心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年06月09日(月) 第三版に寄せて

ビッグブックの『第三版に寄せて』は、とても短い文章ですが、いろいろと重要なことが書かれています。

まず「12のステップとは何であるか?」という疑問に対しては、「AAのプログラムを要約した十二のステップ」(The Twelve Steps that summarize the program)という言葉がありますから、「12のステップとはAAプログラムそのものだ」と言っても差し支えないでしょう。

「(AAの共同体の)核心はいたって簡単であり、個人を主体にしたものである」(At this Fellowship's core, it remains simple and personal)。つまりAAの核心は、とってもシンプルで個人的な12のステップのことだ、と解釈できるわけです。

2ページに満たない短い文章なので、ぜひ一度じっくり読んでみてください。

引っ越しに伴って、Bフレッツ(光ファイバー)からADSLに変えたら、IP電話の具合が極端に悪くなってしまいました。VoIPアダプタがハングしてしまうのは仕方ないとしても、ルーターまで巻き込んでLAN全体が停止してしまうのは困りものです。

VoIPアダプタを買い直すのは悔しいので、いっそのことNTTの加入電話・ADSL・IP電話の全部を解約して、KDDIと契約しなおすことにしました。NTTに支払った工事費、契約料、ADSLモデム代金など合計1万数千円はすっかり無駄になってしまいますが、月々の支払いの差額2年分ぐらいで元が取れるでしょう。

ソフトバンクBB(ヤフーBB)のARPU(加入者一人あたりの平均支払額)は四千数百円にもなっているそうです。数年前にはADSLの価格破壊などと言ってしましたが、いつの間にか業界一高くなったと言ってもウソじゃないでしょう。これに加入電話の基本料金やら、ナンバーディスプレイの加算額など加えていくと、Bフレッツ+ひかり電話とさして変わらない値段になります。

ただ、光ファイバーにして「何をするの?」と聞かれると、答えに詰まります。男性だったらムフフな用途も、えへへな用途もあるのでしょうが、それで家族を説得するのは難しいだろうしね。


2008年06月08日(日) 氷室冴子死去

氷室冴子が亡くなっています。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0606/TKY200806060232.html

さすがに高校生の頃はコバルト文庫なんて恥ずかしくて読めませんでした。
が、大学生になって少女マンガを読むようになりました。当時週刊少女コミックに、氷室冴子原作で、藤田和子が『ライジング!』を連載していました。宝塚歌劇団付属とおぼしき音楽学校で、主人公が「娘役スター」を目指して成長していくというストーリーでした。それより少し前の時代の少年マンガ誌は、汗と涙と友情のスポーツ根性もの(略してスポ根)で溢れていたわけですが、藤田和子がこの作品で目指したものは「部隊根性もの」でした(がそこは少女マンガなので、汗と涙と「恋」なんですけど)。

少女マンガが読めるなら、コバルト文庫も読めるだろうと、何冊か買ってみたんですが、やっぱり恥ずかしくて読めませんでした。

実際には氷室冴子の小説は余り読んだことがありません。『なんて素敵にジャパネスク』とか『ざ・ちぇんじ!』などをコミックで読んだだけです。手元に『海がきこえる』の小説がおいてありますが、一度も読んでいません。努力して技巧を磨いた人だと言われますが、やはり才能の人だったように思います。

新しい炊飯器でご飯を炊き、親子丼を作りました。休みの日に子供たちのためによく作ってあげたメニューです。

今日は子供たちが、こちらに遊びに来ました(といっても宿題をやりに来たのですが)。子供たちは僕の住んでいる場所を知らないので、迎えに行かなければなりません。アパートの三階まで一気に上ると、体がしんどく感じました。毎日そこを上っていたときには気にならなかったのですが、体はすぐになまるものです。

