一橋的雑記所
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2005年01月25日(火) |
忘れられない、最後の瞬間。 |
それなのに。 別れ話の最後の方で。 あの子に手にした鞄を多く振りかぶらせ、振り下ろさせた。 あの時の自分の言葉が、今でも思い出せない。
などと。 これまた嘘のやうなホントにあったお話で。 書き出してみたりするところの。 胡乱が枕詞のついでに寝不足気味な一橋にて御座いますです。 皆さま、ごきげんやう……(平伏)。
別れ話の挙句に鞄で殴られるなんてオチ。 傍目からしたら結構異様な光景だと思いますが。 これまたホントにあった話だったりして(胡乱)。
そりは兎も角。
人に信用されるって事がどういふことか。 長らく良く分かって居なかった己ですが先日。 とある方とメッセで話していた時の会話の中で。 その謎の一部が解明されたやうな心地ぞ致しましたです。
「絶対嫌な目に遭わせたりしないって信じてるんでしょう?」
成る程。
それだけは絶対したくないなあ…と心から思える相手がいて。 その相手にだけは絶対にしないでいられる自信が根拠もなくあったりする反面。
自分が如何にどれだけ人様の信用を得ることから。 逃げ回っていたのかを同時に知った心地ぞ致しましたです。
そしてその逃げ癖は少しも改まっちゃいないのですけれどもね(アカンやん)。
しかしながら。
睡眠不足も長く続くとホント。 碌な言葉も文章も出てきませんですねぃ……剣呑剣呑。
髪を切ったから。
そんな感じで。 嘘みたいなホントの話を書き出しに使ってみたりする、 胡乱が枕詞の一橋にて御座いますです、ごきげんやう……(平伏)。
冗談のやうですが。 それはホントにあった話。
長い事付き合っていた相手に。 「髪を切った方が絶対似合う」といわれ続けていたのに。 面倒くさくてのらりくらりとかわしていたのに。 仕事先の同僚の子に切った方が楽ですよ、と薦められ。 そうだね客商売だし思い切って短くしてみやうかと。 何の気もなく長かった髪をばっさり切ったのです。 離れて暮らしている相手の子に久し振りに逢った時には。 そりゃあ相当驚かれ。 それでも、「やはり短い方が似合う」と褒められ。 気をよくして同僚に薦められた話などもしたりして。
それから半年ばかり経ってから、二人は別れた訳ですが。 後から聞いた話に拠ると、その時、物凄くショックだったと。 その子はのたもうていたそうな。 自分の言葉は、もしかしたら全て。 出会って間もない同僚の子の言葉に負けるくらい。 あの人にとって無力だったのかと、その時思ってしまったのだそうな。
嘘のやうな、ホントの話でありますです。
今日、久し振りに髪を切りに行ってきて。 そんな話をふと、思い出してみたりなどしたり。
2005年01月22日(土) |
たとへば其処に在ること。 |
それだけで心を満たす存在があって。 それは決して「永遠」なんて不確かな色を纏う事無く。 それでも確かに其処に在るもので。
そのことがただ。 その現在がただ。 嬉しかったり幸せだったりするだけなのです。
そんな感じで。
少しポジティブな書き出しなどを試みてみたりする。 胡乱が枕詞の一橋にて御座いますです、皆さま、ごきげんやう……(平伏)。
といふのも。
己の落ち込みの根底には。 己自身が如何に信用の置けない人間であるか、といふ。 自己評価が横たわっており。 多分にそれは。 他者に対する期待、の大きさとも深く関わるものですから。 他者への期待とか甘えはそして。 他者への評価の手前勝手な厳しさとも表裏一体な訳で。
余計に。 落ち込む行為そのものに対する自己嫌悪やら何やらも綯い交ぜになって。 どうにも浮上し難い域へ自身を追いやってしまうのですが。
最近になって。 そんな自分を少し距離を置いて眺めたり。 放置したり(ヲイ)できるやうになってきた感じがして。 それが、少しだけ、ではあるけれども。 己の気鬱を軽くするのに効果的な気がしていたりなど。
多分それは。 其処に居てくれるだけで良いからと。 側に居てくれるだけで良いからと。 本当に想ったり、想われたりする相手が己には。 少なくとも今この瞬間には、居るといふことを。 以前よりは無条件に、肯定する事が出来るやうになったからだと思っていたり。
ええと。
言葉にして説明したり分析したりすると。 何故にこうも胡乱で掴み所無くそして意味不明な代物にしかならぬのか(汗)。
つか。
ちょいと唐突ですが。 ここに。 姉妹制度、といふものがありまして。
これは。 己が愛する作品『マリア様がみてる』に存在する制度でありますですが。 此処においては詳細を説明するのは、まあ、今更な感も御座います故、割愛(え?)。
で。 その形や内実や現れ方はそれこそ、作品文中にある通り。 「百組いれば百通り」なものなのでありますですが。
今の己にも有り難い事に。 お姉さまと呼び、妹さまと呼び得る方が存在するのでありますですが。
己の不確かな心の在りやうに。 多分、独りでは持て余すしかなかった思考の迷走に。 シンプルで素直でとても有効な「重し」を与えて下さるものが。 己にとってのお姉さまであり、妹さまな訳なのでありますです。
己のやうな人間でも何処か安心して。 恐らく、馬鹿みたいに無条件に安心しきって。 誰かに想われていると信じたり。 誰かを想っていると信じて良いのだ、といふ。 奇跡的な関係といふ、「重し」。
「此処に居て良いのだ」といふ、単純明快な、許し。 それを信じる事が出来るか否かは結局は己の心の問題でしかないのだけれども。 そしてそれはもしかしたら、「マリみて」世界におけるそれのやうに。 あくまで「期間限定」なものでしかないのかもしれないけれども。
けれども。 永遠を信じなくても大丈夫。 今、こうして己が居る事、あなたが其処に居る事を。 何の留保もなく信じる事が出来るだけで。 どれだけ、この心が救わるか。
そしてそんな想いを。 己的お姉さまや妹さまだけではなく。 己が愛する人にもいつか、ちゃんと。 安心して示せる人に、存在に。 なれたらなあと、思えた事実が。
多分、今の己をこうしてこの地に繋ぎ留めて居てくれるのです。 光を求める心を、肯定させてくれるのです。
とはいっても。 喉元過ぎれば熱さ忘れる事甚だしい己的胡麻粒大脳味噌の事。
きっとまた直ぐに見失ったり自己嫌悪に陥って。 誰の目にも届かない。 誰の声も届かない所へ潜り込んだり引っ込んだり。 したくなっちゃう日が訪れる事もまた疑いない事実なのですが…(駄目ぢゃん)。
ともあれ。
今日この日。この時の己は。 そんな「重み」を支えに、何とか独りで立っておりますのです。
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