夢の記述...マオ

 

 

ドキリ - 2001年05月06日(日)

昨夜はドキリとした夢を見た。
シロが横たわってる夢だ。
目覚めて(縁起でもない・・・)と思った。
シロの様態を気にしてるからだろう。
それから、森の猫たちがどうも犬に追われている気がするので、
そこから不吉な夢をみるのだろう。

でも今日、サッカー観戦から帰って、森の猫にごはんをあげに
行ったら、しばらく姿を見せなかったメグレもいたし、やはり
しばらく見なかったOさんちのイクラちゃんの姿も見たから、
妙な夢は見ないだろう。


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久々に - 2001年05月04日(金)

夢らしい夢をみた。眠っていながら、(あ、夢をみている。
HPに書ける)と思っていた。
目が覚めたら、全部忘れている。残念だ。とがっかりした。
・・・でも、待てよ。・・・それらが夢だったのかな?


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もやもやの正体 - 2001年05月02日(水)

ここのところ眠りがもやもやとして浅い感じがしてならなかった。
モウが帰ってこなくなった時、そのことが気になっているからだと
分かっていた。がモウが死んで見つかって、痛みが強かったけれど、
もう帰ってこないのだ、と分かった。だからもやもやから解放され
ていいはずなのだが・・・、ずうっと眠りはもやもやとしている。
昨夜それが明確に現れた。
パソコンだ。夢のなかでキィを打ってる感覚がずうっとあった。
目が覚めて、(アイツかぁ・・・、やっぱりな・・・)と思った。
昨年の10月にHPを開設したのだけど、準備を始めた夏ごろから、
このパソコンはずううっと重いものになっている。
何より実際に家事の合間、介護の合間、動物の世話の合間、執筆の
合間、つまり休むまもなくこれに向かってきたから、この作業から
くる疲れや肩のこりは当り前といえば当り前だ。
私は結構回復力があるから、なんだかんだと言いながらすぐ回復す
るし、ダメージを払いのけられる。その繰り返しだったのだ。
それがやはりもやもやの夢とも現ともつかぬ形に現れ出したか・・
・とまれ、少し違うぞ。・・・このもやもやは単純なそうした疲れ
からだけではないぞ。
パソコン特にHPをはじめて、まるで手品の種明かしを見るような
感覚がある。・・・ここに見えることの”ショック”が、もやもや
夢になっているのだ。
そう、HPを通していくつもの欺瞞のベールがとれた。自己のこと
は勿論、他のいくつかのことも、だ。これはやはりショックだ。
ショックといっても悪い意味ばかりではない。
”知る””わかる”ということは、何も悪いことではない。
知らない方がよかったということは、日常にしばしばあることだけ
ど、知ったことに支配されなければ、やはり知ることは必要なこと
だ。
パソコンも夢も、私にはいい通信なのだと思う。侵させない限りね。


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忘れられない夢 - 2001年04月30日(月)

大分昔の夢で、ずうっと覚えているものがある。
そういう夢は怖かった夢、悲しかった夢が多い。
奇妙な夢も忘れられない。
そのどれにも属さない夢で、何十年にもなるのに昨日ことのように
覚えているものがある。
中学生の頃の夢だから、本当に何十年も前だ。
市川右太衛門さんという東映の大御所時代劇スターの夢だ。
私は生まれてはじめてみた映画が、美空ひばりさんの映画とこの右太衛門さん
の旗本退屈男という映画だった。
それがとても面白くて興奮した。
その興奮が夢に出たのだろう。後年、市川退屈男が、大きな黄色い月の下で、
番傘を開いて、三波春夫さんの「チャンチキオケサ」を歌い踊っておられる
のだ。目が覚めて???状態になっていたっけ。
そんな夢を今もよく覚えている。・・・こういうヘンテコな夢って、何を顕
しているのだろうな。


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この頃 - 2001年04月29日(日)

夢を以前ほど見なくなった。
一昨年ツレアイが倒れるまでは、毎晩のように夢を見た。性格には”覚えていた”というべきかもしれない。夢はたいてい誰でも毎晩のように見ていて、それを覚えているかどうか、ということらしいから。
そう、一昨年の秋まで、本当に一晩のうちの夢のいくつかを克明に覚えていたものだ。どんな夢だったか、そしてそれはなぜか説明はつけられる。
いつか書いておきたい。気がむくことがあったらだけど。


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