呼び鈴を押すと子供たちがドアを開けてくれました。ドアが開いたので、猫(くぅ)が外に飛び出していこうとしたのですが、玄関に「見知らぬ人」が立っているのを発見して、どどどっと走って奥へ逃げ戻ってしまいました。おぃおぃ、くぅよ。ほんの二週間前まで猫缶をあげていた人の顔を忘れたのかね。
「ママは薬を飲んで寝ている」そうなので、何も言わずに子供を連れ出すことにしました。話は前の日にしてありますから。

長女からは、学校の自転車クラブの大会の話、放送委員の役割の話などを聞きました。次女は太ったと言っていましたが、たしかに痩せていたのが普通ぐらいになりました。食べられるようになったのではなく、ストレスで食べているだけなのかも知れません。人間関係で悩みながらも人間関係が豊富な長女。対人関係といえば対母親がメインで、それで困ると父親に泣きついていた次女。
さて、長女のほうはさっさと宿題を終わらせて、買っておいた『ちゃお』を読み、次に少年サンデーに取りかかっていくのですが、次女のほうは相変わらず集中力に欠け、宿題が終わらないうちに、お姉ちゃんが読み終わった『ちゃお』に手を出しているのでした。

衣類がだいぶ片づいてきたので、冬のコートなどを洗いました。
美術館の展示が終わったので、母の絵を受け取りに行き、実家まで届けました。豚のショウガ焼きをごちそうになっていると、母が「すこし肥えたかね」と尋ねてきました。確かにこの二週間で1〜2Kg体重が増えているに違いありません。けれど、体重計がないのでわからないのです。

来月は体重計を買おうか。いやいや、もっと先に買うべきものがあります。子供が来たのにテーブルもなく、宿題を引っ越しの段ボール箱の上でやらせてしまいました。折りたたみのテーブルのほうが先でしょうね。


2008年06月05日(木) 片づかない

服の入っている段ボール箱の整理に取りかかった途端に、物事が進まなくなってしまいました。

例えばワイシャツだけで三十数枚あるのです(もっとあるかも)。半袖長袖あわせてですが。

といっても、僕が着道楽というわけではありません。いつだってタンスの中に入っていたワイシャツは数枚だったのです。残りのものはすべて押し入れの段ボール箱の中などに保管(?)されていました。
だいたい、洗濯機に放り込んだ衣服が、干されて畳まれてタンスに帰ってくるという過程の中で、とっちらかった部屋の中のどこかに行方不明になってしまうような家にいたのです。だから、夏から冬へ、冬から夏へ季節が変わる中で、タンスの中にしまわれた服が出てこなくなったとしても、不思議ではありませんでした。

それが引っ越しの時に全部出てきて、今この狭い部屋の中に積まれています。そのほかの服も大なり小なり似たようなもので、半分ぐらいは捨てざるを得ません。中にはボロボロになって、なんでこんなのまで取っておいたんだろうと不思議に思うものもあります。

結婚当初、僕は今よりずっとお金がありませんでした。働いても貧乏な上に、貧乏だからこそ貯金をしようと夫婦で決めて、毎月積み立てをしていました。子供も生まれて、自分の服を買っている余裕などなく、襟のすり切れたシャツだとか、肘や膝の抜けた服を着ていました。勤めていた会社の社長が「まるでウチがまともな給料を払えてないみたいでみっともない」と叱られても平気で、逆にボロの服を着ているのが自慢なぐらいでした。それでもたまに服を買えば、やっぱりその新しい服がお気に入りになって、そればかり着るものだから、せっかくの新しい服もすぐに古びてしまうのでした。
(元)妻は二十代の頃の時代遅れの服を着てダサダサでした。義姉のところは三人娘なのですが、その「三人目のおねーちゃん」の着た服を、うちの長女のためにお下がりでもらって着せていました。だから次女なんて五人目のお下がりです。
それでも、増えていく通帳の残高が夫婦の共通のよろこびでした。もちろん、押し入れの中に余分な服があったりしませんでした。

しかし、時間を経るうちにそれが変質してしまいました。
妻が妻で「どこにしまったかわからないのよ。着る服がないのなら、今度の土曜日に買いに行きましょう」という妻になれば、ダンナはダンナで「それではいけない、もう一度頑張って探してみなさい」と諭すことのできないダンナになってしまっていたのです。残高はマイナスになりさえしなければいいやという具合に。

