の話をしようと思っていますが、この雑記では逆へと指向して、実際にAAでどんな活動をしているか具体は避けて書くしかありません。
ある人から(AAの)「ネットの巨人」「ネットセレブ」と揶揄されました。悪意があっての言葉ではないと分かっています。ただまあ、ネットの片隅でひっそりとやっている頃のほうが、気楽で良かったと時々思います。背負うものが重くなったなと。それと、アクセスカウンターが景気よく回っていたとしても、実際に雑記を読んでくれているAAメンバーの数が実は二桁だったりしないか、と検証しようのないことを考えたりします。
さて本題。
志が高いのは結構なことですが、高すぎる目標を設定するのは「挑戦」の気概ではなく「逃避」の心理だといいます。仮に目標を実現できなかったとしても、自分が傷つかないための「安全装置」であると。
年収10億円になるとか、100人の男に見せびらかしたら全員が羨ましがるほど「いい女」を手に入れるとか、文学賞を取って一躍人気作家とか、ニートだけど司法試験勉強中でいずれ弁護士だとか。
その夢に届かなかったとしても、周囲が(そして自分も)「所詮無理な夢だから」という一言で済ませてしまいます。
年収○百万、ともかく一人の異性の獲得、発表しなくても一本の小説を最後まで書く、どこでもいいから就職、という程度の実現可能な目標を設定するのは、実はしんどいことです。
この夢に届かなければ、自分はこんなこともできないのかと、落ち込む羽目になります。だから高い目標を設定することは「逃避」なんだそうです。
欽ちゃん(萩本欽一)が「若者は夢を見てはいけない」と言っていました。若いころに成功できるのはほんの一握りで、その他はこつこつ努力を続けて、やっと中年になる頃に夢への階段がおぼろげに見えて来るのがせいぜいだ。若い頃から夢を見すぎると、夢のとばくちすら見えてこないのにうんざりして、努力をやめてしまう人が多いのだそうです。
ま、今日一日。
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