とある町で
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2025年01月18日(土)

昨年
父が亡くなった。

父と母の介護をしていたのだけれど
母が骨折で入院したのをきっかけに
ドミノ倒しのように
色々なことが起こり
そして
弱って認知機能が落ちた父は
母がもうすぐ退院してくるのをおそらく理解することなく
亡くなってしまった。

以来
私は自分を責め続けている。
経緯を
この日記に書こうと思いつつ
書けずにいる。

ずっと書けないかもしれない。

書くことが目的ではなくて
自分の感情と思考の整理になればと思ったのだけれど
書けない。

いつか
私があの世に行って父に会ったら
謝ろうと思っている。

へそ曲がりだった父は
何と言うだろう。
分からないけれど。
謝ることは
私の自己満足でしかないかもしれないけれど。


私は今
退院した残された母の介護をしている。
認知症の母は
母のようでどこか母でなくなり
輪郭のぼけた母のようだ。

でも
紛れもなく母であり。

私は父にできなかったことを
できるだけ母にしたいと思っている。
どこまで出来るか
分からないけれど。

老いた祖父の介護をしている方の動画を見ていたら
おじいちゃんが
「ワシにはもう〇〇しか居ない」と
介護をしている方の名前を呼んで泣いていた。

人は
幾つになっても
繋がりが必要なのだろうか。
そばにいてくれる人を求めて
泣くんだろうか。

母もそんな気持ちなのだろうか。
本当はそう言って泣きたいのを
こらえているんだろうか。
忘れたふりをして。

私もいつか
そう言って泣くんだろうか。

最後の日々が楽しいものであってほしいと思っているけれど
道の険しさに
母にかける言葉といえば
「体調はどう?」と
当たり障りのない言葉しか
かけられない自分がいる。


久美

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