段ボール箱が欲しければ、スーパーの隅へ行けばいくらでもタダでもらえます。今回の引っ越しではサイズの揃った段ボール箱をわざわざ買ってきました。衣装ケースのかわりに使って押し入れに服を整理してしまっておくためです。
が、しまう前に洗濯しなければならない服が多すぎます。そして梅雨空が恨めしいのであります。

元妻のことはもう書くまいと思っていたのですが、ついついまた書いてしまいました。


2008年06月02日(月) 静かだ

現在のワンルームを選んだ際に、不動産屋さんから「静かで良いところですよ。まわりも独り者ばかりで気楽でしょうし」と言われました。重鉄骨の建物を選んだのも、隣室の住民の生活音に煩わされたくないし、こちらも夜中に気を遣いたくないという動機からでした。

しかし、静かすぎます。

前に住んでいたところは、線路がすぐ近くを通ってしました。田舎とはいえふたつの路線が重なっているので、特急電車や深夜の貨物列車など、いつも踏切の音が聞こえている環境でした。それに数百メートル離れたところに複数の国道があって、生活音の背景にはいつも外環境の音がありました。

現在のところは住宅地の真ん中です。小さめの家がぎっしり並んでいるようなところです。大家さんはもとはここに住んでいたのですが、もっと田舎に引っ越して、跡地にこのアパートを建てたようです。夜中も10時となれば、灯りがついている家のほうが珍しい。アパートの前の道は狭く、奥へ行くと袋小路になっているので、ここに用のない車は通りません。夜中にパソコンを使っていると換気ファンの音が気になり、ペンをカーペットの上に落とせば音が響きます。

隣室の住人の生活音はほとんど聞こえてきません。重鉄骨とはいえ、本格的なマンションとは違いますから、多少は音が響くはずなのに。これは皆が静かに暮らしているのか、防音性が十分で聞こえないのか。もちろん、表のドアをバタンと閉める音は聞こえますし、窓を開けていれば音が外を回り込んできますけど。ともかく、深夜に風呂の残り湯を使った洗濯はしないことにしました。ポンプの音が響くからです。気にしすぎなのかも知れませんが。

ともかく静かなところで、静かに暮らしています。ここ1〜2年ほど、5時間ぐらい寝ると目が覚めてしまって、もうそれ以上眠くても眠れないことが続いていました。四十代ともなれば眠りも浅くなるのだろう、と無理に自分を納得させていたのです。ところが今朝は「6時間寝たのに、まだ眠くてなかなか起きられない」という体験をしました。悪いことではありません。人間7時間寝ても8時間寝てもいいのですから。それだけ安心して眠れる環境だということなのでしょう。

そのまま眠って午前中遅れていこうかと思いました。僕はパートさんとはいえフレックス勤務なので、いつもならそれも可能です(早退も可、ただ給料は減る)。だが、今日は本年度の査定目標設定の上司面談がありますから、遅れるわけにはいきません。面談で言われることはいつもどおり、「納期厳守」とか「自分で仕事を作り出せ」とかですが、来年度から正社員に復帰できるよう頑張って下さいとも言われました。その先も中間管理職目指して階段を上れと言うのです(現場を離れるのは嫌だな)。期待される役割は大きく、担う責任は重い。僕は仕事に生きるタイプではないですが、普通にさらりーまんとしての働きをしたいと思うのです。
まあ来年のことは来年のこと。今は足下のことをするだけです。


2008年06月01日(日) ストレス

キッチン用のスチールラックを買いました。
某ホームセンターでサイズがちょうどいいのを見つけたら5千円でした。ちょっと高いなと思ったので、半額の安物を選びました。それから別の店に行ったら、最初のやつが6割引で売られていました。そっちも買って、最初の店で買ったものを返品に行きました。
僕は以前、買ったものを返品することができませんでした。なんかすごく悪いことをしているような気がして、気後れしてしまったのですが、今では全然平気です。

