古い魔法
DiaryINDEXwill☆


2003年10月27日(月) 記憶の捏造

むかし、まだ富ヶ谷の古いアパートに住んでいたある日、友だちが泊まっていくことになった。
わたしとふたりかさんにんか。親友というわけでもないつきあいだった。
夜も更けた頃、そのうちのひとりが「白玉だんご作ろうよ!」と眠気のひとつもなしに言い放ち、わたしたちは面倒くささのひとつもなしに白玉粉を買い求めるべく夜を彷徨い、ひとつしかないガスコンロで耳たぶの柔らかさだよなんてきっと言って作って、あずきと食べた。
しかし、記憶なんて曖昧になるばかりで、その夜の闇も季節も白玉の味も出来ばえも今となっては思い出せず、夜中じゅう何を喋っていたのかも忘れ、ただ覚えているのは無邪気な閃きのごとき少女の提案だけである。


2003年10月26日(日) ちょっとの雨ならがまん

そして、自分を含めて思うが、育っていく過程でどうしようもなく傷ついた経験があると、毎日を生きているだけでもう「そうとうがんばっている」状態にある。なので、他の人が甘く見えて、信頼できないので、どうしても持ちつ持たれつができず、ある意味ぐちっぽくなる。もちろん自己憐憫の気持ちもあるので、思わぬところが甘えん坊にできていたりする。さらに、逆境を生き抜いてきたエネルギーが過剰にあるので、なんでも過剰にやらないとどうしても安心できないので、過剰になって、ますますがんばってしまう。
しかし、これこそが、ものを創るのには、大切な何かなのだと思う。

 よしもとばななさんのHPより


サトエリってスタイルがこの上なくよくて、近著『気遣い喫茶』もがんばってるなと思うんだけど、ジョージアのCM・社長にいうたった〜Ver.では、そんな顔していいのと心配になるほどのブサイク顔を見せていて、毎日その表情をチラ見するのが楽しみ。


2003年10月25日(土) やつらの足音のバラード

幸運は忍び忍びやつて来てわが屋根にとまつた―
音無くつむ雪や、夜置く霧のやうに。
それは不意打ちではなく、丁度日差しが立木に当るとき
おもむろに光のくすぐりが枝々にひろがつてゆくのに似てゐる。

 大江健三郎・ゆかり著「恢復する家族」中
 十七世紀イギリス詩人ヘリック・森亮氏訳より


シカゴの友達が小旅行中のボストンから葉書をくれた。
旅先からの便りはいつもうれしいね。
チャールズ・リヴァー沿いに落葉を踏む音が聞こえるやもしれぬ趣。


2003年10月24日(金) ラブラブマンハッタン☆

野球で2時間遅れの「マンハッタンラブストーリー」。
0時過ぎだっていうのに、ピーマンがまだちょっとかたいくらいの雑なナポリタンが食べたくなる。
主題歌がとても良いのでTOKIOのシングルをついつい買ってしまうかもしれない。Aの赤羽さん→Bのベッシー→Cの千倉さん→Dの土井垣さん、と展開してますが、Iではじまる尾美としのりフィーチャーの回を期待したいところ。
仲良しの編集さんが、関西のバンド・LABCRYのCDをかしてくれる。


Rina |MAIL

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