ウィングのつぶやき
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2005年03月14日(月) 感傷的なわけではないのですが・・・

昨日の夕方、フジテレビでウィンドサーファー飯島夏樹さんのドキュメンタリーが放送されました。
がんに冒された飯島さんは、残りの人生を愛する妻と4人の子供と共に精一杯生き、そして1編の小説を残し、先月の28日に天国へ旅立たれたのです。

番組の中で飯島さんは、
「主役は波であり、風であり、海そのものなんですよね。人間なんて、その中でちょこっと遊ばしてもらっているようなものですよ」と語っていましたが、その言葉がウィングの中にぐぐっと入り込んできました。

この場で「家族を残して死ぬ」ということを論じるには、あまりにもスペースがないし、体験したこともないので論じるのは控えますが、純粋に生をまっとうした人間が到達する「生かされている」という境地にはとても共感できました。

ウィングはオーガスタを訪れたとき、そういう気持ちになりました。踏みしめている大地が鼓動しているような感じ、風や木、そして芝の1本1本が意思を持っていて、ゴルファーの欲や煩悩をたしなめようとしているような、そんな印象を受けたのです。

ゴルファーもまさに、空や大地に遊ばせてもらっているようなものではないでしょうか。

グレッグ・ノーマンの2度の悲劇、そしてオーガスタでつかみかかっていた勝利を逃したミケルソン、彼らが体験した予想もしない結末は、彼らに与えられた試練、もしくは純粋にプレーした勝利者への自然からのプレゼントだと思えて仕方ないのです。


1996年のマスターズ。ファルドに6打差を大逆転されて負けた直後、ノーマンはインタビューのためプレスルームの入り口に立ち尽くしていました。現場にいたウィングはそのすぐ後ろにいましたが、背中から発した湯気が荒々しく立ち上り、それが夕日に照らされて、きらきらと輝いていたのが忘れられません。
荒々しい湯気、それは冷静を装うノーマンの、本当の気持ちのような気がしたものです。

いたたまれなくなってプレスルームを離れたウィングは、クラブハウスの裏でミケルソンが、くったくのない顔でキャディとキャッチボールをしている姿を目撃しました。その表情にはまだ、いまと違って苦悩の皺が1本もなく、「この人はまだ当分メジャーには勝てないだろうな」と感じたものです。

同い年のプロサーファーの生と死が、あらためて気づかせてくれるものは多かったですね。

とりあえずいまのところ生かされていて、ゴルフというすばらしいスポーツと出会い、付き合えていることに感謝したいと思います。


ゴルフライター小林一人

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