土曜日はそのラックを組み立て設置する予定でしたが、あらぬことに巻き込まれました。

僕が引っ越して出てくる時に、コピー機とFAXとパソコンのカラープリンターは持ってきてしまいました。それがないと子供たちが宿題をするのに困ると言うのです。コピーやプリンターは課題の紙に何かをコピーして貼っ付けるため、FAXは友達に宿題を教えて上げるためだそうです。おまけに、宿題を教えてくれるパパがいなくなったので、宿題をFAXでパパに送って教えてもらう計画だそうです。

元妻の家電店での買い物に付き合って、二万数千円の複合機を選びました。そこまではまだ良かったのですが、設置のために一週間ぶりに元我が家の居間へ入り込むと、そこはストレスの世界でした。

まず狭い。四畳半にタンスと洋服ダンスとカラーボックス、中央にはこたつテーブルが置いてあります。おまけにチワワ用の大きなケージが増えています。人間はその間の空いたスペースで過ごしているのです。以前、神保町にあった東京おとなクラブの事務所を訪れた時、小さなマンションの部屋に机が押し込まれて、人の居場所もない狭さに驚いたのを思い出しました。どうしてこんなに狭くして平気なのか。

FAXとコピーのテストはすぐに済みました。問題はプリンターです。ノートパソコンから、無線LANのスポット経由で「線をつながずに印刷したい」という希望が出ていまして、「そんなもん毎回USBのケーブルを刺さんかい!」と言いたいところですが、毎回「このケーブルはどこにつないだらいいの?」というメールをもらうのも困るので、希望通りに設定することにしました。

プリンター・ハブ間も、パソコン・ハブ間も無線でつないで問題なく印刷「できるはず」なのです。この「できるはず」にこだわって2時間つぶしました。いくら試しても、パソコンがプリンターを認識してくれません。結局、プリンターとハブの間はLANケーブルでつなぐことにしたら解決しました。

途中携帯に着信があり、あとになって「ひいらぎさん、電話の時はとても声がテンパってらして」と言われてしまいましたが、そのとおりテンパっていたのです。それは設定が順調に進まない苛立ちばかりではありませんでした。子供のことや元妻のこと、犬のうるささ、動物の毛などなど、ここ何年間かの日常そのものが僕をテンパらせていたのでした。

帰り際に次女が「パパ来週も遊びに来てね」と言われましたが、すまんな娘よ。もはやこの家は、いやもとよりこの家は、パパにとって安全な場所ではないのだよ。だから、パパの部屋が片づいたらそちらへ遊びにおいでよ。

とりあえず土日は宿題がFAXで送られてくることはありませんでしたが、これからは仕事で疲れて帰ってくると、宿題FAXが待っていることになるのかもしれません。面倒くさいから答えだけ書いて返信しちゃうぞ! ってわけにもいかないか。やれやれ。


2008年05月30日(金) 引っ越し後の生活(その2)

さて、_| ̄|○という感じの午前2時だったわけですが、そのまま諦めて寝るような僕ではありません。果たして「諦めの悪さ」というのが、長所なのか短所なのか。それはケース・バイ・ケースなのでしょう。

とりあえずパソコンのケースから400GBのHDDを取り外してみました。電源端子には黒く焦げた痕が残っていました。とりあえずそれを拭き取ろうと思うのですが、清掃用の純エタノールのビンは引っ越しの荷物に紛れて行方不明のままです。仕方ないので水で濡らしたティッシュで端子を拭くだけにしました。

試しに電源を入れてみても、中のプラッターが回り出す音がしません。

ソフトハンマーが見つかったので、それでHDDを2〜3回叩いてみました。そして電源を入れてみる。これを何回か繰り返していると、ヒュイーンという回転音が聞こえてくるではありませんか。ドライブを振ってみると確かにジャイロ効果が感じられます。ちゃんとヘッドのシーク音も聞こえます。よし、これでドライブ側はオッケーだ。

あとは基板の問題です。ドライブが動いているのですから、最悪でも同じ型番のHDDを買えば基板を移植して中身のデータは取り出すことができます。ならば出費は最大2万5千円ぐらいで済むはず。でも、やっぱりそれはゼロに抑えたいところです。

SATAのケーブルを抜き差ししながら、電源の再投入を繰り返しました。もうそろそろ諦めようかと思った頃、CRT画面に見慣れたWindows XPの起動画面が現れました。

「おお、神さま。ありがとう」

その神さまが何者なのか・・それはともかく、僕は最大限の感謝を捧げました。こうしてHDDは救われ、僕はWindowsが動くPCと、10年以上ためたデータを取り戻しました。果たしてハンマーで叩いたことに効果があったのかどうか、検証のしようもありません。

ついでにADSLモデムとルーターのセットアップもやってしまいました。47Mbpsの品目で契約したのにも関わらず、リンク速度は2Mbps程度でした。お、遅い。なんでこんなに遅いんじゃぁ。先ほど最大限の感謝を捧げていたにも関わらず、次の瞬間には心は恨み言で満ちているのでありました。

深夜まで騒いだおかげで、翌日僕は仕事に遅刻していきました。まあ、それだけで済んで良かったのかもしれません。遅刻したぶんだけ残業で取り戻す気にもなれず、AA仲間の車に乗せてもらって、ちょっと遠くのミーティング会場まで行ってしまいました。ミーティング後の雑談で、「そういえば先週バースディだったんですね、おめでとうございます」と言われてちょっと照れました。

まあ、早めに新品のHDDを買ってデータを移すことにしましょう。またいつ動かなくなるかもしれませんから。


2008年05月28日(水) 引っ越し後の生活(その1)

新居に引っ越して最初に手をつけたのは、たんす関係。
とりあえず仕事に着ていく服がないと困りますので、それが入っている段ボール箱をまず開けました。犬の毛やら猫の毛やらついていたり、糸屑がたくさんついてたりするのを、こまめに取って洗濯しています。

それから不要な服を捨てています。たとえば、下着のシャツなんて5〜6枚あれば十分でしょう。それが20枚近くあったりします。古くて襟口がよれよれになったようなのがたくさん混じっています。要するに元妻は「捨てられない」人だったのです。いらないものはどんどん捨てていきます。なにぶんワンルーム住まいなので、不要なものを置いておく余裕はありません。

風呂は毎日入っています。それで体を温めないと、一日パソコンに向かった疲れが、肩や腰に蓄積して辛いことになりますから。でも来月水道代とガス代の請求を見て泣くかも。

朝食はパンを焼いています。トースターはリサイクルショップで千五百円のポップアップトースターを買いました。それにマーガリンを塗り、あとはコーヒーと野菜ジュース、ちぎったレタスにドレッシングをかけて、あとチーズとヨーグルト。昼食はコンビニ弁当。隣の同僚は、前の晩にスーパーで半額になった弁当を買い、翌日の昼に食べているのだそうです。僕もそうしようかな。夕食は今のところすべて外食です。
まだ調理用具はほとんどそろっていません。

カーテンは頼んだのがまだ届いていません。かといってカーテンなしの生活も嫌なので、千数百円の安いカーテンをみつけて買ってあります。さすがに安物は薄っぺらくて、夜は外から中の生活が丸見えです。昨日ようやく新カーテンが一つ届いたと思ったら、レースのカーテンのほうでした。遮光カーテンはいつになったら届くのか。

ようやくパソコンを置く机の場所が決まり、設置を始めました。ネットにつなぐ前にパソコンの起動チェックをしようと思い、電源を投入してみました・・・が、起動してくれません。真っ黒な画面に NO BOOT DEVICE とメッセージが出るばかりです。

ああ、輸送中にハードディスクが壊れてしまったのか。引っ越しの時はテンパっていて、パソコンをプチプチでくるむことも、自分の車でハンドキャリーすることも考える余裕がありませんでした。それがこんな形で跳ね返ってくるなんて。

でも単なる電源コネクタの接触不良かも知れません。そこでHDDの電源コネクタを抜き差ししてみることにしました。が、ここでもう一つチョンボを重ねることになります。電源が入ったまま挿抜をしてしまったのです。さらに悪いことに、電源コネクタの誤挿入防止の爪が折れていて、端子が一つずれた場所につっこめてしまいました。おそらく+12VとGNDが短絡するぐらいのことは起きたのでしょう。
バチっという音とともに火花が上がり、基盤が焦げる例のいやーなにおいが部屋に立ちこめました。

「ああ、やっちまった」

ドライブは振動で壊れたやも知れず、基盤は短絡で壊れたやも知れず、もうこのHDDを救う手段はないかもしれない、そう思いました。400GBのHDDの値段は2万円あまりでしょうか。それだって今の僕にはしんどすぎる出費になりそうです。いや、問題はその中に入っている十数年分のデータです。

たしか4月にDVD-Rに最低限のデータだけバックアップを取ったはずです。しかしDVD-Rの容量なんてたかだか4GB。HDDの1/100にすぎません。

データサルベージっていくらかかるんだろう? という考えが頭の中をぐるぐる回りました。僕の月収ぐらいでしょうか。なんかもう絶望的な気分になり、ここで初めて離婚したこと(そしてそれに伴って引っ越ししたこと)を後悔したのでした。まさに、_| ̄|○という感じの午前2時だったのです。

(続きます)


2008年05月26日(月) 見られて恥ずかしいもの

まだまだ新居のネットは接続できていません。それどころか、まだパソコン用の机の置き場所すら決まっていません。はたして会社から無事に雑記が更新できるのかどうか。

さて、引っ越しの際に、AAメンバーを二人にお手伝いをお願いしました(わずかではありますが日当つき)。お二人ともAAスポンサーの頼みは断りにくかったやもしれません。引っ越しの日は雨の予報で、ずぶぬれになりながら引っ越しという最悪なパターンも考えられたのですが、朝には雨もやんで、午後には炎天下で汗を流しながらの作業になりました。

引っ越しは部屋の中身という「極めて個人的なもの」を他人様にさらさなければなりません。見られると恥ずかしいものをいっぱい見られてしまうわけです。その中で、最も見られて恥ずかしかったのは「親子関係」でした。母が引っ越しの手伝いに来てしまったのです。

もともと引っ越しの日は、朝に別の用事がありました。母は市の美術館で行われる展覧会に毎年油絵を応募しているのですが、その日が絵の搬入日でした。引っ越しはこの日に決めたからと母に伝えた時の母の第一声は「私の絵はどうなるのよ!」でありました。いやだから、朝一番に絵の搬入に行ってですね、それから引っ越しですよお母さん。ちゃんと息子はあなたのことも考えてますから、心配しないでください、だからそんなにいきり立たないで。という感じでありました。

で、僕の車で母と母の絵を美術館まで運び、受付の手続きを済ませたところで別れ、母はそのまま自分の車で自宅に帰ったものだとばかり思っていました。が・・、その母が引っ越しの最中に「せっかく近くまで来たんだから、顔を出さないわけにはいかないよね」と来てしまったのです。呼んでないのに!

というわけで、僕は僕の親子関係をAAメンバー二人に見られる羽目になってしまいました。こんなに恥ずかしいことはありません。ええ、たとえ夫婦関係をAAメンバーに公開することになったとしても、これほど恥ずかしくはないでしょう。しかも、引っ越しの殺伐とした雰囲気という本性が出ざるを得ない場面です。どこかに逃げ出したい、あるいは「帰れ」と言いたい、そのどちらもできないままにぐったりと疲れました。

でも人手が一人多いのは助かりましたし、みんなの昼飯代も持ってくれたりして、助かったことは事実です。だいたい、引っ越し当日は義父母が法事で一日いないから、などと情報を漏らしてしまった僕が悪いのです。顔を合わせたくない義父母がいなければ、母も心理的障壁がなくなるでしょう。来て欲しくないなら、その件は伏せておけば良かったのです。こちら側の掃除をするならばそうなります。


2008年05月24日(土) 撤収

本だとかCDなどの、重いけれど収まりのいいものから箱詰めしていくと、最後には形のバラバラな雑貨類が山ほど残ります。それをこれから、段ボール箱にごちゃごちゃに詰め込むところです。
「私は絶対引っ越しの手伝いはしない」と言っていた元妻も、押し入れダンスから僕の冬服を段ボールに投げ込む作業をしてくれています。

これからLANケーブルを撤去するので、ネットにつながらなくなります。その前に雑記を更新・・と思ったら、前に書いたのが火曜日でしたね。ずいぶん経ってしまいました。明日引っ越し先で、無事にネットのセットアップができればいいのですが、できなければ雑記の更新もしばらく滞るでしょう。

先ほど生まれて初めて養育費というのを振り込みました。今まで一つの家計(我が家は一つの家計とは言い切れませんでしたが)で暮らしていたものが、夫婦別々に家計を営むということは、それぞれ経済的に前より苦労するということです。それでも、元妻には元妻の収入もあるし、わずかながら僕の送る養育費とで、なんとか3人暮らしていってほしいところです。家賃の要らない親元に暮らし、自分名義の預金もあり、親も裕福とは言えないがそれなりのものは持っているのですから。

それに比べてこちらは預金も失い、これから家賃やらなにやら出費もかさむばかりです。それでも、金はなくとも借金はないし、なんとか稼得能力も残されているのですから、文句ばっかり言ってはいられません。

僕が最後に彼女に送った言葉は「僕と結婚してくれて、子供も産んでくれてありがとう」であり、彼女が僕にくれた言葉は「いままで働いてくれてありがとう」でした。

夫婦ではなくなっても、子供を挟んで相手の存在を意識することは、これからも続くのでしょう。

よく言われるように、離婚は結婚の何倍もエネルギーが必要。それは実感するところです。大変なのは別れることよりも、その後の生活だって感じですけどね。


2008年05月20日(火) ADSLと宿題

長女が修学旅行に行っています。一泊二日。場所は東京で、国会議事堂、東京タワー、浅草寺などを回るのだそうです。「パパは私が帰ってくるまでこの家にいないと、おみやげ渡さないからね」だそうです。

社会の授業で長女に出される宿題には、いろいろな調べ物が必要なものがあります。たとえば修学旅行前なら、「国会(議事堂)について○○を調べて書け」というようなものです。家に百科事典でもあればそれを見ればいいのですが、ウチにはないので子供はパソコンを使ってネットで検索しています。

最近は公官庁のサイトには子供向けのページがある場合が多く、これはとても便利で、宿題はその部分をほぼ「丸写し」となります。(「心の家路」にも「はじめてのいえじ」とか「きっずいえじ」とか必要なんでしょうか?)
じゃあ、ネットが使えないおうちはどうしているのかというと・・・。友達に聞いているそうです。長女も友達に宿題をFAXして上げたりしています。お父さん、お母さんに聞いても、国会のこととか農林水産省のこととか、よくわからないでしょう。百科事典もなければ、図書館で調べるしかないんでしょうけど。ところが、学校の図書室は放課後は利用禁止なんだそうです。週末の宿題だと、子供同士待ち合わせて、バスで市の中央図書館に行って調べてきたりしています。

そんな感じで、やっぱりネット接続ぐらいは残しておいてやろうと思い、ADSLの一番安いコースを契約してみました(フレッツが1,600円、接続業者が500円)。いままで100Mbpsの光ファイバーが1Mbpsのメタル線になって、さすが遅さは感じますが、Web閲覧とメールぐらいだったらこれで十分でしょう。

ただ気になるのは、電話をかける・かかってくるとADSL接続が切断して復帰しないことです。おそらく保安器の問題か、帯域幅調整で解決するのでしょうが、この時期に面倒なことです。最悪ADSLモデムのリセットの仕方を長女に教えればいいことでしょう。

まあ夫婦の最後は金の話ばかりであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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